第19話 はじまりは赤い欝金香

 エドヴァルドのみならずギディオンまで頭痛を堪える面持ちなのだが、助かったのだからそれほど深刻にならずとも良いではないか。


「君という人はだな……」

「あ」

「なんだね」

「いえ、殿下がからかい抜きでわたしの存在を認識されているとは思いませんでしたから」


 そういえば学園とでは名前の呼び方も違った気がする。いまはどことなく優しさを含んでいると言おうか、学園での人で遊ぶ姿とは正反対で、ベルベットの指摘にエドヴァルドは渋面を作った。


「私は命の恩人で遊ぶほど馬鹿ではない」

「失礼しました」

「それと、借金を作らせるような愚かな真似もしない」


 つまりエドヴァルドの命を救った行為で医療費はタダだという話だ。


「まぁ、君の態度については私にも非があるから、それは仕方ないのだが」

 

 彼は頭からつま先まで再度ベルベットの状態を確かめる。時間が押しているのかすぐに戻るらしいが、最後に不思議な質問をベルベットに投げるのだ。


「……私に言いたいことはあるかい」

「いえ、ありません。公務中にお見舞いをありがとうございました」


 含むものなどなにもないのに、いっそう複雑そうな面持ちで行ってしまうではないか。

 丁寧なお礼を言ったベルベットが呆気にとられていると、エルギスが笑いを零した。


「恨み言の方が気分は楽だからな」

「ああ、そういう。殿下ってそういうの多いんですか」

「たまに。どっちかというと遺族から言われることが多い」


 残ったギディオンとコルラードも、部下が目覚めたと聞き来てくれたらしい。コルラードが籠入りの着替えを渡してくれる。


「中身は同隊の女性に用意させた。俺は触っていないから案ずるな……では隊長、俺は警邏に戻ります」

「ああ、任せた」

「ベルベット!」

「はい」

「今回はよくやった。共に轡を並べる仲として、俺はお前を誇りに思いたい。ではな」


 声を大にして恥ずかしげもなく言ってのけるから、照れる暇もない。軍靴を鳴らし去ったコルラードを見送ったベルベットはギディオンに振り向いた。


「もしかしてコルラード殿はあれを言うために来たんですかね」

「そうだろうな。実際、お前がいなくては殿下は即死だった」

 

 薄々感じていたが、なんと律儀な性格なのか。


「エルギス殿、わたし、帰ってもいいですかね」

「人が来るとうるさいし、仕事が進まない。あんたの治療は終わってるから好きにしろ……と言いたいが」

「が?」

「数日に一度は僕のところに来い」

「やっぱり賛美歌をご所望されます?」

「脳みそでもやられたか? その義手はまだ試作段階なんだよ。エドヴァルドとそこの野郎がうるさいからあんたに組み込んだだけで、人間での使用経験がないんだ」

 

 驚きの事実である。思わず肩を押さえるベルベットをエルギスは指差す。


「だから経過を観察したい。ついでにどこかで必ず不具合が起きるはずだから、違和感を感じたらすぐに報告しに来い」

「なるほど、実験ネズミってことですね」

「文句あるか?」

「まさか。言ったでしょう、働ける状態を維持してくれて感謝してるって」


 着替えを終えると無事退院だ。すぐに家に……と言いたいところだが、まだいくつか気になっている部分もある。そういった答えはギディオンがもたらしてくれた。


「お前の家には怪我は負ったが、命に別状をない事を伝えている。酷く心配していたとセノフォンテが言っていた」

「ご丁寧に助かります。早く帰って家族を安心させてあげたいところなんですけど、わたしはどのくらい寝てました?」

「およそ二日だ。明日から三日は休め」

「クビに……」

「ならん」


 力強い断言だ。

 命の危機が生じるが、代わりに優しい職場らしい。

 物心ついた頃から常に働いていたせいか『休み』という概念に慣れないベルベットに、ギディオンは重々しく告げる。


「あまり自覚がないようだから言っておくが、殿下を守り通したお前の功績は称えられるべきものだし、俺もそう思っている。あの時、学園内だからと殿下のお傍を離れてしまったのは俺の不徳とするところだ」

