ヴェール4 交差点
ん? なんだ? 犬?
大学からの帰り道、民家が立ち並ぶ路上で剛は子犬を見つけた。
グレーの毛並みでフラフラしている。違う、汚れでグレーの毛色に見えているんだ。
んー、このまま去るのも可哀想だと思うが外の野犬をいきなり連れて帰るわけにもいかないし。
「あらまあ、可哀想に。捨てられちゃったの?」
急な後ろからの話し声にビクッとして振り向いた。
「こんにちは。蒼炎くんでしょ?」
えーと、誰だっけ? 背が低めで少しばかり膨よかな体型だが可愛らしい雰囲気がある。肩ぐらいで切り揃えた髪も清潔感があるし。ただ、誰だか覚えがない。
「その顔は覚えてないって顔してる!もう、これならどう?」
彼女は手で口を覆って喋り出す。
「蒼炎さま、お仕事の依頼です。ポイントは…」
あー、思い出した。いつも依頼の連絡をしてくるオペレーターの人。こんな感じの人だったのか。
「直接会うのは初めてよね? 改めて初めまして。SERClのオペレーター『星野 ゆり』、宜しくね」
「あ、どうも」
いつもの声の人が目の前にいると意味もなく緊張するもんなんだな。
「それでこの子だけど、汚れててちょっと痩せてるけど身体は健康そうだしちゃんとトリミングしてご飯をあげたら大丈夫だと思う」
ゆりさんは子犬の身体を触って確認しながら話してくれた。
「犬のことに詳しそうですね」
「うん、半年前までワンちゃん飼ってたの。もうおばあちゃんで大往生って感じだったわ」
ゆりさんは子犬を優しそうな顔で見つめながら
「だからウチで引き取るわ」
「え、いいんですか?」
「まあね、前の子がいなくなってちょっと寂しかったし、もうこの子他人というか他犬とは思えなくなっちゃったし」
ありがとうございます。ちょっとどうしょうか迷ってたんで
どういたしまして、だよ
ゆりさんは優しい人だな。でも急に捨て犬を飼うもんかな? まあいいか、両方ともに良いことになったわけだし。
「こんにちはー。家庭教師派遣のサークルからやってきました蒼炎です」
「初めまして、娘の事よろしくお願いいたします」
俺は今回、家庭教師のアルバイトで岩田雅樹という男の家に入っている。もちろんというかSERClの仕事なんだけど。
「どうぞこちらへ」
2階の一番奥の部屋へ通される。扉を開けると中にベリーショートの快活そうな娘さんがいた。
「岩田杏奈です。よろしくお願いします」
ちょっと緊張気味だかそれは初対面だから仕方がない。
「蒼炎です。よろしくね」
時間も限られているので早速始めていく事にする。確か数学だっけ。
「連立方程式が苦手なんだっけ?」
「そうなんです。さっぱりわからなくて」
「ふーん、どの辺り?」
「えーっと…」
工科大学の文系とはいえ数学くらいは教えられる、つもり。そして何とかなりそうだ…
今回、家庭教師の体裁でここにいるが、ある事を調べに家に入らせてもらっている。
実はこの周辺で連続暴行事件が発生しているのだが、暴行を受けた人たちが誰もその相手の顔がわからない、というか思い出せないらしい。
本来なら警察の仕事なのだがもしやMaWがらみの事件かも?と真凜さんが感じたので調べる事にした、という訳だ。真凜さんのこういった勘はかなり当たるらしいし。
そんな感じで数週間ほど教えていたある日、いつもの通り杏奈さんに勉強を教えていると
トントン、とドアをノックする音が聞こえた。ドアを開けて入ってきたのでスマートな中年の男、岩田広樹のようだ。
「こんにちは、娘が勉強のことでお世話になると聞いたのでご挨拶をと思いまして」
「初めまして。ええ、本当に飲み込みの良い娘さんですよ。こちらが教えることがすぐなくなりそうです」
「それは嬉しいですね」
と微笑みながら握手をしようと手に触れた途端、父親からアビス・オーラが微妙に漏れ出るのが見えた…この人が犯人だ。
そもそも今回の仕事で俺に来たのはバイザーなしでMaWが見えるだろ?ってところからだったが見えちゃったなあ。
「どうかしましたか?」
「い、いえ失礼を」
感づかれたかな? これは俺だけにしか見えないはずだしな。意外と早く見つかったな。後はどうやってMaWを狩るか、だ。
人型ということなら前のこともあるから俺だけじゃ到底対処できないし、普通に人として生活ができている賢さも正直驚いた。さらに一般人の前でヴェールを使ってはいけないしなあ、と思考していると、
「少しお疲れのようですが? 大学の勉強は大変ですか?」
しまった。何か誤魔化さないと。
「ははは、ちょっとレポート提出が立て込んでまして」
「学生さんは大変ですね、懐かしいですよ」
どうやら広樹さん《MaW》には気づかれなかったようだ。こういう時に感情が乏しいのが役に立った。
「娘さんのことは精一杯がんばりますのでよろしくお願いします」
「ありがとう、お願いします」
父親は自室らしい部屋へと消えていった。
その夜、岩田邸の横の電信柱の陰にいた。ちょっと探偵っぽくて少し楽しい、じゃなかったこれから広樹さんをなんとか連れ出して1対1にしないと。
とはいえ、急に『こんばんはー』って行ける訳ないし。
どうしたもんか、と考えていたら玄関の扉が開いて広樹さんが出てきた。バイザーごしに見えるアビス・オーラ…今度は隠そうともしていない。
広樹さんは俺のいる場所と反対方向に向かって歩いていく。チャンスだ。あとは被害が起こる前に狩ってしまえれば。
後ろからバレないようについていくと広樹さんは住宅街の小さな公園に入っていった。
