またね、なんてさ。
僕は一年ぶりに市役所から自宅へ向かう道を歩いていた。去年はやや鬱陶しくも賑やかだったけど、今年は少しだけ寂しい。
あの日と同じように夕焼けの照らす路地を歩く。手にはあの日と同じように、白の花。大学に合格できればあと数年はこの色と付き合うことになる。
その後は……どうだろう。
もう間もなく商店街。その前に寄るところがあって、僕は団地の方へと足を向けた。
団地の中でも端の方の、確か三階の角部屋。母さんにそう聞いたはず。
階段が靴音を拾う。僕はなるべく近隣に足音を響かせないように気を遣いながら歩いた。
階段の先、通路の奥。
ここだ、表札は間違いない。一呼吸おいてからインターホンを押す。
「すみません、お邪魔します」
迎えてくれたおばさんはにこにこしつつも、どこか無理をしてるように見える。記憶より疲れた様子だけど、ここしばらくの忙しさのせいかな。前に会ったのはいつだっけ。
「わざわざ来てくれてありがとうね。きっと喜ぶわ」
僕は何と返したらいいのか分からず、ともかくも会釈でその場をのりきる。
本来なら門出の言葉を送るべきなんだろうけど、今の僕はそれを言う気にはなれない。かといって、哀悼の意みたいなのを示すのもなんだかおばさんに悪い気がした。
リビングには華やかな音楽と優しいアロマキャンドルの香りが満ちている。
机の上に置かれたガラスの箱にはすでに何通もの手紙が入っていた。中にはお祝いの言葉が連ねてあるに違いない。転生したら位牌とともにこの手紙を受け取りに来る。そういう習わしだもの。
箱の中で重なった手紙の束に僕は少し嬉しくなった。転生を繰り返してるならまだしも、一代だけでこんなに大勢の人が会いに来ているなんて。ちょっと羨ましいくらい。
入口付近に立ったままの僕におばさんは微笑みかけると、部屋の奥を指差した。
「一つ、お花を入れてあげて」
いくつかの大きな花瓶には色とりどりのカーネーションが生けてある。来世では色々な可能性を、未来を選べるように。そういった想いを込めて旅立つ人を送り出すためだ。
僕は赤のカーネーションを手に取った。
この先何年かしたら、僕にもやがて選択の時が訪れる。誰かに決められていない、自由な未来を選べる。そのはずだ。
そうなったらこの色を目指すのもいいかもしれない。自身の胸元に咲く白い花を見ながらそう、ふと思ったりして。
おじさんの周りはたくさんの花で埋め尽くされていた。それぞれの茎は八の字を描くように結ばれている。無限大のマークを模した、定番のもの。
僕はおばさんに見えないように、そっと手にした花の茎を小さな剣で切り落とす。
ただの剣じゃない。世界を変えたかもしれない、知られざるおじさんの代表作。
「おじさんの夢、叶ったかな」
僕自身もまだ、あの時やったことの結果は分からない。でも僕は、きっと少しでも何かが変わったと信じてる。
だからおじさんは来世に期待なんてしなくてもいい。今世で生きた証をきちんと残せているんだよ。こんな平凡な奴の言葉じゃ、信じてもらえないかもしれないけどね。
僕はおじさんの腕の下に隠すように、大きく咲いた赤い花を添えた。やっぱりおじさんにはこの色が似合う。
最後に、棺に向けてそっとお辞儀を贈って。僕は彼に背を向けた。
「さよなら、おじさん」
またね、なんてさ。そんなことは言わないよ。言うわけないじゃないか。
僕らの人生は一度きり。もう二度と、会うことはないだろうから。
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