第3話 強制参加会談
即斬られるかと思ったが、まだ生きていた。
相手は生きているベルベットに用事があったらしく、近衛隊長がよく通る声を放つ。
「王立騎士院所属のハーナットだな」
「ハイ」
近衛隊長は左目から頬にかけて走った傷跡が特徴的だ。顔立ちは整っていても、強面の顔面で台無しとなっているが、そこが男らしくて素敵とも声にする女性もいると聞いたことがある。
人違いということにしたかったけれど、生憎、ベルベットが彼らの正体に気付いたことを悟られた。
「ナニカゴヨウデショウカ」
「用も何も、それはお前が誰よりも理解しているはず」
「アッ」
たぶん、この場合は正気でいる方が難しいので、頭を空っぽにするのが正解だ。
「入るぞ」
「エッッ」
流石にそれはちょっと……とは立場に怯えて声に出せずも、身体は正直に相手を妨害している。近衛隊長は何を誤解したか、いまにも剣を抜きそうな勢いでベルベットを睨み付けた。
「グロリア様を匿っているのは把握している。隠し立てすると容赦しない」
「隠し立てなどしていませんが」
「それはお前が決めることではない……エルギス」
エルギスと呼ばれた宮廷魔道士がフードを外し、玄関から家の中を見ながら頭を掻く。
「本当にこんなところにグロリア嬢がいるのか?」
「お前がいま求められている役目において、疑問は必要か?」
「尻尾を振りだけの犬が欲しけりゃ他のヤツに頼めばよかっただろ。大体最初に言ったろ、こんな街外れの家に僕を超える魔法使いがいるはずないし、こんな一般人……」
言いかけたところで、髪を直したベルベットを直視した。しばらく黙り込んでしまうから、家主はつい尋ねてしまう。
「……何か?」
「なんでもない」
「顔が赤いですが、熱があるならお帰りになっては」
上から下まで人を眺めておいて、困ったように視線を逸らしたのは意味不明だ。
普段であればたいして気にならないが、今のベルベットは冷静さを欠いているので、若干尖った言い方になる。
なぜなら、この男達は年頃の子供三人が好き放題に遊んだ家の惨状を知らないようだからだ。なぜか転がっているクワガタやカブトムシの死骸、そこら辺から拾ってきた木の実、棒きれ、遊び古した玩具、人形、脱ぎ散らかした服だらけの家に王族を入れろというのは無理がある。
この理屈で言うなら、足止めをしたベルベットの方が圧倒的に正しいし、後は本気で家の中を見られたくない。
この絶望を押し隠せない表情で気付いてはくれないものか。
祈るような気持ちで救いを求めるも、彼らがベルベットを助ける気配はない。当然と言えば当然だが、無慈悲にも「退け」と命令を下し、ベルベットも諦めた。
「見てもらえばわかりますけど、いません」
「嘘かどうかは中を改めてから判断する」
「でしたらうちを確認するのは、せめて貴方がた二人だけにしてもらえたら……」
諦め悪く申し出れば、もう一度睨まれたが、ベルベットとて必死だ。せめていまもなお後ろで待機している貴人達を汚い家に入れるわけには行かない。
ジェスチャーだけで目の前の二人に合図を送り、隙間からさらに悲惨な内部を見せると、わずかだが騎士の怒りも落ち着いた。
踵を返すと後ろの二人へ頭を垂れたのである。
「殿下、並びにシモン殿。少々こちらでお待ちを。狭苦しく汚い家ですので、なにがあるかわかりません。危険がないか、私が中を改めて参ります」
それみたことか、と言ってやりたいが二言ほど余計だ。
近衛隊長はエルギスを連れて中に入ると、嫌々中を改めつつ、居丈高に言った。
「中を改める間に、見苦しくない程度に片付けろ」
言われる前に団子虫を拾っている。
昆虫類は窓から外に投げ捨てて、散らかった物は数少ないクローゼットに全部放り込む。途中、そのクローゼットまで中を検められたけれど、グロリアは隠れていないとわかると、顎を動かし続きを促した。
この時点でベルベットの気分は最低だ。
ひとつ幸いだったのは、グロリアが指摘したとおり、家を増築していた点だ。貴族にとっては襤褸小屋でも、居間と寝室が別々だったおかげで物はいくらか分散している。増築前は一つの部屋にすべての家具と物が集中していたから、これでも随分マシになっていた。
