五 潜入捜査

 ん? なんだ? 犬か?

 あるところへ行く途中、民家が立ち並ぶ路上で剛は子犬を見つけた。グレーの毛並みでよたよたと歩いている。かなり痩せていてロクに食べ物も食べていないようだ。どっかの家から逃げ出したというより捨てられたのかもしれない。

 んー、ああいう動物には弱いんだよな。あの目でみられちゃうと…。うっ、連れ帰ってご飯をあげてしまいそうになる。いや、それをしてしまうと飼わなきゃいけなくなるし…と悩んでいると、

「あらまあ、可哀想に。捨てられちゃったの?」

 急な後ろからの声にビクッとして振り向いた。

「こんにちは。蒼炎くんでしょ?」

 えーと、誰だっけ? 背が低めで少しばかり膨よかな体型だが可愛らしい雰囲気がある。肩ぐらいで切り揃えた髪も清潔感があるし。ただ、会った覚えがないような。

「その顔は覚えてないって顔してる! もう、これならどう?」

 彼女は手で口を覆って喋り出す。

「蒼炎さま、お仕事の依頼です。ポイントは…」

 ああ、思い出した! いつもExEM討伐の連絡をしてくれるオペレーターの人。こういう感じの人だったのか。

「直接会うのは初めてよね? 改めて初めまして。SERClのオペレーター『星野 優璃ほしの ゆり』、宜しくね」

「はじめまして。蒼炎です」

 いつもの声の人が目の前にいると意味もなく緊張してしまうな。

「それでね。この子だけど、汚れててちょっと痩せてるけど身体は健康そうだしちゃんと綺麗にしてご飯をあげたら大丈夫だと思うの」

 優璃さんは子犬の身体を触って確認しながら教えてくれた。

「犬のことに詳しいんですか?」

「まあね、半年前までワンちゃん飼ってたの。もうおばあちゃんで大往生って感じだったわ」

 優璃さんは子犬を抱き抱えて優しそうな顔で見つめながら

「だからウチで引き取るわ」

「え? 飼うんですか?」

「うん。前の子がいなくなってちょっと寂しかったし、なんだこの子他人というか他犬とは思えないし。運命かも!」

 あまりの即答に少し呆れそうだったが、

「それだと嬉しいです。ちょっとどうしょうか迷っていたので」

「どういたしまして、だよ」

 でも、優璃さんは優しい人だな、いきなりなのに捨て犬を飼おうと決断するなんて。

「いつもは何でもかんでも拾ったりはしないんだけどね。本当にこの子はなんか特別な気がして」

「何にせよ良かったな、ちび」

「ところでなんでここにいたの?」

 しまった、犬に気を取られて予定があるのを忘れていた。俺とした事が。

「今日は予定が入っているんです。急がないと」

「気をつけてね」

 俺は猛ダッシュで目的地に向かった。


「こんにちはー。家庭教師派遣の会社からやってきました蒼炎です」

 何とか時間に間に合ったものの走ってきたので息が少し上がっていた。さすがにひ弱すぎるな、俺。

「初めまして、今日から娘の勉強をよろしくお願いしますね」

 俺は今回、家庭教師のアルバイトで岩田さんという家に入っている。SERClからの紹介で仕事としてきている。つまり、それがらみという事だ。

「どうぞこちらへ」

 2階の一番奥の部屋へ通される。扉を開けると中にベリーショートの快活そうな娘さんがいた。

「岩田杏奈です。よろしくお願いします」

 ちょっと緊張しているようだが、初対面だから仕方がない。

「蒼炎です。よろしくね」

 ここで俺にとって重大な問題が発生した。世間話とかが出来ないことに気がついたんだ。安達しか友人が居ない時点で自覚していたのだけど。こういう時にコミュ力を磨いておかないといけなかったのか…

 さて、どうするか。初っ端からじゃあ勉強しよっかっていうのも、硬いよなあと思ったまでは良かったものの、何を話してほぐしていけばいいのか全く思いつかない。

 あー、俺ってつくづく家庭教師に向いてないよな?などと考えていると杏奈ちゃんの方から、

「あの、大学ではどんなことをされているのですか?」

 話題をふってくれた。有り難い。

「ああ大学とかではね…」

 少しばかり話してあげると色々と楽しそうに聞いてくれた。

「じゃあ、そんな大学生活を目指して早速始めていこっか」

「三角関数が苦手なんだっけ?」

「そうなんです。さっぱりわからなくて」

「ふーん、どの辺り?」

「えーっと…」

 大学の文系とはいえ、去年まで高校生だったのでまだ数学は覚えていた。何とかなりそうだ…


 今回SERClがらみの仕事とはいえ、なぜ家庭教師になってまで岩田家に来たかといえば、ある事を調べに家の中に入る必要があったからだ。

 実はこの周辺で連続して人が襲われるという事件が発生していた。ExEMが絡んだ人が急に倒れたりとかではなく単なる暴行事件だ。しかも毎回犯人が捕まっている。

 大体、恐ろしいまでのデジタルによる監視網を引いているこの神無市でこういう暴行犯を逃がすはずがない。監視カメラに衛星写真、デバイスやSNSによる情報の共有など、街のAI『ラファエル』による高度な監視システムを抜けるのは難しい。

