第4話 感情的になるのはかぞ以下略

 断じるがこれは機密情報のはずだ。第一王子とグロリアの浮いた話などひとつも流れてきたことがない。

 帰ってくれないか、と顔にありありと描くベルベットを余所に話は続く。王子の告白にグロリアは上品に口元を隠した。


「やだ、あんなに淡々と約束を反故にした殿下が気にかけてくださっているとは思いませんでした」

「淡々とはしていない。それはどちらかと言えば君の方だ」

「わたくし、デイヴィスでは感情を顔に出してはならないと教えられてきました。その教えに習って過ごしていただけで、中身は周りの子と大差ありません」

 

 これに関してはそうかなあ、と内心で疑問を呈するベルベット。

 昔の話になってしまうが、子供の頃からグロリアは成熟していた。時々子供らしい我が儘は言っていたけれど、どこかわざとらしかった部分は否めない。 

 しかしグロリアは王子を拒絶すると思っていたら、まさかの発言だ。もしかしてちょっと良い雰囲気だろうか。

 グロリアは穏やかに唇の端を持ち上げた。


「ですがエドヴァルド殿下の件は無関係です」


 言いきった。

 グロリアは彼のみならず、兄にも笑いかける。


「それに殿下やお兄様にどう謝っていただいても、わたくしに対する社交界の噂は消えないでしょう。スティーグ様があの場でわたくしを拒絶した時点で、わたくしたちの関係は終わったのです」

「グロリア。そのスティーグ様は、一時の気の迷いで……」

「ま、嘘でしょうお兄様。まさかわたくしにあの方とよりを戻せとおっしゃってるの?」


 シモンも己が無理を言っているは承知しているらしい。しかしそれでも、言わねばならないのが彼の立場。ベルベットは宮廷のあれやこれやには詳しくないが、彼らがグロリアを引き留めたい理由はわかる。

 本人達の感情はどうあれ、あのような婚約破棄では王家に非難が集まる一方だ。

 

「…………真偽を確かめるまで待ってほしい、と言いたかっただけだ」

「真偽も何も本気でしょう。公の場で婚約破棄されたのです」

「だとしても、いきなりこうも出奔するとはやり過ぎだ。少しは残された者のことも考えてほしい」

「考えましたけれど……役に立たないなら出て行ってと言われてましたし」

「誰だそんなことを言ったのは!?」


 慌てるシモンを肴にグロリアは笑った。


「オニール子爵です」

「そんなはずは……叔父上はお前を可愛がっていたではないか。自らスティーグ殿下との仲も取り持ってくださったのに……」

「わたくしが八歳の頃におっしゃった言葉です」

「お前、そんな昔の話を持ち出して!」

「やだ心外。子供のわたくしがものすごく傷ついたのに」


 黙って存在を殺しているベルベットは、うん、と心中で独りごちた。

 これはもう、完全に相手を揶揄っているモードだ。

 グロリアは出奔に毛筋ほどの迷いもない。説得されるつもりは皆無で、相手をどうはぐらかし、疲れさせるかを念頭に置いている。

 こうなっては仕方がない。

 いつまでも居座られては困るので「あの」と小さく挙手した。


「申し訳ないのですが、少々グロリア……様を隣室にお借りしてもよろしいでしょうか」

「なに、姉さん。言いたいことがあればここで言えばいいのに」


 そんなことができるのは心臓に鉄の毛が生えた一握りの人間だけだ。ベルベットは常識を備えた極めて良識的な一般人なので、王侯貴族の前で侯爵の娘と渡り合う行いはしない。

 グロリアを隣室に呼んだところで鼻先に人さし指を立てた。


「今日のところは大人しくデイヴィス家に戻りなさい」

「嫌」

「話を聞きなさい。今日のところは、ってちゃんと付け足したでしょ」

「私は帰ってきたの。嫌なものは嫌」


 子供みたくそっぽを向いても騙されはしない。

 ベルベットは少々語気を強くする。


「殿下やシモン様をちゃんと見てた? あれは貴女と一緒で、どうあっても納得してない。相手をからかうのは自由だけど、今日うまく帰したところで、また貴女を説得しようとやってくるのは目に見えてる」