「そう重く考えないでも……っていっても無理ですか。だけどあれって途中隊長は呼び出された感じでしたし、元々そういう手筈だったのでは」

「なぜそう思う?」

「なんとなく……というのは嘘で、あんまりにも貴方が離れるタイミングと自爆が噛み合いすぎたからです」


 ギディオンは少々悩んだ様子だが、ベルベットの見解を聞いて考えを変えたらしい。

 

「……病み上がりに話すつもりはなかったが、聞くか?」

「この腕をなくす結果になった原因ですよ。帰る前に是非聞いておきたいですね」


 ギディオンの執務室では早くも報告書が上がっていたらしく、彼は調査経過途中のものもまとめて開示してくれる。人柄が表れているようような固い文字に目を通しながら、ベルベットは来客用の長椅子に腰を落とした。勝手に水を飲むのをギディオンが見咎めなかったのは、その顔色が優れなかったせいだろう。

 ベルベットは素早く文書に目を通し終えると、犯人について見解を述べた。


「エルギス殿が自爆って言ってたし、やっぱりと思ってましたけど、犯人の子は即死なんですね」

「手に持っていた花束の中に特殊な火薬と金属片が仕込まれていた。はなから殿下と共に心中するつもりだったのだろうな」

「それをわたしは背中から浴びてしまったと……ぞっとしないなぁ。で、あの時は隊長を殿下から離そうと企んだ人がいたんですよね」

「そちらについては現在拘束中だ」


 ギディオンを釣りだした人間は三人。うち二人は即自害していたが、一人は無事確保したとある。

 

「数日中には口を割るが、学園に入り込んだ手口については判明している。あの日を覚えているか、寮の泥棒について話をしたろう」

「ああ、下着の……そんな嫌そうな顔しなくても」


 なんとなしに話をしただけなのだが、泥棒と自爆犯は無関係ではなかったらしい。犯人である女が纏っていた制服は盗まれたもので、学園という長閑な空間と、犯罪に縁遠く平和な日常に慣れ親しんだ生徒を利用して侵入した。あの日はエドヴァルド訪問で学園全体が浮ついていたのも要因の一つだとも語る。

 ベルベットは義手の感覚を確かめるべく、指を細かに動かし書類を爪先で叩く。


「犯人の子は若かったし、黒幕いますよね。爆薬もそうですけど、大人が焚きつけなきゃあんな行動できないし」

「そうだな、だが犯人はおおよそ目安がついている」

「ナシク?」


 聖ナシク神教国の名に、ギディオンは重々しく頷く。

 彼女でも簡単に答えを導き出せた程度には、サンラニアとナシクの仲は悪い。大体、年若い少年少女に自爆特攻を仕掛けさせるような狂信者を抱える国などナシクしかいないのだ。

 隣国は三大神を偽りの神だと言って憚らず、自らが奉ずる聖ナシクこそが唯一の神だと語る民だ。あまりにも馬鹿馬鹿しい妄想なのだが、迷惑なのは異教徒相手ならどんな粛正をも厭わないと考えている点だ。

 ギディオンはああいった自爆も以前は珍しくなかったとため息を吐く。


「大司教が替わったせいか、ここ十年ほどは連中も大人しかったのだが、またサンラニアを目の敵にしてきたらしい」

「十年ほど前っていうと、あれですか。十二年前にあった血の欝金香チューリップ

「やはり知っているか」


 実をいえば、エルギスに腕を診てもらっているあたりで隣国の名前は浮かんでいた。

 先ほどまでの軽口は形を潜め、苦笑気味に笑う。

 

「そりゃあ知ってます。私は行きませんでしたけど、友達が犠牲になりましたから」


 十二年前の概要はこうだ。

 春の豊穣を祝うお祭りの最中で、三大神教会の司教を狙った自爆事件があった。

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