 この事件は街の治安としては大事だが本来なら警察が動いてどうにかする案件なのにSERClが入って調べる理由、それは捕まえた犯人全員が犯行の内容を覚えていないということ。何かの術にでもかかっていたかのようだという。

 そして毎回新しい犯人が事件を起こす。ExEMにこういった事ができるものがいるのかは分からないが通常とは違った事件なのでSERClに調査の依頼が回ってきたという事のようだ。

 そしてこの暴行事件と犯人を捕まえるイタチごっこを繰り返した結果分かったのは、事件が起こる場所の中心に「岩田の家」があったという事だ。常に岩田の家の周辺で事件が起こっている。が、当然ながら証拠やら何かに繋がるヒントも今の岩田家周辺で起こっているということだけ。だから直接家に行って調べようという事になった、極秘で。

 しかし、俺を使わなくてもいいだろうになあ、と思ってしまう。俺にとってはここが問題だ。どうして俺でないといけなかったのか? 理由は俺ならバイザーを使わずExEMが見えるから、だそうだ。

 この街でバイザーをつけて生活するのは普通だが、SERClのバイザーで入れば岩田家の誰かが気づくかもしれない。あのバイザーは知ってる人には知られているからSERClってバレる可能性がある。ExEMには気づかれなくても、周りの人に変に勘繰られるのは避けたい。

 あと、これは俺の失敗なのだが、真凜に「潜入捜査」というキーワードを言われて不覚にも興奮してしまった事だ。刑事ドラマの見過ぎと言われるかもしれないが、一瞬とはいえ気分が上がってしまい、そこを真凜に見透かされた。

 あそこで興奮しなければこんな面倒なこと…と思っても後の祭りだった。

 上手く調べて証拠を集めてさっさと退散するに限るか。

 

 そんな感じで通い始めてから1週間がたった。杏奈ちゃんとそのお母さんを観察しているがおそらくシロ。アビス粒子深淵の闇の粒子も何も見えてこないから。まあ、ExEMが見える『眼』が発動しているのか分からないが。あとはここの主人である『宏樹』にだけ接触できていない。仕事で家にいないようだから仕方がないが何とか会えないものか。

 そう思っていたら意外と早くチャンスが訪れた。ある日、いつもの通り杏奈ちゃんに勉強を教えていると、トントンと部屋のドアをノックする音が聞こえた。

 ドアを開けてスマートな中年の男が入ってきた。

「こんにちは、杏奈の父です。娘が勉強のことでお世話になっていると聞いたのでご挨拶をと思いまして」

 この人が『岩田宏樹』か。とうとう会えた!

「初めまして。こちらこそお世話になっております。娘さんはよく勉強を頑張っていて、飲み込みが良いですよ。こちらが教えることがすぐなくなりそうです」

「そうだと嬉しいですね」

 と微笑むのだが、よく見たら顔の表情が暗い、というか感情があまり感じられない。目の下に濃いクマもできているし、やつれて見える。しかも恐らく40[#「40」は縦中横]後半くらいと聞いていたが、肌艶もよくないしやたらと老けて見え、病的な雰囲気だ。

 とはいえ、知的で物腰や静かな感じは杏奈ちゃんと似ていて、親子だなあと感じる。

「これからも杏奈をお願いします」

 広樹はそのまま握手をしようと手を出してきた。

 こちらもと手を出そうとした時、宏樹の手から細い糸が上に向かって伸びているのに気づいた。ちらっと天井を見るとそのまま糸は上に突き抜けている様子。そして何かしらの気持ち悪い感覚。これ、アビス粒子が糸状になったもの?

