九 早乙女病院

 あの犬騒動の夜、俺は怪我でそのまま倒れてしまったので、SERClメンバーが負傷をした場合の専用病院にそのまま連れて行かれ治療を受けた。

 その晩は入院となり、次の日に自宅へと帰った。家では全身包帯と絆創膏だらけの俺を見て母さんに烈火の如く叱られたのは言うまでもない。しかし、前と違いこんな怪我をしていたにもかかわらず事情を聞いてこなかったのは助かったものの、逆にその方が怖くもあった。

 次の日、大学を休んで病院に再度行く事になった。昨日の経過と怪我についての経過と色々と説明を受けなければならないとのことだった。全身が怪我と筋肉痛とで辛くて仕方がなく、行くのもキャンセルしたかったが、そのための病院でもあるためグダグダしながらもシェアカーを使い病院に向かった。


 紙名市の西側に当たる山、地王山の麓に昨日治療を受けた『早乙女病院』はある。街では結構大きい病院で、治療に関しても評判がいいというか治せない病気はないとまで言われ、なんでこの街にあるのか不思議なくらいだ。またその立地と景観の良さから『入院したい病院100選』とかにまで選ばれる始末…

 その病院に着くとすぐに受付を済ませ、ぼーっと座って待っていルト程なく診察室に通された。院長である『早乙女 桜さおとめ さくら』先生直々の説明とのこと。

 この早乙女院長、この病院の院長なのは勿論のこと世界的にも有名な女医でAIを駆使し、ARなどの技術を使った様々な治療方法などを作り出している人らしい。

 また初めて会ったがとても綺麗な方でマスコミでも取り上げられるし、先生見たさに病院にわざわざ治療にやってくる人もいるとか。研究やらで多忙でなかなか会えない先生と聞いていたし、俺も初めて会うが、なぜ院長から直接話を聞くのだろうと思いながら話に耳を傾け始めた。

「さて、昨日の怪我の詳細な検査結果なんだけど、まず骨などに異常はなかった」

 目の前にある骨の立体映像を見ながら『早乙女院長』は話し出した。

「ほら、この手の部分ヒビひとつない。結構な力で噛まれたはずなのにね」

 このARによる骨格は俺のだ。早乙女病院開発の高解像度のスキャンでこういう身体の立体映像を作って患部をより詳細に診ることができるとのこと。

 どうも俺が気絶して倒れていた時に撮られていたようだが、自分の骨とか特に頭蓋骨って初めて見たけど生物の教科書に出てくるようなものとさして変わらない感じだった。

 ただ、頭蓋骨は怪我もしていない訳だし、何より骨だけの自分を見ていると全てが丸裸にされた様で恥ずかしくなってきたので、腕だけにして欲しいと言いたくなった。

「あと傷も思ったより酷くなかったからこんな感じでほぼ綺麗に治るよ」

 つぎは骨に筋肉やら皮膚やらもりもり肉付けされ、俺そっくりというか俺そのものの立体映像ができあがる。3Dモデリングといった作り物っぽいものではなく、そこに俺が居るみたいにリアルな映像。これは自分が2人いるみたいでさらになんかむず痒い気持ちになった。

 しかし顔に気を取られている場合ではないので、手に視線をうつすと現状の傷跡が写っていた。そこに時間を表すカウンターが現れ、時間が進んでいくと傷口が治っていく過程が映し出されていた。AIによって予測し、作り出されたシミュレーション映像。これで患部がどのように治っていくのかがかなり正確に再現されているとのこと。実際、こういう感じで治るのかと感心した。普段怪我の後なんてずっと見たりしないし、治るまでの経過ってなかなか面白いものだ。

 ちなみにガンの転移などのシミュレーションも精度が高いので治療の際の方針を決めるのに重要な役割を果たしているとのこと。本来の使い方はこっちだそうだが、今はこんな怪我などにも使っているそうだ。確かにこれを見たら安心するな。

「腕の傷に関してはこれでおしまいなんだけど、気になることは他にあってね」

「どこのことですか?」

「君の眼と体質のことだよ。まあ結論からいうと全くわからなかったんだけどね」

 今度は俺のAR標本?の目の部分をクローズアップしてバラバラにパーツ化された映像が現れる。

「なぜバイザーなしでExEMが見えてしまうのか?私としてはどこかにExEMを見分ける、またはアビス粒子を見分けるため発達・変異したところがあるんじゃないかって調べたんだけど全く異常なし、至って健康そのもの」

「健康、ですか」

 何かちょっとでも分かるかと若干の期待はあったが、そんな簡単に分かることではなかったらしい。

「まあ、気落ちするようなことでもないけどね。実際、異常がないのは良いことだし、気にしなくていいと思うけどね。それでも調べたのは私の研究者としての単なる興味だから」

