第25話 今度こそ貴女と約束を

 グロリアはわからないなりに、理解に務めようとしたと語る。


「私はグロリア・デイヴィスになるらしい女の子。いまは貧しい家の育ちだけど、いずれは貴族になって皆から一目置かれる女性になる」

「……っていうのがわかったってこと?」

「ええ。でもそのまま養子になったって結果はわかってる。主人公と主人公が選んだ恋人によって、私は必ず死ぬか、死ぬよりも酷い目に遭って終わっちゃう……そんなの嫌よね」


 だからグロリアは過去を変える決断をした。

 彼女なりにシナリオの詳細を思い出し、話にしか出てこなかったグロリアの過去から物語から大筋を辿り、ベルベットの命を救ってハーナット家の瓦解を阻止した。家に笑い声が途切れていなければ、きっと養子行きもないと思ったらしい。

 だけど、とグロリアは肩を落とした。


「家は貧しいままで、結局養子の話が出てきてしまった」

「どうしてわたしを助けたのに養子縁組を? 物語通りに進むのを拒むべきなら、断れば良かった」

「断りたかったけど、私が養子入りしないとうちは貧しいままでしょう?」


 真っ直ぐな疑問には否定できなかった。

 たしかにグロリアがデイヴィス家に引き取られたからこそ他の弟妹達のいまがある。


「それに……ちょっとおかしな事を言うけど、過去を変えたのに、養子行きの話は出てきたのよ。なにかが物語通りに進ませてるんじゃないかって予感が拭えなかったの」

「それでも嫌って言えば良かった。大人達はわたしたちの意見を聞こうとしてくれていた」


 グロリアは困ったように胸に手を当てる。


「さっき予感と言ったでしょう? この感覚は言葉にはしにくいの。物語通りに進ませようとする強制力っていうのかしら、そういうのがあるのかもしれないって……あのとき強く感じた。だから逃げなかったし、戦おうと思った」


 その決め手の正体はベルベットに掴めないものだ。わかるとすれば、妹の密かな決意だけだ。

 彼女がベルベットの命を救ってハーナット家の歴史を変えたように、あえて「悪役」の皮を被った状態で歴史を少しだけ変更し、その上でハーナット家に戻る計画をグロリアは立てた。


「シナリオ上だと、王家はデイヴィス家と繋がりを持ちたいからグロリアを振ったりはできないけど……本来のグロリアはそれをわかってた。だから贅沢三昧やら馬鹿な行動を繰り返して、火あぶりになったり……いろんな最期を迎えるんだけど」

「……聞かなきゃ良かった」

「大丈夫よ」

「大丈夫って、なにが」

「そうなりたくなかったから、私も頑張ったの。早々に王子から振ってもらうってイベントを起こしたんだから」


 グロリア曰く、それが一番穏便なエンディングらしい。しかも彼女は定められたシナリオと違い、なんの罪も犯していない上に、振られる時期も数年以上早送りにした。詳しく話を聞けば“玲瓏なる一輪の華”にも理由があった。


「わざといけ好かない女を演じたの。そうしたらシナリオ上から早く退場できるし、私が主人公達の邪魔になることはないはずだから」

 

 グロリアの語る物語がどんなものなのか、正直に言えばベルベットにはよくわからない。だが彼女は綴られていくシナリオを心底信じているようで……そこが理解できないのだ。グロリアも彼女の気持ちはわかっていたようで、前屈みになってベルベットと視線を交差させる。

 どうしてだろうか。目の前にいるのはまだ十七歳の女の子のはずなのに、ベルベットには疲れた目をしている女を感じさせる。


「養子縁組のときは、このままじゃ家は傾くからって、そんな勘だけだった。はっきりと確信はなかったし、私自身、ただ運命に翻弄されているんじゃないかって思ったことは何度もあったの。でもね、今回の件で確信した」

「……グロリア?」


 じっとベルベットを見つめる妹は、まるで祝いのような呪いを口ずさむ。

 

「私はきっと、どこまでいってもシナリオが私を正しく殺そうと追いかけてくるのだと思う」

「そんな馬鹿なこと……」

「馬鹿だと思う? 姉さんだって十二年前と同じように、また同じ死に方をしようとしていたのに?」


 ベルベットは何も言えなくなり、そんな彼女にグロリアは続ける。

 妹も、どこか苦しむように――。


「私はとっくに終わった気でハーナットに帰ろうとしてたけど……まだ終わってなかったのね。物語は私を苦しめるために襲ってくるし、私が近くにいるだけ姉さんはまた死に狙われる」

「グロリア、やめなさい」

「やめない。だから、私はまた――」

「いいからやめるの」

 

 グロリアの唇に人さし指と中指を押し当て、黙らせる。

 なにせ事実だからだ。十二年前、グロリアに命を救ってもらったことは彼女自身が認めてしまっているし、今回の類似性も認めている。声にしないだけで、まるで同じことの再現だとも感じていた。

