"悪女"の妹は、前世なんて呪いを抱えてた

第15話 フラグ、成立

　学園内では下手な人物は近づけないためか、近衛もエドヴァルドからいくらか距離を置ける。そもそも優秀な魔道士であるエルギスが付いているのだから、近衛が必要かも怪しいのだが、そこは見映えというものか。魔道士にお鉢が奪われては近衛も立場がない。

　ベルベットはコルラードの教えにより学園の地図は頭にたたき込んだものの、実物を見学するのは初めてだ。お上りさんみたく見渡すわけには行かないが、そっと目で周囲を窺うように観察する。

　学園は翠緑の木々に囲まれ、太陽の光が恵みと言わんが如く新緑を照らしている。高い塔や美しいアーチが建物を彩り、そこはまるで魔法の絵物語だ。

　庭のみならず、廊下にはところどころに学生たちが休憩するための席を備えている。

　学生の説明では、サンラニア学園は知識と友情が溢れる素晴らしい教育機関ということらしい。中には広い図書館も備えており、光の入らないよう設計された室内には、天井まで届く本棚が備えられている。梯子は魔法がかかっており、足を掛けるだけで好きな場所まで伸びてくれる仕様だ。

　たしかに勉学に集中するには最高の機関で、弟のリノが通い始めたら、良い刺激を得られるはずだ、と少し微笑ましい気持ちになれる。

　エドヴァルドは学園の卒業生ではあるが、改めて説明を受ける毎に学園や教育者達、生徒達を褒めて喜んだ。始終和やかな雰囲気で会話が弾む中、時折話を振られるグロリアは言葉控えめで、出過ぎて他の生徒の出番を奪わないよう注意しているのがベルベットにはわかる。

　妹の気遣いは学園随一だからこそだろう、と内心で鼻が高くなるのだった。

　学園長はギディオンにも話を振った。

「最近はギディオン殿にも推薦状をいただきました。なんでも優秀な若者のようで入学が楽しみです」

「ほう？　それは初耳だが、ギディオンは誰を推薦したのかな」

「そこにいるベルベットの弟です、殿下」

「ああ、なるほど。私の新しい近衛か。うん、君が推薦するほどだし、きっと良い若者なのだろうな。子供達がより良い環境で育ってくれるのが楽しみだよ」

　それまではエドヴァルドと目が合っても無視していたが、あからさまに微笑まれては反応を返さざるをえない。そっと目礼で頭を垂れると、何故かエドヴァルドが笑い声を上げる。

「ギディオンにしては見目麗しい人を入れてくれたものだ。ご覧、私やエルギスが笑いかけるよりも、ベルベットが少し動いただけで女の子達の視線を掠っている」

「殿下、エルギス殿はもとより笑う方ではありません」

「そうだね、彼が笑ったら大したものだ」

　ギディオンにまで言われているが、魔道士エルギスは素知らぬ顔で、ベルベットは少しだけ彼に親近感を覚えた。

　エドヴァルド達の話題は移ろいやすい。すぐに別の話題に変わるのだが、途中からそっと一行に紛れ込んだ女の子に少し注目した。

　殿下一同と回るものの、遅刻してしまったらしい女の子だ。先生にこっそり加えてもらい、緊張に身を固める少女には覚えがある。以前ギディオンと共に学園まで送りとどけた、肩口まで髪を伸ばした娘だ。相手もベルベットに気付き、驚きに目を丸めると頬を染め俯いてしまった。

　その娘はアリス。下級貴族の家の出で、学園では珍しい転入生だ。学園の魔法医学においては優れた成績を修めており、卒業後は優秀な宮廷魔道士になるはずだと学園長が紹介していた。

　他にも代わる代わる学園長が紹介して行くことから、途中からベルベットも理解し始めた。なるほどこれは学生達にとって出世の登竜門なのだ。ここで王子と面通しを兼ねておくことで学生は就職先を約束され、王家は優秀な人材を約束される構図だ。学園も恩を売れるのだから、視察も大歓迎のはず。学生のうちから大変である。

　学園を回るだけでも午前の時間を消費した。

　昼食の席には、同じ学園の生徒である第二王子のスティーグも加わった。それまで顔を出していなかったことから、参加には明らかに不満と表情に書いてある。

　スティーグはまだ若い。グロリアに対し不満だ、といった表情を隠しきれず、エドヴァルドに言った。

「兄上、デイヴィス家のグロリアは本日参加の予定はなかったはずです。どうして彼女と席を並べねばならないのでしょう」

「不思議なことを言う。グロリアはお前の婚約者ではないかね」

「兄上こそ不思議なことをおっしゃる。私は……」

「そもそもグロリアは、そこにいるデイヴィス家はシモンの妹であり、すべての学科において良い成績を修めている。私やお前と向かい合うだけの資格を有しているよ」

　この場においてはスティーグの子供っぽさが目立たざるを得ない。兄弟でピリリとした空気が漂うなかで、グロリアが致し方なしといった様子で口を挟んだ。

「エドヴァルド殿下。兄にも申し上げましたけれど、わたくしは幸いなことに、いつでも殿下方とお話しさせていただくだけの環境に恵まれております。本日は他の、今後サンラニアを支えてくれる優秀な生徒と交流なさいませ」

