第20話こんな顔は見せられない

 豊穣祭は国民一同で春の実りを祝うお祭りだ。

 毎年とりおこなわれている中で、子供達が司教に祝福を授かるイベントがあるのだが、赤い欝金香チューリップを手にした親子が司教に近づいた。

 今回と結果が違うとしたら、その時の黒幕の企みが見事成功し、司教は犯人諸共亡くなってしまった点だ。会場だった噴水広場はたくさんの人で賑わっており、惨憺たる有様だったらしい。後に犯人が欝金香チューリップを手にしていた目撃証言と大量の血液が流れた有り様から、血の欝金香チューリップと人々に言われている。現在のサンラニアが要人警護を厳重にする理由の一つでもあった。

 ベルベットはその豊穣祭で、友達と一緒に司教の祝福を授けてもらう予定だったと話すと、ギディオンは目を丸める。


「グロリアが具合を悪くして行けなくなってしまったんですよね。だから一歩間違えば私はこうして息をしてなかったわけです」


 ギディオンは眉間に寄った皺をさらに深くした。


「今回、殿下が必要以上に責任を感じられているのもその事件が関係している」

「殿下って、さっき会ったあの?」

「他に誰がいる……あの方も十二年前の被害者の一人だ」


 へ? と素っ頓狂な声を漏らすベルベットに、さらに彼は「自分もいた」と驚きの真実を語る。


「お忍びで市井に遊びに出ていたんだ。あの爆破が起こった瞬間は、俺たちも見物していた」


 彼らが助かったのはまったくの偶然だ。エドヴァルド達を参加したくてもできないシャイな二人組だと勘違いした街の子供達が、二人を輪に加えるべく声をかけた。


「司教は殿下の顔を知っていたから正体がばれるかもしれなかったが、せっかくの誘いだ。殿下も乗り気になったが、俺が慌てたせいで財布を落としてしまってな」

「……それで?」

「こぼれた硬貨を拾おうとしゃがんで……殿下も俺を手伝おうとしたところで、だ」


 彼らは体勢を低くしたことと、偶然にも誘ってくれた子供達が盾になったことで無事だった。家族にひどく叱られてしまったもののかすり傷程度で済んだのだ。


「まさに偶然が偶然を呼んだ……そんな瞬間だったな。あの出来事があったから、殿下はナシクへの警戒を強め打倒の意思を掲げられている。お前の件も気に病まれ……どうした?」


 彼女が奇妙に表情を歪める様に違和感を抱いたらしい。ベルベットは言うか言うまいか迷ったものの、やがて項垂れながら彼にある事実を教えた。


「貴方がたの盾になったのは、もしかしたら私の友達だったかもしれない」

「なに?」

「親たちの話を聞いたことがあります。友達は、全員犯人の近くにいたから誰も助からなかった。近くにいた少年達の盾になる形で亡くなったけど、その子達がどこの子供だったのかは、わからなかったと」


 沈黙の帳が降り、ベルベットは彼が強く力を込めて手の平を握り込むのを見た。


「ひとつ尋ねたいのだが、彼らは俺達を恨んでいただろうか」

「いいえ。彼らが知りたかったのは貴方たちの無事です。無傷だったとは知っていたそうですが、医者に連れて行かれた形跡がなかったみたいだから」

「……俺たちを探していたのか」

「子供が大勢亡くなった。ひとりでも無事でいて欲しいと思うのは当たり前です」

「そうか。サンラニアの良き人々と、教えてくれたお前に感謝する」


 後に事件を知った母ミシェルは恐怖におののき、娘達を強く抱きしめたものだ。

 しんみりした雰囲気になるも、いつまでも引き摺るわけには行かない。鬱々とした空気を払うべく気を取り直すと、報告書の内容を頭に叩きつけ、帰ろうとしたところで呼び止められた。


「復帰後だが、今回の功績を称え陛下より勲章が授与される。身だしなみは整えてこい」

「ええー」

「なぜ不服そうになる」

「勲章より報酬の方が嬉しいのですけど、特別手当とかないんですか」

「何か考えておく」

「お、太っ腹ですね」


 勲章で食べていけたら苦労はしない。言ってみるものだと鼻歌を歌いそうになったら、真っ直ぐな眼差しがベルベットを捉えた。


「俺も身を挺したお前の勇気に感謝しているのだ。あの方がいなくては今後のサンラニアは立ち行かなかったろう……よくやってくれた」

「……できることをしただけですが、どういたしまして」


 真っ直ぐに礼を言われると茶化すこともできない。

 しかし今度こそ帰ろうとしたところで……また止められた。今度は帰りに馬車を使用して良いだとか、ギディオンにしては要領の得ない雑然とした話を続ける。一体何なのか訝しんでいると、執務室の扉を叩くノックが鳴り、これに彼が明らかにほっとした。


