第8話 『シナリオ』なるものへの疑問

 しかも、とベルベットの視線は彼女達の後方に流れる。

 いつの間にか外には知らない机が設置されている。木材の色や切り口からみて新品を持ってきたのは明らかで、近くには荷を運んできた馬車に荷馬、他にも芋などが詰まったと思しき袋も落ちていた。


「グロリア、あれ……」

「このあいだお部屋を見た感じ、食料が足りなさそうだったから持ってきたの」


 しっかりしてるでしょ、と言いたげなグロリアにリリアナが付け足す。グロリアとは正反対の落ち着いた少女だ。

 

「他にも干し肉や果物をお持ちしました。地下氷室もあると伺っていましたので、そちらに運んでございます」

「あ、いや、うちの氷室はもう意味なくて……」

「ご安心ください。氷用の魔晶石を設置しておりますので、ベルベット様にご苦労はお掛けいたしません」

 

 氷を仕入れられなくなり、寒い時期以外は活用法がなくなった氷室冷蔵庫。それを高くて手の出せない魔道具まで手配してくれたのだから相当なのだが、あまりの事態にベルベットは混乱しきりだ。

 双子の男の子は一番上の姉が帰ってきたとみるや、はしゃいだ様子でベルベットを呼ぶ。


「ねぇちゃーん! みてー! ゲームもらったー!」

「これすごいよ、かっこいいよー!」

 

 子供の間で流行っている盤上遊戯。昔からあるコマを取り合う単純な遊びだが、男の子に人気なのはその駒だ。弟達に呼ばれて盤を見れば、素人目にも精巧な逸品だとわかった。喉から悲鳴が出かけると、すかさずグロリアが大丈夫、と力強く頷いた。


「うちのお古を持ってきただけだから平気」

「平気と言われても……ちょっと話があるから、あっちに行きましょ」


 家から出てきたリノやリリアナに子供達の世話を任せると、ベルベットは妹と共に散策に出た。グロリアは犬の引き縄を持ち、すっかり足腰の弱った老犬を懐かしげに見守っている。この犬は一年だけグロリアと共にいたことがあって、意外にも彼女のことを覚えていた。そのためグロリアも可愛くてしょうがないらしい。


「で、召使いを連れてきたのは本当に侯爵の意向なの?」

「当たり前です。リリアナの雇い主はお父様ですから、無断でついて来させたりはしません」

「その侯爵は、なんで貴女がうちに来ることを許可したの?」

 

 ベルベットが片手に持ったカンテラが光を放っている。もう少ししたら外は完全に暗くなるだろう。


「簡単に言ってしまうと、私がごねたからです」

「ごねた??」

「はい。それはもう、思いっきり」


 どんなごね方をしたのだろう。気になったけれど聞かない方が良い気もして目をそらす。


「私は周りにばらすなって言われてるんだけど、侯爵公認ってことでいいわけだ」

「いいえ、私も黙っておくようにとは言われてます。というか、これがお父様が私に協力してくれる条件ですね。養子縁組は断固解除しないけど、これなら色々融通するぞーって言われて、学園に通う間だけは折れることにしました」


 学園に通う間だけは、の部分が意味深だった。もしやベルベットが学園の話を持ち出したのが理由だろうか。


「じゃあその制服姿で堂々ときてるのはどういうこと」

「別荘をこちらに買ったことにします。幸い、うちは郊外だし、あちこち畑だらけ。隣とも距離があるし、林に半分隠れてる。簡単に来たがる人もいないでしょ」


 そんなのすぐにバレるだろうに……不安が過るも、侯爵が折れたのは意外だ。しかも宣言通り、ハーナット家の改修費は向こうが負担してくれるらしい。

 タダほど怖いものはない……とはいえ、弟妹が成長するにつれ、家が手狭になり始めたのも事実だ。金に負けるのは癪だが、ベルベットのプライドで家の改築が妨げられるよりは良い。


「後から払えっていわれても出せないからね」

「安心してください。デイヴィス家はそんなケチじゃありません」


 養子縁組解消の件は随分叱られた、とも言った。デイヴィス家に残ってほしいと懇願されたし、いまも揉めているが、グロリアが先に述べた通り、最終的な意思は変わらないようだ。

 ゆえにデイヴィス家は彼女を残すために懐柔策に出た。それがハーナット家への出入りの自由であり、自由にされるよりはとリリアナの同行を許可したのだろう。

 ――それでいいわけ、デイヴィス家は。

 本日何度目かもしれない眉間の皺をほぐしながら呟く。


「なんでそんなにうちに帰ってきたいのかはわからないけど……」

「え、まだそんな疑問ですか。姉さんたちがいるからに決まってるのに」

「だって貴女、わたしたちはともかく母さんのことそんなに好きじゃなかったじゃない」

「そんなことありませーん」


 否定されるも、どこか迷っているような響きもあり、これまでの力強さはなかった。これ以上は踏み込んで良いか――迷って止める。


「その間延びした返事、デイヴィスでもやってたの」

「まさか。うちでしかしません」

 

 グロリアが未だ母・ミシェルの墓参りに行きたがらないのも関係あるはずだが、追及はしない。それはベルベット自身に己を理解し難い罪悪感があり、同時に知ってはいけない予感もあったためだ。