「そう言って逃げるのは君らしくないな」

「逃げてはおりません。事実を申し上げております」

「残念ながら、君も我が国を支えてくれる若者のひとりだ。それにほら、私たちが兄弟で席を並べるのだから、そちらも……と思うのさ」

　普通の人はシモンとグロリアの関係を指摘したと思ったかもしれないが、事情を知っている数名だけは、ベルベットのことを指しているのだと理解している。

　グロリアの目が厳しく細まった。

「エドヴァルド殿下は大人だと思っておりましたけれど、スティーグ様と同じく、随分わがままでいらっしゃいますのね」

「こら、グロリア」

「ご安心なさいませ、シモンお兄様。れっきとした悪口にございます」

　公衆の面前で王子にこれだけ軽口を叩けるのだから、グロリアの胆力は相当だ。その上エドヴァルドが愉快げに笑うから誰も止められない。

　しかしどれだけグロリアが難色を示しても、結局はエドヴァルドに押し切られ参加する羽目になった。妹がベルベットを気にしているのは明らかであり、いざ昼食の席となったタイミングで、とうとうベルベットはそっと姿を隠した。

　ギディオンから離れて良いとの許可はもらっていない。これはれっきとしたサボりであり、減給どころか降格処分も止むなしなのだが、ベルベットは気にしなかった。

　人はこれをやけくそ、と言う。

　　大人として、近衛として褒められる態度でないのは重々承知している。だがベルベットはこれは仕事だから止むなしと付き従っただけで、妹の重荷になりたいわけではない。

　会話の度にエドヴァルドがベルベットの存在を臭わせ、グロリアに枷を嵌めるくらいなら、お叱りくらい受けよう。ギディオンなら王子の背中側に空いた人間の穴埋めくらいはやってのけるはずだ。

　会場近くの人気のない廊下、隠れるように壁に背を預けてため息を吐く。

「くっだらない」

　近衛に入るまで、ほとんど縁のなかった貴族の世界。こうも汚いやり口ばかりなのかと、不慣れなベルベットは憤りを隠せない。酒でもあれば煽りたい気分だが、半分死んだ魚の目でぼうっとしていると、不意に声がかかった。

「あ、あの、ベルベット……さま」

　胸の前で両手を組み合わせたアリスがおそるおそる話しかけてきていた。ベルベットはすぐに表情を切り替え対応を変える。エドヴァルドは酷く不快であったが、関係のない子を怖がらせたり、不快感をあらわにするべきではなかったからだ。

「い、いまよろしいですか？」

「もちろん。ええと、アリスさん、だったかな。どうしたの？」

　グロリアとの約束を思いだしたが、不安そうなアリスを無下に追い返す真似はできない。アリスはベルベットに名前を呼ばれ、ぱっと表情を明るくした。

「あ……名前、覚えてくださったんですか」

「学園長から紹介されてましたから。貴女こそ、わたしの名前をご存知で？」

「もちろん知っています。ギディオン様と一緒にいらした、近衛隊期待の輝く星とか……でも私は以前から存じ上げてました。あの時、助けていただいたことは忘れてません」

　コルラードほど若手でもないので期待の星とは、背中に鳥肌が立つ心地を覚えながら話題を逸らした。

「あれから具合の方は大丈夫かな」

「はい、あれから先生に色々相談に乗っていただいて、魔力酔いを起こすこともなくなりました！」

「それはよかった。魔力酔いは大変だっていうし、何もないのが一番だから」

「お二人にご迷惑をかけてしまって、ベルベットさんにもお礼を言いたかったんです」

　無邪気に笑うアリスに害意がなく、グロリアが警戒するようなものはなさそうに感じる。お礼を言いに来ただけあって、冷たく突き放すこともできず会話に興じていると、あっという間に昼食の時間は終わったらしい。

　らしい、というのはベルベットに迎えがやってきたからだ。

　アリスの視線につられ顔を向けると、黒衣の男、エルギスがいつの間にか距離を詰めている。

「終わったぞ。移動するから戻ってこいとギディオンが言っている」

「かしこまりました。……それじゃアリスさん、お元気で」

「はい！　お話、ありがとうございました。私、ベルベットさんのこと応援しています！」

「ありがとう。その声援だけでも元気が出ます」

　アリスとはにこやかに別れるも、エルギスとの間に流れる空気は冷ややかだ。

　お小言でもあるかと思ったけれどその気配もないし、ベルベットも謝る気は皆無なので両者ともに淡々としている。

　相変わらず賑わっている王子周りにそれとなく加わろうとしたところで、やっと礼を告げた。

「エルギス殿に伝令めいた真似をさせて申し訳ありません。ありがとうございました」

　男は無表情で、ベルベットにすら関心がなさげだ。言葉もなく別れるだろうと思っていたのだが、彼は彼女に言った。

「エドヴァルドは面倒なやつだ。目をつけられたくなかったら従順でいるべきだったな」

「だったな、とは……それってもしかして手遅れでは？」

「かもな」

　その時エルギスが漏らした微笑は、大変底意地の悪いものだった。