「行っていいぞ、ご苦労だった」

「? はい、お疲れさまでした。また休み明けに……」


 そして扉を開いた瞬間に驚かされた。

 出入り口の周りを十数名の人々が囲んでおり、ベルベットと対面するようにセノフォンテが立っている。

 彼女を囲む人は、間違いなければ全員がギディオン隊の者であり、すなわちベルベットの同僚だ。誰もが柔らかく微笑むか、瞳を輝かせて彼女に注目している。

 セノフォンテが一同を代表するように一歩踏み出した。


「ベルベット、この度はお疲れさまでした」

 

 度肝を抜かれていると、セノフォンテは手に持っていたリボンがけの箱を彼女に渡す。


「……へ?」

「あなたに、わたくし共からです」


 咄嗟に受け取ってしまうも、もらったからにはその場で開封するのが礼儀だ。ずっしりと重い箱の蓋を開ければ中身は馬具で、黒革でできた大勒用頭絡や手綱なのだが、これが逸品だった。艶やかでしつらえの丁寧な革はもちろんだが、額革に嵌まっている石は宝石だ。たしかな工房製の馬具であるのは間違いなく、おまけにベルベット用の乗馬用手袋まで入っている。


「これは……」

「隊長に融通いただきまして、貴女に用意しました」

「え、ちょっとまって、これ……待って!?」

「本来なら花束が良いのでしょうが、今回は花束に偽装したものが……だったでしょう。勝手な判断ですが、貴女の愛馬に合わせたものに変更させてもらいました」

「あ、ありがとう? でもなんで……」

「でもも何も、これがわたくしたちの気持ちですから」


 状況は理解している。なにやら彼らが贈り物を用意して、ベルベットに渡そうとしている。しかしなぜそれが大勢で押しかけることに繋がるのだろう。

 彼女の疑問を正確に読みとったギディオンは、やっと重荷から解放されたと言わんばかりに肩をすくめる。


「仲間の無事を祝うのは当たり前だろう」


 つまりこれは全員からの快気祝いと言いたいのだ。

 セノフォンテの不満そうな態度に促され、ギディオンは続ける。

 

「犯人を殿下に近づけてしまったのは我ら全員の失態だったが、お前の活躍により殿下の御身を守りおおせ、我が隊の面目は保たれた」

「我らの代弁をしてくださるのは嬉しいのですが、失態の部分は不要ではないですか、隊長」

「うるさいぞ。……ともあれベルベット、それは全員の感謝の気持ちだから受け取っておけ。お前とお前の馬に映えるものだ」


 ベルベットの驚愕はいまだ晴れない。しかし好意を無下にするなどできないし、愛馬への上等な頭絡や手綱が嬉しいのもたしかだ。自分のことは二の次で、古いままつかっていた手袋も新調できる。

 礼儀知らずにはなれないため、ベルベットは戸惑いを押し隠して礼を言う。


「ただ夢中で役目をこなしただけなのだけど、誰かを守れたのなら良かったと思う。この立派な頭絡をセロに装備させる日が待ち遠しい。本当にありがとう」


 実際は役目だとか考える暇もなくエドヴァルドを押し倒したのだが、そこは空気を読んだ結果だ。このあとも同僚達からはお礼や回復を喜ぶ言葉をもらったが、彼女はまだ病み上がりだ。セノフォンテとギディオンを残して解散となった。

 驚きの冷めやらないベルベットの傍らで、ギディオンがセノフォンテに向かって、不服そうに睨めつけた。


「物は準備していたというのに、もっと早く来られなかったのか」

「急な目覚めでしたから集まるのに手間取ったのです。だいたい足止め程度こなせなくて、なにが近衛隊長ですか」

「人には得手不得手があるのだと知らんのか」

 

 執務室での不審な態度はこれだったらしい。

 今度こそ本当に帰らせてもらえるのだが、ベルベットが馬車に乗るまでの間、すれ違う同僚達は彼女への労いと感謝を述べる。人生において数回しか乗ったことのない馬車に揺られながら、彼女は口元を押さえた。


「参ったな」

 

 実感は後になって訪れ、零れた声は無意識だ。

 最初は権力者に抗えないせいでしょうがなく入った近衛隊。金払いが良いからと己を納得させた新しい職場であったものの、いざ自身の意に背く日がこようものなら辞める覚悟も持っていた――というのに。  ベルベットは壁に側頭部を打ちつけ、俯く。

 ――これでは彼らを好きになってしまう。

 家に帰るまでの間に、耳まで紅潮している自分を落ち着けねばならなかった。

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