2章

2-1.律儀なのか面倒なのか

「ねえちゃん、ねえちゃん」

「んあ?」


 揺さぶられて起きた。

 目元を拭うベルベットを見下ろしているのは、くりっとしたアーモンド型の目元が愛らしい弟のメイナードだ。この子の片割れであるギルバードが口元を尖らせる。


「ほら、生きてる。大丈夫だって言ったじゃん」

「でもねえちゃんだぞ。去年セロに突っ込まれてあばら折ってたし」

「そうだけど、クッションまで持ち込んでたら流石に違うって」

「頭がずっと乗ってたら重そうじゃんか。ぼくは息ができなくなったんだぞ」


 双子の会話で、ベルベットは下半身が上手に動かないことに気付いた。ずっしりと重く、麻痺したように身動きできない。そういえばなぜギルバードが距離を取っているのか、答えは彼女の足の上にある。


「……あー、寝てたのか?」

「ねえちゃんボケるにはまだ早いよ」


 口の悪いメイナードの肩を掴み、わざと体重をかけながら上体を起こす。

 太腿の上に乗っていたのは愛馬のセロの頭部で、ギルバードに睡眠を邪魔されたためか尻尾を揺らしている。

 外から帰ってきたベルベットは疲労のためにクッションを持ち放牧場に直行したのだ。適当に寝転んでいたところをセロがやってきて、甘えて寝転び、じゃれて遊んだところで彼女は眠気に負けた。普段なら馬の頭を乗せたまま眠りはしないが、余程疲れが勝ったのだろう。セロの位置次第によっては苦しいどころではなかったかもしれない。


「セロ、どいて」


 わかってて動いてくれる馬ではないので当然無視される。

 姉の無事にギルバードは隣の柵からこちらを観察するジンクスの元へ行き、鼻をぶにぶに押しながら遊んでいる。メイナードは彼女から逃げ、あがいて抵抗するベルベットの背中にセロは頭を乗せ、彼女を土まみれにしてようやく解放だ。

 馬たちには飼い葉を与え、戻りは放り投げていた上着を拾ってくれていた双子が一緒だ。


「ねえちゃん、それ仕事着なのに汚していいの?」

「シャツは替えがあるから大丈夫」

「そういう意味じゃなくて……今日仕事じゃなかったのにどこ行ってたのさ」

「野暮用」

 

 全身うっすら汚れたベルベットと双子は微妙に距離を取りながらも、彼女は気にした様子はない。乱暴に頭を掻きながら、変わり果てた家の外観を見上げた。


「……ここまでしっかり作ってくれるとはなぁ」


 デイヴィス家の養女でありながら、いまなおベルベット達に愛情を注いでくれている実妹・グロリア。彼女のおかげでハーナット家の改築は完了し、二部屋程度しかないボロ家は、いまや二階建ての牧歌的な家になっている。古い家畜小屋は解体され、馬小屋は綺麗に改築。馬の放し飼いが好きなベルベットのため、放牧場の更なる整地に、家の周りにはしっかり木柵が作られた。

 家に入るとすでに竃に火が入っている。

 メイド服姿の女の子はデイヴィス家の使用人で、グロリア付きの侍女だ。眼鏡の似合う女の子で、聡明な娘である。

 ベルベットが帰って来るなりぺこりと頭を下げた。


「おかえりなさいませ、ベルベット様」

「こんにちは、リリアナ。貴女がいるってことは、グロリアは……」

「学校が終わったらこちらに来るそうです」

「そっかそっか、ありがとうね」

 

 生活のため仕方なく家事をするベルベットは、お世辞にも家事は得意ではない。リリアナはグロリアを汚れた家に置くわけには行かない使命を帯びているようだが、それでも代わりに家事をしてもらえるのは助かっている。