 指を離すと……片手で自身の頭を抱えた。


「ごめん、ちょっと待って――すぐ、すぐ纏めるから」

 

 妹を信じようと思った矢先にこれは悪いと思っているが……ベルベットの本音は否定したい。

 何故なら理由は簡単だ。

 自分たちが作られた架空の人物で、生き様や死に様まですべて誰かに作られて、踊らされているのだと言われて誰が「はいそうなんですか」と頷けるのか。これまでベルベットが積み重ねてきた人生は彼女のものであり、誰かに定められたものではないと信じている。

 これはベルベットどころか、世界そのものを覆す狂った発想だ。教会に報告すれば異端として扱われるのは間違いないし、疑えないだろう。彼女とて三大神を信仰するごく一般的な市民なのだから。

 妹が心底信じている“物語”は、残念だが空想の話であって事実ではないと言ってやりたい。これが赤の他人なら即刻頭の病気を疑って医者を案内する。それが現実的でもっとも確実な解決法だ。

 だが相手はグロリアだ。妹だ。ベルベットの大事な家族だ。

 これを嘘と言ってしまっては家族が傷つくことくらい、彼女はとうに知っている。 

 何を言われてもまっとうに受け止めるつもりが、混乱してばかり。ベルベットは己に冷静になれと言いきかせ――深く息を吸う。

 ……時間はさほど長くなかったはずだ。


「よし、わかった」

 

 ベルベットは手の平を見つめて、唐突に己の頬を叩く。

 もう認めるほかない。

 ベルベットはグロリアが大事だ。デイヴィス家に帰れと言いながら、妹がちょっと会いに来なかったくらいで自ら動くくらいには、実は彼女の帰宅を喜んでいる。それをまた手放せと言われたら――無理だろう。

 だからこの場で必要なのはベルベットの覚悟であり、それをいま、彼女は決めた。

 不安そうに姉を見るグロリアの手を取った。


「いい? わたしはいまから貴女の“物語”を全面的に肯定する」

「無理しなくていいのよ。私だって空想めいた話だってわかってるし、無理に信じる必要はないの。ただ、知ってもらいたかっただけで……」

「わたしは、大事な妹の話を、茶化したりなんかしない」


 ベルベットが目をそらさずに断言すれば、グロリアがぐっと奥歯を噛んだ。先ほどまでは我慢もせずびぃびぃと泣いていたくせに、今度は泣くのを堪えるような表情だ。


「無理しなくてもいいわ」

「無理はしない。でもわたしは貴女の見たものを知っているわけじゃないから……時々は間違えるかもしれないけど、それでもまあ、その前提で動くことにする」


 ベルベットは彼女なりに真剣に、グロリアに向き合っているつもりだ。一方でグロリアはといえば、ベルベットの言葉を呑み込むのに時間を要している。

 まるで幼い子供のように問い返していた。

 

「……姉さんは何が言いたいの?」

「貴女が生きるために必要な戦いに、わたしも参加するってこと」

「……凄く難しいわ」

「むずかしくてもやる。手伝うよ」

「どうして?」

「どうしてもなにも、あなたが家族だから以外にない」


 グロリアはベルベットの手を離さない。聞き分けのない子供のように離さないのに、口はベルベットを拒絶する。まるであべこべだ。

 

「姉さん。私はただ、自分が死にたくなかっただけで、崇高な目的なんかひとつもないのよ?」

「それがどうしたの? あなたはハーナットに戻ってきたかった。十年間、わたし達を忘れずにいてくれたのは、どんな理由であれ、わたし達を愛してくれていたからでしょう」

「転生前は全然違う女の子だった。グロリアを乗っ取ったの」

「なら教えてあげる。小さい頃から貴女は貴女だった。わたしのグロリアは、いま目の前にいる貴女以外にはいない」


 ベルベットには崇高な目的など必要ない。グロリアが「だけ」といったそれだけが重要だし、なにより彼女は我慢ならない。

 妹の、前世のシナリオが殺しに来ると信じる姿は、まるで呪いに掛けられているようだ。絶望の一端をベルベットの死が担うのだとすれば――手を取るのに何の躊躇いが必要なのだろう。

 彼女はもう一度妹を抱きしめる。

 十年前に逃してしまった、今度こそ本当に妹を取り戻すための抱擁だ。


「いいから黙ってわたしを引き込んどきなさい。少なくとも、あの頃みたいに無力なんかじゃないんだからさ」


 ごちゃごちゃと話はややこしかったが、決めてしまえば後は単純だからこそ、グロリアにも伝わりやすかったのかもしれない。 

 

「……姉さんは、ずるい」

「なにがずるいのか全然わかんない」


 言葉とは裏腹に離れようとしないのが、ベルベットの差し出した言葉に対する返事だ。

 実を言えば、彼女には実感らしい実感も備わってないのだが――この約束が物語に抗うための、ベルベットの答えとはじまりだ。

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