弍 鬼の王

 その日は新歓コンパの帰り。呑んでないのに妙な熱気に疲れてしまい、熱覚ましに歩いてのんびりと家に向かっていた。バイザーは母さんから鬼のような通知が来るためうっとおしくなって外していた。ARではない世界はポツンポツンと街灯だけがあってとても暗い。が不思議と嫌な感じはしない、むしろ懐かしい感じ。

『昔の人が夜を不吉で怖がっていた、というのもわからなくもないがこの雰囲気はなぜか嫌いじゃないな』

 このちょっと暗がりの中の感覚がどこか好きだった。世界に一人のようなちょっとした孤独、でもそこに安らぎを感じてしまうのだ。

 そんなどうでもいいことを思いつつ、いつものルートの神社を通り過ぎようとした時、急に動く人のようなものが見えてビクッとした。

 人がいたのかよ。ただその手に炎のついた棒らしきものを持っている。

 あれは『鬼』じゃないか。アグメンテッド・ワールドの初級モンスター。通知も出てないけど、急に始まったな。

 このゲームは本当に…どうせならやっつけようと近寄ってみると周りの景色がところどころ途切れてぶれ始める。

 おや?と思いバイザーを付け直そうとすると、バイザーをしていなかった事を思い出す。

『おや?』

 つけてない、よな。

「じゃあ、目の前に見えてるモンスターは何だ?」

 しかも周りの風景もゲームで見たことのない、どす黒く禍々しい炎の壁に取り囲まれていく。青や紫色の炎。熱さも感じない。が、どこか幻想的なのに薄気味悪い輝きを放ち揺らめいている。

 でもその揺らめく姿に感覚的にゾクっとした気味悪さを感じ、ARでないリアルでなぜこんなものが見えるのかもいう不思議さと不気味さとで背筋にツーっと冷や汗が流れる。

「なんだ?これはどういうことなんだ?」

 反射的にヤバイと思い、後ずさるとそのモンスターがこっちを向いた!

『俺に気づいた?!』

 モンスターはこちらに向かって燃えた棒をふり回りながらゆっくりと歩いてくる。しかも近づいてくると想像よリも大きく、2mくらいありそうだ。本当に鬼みたいな大きさじゃないか、実物をみた頃はないけど。

『迫力がありすぎるだろ、これは』 

 少したじろぎつつ男の目を見るとその目が赤く光っていた。さらにドバッと冷や汗が出て止まらない。どうするべきか?


「オマエ、見エテルナ?」

 鬼のモンスターが喋ったーーーー!

「何のことかな…?」

 喋りかけてきたのは想定外。間抜けだったのは返答してしまったこと。見えてるのがバレバレだと言ってから気づいた。とはいえ、アグメンテッド・ワールドのモンスターはこんな風にしゃべったりしない。しかもバイザーもなしに見えているこの状況。冷静でいることが難しく心臓の鼓動が頭に響く。どうしたらいい? ダッシュで逃げるか?

 こちらの動揺に気づいてかモンスターはニヤリと笑い、燃えた棒をこっちに向けて寄ってきた。全身鳥肌が立って冷静さが吹っ飛んだ。体がこわばってしまい、動けないところをモンスターは燃えた棒を俺に向かって振り下ろしてきた。

「うわっ」

 棒を避けなきゃ、と身をよじろうとしたらたまたま足が滑って左に転んでしまった。

 ドン!と音がして棒は地面を叩き、結果、俺はギリギリで躱す事に成功した。

「ふう」

 今度は棒の炎が身体の真横で燃えている。服に火はつかないが熱さを感じる。本物の炎みたい、いや本物?この不思議な光景が夢ではない、それだけはわかった。

 意味は全くわからないが、とにかくまずい状況ということだけは理解できる。

『どうすればこの状況から抜け出せる?』

 どうにかしてこの場から去りたいが、心とは裏腹に身体がいうことをきかない。

 モンスターはもう一度、棒を振り上げ今度こそ叩き潰そうと振り下ろす!

『あ、当たる』

 駄目だと目をつぶった瞬間、

 ガキン!

 棒と何か金属のようなモノがぶつかった音。

 そっと目を開けると目の前に人影が立っていて、炎の棒を剣のようなモノで受け止めていた。

「大丈夫か? ギリセーフやなあ」

 声から男だとわかったものの、暗がりでよく見えない。が、背が高く見える。

「動けるか?って無理そうやな。とりあえずやな、なんとか攻撃を避けろ。ーーー抜かれるぞ」

 抜かれる?何が抜かれるのかわからないが、コクリとうなずく。

「行くでー!」

 男は剣を勢いよく突き上げ、モンスターをよろめかせる。あの大きなモンスターの力を返すなんてすごい力だ。だがモンスターはすぐに体制を整えて襲ってくる!

