第9話 客寄せパンダも楽じゃない
登城初日。
ベルベットがギディオンのもとへ姿を現すと、彼は綺麗な二度見を行った。
「……随分気合いを入れていると思ったが、その顔では違うな?」
「わたしは仕事の化粧や小物のために大金は出しません。……制服を受け取ったら、いきなり見知らぬ女性に訳知り顔で連れ込まれて、もみくちゃにされたんですよ」
初日から制服に細工する勇気をベルベットは持っていない。
心なしかやつれた様子で尋ねた。
「これは隊長の差し金ですか?」
「そんなわけあるか」
ベルベットがこれ、と指したのは制服だ。
軍服に性差はないが、着る人間によって印象の差が生じるのは間違いない。
その中でも彼女はかなり特異だ。具体的には元来整った顔立ちがより華やかになるよう工夫されおり、いまギディオン達の前に立つのは、より中性的な雰囲気を纏った麗人だ。
着任の挨拶がてら、説明を求めて上官のもとへ参じたら、相手も困惑している。
「コルラード、何か知っているか?」
「いえ、隊長。自分はなにも……」
コルラードも反応に困っていたら、事情を知っていそうな者が立ち上がった。
「素晴らしい!」
副隊長のセノフォンテだ。
コルラードが実務の右腕だとしたら、彼は事務処理の左腕になる。
「なんと、初めて見かけたときから飾り映えしそうだと思っていましたが、これは想像以上だ!」
年は二十代後半頃、眼鏡をかけた痩身だ。もう一人の副隊長がベルベットに惜しみない拍手を贈っていると、ギディオンが額に青筋を浮かべた。
ガタ、と音を立てギディオンが立ち上がる。
「おい待てセノ、まさかお前……」
「そのまさかです隊長! このわたくしです! わたくしが彼女の装いに注文を付けさせていただいた!!」
テンションの高い人だ。
コルラードがまたか、と言いたげに舌打ちしている。
「どういうつもりだ。部下はお前の玩具ではないとあれほど……」
「いいえっ!」
怒りを露わにするギディオンを、興奮冷めやらないセノフォンテは遮る。きりりとした成人男性が目をかっ開いて迫る姿は異様で、ギディオンも圧倒されているようだ。
セノフォンテは人さし指で上官の鼻を押し当てた。
「よろしいか隊長。これはわたくしの玩具などという不純な動機ではありません。わたくしの行動には、間違いなく貴方の威信がかかっているのです」
「なんだと?」
「それとも見映えと申せばよろしいか」
話が長くなりそうだ。
ベルベットはさりげなく姿勢を崩し、楽な体勢を取りながらセノフォンテの言い分に耳を立てる。
彼の言葉はこうだ。
曰く、ギディオン隊には「映え」が足りない。
「よろしいか隊長。ベルベット殿への説明がてら再度説明させていただくが、我がサンラニアには複数の近衛隊が存在します」
「そんなことは知っている」
「隊長はエドヴァルド殿下直属ですな。そして国王陛下、王妃殿下にも同じように近衛があり、予備隊も待機している。いずれスティーグ殿下にも、あの方専用の隊が与えられましょう」
「……で?」
ムッとしたギディオンだが、上官の機嫌を損ねてもセノフォンテは止まらない。
「隊長はナシク教との戦において、華々しい活躍を遂げられました。数々の武勇伝がエドヴァルド殿下の目に止まり、そして近衛に昇格された」
「へーすごい」
感心するベルベットに、セノフォンテは自慢げに頷く。
「そうでしょうとも。しかしベルベット殿、この御方をご覧なさい。顔の造りは良いのですが、いかんせん愛想がない。子供は泣き、ご婦人は睨まれていると錯覚してしまう」
「あー……」
「愛想は関係ない」
ギディオンは断言するが、セノフォンテの意見は違う。
「戦時中ならともかく、小競り合いがせいぜいのいまは見映えが要求されるのです……と何度も言っているでしょう。前線ならともかく、後方勤務に市民受けは必須です」
とはいうものの、とベルベットは考える。
ギディオンは雰囲気が怖いだけで素は良く、コルラードも美しい少年ではないか。セノフォンテは彼女の考えを読みとったのか、突如振り返った。
「顔が良くとも脳筋思想が移って困っているのです。彼らの矯正はもはや不可能……となれば、わたくしが期待するのは新入りだ」
「はぁ。では貴方が頑張ってみては」
「やっています。しかしわたくし一人では足りない。御婦人方の人気を獲得するにはもう少し必要です」
頭の先からつま先まで身なりが整っているのはそういうわけらしい。
セノフォンテは拳を握り力説する。
「任務を受理する度に、愛想が悪いだ後始末が雑だ文句をいわれる身になってもらいたい。貴方がたが少し笑う程度で避けられる苦情がある」
「待てセノフォンテ。貴様それが本音ではあるまいな」
「事実と言ってもらいたいですねコルラード」
とにかく、セノフォンテの苦情除けとして白羽の矢が立ったのがベルベットだったわけだ。
「ベルベット殿。貴女は飾ればさらに見映えする人です」
「はい、どうも」
「ですので是非とも隊長の隣に立ち、その見目で周囲の視線を掠っていただきたい」
