第5話 セルフでドナドナ

 ベルベットだが、彼女は早起きだ。

 ハーナット家は農家ではないとはいえ、小さな畑と家畜を所有しているから、朝はこれらの世話を行う。弟妹達を教会という学び舎に通わせながら、弟リノと協力して家を切り盛りしている。

 家は都外れに位置しているため、中央へ行くには距離があるから移動手段は馬。

 サンラニアは広大な土地を持つ大陸有数の発展国だ。

 土地は豊かで気候も穏やか。水や鉱山といった資源にも恵まれているから自給自足で国の産業が賄えている。

 国は都のみならず見えない先の土地まで壁で囲むように内包しているのが特徴で、これらを守る防衛力を維持し、難攻不落の名を欲しいままにしている。

 歴史のある国だが閉鎖的ではなく、他国の文化にも寛容のため盛んに交流を行っており、海上貿易を主として多文化を取り入れている。おかげで天体への造詣も深く、数十年ほど前から協定国間で時間や月日の概念が定められた。

 また魔法文化においても寛容で、積極的に賓客を招いては新しい知識を取り入れている。若手の育成にも熱心だから教会と提携して無料の学び舎を設置し、国民の識字率を高めた。

 信仰は三大神を崇拝しているが、この点においては隣国の聖ナシク神教国と折り合いが悪い。

 自らが崇めるナシクを唯一神と信じ、他の神を邪神と言って憚らない聖ナシクとは壁の外で小競り合いを繰り返しているものの、基本的に壁の内側は「子供をお使いに出しても無事に帰ってこられる治安の良い国」として名高く、おかげでベルベットも呑気に騎乗できる。

 十歳になる鹿毛の馬に跨がって数十分も経てば、新緑が目立つ農地地帯から石畳や煉瓦仕立ての建物でひしめく都が見えてくる。

 国王直下の都の名前はロカ。

 三大神の一柱、男神ネブラが抱く知識の実「ロカ」からもじったという、自信に満ちたご大層な名前である。

 ロカの街並みを横目で見ながらベルベットは馬を下りて手綱を引く。

 大路地ではたくさんの商店が軒並みを揃えていて、積極的に道交う人々に声をかけていた。

 大通りを外れてゆるやかな坂道に入ると市民の姿は少なくなり、制服に身を包んだ人とすれ違うようになった。ベルベットも同じ服を着ているけれど、着古しているので色褪せはじめているし、アイロンがけされたものほど綺麗ではない。

 向かった先は四階建ての広い建物。街中に点在している詰所の一つで、ベルベットのような雇われ人が多く所属している。

 裏手の厩舎に馬を預けると、一抱えの荷物を持って裏口から中に入った。

 真っ先に向かったのは一階の薬屋で、店の主である薬師が破顔する。


「やあ、ベルベット。間に合ってくれてよかった。ちょうど材料が切れたところなんだ」


 彼女が持っていた荷物は、家の周辺の森から摂ってきた薬草や昆虫の類だ。他にもキノコ、苔、トカゲと種類は多岐にわたり、店主はひとつひとつ品を検めて行く。

 素材一つ一つにグレードを設けると、引き渡しと交換で銀貨を受け取る。ベルベットはそれを懐に入れ込むと、今度は二階に上がり、ある部屋のドアを叩く。

 返事をもらって中に入ると、直属の上司にあたる男性が机に向かって腰掛けていた。

 この詰所に所属する本物の騎士称号をもつ人だ。

 ベルベットはこの人物に雇ってもらう形で働いている。


「失礼します。このあいだご相談いただいた盗人の件なんですが……」


 騎士といえば華やかな仕事を連想する人が多いが、実際は違う。

 泥棒が出たら衛兵と協力して駆けまわり、お使いがあれば国の端から端まで馬を駆る。治水工事で人手が足りなければ駆り出されることさえあった。

 そんな彼らに雇われる下っ端が請け負う内容はもっと泥臭い。

 騎士は国から給金をもらっているが、この上官のように人を雇う余力のある騎士が、自腹で多くの人を雇い、手足として動かす方式だ。

 給金をもらう代わりに功績はすべて雇い主のものになる。

 ベルベットの雇い主の場合、時間帯は不規則だが、良く言えば時間の自由が利く。

 この人は貴族だったから給金は安定していた。若くに親を亡くして以来、ほぼ一人の稼ぎで弟妹四人を育てられたのも、この人のおかげであり、手柄を立てる活躍に繋がればさらに気前は良い。