「来るぞ!避けろや!」

 モンスターは二人同時に狙おうと炎の棒を横殴りに降ってきた。

 剣を持った長身の男は流石に受け止められないと踏んだか、受けずにすっと後ろに引いてかわした。

 俺はといえばなんとか身体を横にひねってかろうじてかわした。

「今や!」

 長身の男は大振りして体制を崩しかけているモンスターの懐に入っていく。

「もらった!」

 と叫び、剣を振るおうとした瞬間、モンスターを中心に風、というか衝撃の波が吹き付けた! 思わず目を瞑ってうっすらと目を開けてみると男は衝撃でモンスターから離されていた。

「ちいっ! こいつは手こずるな。これ、『鬼の王オーク・ロード』やんけ」

 長身の男はすぐさま俺の手を取ってモンスターから離れたところに無理やり引っ張った。

「思ったより面倒なことになったけど安心しぃや。なんとかするさかい」

「なんとかというと?」

「まあ、見ときぃや。ワシ、これでも強いねん」

 男は鬼の王と言ったか、に向けて剣を構え直した。

 その鬼の王からは漆黒の炎が湧き上がり 『ニヤリ』とその顔が笑った。

 あまりの気持ちの悪い笑いにビクッとして身体が動かなくなった。

「あー、全力出してきよったな。簡単に言うとこいつはな、AR『拡張現実』を利用して実体化した存在でな。人に悪さしかせんから倒さなあかんねん」

「ああそう…」

 俺は何か説明されているものの、とにかく早く倒せるなら倒して欲しくてあまり聞いていなかった。

「ってお前、聞いてへんな!」

「こんな状態で話が頭に入るわけないでしょ。早く何とかしてくれない?」

「そりゃそうか。身体が緊張で強張っとるもんな」

 そう言ってトンと肩を叩かれると身体が軽くなって緊張が解けた。

 ふうぅ、息をゆっくりと吐き出して、

「ありがとう。ずいぶん楽になった。気功とかいうやつ?」

「いや、叩いただけ」

 男は俺に普通に話しかけてくるが、鬼の王を前に呑気に話すこの男は怖くないのだろうか? それか、こういうことに慣れているということか?

「いらんこと喋ってる場合やないな。そろそろこいつとも終わりにしよか」

 男は剣の上に手をかざし、

「ヒノカグツチーーー」

 そう男が呟くと、剣が炎をまとっていく…

「さあ、本当の炎ってやつを見せたるわ」

 鬼の王は向けられた炎の剣を恐れるどころか恍惚とした目で見つめている。

「ナンテ綺麗ナ炎。昔ニ放火シタ隣ノ家ヲ思イ出シタ。アレモ美シカッタヨ」

 炎の化物がボソボソと呟く。

 流石に意味がわからず聞いてしまった。

「あれは何を喋っているんだ?」

「こいつが取り憑いた奴の記憶が出てきてるんやな。こいつらは憎しみとか妬み、悪意のある人間の力を取り込んで『実体化』する。そん時に元の人間の記憶とかも取り込むことがあるんや」

 こいつも色々と話してくれるなあ。

「ということは、あのモンスター、鬼の王だったか?に取り込まれた奴というのは…例えば放火魔とかだったりするのか?」

「近いかもな。実際、この街で放火事件が数件発生しとる。こいつの元がそうかもな」

 長身の男は剣をどこからか出した鞘に納め、腰に鞘ごと携えて構える。どこかで見たことあるような構え、居合らしい。

「さ、お前のいう綺麗な炎を見せたるからそのまま消えろ…!」

 男は構えたまま鬼の王に一気に詰め寄り、剣を抜く!