「私は非常勤扱いなのですが」
「存じています。貴女は我々と違い、雑務や隊長の個人的要件を果たすための手足とお伺いしている」
「それなら……」
「が、そんなもの、傍目には区別できません」
「視線を掠うとおっしゃいましたが、貴族の方々が期待するような礼儀作法なんかできません」
「構いません。近衛などいざという時以外は添え物なのだから、隊長に任せ突っ立ってりゃ良いのです。万が一、貴族の子女に話しかけられたらそっと微笑む、それだけで良い。顔の良い者はそれが許される」
ベルベットは王城仕えを知らないが、セノフォンテの言葉が間違っているのだけはわかる。
ただ、彼の望みは困ることもなさそうだ。
しばらく考え頷いた。
「ま、愛想良くしていろという話でしょう」
「その通り! 理解力の塊とは貴女のことを表しているのです!」
再び拍手。テンションの高い上官に、ベルベットは諦めた様子で視線を持ち上げる。
「私は皆様のように剣を扱えるわけじゃありませんから、そのくらいでよければ引き受けます」
「お……」
「素晴らしい! 期待していますよ、ベルベット・ハーナット殿!」
ギディオンの制止も虚しくベルベットとセノフォンテは握手を交わし、こうして彼女の役割が決まってしまった。
挨拶だけで疲れてしまったベルベットはすでに帰りたい。
しかし彼女はまだ着任したばかりで、目の前ではコルラードが任務を言い渡されている。
敬愛するギディオンに対し、コルラードは不安そうだ。
「エドヴァルド殿下の護衛に隊長がいないというのは……」
「教会への往復ならばお前主導でこなせると俺は思っているのだが、自信がないか?」
「……いえ!」
ギディオンに頼られているとわかった途端、表情を引き締め意気揚々と出ていくのだから、なかなか現金だ。
残されたベルベットの前で、ギディオンは深々とため息を吐いた。
「セノはああ言ったが、無理するな。あいつの言うことは適当に躱していればいい」
「程々に対処します」
早速上官達の間で板挟みになりそうな予感だ。
それより、とベルベットの視線は、先ほどコルラードが出ていった扉に移る。
「この隊はエドヴァルド殿下の直属だと伺いました。わたしは殿下の護衛につかなくて良いのでしょうか?」
「新人を殿下の御前に出すほど愚かではない。今回は別の仕事をしてもらう」
外套の紐を留めるギディオンはベルベットにも出かける支度を整えるよう申しつけた。
「なにも殿下の後をついて回るばかりが俺達の仕事ではない……行くぞ、平民出なりの視点で意見を寄越せ」
早くもこき使われる予感を胸に、二人が繰り出したのは街だ。
ギディオンより一歩遅れて歩くベルベットは、唯々諾々と従うだけの新人ではない。
「隊長、何を見なきゃいけないのか教えてください」
「街並みだ。それと不審者が潜めそうな場所に目星をつけておけ」
「なら馬を使いましょうよ。目的地にだってすぐ着くし、馬上なら遠くを見られますよ!」
「俺達ではなく犯人視点で考えろ」
「そんな無茶な!」
馬も使わず、街へ繰り出すギディオンの足は速い。
足早になりながら向かったのは、上流階級の人々が多く住まうパーヴァ区だ。
一つ一つの家は大きく、門構えは立派で緑や公園が点在している。道もすべて石畳で舗装されているが、人の姿がまばらなのは、ここの利用者のほとんどが馬車を使うためだ。
「どこに向かってるんです?」
「学園だ」
パーヴァ区を抜けると、とある門に差し掛かる。
門の通過は、ギディオンが顔を晒すだけで一発だった。街を抜ければ見晴らしの良い緑が広がっており、ゆるやかな坂になっている。手入れされた街路を囲むように広大な緑が広がっていた。
これが学園に続く道だ。
周囲は畑にすらなっていない、まさに観賞するためだけの遊ばせている土地。この風景を経た先にサンラニアの学園と、学園に備わる町が併設されている。
建物のない吹き抜けた場所だから、風当たりが強い。ベルベットは外套を押さえながら背中に向かって問いかけた。
「いい加減、なにをやっているか教えていただけませんか。これ、ただわたしにお勉強させてるだけじゃないでしょう」
「今度エドヴァルド殿下が学園へ視察に行かれる。俺達は経路を考え、道中に危険がないかを見る必要がある」
「それこそコルラード殿に任せるべき案件なのでは!?」
「俺が直に確認せねば意味がない」
グロリアがギディオンを「気難しい」と評した意味がようやくわかった気がした。
確かに、このギディオンという男は面倒くさそうだ。
「く、くそ真面目……」
「何か言ったか!」
学園は馬車での通学を前提としているから、歩くだけでもいたずらに時間を消費する。
本当に学園まで歩くつもりか――思いとどまらせようとしたところで、ギディオンと揃って、木陰に隠れていたあるものに気付いた。
「隊長。あの女の子、なんか苦しそうじゃありません?」
「ああ、行くぞ」
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