 やっと見つけた気がした。だが広樹からアビス粒子が見えても彼が真犯人ではない。どこかにExEMがいるはずだ。そいつを見つけなければ。

 でもあの糸は何なのだ?宏樹からPOSを吸い取るため? だからあんなに消耗しているのか? だとしたらかなりマズい状態な気がする。

 けれど、あの糸はそれだけなのだろうか?他にも何か意味があるとか…? などと考え込んでしまっていると、

「大丈夫ですか?」

 宏樹にそう言われ、ハッと気がつき平静さを繕うように返す。

「すみません、このところレポートが立て込んでて疲れが出てしまったかもしれません。気を使わせてしまいすみません」

「杏奈のために無理をさせてしまいましたか。身体が資本ですから大事にしてください」

「ありがとうございます」

 岩田は特に表情を変えることなく部屋を出て行った。

「お父さん、最近すごく調子が悪そうなの。仕事で無理をしているのか母と心配しているんです」

 杏奈ちゃんは本当に心配している様子で、あの姿では家族も心配するのも当然だ。

「蒼炎さんもごめんなさい。大学の勉強で疲れてるのに…」

 杏奈ちゃんに気を使わせてしまった。何か誤魔化しておかないと。

「大丈夫だよ。杏奈ちゃんの勉強に手は抜かないから安心して」

「でも父のいうように無理しないでくださいね」

 君はマジ天使。しかし、宏樹のあの状態がアビス粒子の糸によるものだったら心も身体も心配だ。といってもどうしたらいいものか俺にはさっぱりわからない。それに杏奈ちゃんやお母さんに被害が広がる心配もある。

 この家族をこのままにはしておけないなあ。そうなると…面倒だが真凛に聞くのが一番だ。


 今日はこれ以上動くのは危ないと判断し、家庭教師のあと占いの館へ直行、俺は宏樹の事を仔細に報告した。ここら辺は探偵っぽいよね。

「ふむ、糸ねえ。剛だけじゃ対処できないかもね。正直、なぜその男からそいつが出現したのかはわからないけど、ま、どうとでもできるだろう」

「杏奈ちゃんのお父さんを助けることはできるの?」

「それは話だけじゃ何とも言えない。でもアタシの読み通りなら助かるような気がするよ」

「そう、良かった」

 剛の言葉に少し驚いた真凜だったが気を取り直して

「じゃあ、手は貸してやるからお前が自分で助けてやりな。たださっき言ったようにお前一人じゃ難しいだろう。助っ人をつけてやるよ」

 俺で出来るのか?とは思ったが、杏奈ちゃんの心配そうな顔をみた以上、何とかしてやりたい。

「わかった、だけどあのアビス粒子の糸を使うやつってどんなExEMなのか教えて欲しいな」

「ああ、恐らくだけどやつは『人形使いパペットマスター』だよ」

「詳細は自分で調べな。助っ人とは現地で合流。あいつならうまくやるハズだ。優璃、剛に合流ポイントを通知してやっとくれ」

「はーい」

「今からなの?」

「相手が誰だかわかってるんだからさっさと動きな。これ以上の被害を出したくないし、その父親ってのも余裕がある訳じゃないよ」

「それもそうだね。ありがとう」

 真凛の迅速な対応は有難いのだが、まさか俺がそのままやることになるとは。これだから…ほんと、人使いが荒い。でも急がないともっとマズいことになってからじゃ遅い。

「長い1日になりそうだな」

 ぼやきながら占いの館を出て行った。


「剛にやらせて大丈夫かいな」

 部屋の奥から翔夜が言いながら出てくる。

「だから助っ人をつけたんだよ」

「いや、助っ人ってあいつやろ?腕は確かやから大丈夫やろけど、なんで剛なんかな?って」

「そんなことはアタシもわかってるよ。あいつからの指示なのさ。珍しいだろう? なんで剛なのかって、明らかにおかしいだろうさ。アタシは一度も剛のことを話したことがないのにさ。あのバカが」

「ほーん、婆さん嫌ってるなあ。あの人のこと」

「変なことを迂闊に喋ったりするんじゃないよ。面倒な事になりかねない。これはSERCl内の問題だ。アタシが何とかする。アンタは現場でやるべきことをやんな」

 真凜の真剣な表情を見た翔夜はそれ以上は追求しなかった。

「それとさ、剛はやる気がなさそうな仕草をするけど、知り合いとかに対しては案外見捨てたりしないんだよ、あれで」

 子供を見るような柔らかい表情に変わって真凜は続ける。

「ここであの子に解決させるのは何かいいきっかけになるかもしれないよ」

 翔夜は意外なくらい剛に対して気遣いを見せている真凜に内心驚きつつ、納得したような顔で、

「わかったよ。だからそっちの方は頼んだぜ、婆さん」

 すっと扉を開けて翔夜は外へ出て行った。

「うっかりアイツにいらん話をしちまったよ。アタシも年かねえ」

 真凜は部屋の奥へゆっくりと消えていった。

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