 薄汚れたベルベットに、リリアナは「裏にタオルを置いた」と告げた。


「お食事の支度はしておきますので、ベルベット様は汚れを落としてくださいませ」

「あー……ごめん、じゃあお言葉に甘えます。ついでにラウラも洗っちゃうから、お願いします」


 律儀に頭を下げるベルベットに、リリアナは親しみを込めた微笑みを浮かべる。

 グロリアの使用人なのだし、命令だから頭を下げる必要はない……彼女にはそう何度も言われたものの、人の厚意にあぐらを掻くことはできない。互いが気持ち良く過ごすためにも、弟妹達にもくれぐれも言いきかせている。

 せっせと刺繍に励む妹を連れ、移動したのは裏手の水場だ。風呂場だけはまだ完成しておらず、布で囲んだタイル床場で、桶と水を利用し洗っている状態だ。グロリアは完成を急がせると言っていたが、生活の質は格段に上がっているので不満の声は上がっていない。

 ただ、工事さえ完了すればお湯も自在に使えるようになるとかで、それを妹のラウラは楽しみにしている。

 椅子の上でベルベットに髪を洗われながら姉に尋ねていた。


「おねえちゃん、本当にグロリアちゃんの言うとおり、簡単にお湯が出るようになるのかな」

「らしいわね。グロリアは魔石の手配と組み込む工事が終わったらっていってた」

「そしたら冬に寒いって言いながら身体を拭かなくてよくなるかな」

「うん、風邪も引かなくてよくなるかも」

「そうじゃなくて、お姉ちゃんがお湯を沸かして何度も行き来しなくて良くなるね」

「……そうね」


 しかし家の改築や井戸掘り、水場の手押しポンプ設置はともかく、湯を自由に使えるのは中流家庭でも裕福層の贅沢品だ。そう思ったベルベットはいくらか金を包むも、これをグロリアは徹底的に拒否した。妹にここまで出させるのは申し訳なさもあったものの、家のための手間が取り除かれるのは本当に助かっている。

 おまけに片足が不自由で身体の弱いラウラを考えた家づくりで、たまに車椅子を使う彼女のための動線も考えられている。グロリアの十七という年に見合わない、あらかじめすべてを見越したような気遣いは流石だ。

 洗い上がりのタオルを取るベルベットに、ラウラが振り返る。


「次は自分でお風呂入るから」

「そういってこの間転んだからだめ。少なくとも腕のあざと痛みが引くまでは、わたしが洗う」

「……だいじょうぶなのにー」

 

 いまは大人しく言うことを聞いてくれるが、いつか反抗期も訪れるのだろうか。

 車椅子に乗せた妹を家に戻し、さて自身も……と水を被る。石鹸に手を伸ばしたところで気付いた。

 ――そういや財布どこやったっけ?

 家に帰ってから上着を放り投げた際、財布もついでに置いてきたのではなかったか。双子が拾っていた形跡はなかったし、ベルベットも見かけていない。

 らしくない失敗にため息を吐きながら壁代わりの布を超える。時刻はそろそろ夕方になるか、空が朱に染まる様を想像しながら、風を浴びながらゆっくり歩を進めた。

 財布は一見見つかりにくい場所に落ちていた。

 拾い上げたところで、後ろから声をかけられる。


「ベルベット」


 ベルベットの家族に少年達はいても、低い声をした男性はいない。

 ここにいるはずのない人に振り返ると、馬を下りたばかりの黒尽くめの男が二人いる。

 美丈夫だが眉間の皺が深い男と、切れ長の憂いを帯びたような魔道士だ。見目麗しくもまるで正反対の見目を持つ二人組には覚えがあった。


「隊長にエルギス、ふたりして一体何事ですか」

 

 上司たる近衛隊長に宮廷魔道士が一般近衛の家を訪ねるとは何事か。二人に近寄ろうとしたベルベットだが、彼女の姿を見たギディオンはぎょっと目を剥き、あらぬ方向を見て顔を背ける。彼とは上司と部下の関係でも仲は悪くなかったはずだが、困惑するベルベットにエルギスが指摘した。


「とりあえず服を着ろ」


 ベルベットが己を見下ろせば水に濡れている。薄着でも着衣しているし、このくらい珍しくもなんともない。娼館に行けばもっと大胆な女とているだろうに、面倒くさい男だと顎で家を指した。


「家で待っててください、すぐに行きますので」

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