 最近追っていたのは泥棒の行方だ。

 いち早く情報を提供しておこうと思い訪ねたら、相手の反応は微妙だった。

 髭面の中年男性は、ベルベットが顔を見せた途端に顔を顰めた。

 副官も似たような様子で、目は「どうしましょう」と上司に尋ねている。

 困ったベルベットは尋ねた。自分で言うのもなんだが、彼女は自身の働きを誠実で真面目だと自負している。役に立ってきた自覚もあったので、露骨に疎まれる覚えがない。


「何か……失敗をした覚えはありません。なにかありましたか?」

「…………そういうわけではないのだが」


 上官はこめかみを揉み解し、言葉を考えている様子だ。

 なにか言おうとして口を閉じ、ううむと腕を組んで話し出す。


「ベルベット、お前に折り入って頼みがある」

「はい、なんでしょう」

「使いだ。これを持って城に行ってくれ」


 渡されたのは書類らしい。中が開けないよう蝋で封をしてある。

 ただのお使いにしては態度が大袈裟だが、言われた通り書類を受け取った。

 

「どなたにお渡しすれば良いでしょう」

「私の名前を衛兵に伝えてくれ、それでわかるようになっている」


 わかるようになっている、と言われても困る。

 なにせこの場合の「城」は、他ならぬ騎士団本部たる王城に併設された建物を指している。渡す相手すらわからない書類を持って向かうのは不安でしかないのだが、上官はそれ以上を語りたがらない。

 おまけに「それを届けたら引き上げて構わない」などと太っ腹……もとい不可解な発言で勤め先を追い立てられ、不承不承ながらも再び馬の鞍に跨がる。

 ベルベットは言われた通り王城へ向かった。

 王城と聞くと堅苦しいイメージがつきものだが、門付近の雰囲気は街中と変わらない。ただしここに詰めるのは、騎士の中でもエリートばかりだ。

 加えて王城に出入りできる立場としてのプライドと、王を守る使命を胸に秘めているためか、胸を反って歩いている人の割合が多い。すれ違うだけで、ただの徒歩が自信に満ちていると感じるのはベルベットの偏見だが、彼女がどんな思いを抱こうと変わらない事実として、彼らはベルベットなど歯牙にもかけない。

王城の門を超えて衛兵に用事を伝えると、確かに話が伝わっていたのか、さらに奥の建物へと通してもらえる。

 ただここでも不可解だったのは、道案内がいた点だ。


「しばし待て。案内人が来る」

「……あんないにん?」


  常であったら「よし、通れ」くらいの態度で終わるのに、現れたのは制服を着た騎士だ。十代後半頃だが、少年の域を出ない見た目だった。

 ベルベットの背骨を冷たい水が通り抜けて行くようだ。

 奥の宮など立ち入りを制限される場所なのに、少年は当たり前のように進んでしまう。

 不安よりも悪寒が勝り、多くを語らず送り出した上官への不信は募る一方。

 少年は止まらず、奥へ奥へと進んで行く。その後ろ姿だけでも育ちの良さが窺え、いっそうこの場における自身の不釣り合いを際立たせた。

 疑惑はひときわ立派な執務室で確信となった。

 左目から頬にかけて走った傷跡が特徴的な、強面の美丈夫と目が合う。

 王族を守る一員のひとり、近衛隊長のギディオンだ。


「来たか」


 相手の用事がベルベットにあると理解し、目の前どころかお先が真っ暗になった心地で目を瞑る。

 数秒おいて現実を受け入れる間に、ギディオンは椅子に腰を落とし、ベルベットに向かって手を出した。

 所望された封書を渡すと、ギディオンは封を切って中身に目を通し、やがて彼女の目の前に投げ置く。封書の中身は、かつて上官と取り交わした宣誓書で、ベルベット直筆のサインが入っている。

 もうこの時点で状況はまともではない。

 強面は「たしかに」と口を開いた。


「要請したとおりのものだ。届けるのは日が一番高く昇るまでにと言ったはずだが、遅れたくらいでとやかく言うつもりはない」

「左様でございますか」


 ――そもそも出仕時間なんて決まってないので。

 と答えても言い訳にしかならないので、他にどう言いようもない。

 身分が上だし敬わねばならない相手だが、ベルベットは近衛ではないし所属も違う。

 駄々を捏ねるグロリアを押しつける形で家から追い出したから、よもや王子をぞんざいに扱かったことに文句でもあるのだろうか。

 ともあれ、あの騒動はまだ続いてたらしい。

 うんざりしているベルベットに、ギディオンは確認を行った。


「これを運んできた意味は聞いているか」

「いいえ。ただ渡してほしいとだけ預かりました」

「そうか」


 男が顎に手を押し当て黙る間、ベルベットはひとりで異郷に放り出されてしまう心地に襲われた。

 自分の誓約書を勝手に渡されてしまった部分に文句はあるも、一刻も早く出て行きたい気持ちで、発言を許されていないにも関わらず申し出る。


「申し訳ありません。ご覧の通り必要なものはお届けしましたし、私にここは場違いのようです。退室をお許しいただけないでしょうか」

「そうも行かん。お前の身柄はこれから俺が預かることになる」


 ――勘弁してください。

 

「勘弁してください」


 思った言葉が秒と経たず口から飛び出ていた。

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