第6話 雑草なりのしぶとさを
心底、心からの言葉でもギディオンは素っ気ない。
「直訴したいならデイヴィス家とエドヴァルド殿下にするべきだな。俺が決めたことではない」
ベルベットは眉間に皺を寄せて下唇を噛んだ。やはりか、という思いと、相手の正気を疑うべき案件に、冷静になれと自身に言いきかせる。
これがどこぞの名の知れぬ騎士だったらなりふり構わず噛みつくか逃げるところだが、王城の近衛隊長である点がネックだ。
「続きを話すぞ」
「お待ちください」
勝手に話を進められても困る。
片手で「待て」の姿勢を取りながら深呼吸を繰り返した。
「まず状況を整理させてください。いま、わたしがわたしの誓約書を貴方に渡してしまったわけですが、それは、デイヴィス家とエドヴァルド殿下が関わっている。そう思って良いのですね」
「見ての通りだ」
ベルベットは感情的になる己を制し柳眉を逆立てた。
「ではデイヴィス家のグロリア様はどうなのでしょう」
ここが重要だ。
あれからグロリアとは会っていないが、無事学校に通い始めたと聞いている。それまでの休学を周囲は婚約破棄ショックと受け止めているらしいが、真実は知っての通り。
もしこれにグロリアが関わっているなら、即刻飛び出して直談判に行く心積もりがあったが、彼女の心配は杞憂に終わった。
ギディオンはやや間を置いて教えてくれた。
「グロリア様は関わっていない」
とりあえず、妹がベルベットの意思に反していないことは確認できたのは安心できる要素だろう。
「では何故、そちらにわたしの身柄を預けるという話になるのでしょう」
「預かる……というのは、言い方に語弊があったが……意味合いとしては変わらない。聞きたいか?」
聞きたくない……と言えればどれほど良かったか。
ベルベットは事なかれ主義で、むやみやたらと上の人間に噛みつく人間ではない。
王城、しかも不慣れな場で人と口論している状況は、逃げたい気持ちで胸が溢れかえっているが、けれど泣き言は言っていられない。
「事実確認は大事ではありませんか。なにぶん、勝手に処遇が決められているようですので、これにただ従うようでは阿呆ではありませんか」
ギディオンは椅子を鳴らして上体を傾けると、机の上で肘を立てる。
「その前に俺からも一つ確認しよう、ベルベット・ハーナット。お前はグロリア様の幸せを望んでいるか」
嫌な問いかけだった。
ベルベットは露骨なしかめっ面で語気を荒くする。
「それに答えるには、わたしからも伺う必要があります。我が家とデイヴィス家の関係は、どれほどの方がご存知なのでしょうか」
「王家とデイヴィス家、それに一部の人間のみに留めている」
ならばあの上官は完全にとばっちりだ。
あの人は何も知らずベルベットの宣誓書と彼女を寄越せと言われた。
「おそらくお前の想像通りだ。もはや無関係ではないゆえ話すが、いまだグロリア様は
「望んでいるとはどういうことでしょうか。婚約は、すでになくなった話ではないのですか」
「スティーグ様が独断で宣誓されただけで、グロリア様や周囲も誤解しているだけだろう。王家も、そしてデイヴィス家も認めないと『決めた』……そ
うわぁ、とベルベットは顔を歪める。
つまり若人が暴走しただけで両家が認めていないから、そんなものは知らないと言いたいらしい。なんとも面倒な事態になっている。
「いい年をした男女の判断なのです。お認めになってはいかがでしょう」
「正気か?」
「正気で貴族の常識外を説いております」
貴人の婚姻には個人以外の感情が絡むことも、いま王家の意思が絡んでいることも聞いた上で答えている。
先ほどから無礼を重ねているのは自棄だ。いっそギディオンを怒らせ、追いだしてもらおうとすら目論んでいたが、相手はベルベットの思惑通りに反応してくれない。
ギディオンは慇懃無礼でいけ好かない男ではあったが、
「我らが口を挟む問題ではない……それで、俺の問いの答えは?」
「幸せになって欲しいとは思っています」
「なら……」
「ただし婚姻を結ぶのであれば、本人が望んだ相手と、という条件がつくと、血縁上の親類としては考えます」
遮りながら発した言葉に、ギディオンもまた、ベルベットの相手をするのは面倒くさいと思ったようだ。
彼女は続けて訊いた。
「わたしはグロリア様が無茶をしでかさないための人質ですか」
「そうだ」
「貴方の監視下に置かれ、彼女が間違いを犯した際の行動を報告しろとおっしゃる」
「頭は回るな。思ったより馬鹿ではない」
今度は椅子に背中を預け、決定の意図を伝える。
「ひとつ忠告すると、今後「なぜ」などと愚かな質問は控えるべきだ。殿下とシモン殿がそう判断されたのだ。ゆえにお前の仕える主を変えさせてもらうし、俺の配下になってもらう」
ベルベットは平民だ。王侯貴族など関係のない生活をしていたから、この手の企みには疎い。学びが足りないなりに一生懸命考えようとしているが、その実、いまなお相手方の正気を疑うばかりだ。
