第16話 庇う気なんてなかったのに

 しれっと職務に戻るベルベットを睨んだのはギディオンだったが、主や学園長の前でいつまでも怖い顔をしているわけには行かない。

 エルギスの言葉通り気になるのはエドヴァルドの方だったが、ベルベットは彼の面白がる表情も無視した。決して視線は合わさず、ただし反省もしていないので堂々としている。

 午後の部になっても案内は続いたが、この時の時間は平穏そのもので、午前となんら代わり映えしなかった。ベルベットは暇だったが、近衛が暇なのは良いことなのだろう。

 趣が変わったのは生徒が離れ、第一王子と第二王子の兄弟だけとなったタイミングだ。

 スティーグは怒りを堪えた声で兄に追及した。


「こんな茶番に付き合ったんだ、兄上に聞きたいことはひとつしかない」

「おお、そんな怖い顔をしてどうしたんだい」

「とぼけるなよ。ルーナをいったいどこにやった」

「どこに、とはまた不思議な事を言う」

「ふざけないでくれ。あの日以降、彼女と連絡が取れないんだ。父上や母上に聞いても何も知らないという。兄上なら何か知っているんだろ」


 いくら兄弟水入らずといっても、エドヴァルドは近衛を下がらせなかったために、ベルベットは彼らの会話が聞こえる距離にいる。

 ルーナって誰だっけ、と内心で首を傾げて思いだした。

 グロリアが婚約破棄を言い渡された誕生祝いのパーティで、スティーグの隣にいた女性だ。たしか伯爵家の娘で、あんな出来事が起こるまでは悪い噂もない娘だったらしい。らしい、となるのは彼女の身分では集められる噂に限界があったためだ。

ベルベットが驚いたのはルーナなる娘が彼らと同学年だったことだ。良いところの子女なのだから学園に入れるのは当然といえば当然でも、ベルベットにすれば、まさか同じ学び舎に通っておきながら、自ら泥沼に足を踏み入れる境地が信じがたい。

 これが若さというものか……彼女が遠い目をする間にも、スティーグのエドヴァルドに対する怒りは増して行く。


「いくら兄上といえど、ルーナに手を出したら許さない」

「私は何もしていない。何かしたというのなら、公の場で婚約者の尊厳を傷つけたお前の方ではないかね」

「傷つけただと?」


 スティーグの逆鱗に触れたらしい。

 怒りに震える声に誰もがまずい、と思った瞬間、スティーグが爆発した。


「ああでもしなければ兄上達は話すら聞いてくれなかったじゃないか!」


 あたりに響く怒号だ。

 立場や場所を忘れて感情を露わにするスティーグは、よほど腹に据えかねていたに違いない。


「俺が何度婚約をなかったことにしてほしいと父上達に頼んだか、兄上が知らないとは言わせない。穏便に話をつけようとするたびに邪魔をしたのはどっちだ!」

「……スティーグ、落ち着きなさい」

「落ち着け? 落ち着いていられるか!」


 なおも激昂するスティーグに、エドヴァルドの目元が細められる。たったそれだけなのにエルギスが一言付け足した。


「誰にも聞かれておりません。声は遮断しました」


 スティーグにしてみれば、エルギスは余計な真似をしたに違いない。憎悪さえ籠もった眼差しを差し向け怒鳴りかけるも、兄の一声で黙らざるを得なくなった。


「お前にはまだわからないだろうが、私たちは国の安寧を第一に考えねばならない身だ。そんなこともわからずわめき散らすのであれば、こうして学園に通う許可も取り消さねばならないが、自ら囚われの身になりたいかな」

「ふざ……」

「私は真剣だよ」


 声は静かでも確かな圧がある。

 兄弟はしばらく見合っていたものの、負けたのはスティーグの方だ。悔しそうに背を向けて遠ざかる背中を見送る最中で、いつの間にか寄っていたシモンがエドヴァルドに問う。


「よろしいのですか」

「やれやれ、あの年頃は難しいな」

「そうではありません。弟君の頭を冷やさせるべきだと別荘行きを提案するご親族を説得したのはエドヴァルド様ではありませんか。スティーグ様にはもう少し知ってもらっても良いのでは……」

「あの子は己の感情に素直だから良いんだよ」

「しかし、あれはあまりにも……」

「いまはあの子の真っ直ぐな気性が裏目に出ているだけだ。見守ってやっておくれ」


 スティーグの背を見送るエドヴァルドは苦笑気味で、その目は驚くほど優しい。

 この会話は忘れよう、とベルベットは思った。

 努めてエドヴァルド達の会話を意図的に遮断しつつ思うのは、スティーグのある発言だ。

 あの会話が本当なら、元々スティーグはグロリアと婚約を破棄したがっていたことになる。嘘を言っているようには見えなかったから真実なのかもしれないけれど、この話をデイヴィス家はどこまで知っていたのだろう。

 デイヴィス家の長兄シモンは驚いた様子がなかったから、おそらく知っている。ではグロリアはどうだろう。

 きっと妹が本気になればベルベットくらい簡単にだませるはずだけれど、かといってあそこで嘘を言う場面かと言えば……違うはずだ。きっとグロリアは知らなかったはずに違いない。