近衛隊長が女の子ひとり隠れられそうな場所を検める間に、居間だけは片付け終えた。正確には見苦しい物を、全部見えない場所へ追いやった。
「中には何もなさそうだと殿下に報告申し上げてくる。エルギス、その女を見張っていろ」
そのまま二度と来ないでくださいませんか、というベルベットの思いは届かない。
残ったエルギスはあまりやる気がないらしいが、こんな風に忠告してきた。
「あんた、身なりを整えたほうがいいぜ。押しかけたのは僕らだけど、一応相手は王族だから見苦しくない程度にしとけよ」
寝癖のついた髪を直し、シャツのボタン留め、衿や袖を直して出来る限りシワを伸ばすも、つい愚痴がこぼれた。
「……押しかけられなきゃこんな目には遭わなかったんですが」
「ギディオンがいないとわかるや文句を言いやがる。やっぱり騎士ともなれば、近衛は怖いか」
「この状況で、怖くない人がいますか」
「そりゃ違いない。だけど宮廷魔道士にも少しは敬意を払ってもらいたいもんだ」
人の不幸が楽しいのか、唇の端を吊り上げる魔道士。ベルベットはただ、と付け足し相手の顔をひたりと見据えた。
「敬愛されたいたいなら、それ相応の出会いであってほしいと思うのは贅沢なんでしょうかね」
これにエルギスは考え込んだように顎を撫で、やがて艶やかに笑った。
「それならまあ、それっぽく対応しようか」
ベルベットが服を直す間、律儀に背を向けていた宮廷魔道士は近衛隊長と同じ質問を投げた。
「グロリア嬢がどこに行ったか、あんた知らないかい」
「そう言われましても……」
起きたらいなかったんです、と言えたらどれだけ良かったか。
相手もベルベットの回答を封じるように言葉を重ねた。
「親切にするために改めて訊いてるんだ。……あんまり手間を掛けさせない方がいいぜ。彼女がここからどこにも行ってないのは、もう調べがついてる」
「げ」
声を漏らすベルベットに、エルギスは小さく鼻で笑う。
「あいつ……ギディオンの前で無知蒙昧な、曖昧な答えなんかした日には、首と胴は泣き別れだ。僕が早く帰るためにも、できたら素直に教えてほしいもんだね」
つまり「わかりません」などと抜かしたら斬り捨てるぞと脅している。絵物語を通して描かれる『騎士』は清廉潔白の存在だ。しかも宮廷魔道士や近衛隊長ともあれば乙女が憧れる存在のはずだが、国仕えなんぞこんなもの、とベルベットも頭を働かせた。
幸い眠気は吹っ飛んでいたし、部屋を片す間に頭もいくらか通常運転に戻っている。
妹思いの姉なら、ここは庇ってやるのが王道かもしれない。
だが彼女は正直に答えた。
「たぶん狩猟小屋です」
四人を案内した先は、家と家畜小屋から離れた場所にある木造小屋だ。しかも小屋といっても壁の一辺はぶち抜かれており、屋根があるおかげで小屋の面目を保っているだけ。雨を凌ぐためだけの内部には、森から小さな果実を摘むための籠や当たり障りのない道具が置かれている。
そこにベルベットの予想通り、グロリアがいた。
その姿を目撃したとき、不覚にもベルベットは状況を忘れた。
彼女は壊れかけの椅子に座り、末の妹を膝に乗せて笑っている。弟から手渡された蜥蜴も臆さず受け取って、手の平で押さえながら撫でていた。
リノが少し距離を置いて彼らを見守っていたけれど、それはあたたかみのある困惑だ。
……たしか昔は、ベルベットとグロリアとリノが、あんな風にはしゃいでいて、子供達を母が見守っていたのではなかったか。
わけもない記憶が弟妹達と重なるも、すぐに気を取り直す。貴人達を案内しようと振り返るのだが、今度こそ呆気にとられる羽目になった。
客人達は、グロリアを見て明確に驚いている。
兄だけあってデイヴィス家のシモンは驚きこそしないけれど、それでもちょっと目を見張る動作を行った。
果たして割り込んで良いものか。
しかしここで動かねば話は進まないし、思い切って声を張り上げる。
グロリア、とベルベットが妹を呼べば、彼女は人懐こい犬を彷彿とさせる仕草で振り返るけれど、一瞬で表情は曇った。
可愛らしい犬から、一瞬で人嫌いの猫に化した様相だ。
末の妹を膝から下ろすと年少の弟妹をリノに任せ、真っ直ぐにベルベット達の元へやってくる。
声を潜め「家へ」と王子達に告げた。
「まさか皆さまともあろう方々が、子供達の前で変な話をされるつもりではないでしょう」