 ああ、それが理由で俺に会ってくれたのか。

「でも、なんで見えちゃうんでしょうね?」

「さあねえ、今のところは分からないね。あ、あともうひとつ」

「何ですか?」

 今度は脳の部分だけが抜き出されて色々な部分から矢印が出てきた。

「眼を調べるついでにそこと繋がっている神経関連や脳も診てたんだけど、脳の動きがちょっとおかしくなっていたわ」

「おかしい?」

「あなた、だいぶExEMにやられたでしょ? 」

「ええ、この通り」

「そうだったわね。生身なら見た目のように大怪我になる。かたやヴェール装備中の場合、ExEMにやられても戦闘スーツのおかげで生身の身体には傷はつかない。だけど実のところ完全にダメージを無かったことにはできてなくて、脳にそのダメージがいっちゃうの。だから全身に想定以上のダメージで『負荷』がかかりすぎると、スーツはダメージを吸収しきれずにそのダメージのイメージが脳に刷り込まれてしまうことがある。それが脳の動きに変調をきたしたりするのよ」

「え?そういう仕組みだったんですか?」

「そう。だからあまりダメージを受けないようにスーツに痛み耐性ペインレジストをあえて付加していない。痛いとわかるとちゃんと躱すようになるだろ?」

「確かに」

 実際に痛いのは嫌だからかなり練習したし。

「という訳でダメージを受けすぎると、ハッキリ分かる不調が身体の機能や動きに出てけてしまうの」

 怪我や筋肉痛で身体が重いと思っていたが、脳へのダメージで身体の動きが悪かったということかも…

「なるほど。今の身体の不調は怪我だけではない、ということですか?」

「かもしれない。例えばだけど、手の部分にダメージを受け続けると、本当に手が動かなくなる、とか。この分野は今でも分からないことの方が多いし、まだ症例が少ないからハッキリとは言えないけど」

 それは結構怖いな。ヴェール装備での戦いは何処かで安全だと過信していた。ただ痛いだけだと。それも嫌だが、色々と意味や理由が分かり身体にも影響があると知ったら怖くなってきた。

「でも今のところはちゃんとケアしていれば日常生活に問題はないし、ちゃんと回復できるよ。でも今後は気をつけて欲しいわ」

「あの。例えばですけど、回復できないレベルでダメージ受け続けるとどうなるんですか?」

「そうね、一生廃人か植物人間になるわ」

「…」

 即答。真凛と同じ答えだった。さっきははっきりとは分からないと答えていたのに。この質問だけ憶測でなく言い切った。真凛だと冗談っぽく聞こえたが、早乙女院長が答えると笑えない話になった。しかも、過去にそういう目にあった人がいたのかもしれない。ただこれ以上の詮索は怖いのでやめておこう…

「外傷はまったくないけど、脳が機能できなくなって身体も動かなくなるから最悪そうなる可能性もある、ということよ。そこまで怖がらないで」

 早乙女院長は不安を取り除こうと思ったのか明るく話そうとしている。

「わかりました。でもそういう負傷者って来ることあるんですか?」

 早乙女院長はちょっと視線を外して、

「ーーーここではないわ、だから安心して頂戴。それにその為に私がいるんだから」

 妙な間で話されたのが何かあったような言い方に感じてしまった。やはり、過去に他の場所であったのかもしれない。そして早乙女院長はそうさせないためにこの街にSERCl御用達のような病院を建てたってことなのか? この院長も色々と過去がありそうだなあ。

「念を押しておくけど、本当にダメージを受け続けちゃうと危ないからね」

「はい、その時は早乙女院長のところへすぐ行きますから」

「そうね。私が治療すれば大丈夫よ、今の私の技術ならね…」

 自分に言い聞かせるように早乙女院長は最後は呟くような声で言った。

「?」

 最後は聞こえなかったが大丈夫なのだろう。院長は俺のARをグルグル回して遊びながら、

「ExEMとか不可思議な者から受ける脳へのダメージってさ、普通の医者じゃ異常は感じても原因が突き止められないから対処ができないんだよ。実際、非科学的領域だから研究する人もいないしね」

「じゃあ先生だけってことですか?」

「そうでもないが、医者というより研究者や哲学者とかそういう類になってくるね」

「治療ができる医者となると早乙女先生のみ、ということですか?」

「ほぼそうなる。だから他にも治療ができる仲間を増やし、被害を最小限に食い止めるためにこれだけの設備を整えた病院を建て、仲間となってくれる医者の育成もやりだしたの。私1人じゃ到底手が足りなくて無理だからね」

 だから派手な宣伝をしたりして、この病院に様々な医者が興味を持たれるような真似をしているのか。世界中から医者を募るのもExEMの研究・治療の為であれば納得できる。でも早乙女院長がここまでの想いでやっとできたのがこの病院なら、ExEMで傷ついた人を治療できる病院は今までなかった。つまりここだけが治療できる場所ってことになる。

 確かこの病院ができたのって5年くらい前だったような。こんな田舎にすごい最新設備を整えた病院ができたって街はちょっとした騒ぎになったのを覚えている。そしてこの街が今のように変わったのも同じ時期で、ExEMが現れ出したのも同じ頃からだって真凜が話していた。全ての出来事は全部繋がっているのか? この街は一体…

「ま、そういう訳だから。最悪私がいなくなっても大丈夫なようにここを作ったようなものだからね」

 最後に気になる一言が入っていたようだが、その優しく力強い微笑みは俺に大きな安心感を与えてくれた。でも今回の件で、ExEMの怖さを改めて知ることになってしまった。

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