気づかれないように木の陰に入ろうとすると、
「蒼炎さんですね? そこにいらっしゃるのは」
完全に気づかれてる。MaWと人間、特に知能が高い人に憑くとこんな簡単にバレるもんなんだ。隠れても意味がないとわかったので広樹さんの前に姿を現すことにした。
「家をでた時から気づいていましたよ」
「すごいんですね、そこまでわかっちゃうなんて」
「蒼炎さんがわかりやすいんですよ。でもこの岩田広樹って男がとても神経質で常に周りを気にする奴でね、気がつきやすいんですよ」
MaWはその生き物に取り憑く時にその記憶や能力も取り込むというのは本当なんだな。
その高い知能で周りを騙し続け、さらにバレないように相手を襲う。これは手強い。
「素人尾行ではだめですね」
「それよりも私が気になったのは、『どうして私が違う人間だと気づいたか?』ですよ」
これは言ってはいけない気がする。知らないふりをするか…
「沈黙は良くないですよ、何かあると言っているようなものです。あなたたちでしょ?最近、同類を狩っている人たちの存在を感じていててね」
SERClの存在は感じているが具体的なことは知らないのか。
「あなたたちを見分ける道具があるんですよ」
「それは厄介ですね、対処法を考えないといけませんね」
一旦は核心から離れさせることができたみたいだ。
「ところでなぜ街の人を襲うの? MaWだから?」
「私はあなたたちにMawと呼ばれているのですか? 変な呼び名ですがまあいいでしょう。私が街の人を襲うのは乗っ取った岩田広樹の心の奥の感情によるものです」
「心の奥の感情?」
「そう。この男はね、勉強はできるようですが、世渡りというものが苦手なようで会社では随分と苦労をしているようですよ」
広樹さん《MaW》が言うには会社で中堅となるが大して芽が出ることもなく、若手がどんどん力をつけて追いつくどころか飛び越えていくし、上からは馬鹿にされ、厳しい叱責を浴びる毎日に追い詰められそのストレスが蓄積されていたらしい。
「だから偉そうな若いやつや中年の男を見ると無性に殴りたくなっていたところを乗っ取ったと言う訳です」
「ふーん、大変なんだね、社会人ってやつも」
「私には楽に人を苦しめられる知能だけは高いこの男は便利なんですよ」
「ひどい言いようだね」
「そうかね? この男の思考は確かにおかしいが会社の男の周りの人間もなかなか酷いけどねえ」
広樹さんはひと笑いした。と同時にバイザーに通知が入った。
「さて、そろそろお楽しみタイムだよ。今日の獲物は蒼炎くん、君だよ」
「それは嫌だなあ」
言い終えた瞬間にヴェールを展開した。
「これは…不思議な空間ですね」
「アーグメンテッド・ヴェール。お前を狩るための空間さ」
俺は袖からステッキを出して、
「素人の構えですね。これでもこの男は剣道の段もちです。いいですよ相手してあげましょう」
広樹さんは地面にあった棒を拾って構えた。すごい、素人でもわかる凄み。でもね…
広樹さんがすっと動こうとした瞬間、パンっと広樹さんの頭を何かが貫いた。
「あれ?」
そのまま広樹さんは崩れ落ちて倒れた。
あーぶなかった。やり合ったら100%こっちの負け確定だったし。
「やー、ちゃんと当たったね」
「まぐれみたいな言い方しないでくださいよ、
「いやいや、簡単じゃないんだよ?」
それは分かる。ヴェールをしようした場合の飛び道具は非常に難しい。実はヴェールの有効範囲はいくらでも広げることができる。ただ広げすぎると範囲の端に行けば行くほどプログラムとしての密度が薄くなる。
電波の届きにくい場所での携帯電話と同じ。プツッと電波が消えたり、電波が弱くなったりする。
これがヴェール上だとMaWがヴェールから抜け出したり、近接戦闘であれば武器の威力が下がる。遠距離ともなれば弾が消える、当たっても威力がない、そもそも当たらないといいとこ無しとなる。
だからヴェールの有効範囲を10mとしているのはバランスを考えてSERClが絶妙とした範囲ということだ。でもこれだと飛び道具は弓だったり銃程度だったりする。
そんな中、龍さんはライフルを使って狙撃をやってのける。50m離れたところからヴェール展開、しかも宏樹さんに疑われないように俺のヴェール展開とタイミングを合わせて重ねて展開し龍さんがいることを感づかせなかった。最後は宏樹さんのこめかみに当てて仕留めてしまう。もの凄い技量だと思う。実際、龍さんしかできない芸当。ヴェール内でスリングショットで仕留めることさえできない俺じゃ雲泥の差だ。
「仕事は終わりましたね」
龍さんは宏樹さんを抱えて公園のベンチに寝かせていた。
「警察に通報ですか?」
「私がかい? なぜ? 私たちの仕事はMaWを倒すことだけですよ」
「いやー、被害者とか出てるんで通報した方がいいのかなぁと」
「やめておきなさい。大体警察に言ったところで証拠がないんだから」
そうだった。今まで尻尾を全く掴めなかったんだ。被害を受けた人も記憶がないんだし。釈然とはしないがこれ以上被害が出ることもなくなる。
安全になった、という事で良しとするか
さてと、そろそろ帰ろうとした時、あちらこちらから犬の遠吠えが一斉に聞こえてきた。
このところ毎晩聞いている気がする。
何か変な事が起きなきゃいいけどなあ。
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