「次も追い返せばいいじゃない」

「そういうわけにはいかないの。来られる度に子供達を追い出してたら話にならないし、貴女、ラウラを膝に乗せてたならわかるでしょ」


 ラウラは末の妹だ。

 グロリアが養子に行ってから生まれた子で、昔遭った事故のせいで片足が不自由である。


「リノがいないときだってあるし、立ち合う度に子供達だけ外に出すわけにはいかない。今日みたいな事が繰り返されたら迷惑なの」 

「迷惑って……それって私が邪魔ってこと?」


「迷惑」の一言で泣き出しそうになるのは、多少なりとも思うところがあったせいか。

 ベルベットは言葉の足りなさを後悔し、訂正するべく、グロリアとしかと目を合わせる。


「邪魔とは言ってない。でも、ちゃんと帰ってきたいのなら、せめてデイヴィス侯爵と話をしなさい。あの人は貴女の実父で保護者なの」

「部屋から出してもらえないかもしれない」

「うちに帰るんだって時間をかけた執念と、家人の目を盗んで抜け出してきた行動力があるんだから大丈夫でしょ」


 などと言ってみるが、別に楽観的になっているのではない。

 いまだ納得していない妹に深いため息が漏れ出る。


「あのね、つまりシモン様だって貴女のお兄様なわけ」


 弟妹を叱る時と同じように言えば、グロリアは反論した。


「でも姉さんだって聞いてたじゃない。あの人達が……シモン様でさえ私を連れ戻したいのは外聞があるからで、私のためじゃない」

「そりゃ一方的な事情だとはわたしも思った。だけど本当にそれだけだと思ってる? 相手だって立場のある身なんだし、やむを得ないってわかってるんでしょ」


 正しい、正しくないの是非はベルベットにはわからない。ただ、彼らがグロリアを連れ帰ろうとする姿を見て、感じたことを述べている。

 グロリアは聡いから、姉の言いたいことも察してくれた。

 頭の端では彼らの事情も理解している。


「グロリアにしたら、たまったものではないのはわかる。あとあの婚約破棄、第二王子あの馬鹿もそうだけど、第二王子馬鹿を諫めなかった周囲には腹が立つし、だから関わりたくないもそれでいい、とわたしは思う」

「……つまり?」

「せめて堂々と棄ててきなさい。殿下は知らないけど、シモン様は話のわからない人達じゃなさそうだから」


 グロリアは半信半疑だが、ベルベットにしてみれば単純な話だ。

 家出娘を連れ帰るだけなら、それこそ金と人に任せれば良い。それをわざわざ自ら足を運び、彼女の言葉を引き出そうとした。ベルベットという他人の前で感情的になるのは気を許している証拠だ。

 シモンの表情は他人相手にはできない顔だった。


「デイヴィスで暮らしたのは十年。その十年の内容を私は知らないけど、嫌いにならないだけの関係ではあったんでしょ」

「それは……」

「グロリア本気で嫌いだったら、相手になんかしないしね?」


 図星をつくことに成功した。

 これで少しはベルベットの言うことも理解してくれるだろうか。

 本音を言えば……グロリアの帰還は迷惑でもないのだが、なにせ突然だったのでまったく準備ができていない。

 着替え、布団、食料、今後についての働き方……すべてだ。優雅な暮らしをしていないので、恥ずかしい話だが、いきなり転がり込まれても対応できる豊かさがない。

 それになにより、と嘆息つく。

 ベルベットには縁のない出来事だったので失念していた。


「それにさ、貴女、デイヴィスを棄てたら学園に通えなくなるでしょ。学校って色々なことを教えてくれる場所なのに、いいのそれで」

 

 グロリアが何を夢見ているのかは知らないが、学園はすべてにおいて、将来の可能性を広げて繋げてくれる学び舎だと認識している。

 稼げるから、だけが理由でたいした職の選択がなかったベルベットとしては、多少もったいないなあと思うのだ。

 もちろん、それら含め妹の生き方だから文句は言えないけれど……。

 だから惜しみはするが、彼女の意思を尊重しようと努め、大事な一言を告げた。


「帰りたいと思っててくれたことは嬉しい」


 グロリアの瞳孔が大きく開く。


「だからちゃんと話をして決めるのなら構わないの。準備を進めておくから、あの人達を引っぱたいて帰ってきなさいな」


 くるりと踵を返し背中を向ける。

 説得は上手くできただろうか。ベルベットは照れくさい半分、決まった……と自画自賛したのが半分だ。


「ぐろ……!?」


 背中に衝撃が走った。

 身体に回された腕のせいでうまく身動きが取れない。

 

「やだ。帰らない」


 聞き分けのない娘が背中に張りついている。剥がそうとしても断固として離れず、幼児のようにイヤイヤと駄々を捏ねるではないか。

 ベルベットは優しく妹を窘めた。しかしいくら言葉を重ねれど、返答は拗ねきった「嫌」の一言のみ。最後にはとうとう感情が爆発した。

 

「冷静になれ! 全部捨てるとか馬鹿なこと言うんじゃない!」

「今日ほど計画的な行動はないんですけど!? お姉ちゃんこそ、なんで私を帰らそうとするわけ!? そんなに私が迷惑!?」

「だから迷惑じゃないって言ったでしょうが!」


 足掻いてももがいてもグロリアは剥がれない。いくら細身の女の子とはいえ、全身でのし掛かってくるから負荷は相当だ。

 ぎりぎりと奥歯を鳴らし、重石となってくるグロリアごと引きずってドアを開け、男達の待つ居間へ引っ張って行く。

 自称常識人は全身で汗をかき、肩で息をしながら、ひっつき虫と化したグロリアを指す。


「これ、持って帰ってもらえますか!」

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