 二人だけになったついでにベルベットの強引な配置換えについて説明すると、彼女は顔を顰めた。


「ごめんなさい。そんなことになってるなんて思わなかった。もっと早く動いてたら……」

「違う、リノを学園に入れられるなら悪くないから乗っただけだし、私の決断。あの子は上級学校に行きたがってた」

「……リノ、本当に学園に来るの?」

「提示された報酬が事実だったらね。こっそりでいいから気にかけてもらえる?」

「ええ、直接は手を貸してあげられないけど、変なことは起こらないように見ておく」


 騎士院での平民・貴族の上下関係の苦労を知っているから、学園に入れることに不安がないわけではないのだ。グロリアの言葉に安心したものの、妹は他にも不安があったらしい。


「それにしても姉さんをギディオン様の下に付けるなんて……本当にもう最悪」


 らしくなく爪を噛んで悔しそうに呟く。この様子ではエドヴァルドとシモンに出し抜かれただろう。

 

「そうよねー、まさかあんな上官を持つことになるなんて……」

「姉さんは私の護衛にしてってお父様にお願いするつもりだったのに」

「はぁ?」


 妹も妹でおかしなことを企んでいたようだ。ただ、これにはグロリアも言い分があるらしい。


「だって前のお仕事だと稼ぎがいまいちだったじゃない。家の補修だって全然できてなかったし、てっきりデイヴィス家からのお金で、家くらいはもっとましになったはずだったのに」

「ああそれ。母さんが病気したし、ラウラの事故なんかでほとんど……」


 ぱぁ、と片手で仕草を作る。

 グロリアはハーナットを気にかけていたとしても接触は禁止されていた。思うように動けなかったのもあるし、関わりを避けるため情報は遮断されていたのだろう。グロリアは傷ついた顔になるも、ベルベットは気にすることはないと告げる。


「そのお金があったから母さんは楽に逝けたし、ラウラもちょっと不自由なくらいで助かった。うちの皆が元気でいられるのは、間違いなく貴女のおかげ」


 実際、感謝しているのだ。グロリアの養子縁組には思うところが多かったけれど、現実は金で助かった命があった。ベルベットが就職を決める間に食いつないだのもその余剰金で、気持ちは複雑ながらも認めるしかない。


「結局、子供の時の貴女の見立てが正しかったってわけ」


 ゆえに落ち込む必要はないのだ、と伝えれば、グロリアは制服が汚れるのも厭わず老犬を抱き上げる。


「……ギディオン様になにかされたらすぐ教えて。あの方、すっごく堅物で意地悪だから」

「はいはい」

「その返事適当すぎない? 本当に気難しいって有名なのよ?」

「そっかそっかー」


 無論、妹に泣きついてどうにかしてもらおうという気はない。


「でもわたしがギディオン様の監視下に置かれるの、グロリアは反対じゃないの?」

「シモン様が手を回したのだもの。エドヴァルド殿下が噛んでいるなら、お父様から言ってもらっても聞いてくれやしません」

「デイヴィス家の親子仲どうなってんの?」

「仲は悪くないけど考え方が違うの……それに姉さんの王城入りなんて、シナリオに……」


 声は小さくなるも、彼女の呟きは確かにベルベットの耳に届いた。聞き覚えのある単語に、視線を宙に浮かせ、一拍おいて尋ねる。


「昔から気になってたけど、その『シナリオ』ってなんなの?」

「へっ!?」


 グロリアは驚くくらい肩を跳ねさせ、老犬を落としかけたところを寸前で助ける。ベルベットの腕に納まった老犬は、再び人間に運んでもらうべく力を抜いた。

 予想以上の反応を見せるグロリアに、ベルベットも困った様子で続ける。


「昔からシナリオにないってのが口癖だったじゃない? いまも直ってないみたいだし、なんかあるの、それ」

「べ……」

「べ?」

「ベツニナニモアリマセンケド!」

「そう?」

「そうなの!」


 ふーん、と呟き聞くのを止めるが、あまり良くない癖なのは事実だ。子供の頃なら絵物語の妄想かと微笑ましく見ていられたけれど、もうすぐ成人になるのだから。


「まあ、グロリアなりに何かあるんだろうけど、誰々が死ぬはずだったとか、聞いた側は縁起でもないから止めときなさいね、ほんとに」

「うぐっ……」


 例えば昔聞いた「お姉ちゃんは死んでるはずだった」は、身内だから許せている発言だ。つい心配になって注意していたが、自覚があるなら大丈夫だろう。

 気まずかったらしいグロリアは話題を変えようと試みようとしていた。


「それより姉さん、仮にもギディオン様の下につくなら近衛入りなんですよね」

「近衛入りとはちょっと違うんだけど。いいとこ、使いっ走りがせいぜいで……なに?」


 なにか思いだしたらしい。愉快げに唇を歪ませる妹に、少し不気味さを覚える。何事かと見守っていると、溢れる感情を無理に押さえ込むような奇っ怪な笑顔を作った。


「姉さんだから……さぞ、見栄えのある麗人が出来ると思って……」


 冗談でしょ、と言えたのはこの時までだった。

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