「グロリア、君は……」
「話をするなら向こうで口を開いてくださいませ」
そう言うと小さい頃そうしていたように、ベルベットの袖を引っ張って行こうとする。
話し合いなら関係者だけで行ってくれないか……そう言いたかったけれど、グロリアは不思議そうな眼差しで、動かない姉を待っている。
純粋に姉が付いてきてくれるはずだと信じる姿に、ベルベットは諦めて歩を進め、戻った先は自宅だ。
ハーナット宅は都外れの農地帯に住処を構えているから、たとえ騒音になったとしても聞き咎められないのが唯一の救いか。
適当に片付けられた室内では、形だけでもと用意した茶に誰も手を付けない。
まあいいけどね、とベルベットはひっそり茶を啜る。
明らかに彼女は邪魔者で、男性陣はベルベットを追い出して欲しそうなのだが、グロリアが彼女の服を掴んでいるので離れられない。
卓に腰掛けたのは姉妹の二人。机を挟んだ向かいに第一王子エドヴァルドとシモン。彼らの背後に護衛として宮廷魔道士エルギスと近衛隊長ギディオンが立っている。
どんな火蓋が切って落とされるだろう。
少なくとも無理やりグロリアを連れ帰らなかったあたり、エドヴァルドとシモンは彼女の話をきくつもりがあるのだろうか。
最初に動いたのはエドヴァルドだった。
「まず、君には申し訳なかったと伝えておきたい」
神妙な表情でグロリアに頭を下げるではないか。
ちなみに、これまで彼はベルベットに対して一言も口を利いていない点を補足しておこう。
無論、ベルベットは期待しているのではない。貴人というのはかくも平民を「見ないもの」として扱うのに優れているのか、感心していたのだ。
エドヴァルドは続けた。
「
「わたくしは殿下に謝っていただく必要を感じておりません」
次期国王に謝罪させた事実にも、グロリアは素っ気ない。
「だってスティーグ様はもう十八歳でいらっしゃるもの。王族として優れた教育を受けていらっしゃいますし、成人した殿方の決めたことであれば、ご兄弟が口を挟むなんておかしな話です」
「いいや。此度の件は男女の問題ではなく、王家と侯爵家の問題だ」
「ご大層なことをおっしゃるのね。わたくし、もう侯爵家の人間ではございません」
グロリアもわかっているはずなのにこの言い様。
開始されて五分も経っていないのに、ベルベットはすでに後悔している。
安らげるはずの自宅が一瞬にして魔窟と化している。彼女の真っ暗な気持ちを余所に、デイヴィス家のシモンも会話へ参加した。
「グロリア。たしかにお前の部屋から破かれた養子縁組の契約書と、親子関係破棄の嘆願書は受け取った。だが父上や母上、それに私もそのような妄言を受け入れる気はない」
「もうわたくしと養子縁組を交わした証明書もありませんのに?」
「この家にも保管してあるだろう」
契約書を破いたとはなんだ。それに勝手に人の家の証明書を当てにしないでもらいたい、とベルベットは言いたい。
それに、とシモンは咳払いを零す。
「書類がどうのといった話ではない。これまで共に過ごした時間が、私たちにお前がデイヴィスだと植え付けた。我々を知るすべての人間が、お前をグロリア・デイヴィスであると証明している」
「嬉しいお話です。でも何か誤解していらっしゃらない? わたくし、お兄様のことは嫌いじゃありません。養子縁組を解除したいだけで、デイヴィス家も同じです」
「では、なぜ」
「デイヴィスである以前にハーナットでいたいだけ。おかしなこと言ってます?」
おかしなことだらけだ、とグロリア以外の全員が思ったはずだ。
鳩が豆鉄砲を食ったようなシモンに、苦虫をかみつぶしたようなエドヴァルドが説得を引き継ぐ。
「もしや、とは思うのだが。君はスティーグに名誉を汚されたことだけに怒りを覚えただけではなく」
「怒ってはいませんけれど、なんでしょう」
「……本来なら、私の婚約者になるはずだった約束を反故にされ、思うところがあった部分はあるだろうか」
聞きたくなかった自国の王室事情。
間違いなく聞いてはならない内容に、ベルベットはこの場から逃げ出したくなり、そんな彼女をエルギスが面白そうに眺めていた。
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