 真紅の炎の軌跡が五閃、鬼の王の身体を通り抜けた。

 そして身体に刻まれた跡からまた真紅の炎が一気に吹き出し鬼の王は炎に包まれた。

「アアッ! ナンテ綺麗ナ炎! スゴイ、スゴイナアァァァ…」

 鬼の王はそのまま塵となって消えた。そして同時に周りを囲っていた醜悪な景色も元に戻っていく…。

 そして元の静けさを取り戻した。


 俺はやっと安心できる状態になったと分かったせいか、急にどっと疲れが出てきてフラフラしてきはじめた。とりあえず地面にしゃがむ。

「急に疲れが出てきたか?ま、無事で良かったな」

「まだよく現状が把握出来てないけどな。しかし居合って剣を何回も振るうものとは知らなかった」

「ん?」

「いや、5回も斬っていただろう?」

「あの5連撃が見えてたんか?」

 男は俺の前にしゃがみこみ俺の眼を見ながら

「その眼の色…」

「ん?」

「綺麗な金色しとるな」

 どういうことだ?俺の眼は黒のはずなのに…とはいえ、まずは助けてもらったことに違いないようだ。それにさっきから体の疲労感が半端ない。

「とにかく助けてくれたみたいだな。ありがとう」

 声に力がなくなってきた。

「みたいって引っかかるなあ」

「そうだな、目の前で起こったことが非現実的すぎてまだ信じきれてないんだ」

「まあ、言いたいことはわかる」

 言いながら男は周辺の草むらとか植木の影とかをゴソゴソと何かを探している。

「おった!」

 男はずるずると人らしきものを引きずってきた。

「あれだけの大物を実体化させといてまだ生きとる。こいつツイてるわ、憑かれただけに」

 上手いダジャレを言ったつもりだろうが、別に面白くもない。少しでも笑ってやるべきか…。

「おい、シーンとすんなや。少しは反応してくれ!」

「少し笑ってやろうと思ったんだがな」

「思っただけかい。もうええわ。これで討伐完了やしな」

 男は横たわっている人に近づいていき、ポケットから出したマジックで額に何かを書いている。

『私が噂の放火魔だと思います。ごめんなさい』

 その人はよく見たら初老の女性だった。人の良さそうな顔をしてるのにな。

「この人がさっきの話の化け物とやらの正体か?人ってわからないものだな」

「せやな」

「ところでさ、書いてある字が汚すぎて気になる」

 俺は額を指差して指摘する。ものすごく疲れているのだが、これだけは突っ込みたかった。

「うっさいわ!わかったらええねん、わかったら」

 2回も言った。まあ、確かにわかればいいとは思うが。


「さてと、これで全部しまいやな」

「それは良かった。こちらは災難だよ」

「ははは、何も知らんのに巻き込んだみたいで悪かったな」

「本当だ。なんでこうなったのか」

「一応助けてやってんで」

「それは感謝してると言いたいが、俺に何か恩を売るための狂言じゃないよな?」

「そこまで信じてなかったんか!?」

「まあ。棍棒が横を掠めたときに感じた風圧、炎の熱さ、どれも本当だったとしか思えない。でもこの現代ではあり得なさすぎだろ?」

「めっちゃ冷静やな。驚いた。あないな目にあって動けんかったのにそこまで疑ってるとはな」

「性格でね」

「そこまでいくと面白いな、お前」

 何だか馬鹿にされているというか呆れられてるという気がするが、疲れのあまり言い返すのも面倒臭い。

「ま、ええか。そや、今更やけどワシは焰木 翔夜ほのき しょうやっていうねん、翔夜でいいよ。お前は?」

蒼炎 剛そうえん つよし

「蒼炎、ねえ。ふーん、まあええわ。剛ってよぶで。お前さんに一つだけ聞きたいことがあるんやけどええか?」

「何?」

「さっき、バイザーとか何も着けずに見えてたよな?」

「鬼の王のことか?ああ、見えた。翔夜、だよね? 君だって見えてただろう?」

 翔夜は少し驚いた表情でこちらを見ながら

「俺はな、特殊なバイザーを通してるから見えるんや。普通の人にはどうやっても見えへん」

 そうなのか?では、俺が見えたのはなぜ?

「ん?眼の色が黒になっとる」

 俺の眼を覗き込みながら翔夜が話を続ける。

「もしかしてその眼のせいか?」

「そういえばさっき俺の目が金色になってるとか言ってたが?」

「そうそう。今は戻っとるな」

 翔夜は不思議そうに俺の目を見ていたが、

「実はな、さらに言うとさっきのあいつが出てきたら普通の人間は生命力ってのを吸われてすぐに倒れてしまう。そこのオバハンのようにな。それが全く平気やった奴はおかしいんや」

 ん?どうやら俺っておかしい奴なのか?

「なあ、剛、お前何もんや?」

 俺自身が知りたいって言いたいが、答えなんてあるわけもない。

「…」

 沈黙が流れた。が、

「ま、お前も疲れてるやろうし、ここじゃまともな話もでけへんわな。とはいえ、剛、お前のここでやった事は正直めっちゃありえへん事なんや。怪しさ満点や。でも悪い奴とは思えへん」

「そう」

「で、や。もう深夜やし、今日は帰って明日にでも落ち着いて話さへんか?」

 とりあえず解放されるならと頷くことにした。

「決まりやな。ちゃんと来てな。まあ、来てくれると何でか信用しとるけどな」

「分かった。行くよ、大丈夫だ」

 とか話しながら『こういうのって何かに巻き込まれるフラグでしかないから嫌だな』と思った。

 しかし今日はもうこれ以上に面倒は避けたい。明日は明日でどうにかなって欲しいな。

「ほな、さいならー」

 翔夜はさっさと神社をでて行こうとしたが、急に振り向いて

「待ち合わせ場所や!忘れとった。明日、駅前の『占いの館 マリン』に来てくれ」

 力なく手をあげて了解の意を表す。

「じゃあな、剛」

 今度こそ翔夜は去っていった。

「はあ」

 大きなため息をつきながら家に向かって歩き始めた。もう今日はとにかく帰って寝よう。色々考えるのは明日起きてからだ。気持ちを切り替えようとはするものの、疲れが限界なのと、明日への憂鬱さか家路への足取りはひどく重かった。

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