 そんなことばかり考えていたから、エドヴァルドから人払いされた後、ギディオンに呼び止められたのに気付けなかった。肩を掴まれるとようやく振り返ったのである。


「説教なら聞きませんよ」

「お前……いや、言いたいことは多々あるが、一応耳に入れておけ。殿下が昼食中に気になる話を聞いた」


 説教かと思ったら違ったらしい。

 

「何をです、真面目な顔されちゃって?」

「真面目にもなる。数日前だが、学園の女子寮に不審者が出現したそうだ」

「あらま」

「犯人はわかっていないが、金目のものがなくなっていたそうだから物取りらしい」

「……殿下の護衛に関係あります?」

「耳に入れておけ、という話だ。何が関係してくるかはわからん」

「細かいですねー……でなきゃ近衛隊長なんて務まらないんでしょうけど」


 泥棒ひとつに気に病まねばならないのも神経を使うだろう。


「ところで女子寮でしたっけ。もしかして下着とか盗まれたんでしょうか」

「おい」


 下世話な話だろうとしかめっ面を作られたが、ベルベットこそ心外だ。


「可哀想だなあと思っただけですよ。けっこう心にくるもんなんですから」


 ベルベットに思い当たる記憶はない。あるのは母の話だ。

 仕事柄トラブルを抱えやすい人だったから、気味悪がる姿を多々見てきたのだ。可哀想に、とぼやくベルベットは誰が下着を盗まれたかをぼかしてしまったせいで、ギディオンは返事に困窮し困り顔を隠せない。

 彼の姿が面白かったらしいエルギスが割り込んだ。


「男でも盗まれるぞ」

「なっ」


 絶句するギディオンとは対照的に、ベルベットが同情的な眼差しになる。


「心中お察しします。……で、やり返されたんですか」

「当たり前だ。泣き寝入りなどしてたまるか」

「わー怖い……って、あっち、殿下が呼んでますよ」

「……またか。面倒くさい」

「いってらっしゃーい」


 軽い調子で話す二人に対し、ギディオンのみならず周囲は奇妙なものを見る顔なのがいただけない。魔道士を見送ったベルベットが心外そうに目を丸めた。


「なんですか。みんなして変なものを見る目をして。お小遣いならあげませんよ」

「何が小遣いだ……いつエルギスと仲を深めた?」

「え? さあ……元々話しやすそうな感じですよ、あの人」


 エルギスはなまじ顔が良いから勘違いされがちそうだが、根は案外気安そうな人となりではないか。そう言ってみたのだが、いっそう奇異な生き物をみる眼差しになるのは如何なものか。

 不満を抱えたものの、視察は順調に経過し、エドヴァルドの学園訪問は学園長や生徒達に見送られて終わりになる。王子は馬車を背に、生徒達が円状になってエドヴァルドを囲み、ベルベットは彼の背後近くに立っていた。

 平和な空気の中、進み出た生徒が花束を抱えているのだが、その際、色とりどりの花束を抱えた少女を見た学園長が少々不思議そうな顔をしたのが引っかかった。

「あんな生徒いたかな?」とでも思ってそうな表情だ。

 ベルベットも動いた。なぜならこれまで視察を共にした生徒達の中に、その女生徒の姿はなかった。エドヴァルドと生徒達は仲良く談笑していたし、流れ的にも行動を共にした子が最後の対応をするのではないか。

 ……それに特に確証もないけれど、その子の目が気になった。

 このとき、ギディオンは誰かに耳打ちをされ――ちょうど距離を取ってしまったタイミングだ。何かが気になった様子で、ベルベットと同じく学園長の表情を見やり……少女に対し、ベルベットと同じ疑問を抱いたに違いない。すぐに引き返そうとしたのだけれど、いまはベルベットの方が王子に近い。

 

「君、離れなさい――」

 

 ベルベットが少女とエドヴァルドの間に割って入る。

 女の子相手に乱暴だとは思ったが、これが仕事だ。少女の持つ花束を検めようとしたところで、俯きがちなその子の口元を見た。


 ――笑った。


 少女が奇妙に歪んだ口元を作ったのは一瞬だ。その瞬間、ベルベットが思いだしたのは女子寮に入った泥棒の話であり――彼女は本能に従った。


「お嬢さん。ちょっと、その手元を見せてもらって良いかな」

 

 エドヴァルドを下がらせるべく、肩を押す右手に力を込める。けれど説得力が足りなかったのか、咄嗟の出来事過ぎて、まだ誰も対応できていない。

 ベルベットの叫びに反応したのはエルギスだ。近くの生徒を下がらせながら、冷静な態度もかなぐり捨て、ひどく焦った様子で叫ぶ。


「いますぐ伏せろ――!」


 すべてを言い終わる前にベルベットは少女に背を向けている。全力でエドヴァルドに体当たりし押し倒したのと、背中が衝撃を覚えたのは同時だった。

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