「馬鹿じゃないの」
呟くとギディオンの肩がわずかに震えた気がしたが、何か言われる前に、最後の悪あがきと口を開いた。
「了承する前に、グロリア様に会わせてください」
「不可だ。次にお前が彼女に
「わたしは自分が清く正しいサンラニア国民であると自負しています。その国民に対し、この仕打ちはあんまりではないでしょうか」
「仕打ち、などと不思議なことをいう。端から見ればお前の待遇は昇級であり、近衛である俺の傘下になる。すなわちお前自身も近衛となるのだから、誰もが羨む待遇だ」
ああ言えばこう言う。面倒くさい男である。
いくら不服を申し立てようとも上の命令である以上、ギディオンは折れやしないだろう。このやり取りも無駄に終わるだけと理解してきたが、ベルベットが憎まれ口を叩き続けるのも理由がある。
悔しい。
なぜ妹にちょっと会っただけで、こうも好き勝手にされねばならないのか。確かに昔、上官と交わした宣誓書には国のために働くなどと書かれていたし、深く考えもせずサインしたが……。
せめて何か一矢報えないものかと考え、思いついた。
「ギディオン様」
優しく名を呼んだら不気味がられた。
失礼な男だと内心で呟きながら、唇の端をつり上げる。
「給金はいくらでしょう」
「……なに?」
「給金です。昇級とおっしゃられたからには、それに見合う報酬があると存じます」
いきなり金の話に移るから何事かと思われたかもしれない。しかし相手は渋々と、ベルベットに払う金額を口頭で提示する。それはいままで上司にもらっていた金額の五倍はあって、想像以上の額に目を剥きそうになった。
黙り込んだベルベットにギディオンは言う。
「……まあ、たしかに安いが、はじめならそんなものだ」
五倍の額を安いと言えるなら、この男とは一生わかり合える気がしない。
ベルベットは背中に汗を流しながら、素知らぬ顔で突っぱねる。
「足りません」
「何だと?」
「足りないと申し上げました」
逆らいようがないなら、別のもので溜飲を下げるしかない。
がめついとも、何と言われても構わない。
条件を呑まないのであれば、このままグロリアの元へ行ってやる。そう脅すつもりで、額を吊り上げてやろうと意気込んだら……。
「……学費でどうだ」
などと、不可解な提示をされた。
言葉の意味を掴みかねていると、男が真っ直ぐにベルベットを見上げている。
まともに視線を交差させると、憎たらしいはずの相手が真摯な気持ちで己を直視していると錯覚を覚えるから不思議だった。
「学費が何ですって?」
「お前の年齢で学を得るにはもはや叶わぬだろうが、グロリア様よりふたつ下の、十五の弟がいたろう。彼の学園への入園を支援するのはどうだ」
「無礼を承知で申し上げますが、熱でもございますか。あそこは平民の子が入学するには狭き門です。推薦状だって必要なのに……」
「俺が用意できる」
沈黙した。
真顔になったベルベットに男が畳みかける。
「あの辺は農民が多いが、ハーナットは農家の出ではないらしいな。男の子には魔法の才があると近隣の者は噂していたのを聞いた」
たしかに弟リノには才能があると言われている。それはベルベットには理解し得ない不思議な力で、何度かヘマをして小火騒ぎを起こしたこともあった。
平民の子が魔法を理解するには専門性の高い学び舎へ入る必要がある。
けれど無料で通える教会の学び舎と違い、魔法学校は決して安くない。
ベルベットはリノをそこへ行かせるつもりで貯蓄していた。本人は学びを終えたら働くと言って聞かないが、最低限の家の手伝い以外は日がな勉強させている。頭が良く学びに喜びを覚えているから、教会から熱心に学校に行かせたがっていたのも聞いていた。
『学園』はそれらよりも、もっと格上だ。
学生は魔法の才能がある子ばかりではないが、才能に分け、多岐にわたって子供に学問を授けている。
王侯貴族も通っているから横の繋がりを作ることも可能。無事卒業できれば将来は安泰で、苦労も少ないと有名だ。ちょっと家に余裕がある人なら誰もが子供を入学させたがる。
ベルベットも学園の魔法学科にいくら必要か調べたことがあったが、出せても試験費用が精一杯で、支度金すら手が届かず――。
唇の片方がつり上がるのを感じながら、ふ、と息を吐く。
自ら言ってはなんだが、ベルベットは己の切り替えが早い方だと自覚している。
そう、考え方を変えれば良いのだ。
これは自己犠牲ではない。
取引だ。
好待遇過ぎるのが気に掛かるが、チャンスを逃してはならない。
清々しいほどの笑顔が作り上げられる。ここ数日で最良の、そして最高の笑みだ。
「これからはなんでもおっしゃってください、ギディオン様。不詳ベルベット・ハーナット。誠心誠意仕えさせていただきます」
心のこもった挨拶の返答は、胡散臭げな眼差しだった。
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