「幸せになる気なら、覚悟して臨め」
壁の奥には異質な空間が広がっている。これまでに通ってきたまるで坑道みたいな場所から続いているとは想像できない。
都会の雑居ビル内にでもありそうな、ごくごく普通のオフィス。場違いなそれが突如として目の前に出現していた。
無機質な白い壁と床。ごちゃついたデスク、一目でイミテーションと分かる観葉植物、予定の詰まったカレンダー。
奥にはなんだかよく分からない……あー、うん。さっき普通って思ったけど、認識を訂正するよ。普通のオフィスには、こんな変な機械の塊なんてないと思う。
その奇妙な部屋の中央に置かれた、派手なゲーミングチェア。そこには一人の男が脚を組んで座っていた。
三十代くらいだろうか。外見に特徴はあまりない。どこにでも売っていそうな服に、どこにでもいそうなただの銀髪。
「朽山から連絡は受けてはいたが、思ったよりずいぶんと早いな」
初対面なのに、挨拶も何もなく彼はそう話す。言葉には露骨な敵意はない。けれども友好的かといったらそんなこともなかった。
「……あなたが吾妻さん、ですか」
うだうだと考えたところで仕方ない。
僕は率直に切り出した。男は僕の確認に表情ひとつ変えず、やる気のない口調で答える。
「ああ」
「……あなたの名前は、僕を殺そうとしていたとある人から聞きました。雇い主はあなただそうですが、事実ですか」
「ああ」
先程と同じ回答。態度も同じ。お弁当温めますか、お箸お付けしますか、とかそんな問いに答えてるくらいの軽さ。
吾妻の発言に対し、七東が静かに僕の前へと出る。いつの間に喚んだのか、しっかりと盾を装備済み。
「おいおい、何だその厳戒態勢は。そんなに身構えなくてもいいぞ。俺はこれといって、あんたらに攻撃する手段を持たない」
言葉の内容とは裏腹に、吾妻の態度はやはり変わらない。余裕があるというか、動じないというか。まるで危機感をもっていないみたいだ。
椅子に腰掛けたまま両手を挙げる。無抵抗のアピールのつもりだろうが、どうも素直に安心はできない。
「所有スキルまでは分からない。けどぱっと見、こいつに特殊な耐性はなさそう。レベルはまさかの1」
鈴木が視えた結果を声に出す。分析に頷いたのは七東だけではない。吾妻自身もまた、感心するような仕草を鈴木へと向けていた。
「朽山と同系統のスキルか。ただ奴よりも程度が低そうだな」
「うわ、ウザいなこいつ」
初対面の女子高生相手に煽る吾妻もなかなかだけど、それに対して嫌悪を即答する鈴木も結構メンタル強い。
僕は元々自分の考えややりたい事を主張するのが苦手だ。今はいつも以上に、空気に流されないよう頑張るしかない。
「吾妻さんに聞きたいことがあります。答えてもらえますか」
「内容による。しかしまあ、答えられないことの方が少ない。おまえに聞かれたことにはちゃんと答えてやるよ」
え、素直……。
意外すぎるけど、これ吾妻は僕の要求をのんだってことで、いいんだよね? おまえに話す事などない、みたいなことを言われると思っていたから逆になんか……困る。
朽山社長も途中からはそんな感じだったけど、彼も僕を殺す気はないとか言い出すの? 殺し屋雇ってたくせに?
嘘をついている感じはしない。でもいったいどういうつもりだろう。
気になることがありすぎて、何から尋ねようか。僕が悩んでいると、吾妻はそれを見かねたように言った。
「答えてはやるんだが、それにしても客が多すぎるな。もっと話しやすいようにするか」
挙げた腕はそのままに、吾妻は右手の指を鳴らす。七東も誰もその行動に反応できないまま——次の瞬間、その場から消えた。
「これでいいか……と、思ったが。なぜあんたが残っているんだ? 俺はそこの少年と二人で話すつもりだったんだがな」
部屋の中に残されたのは吾妻と僕、そして桜井。
そうか。吾妻が何をしたのかは不明だけど、スキルによるものなら桜井には効かない。
「俺にその技は通じない。他のみんなに何をした!」
桜井は語気も荒く詰め寄る。吾妻はそれでも飄々とした様子を崩さず、やれやれとでも言いたげに肩をすくめる。
「そんなに大声を出さなくていい。ついさっき言っただろう? 俺は攻撃なんてものはできない。あんたらのお友達には一切危害を加えていないさ」
再び吾妻が指を鳴らす。
「え、あれ……」
気付けば僕は、部屋の隅にある質素なソファに座っていた。
声に反応して、桜井がばっと顔をこちらに向ける。
「分かったか? 俺のスキルはマップ上の任意の位置へのスポーン管理……と、そうだな。座標を操作して瞬間移動をさせる、と言ったら分かるか。さっきここにいたお友達諸君はこの部屋の真上にいる」
「地上にいるってことか」
「ご明察」
吾妻はおざなりな拍手を桜井に送り、その手で僕の座るソファを示した。
「長い話になるだろうからあんたも座るといい。希望すれば茶くらいなら出せるが、まあ。飲みやしないだろうな」
「要らん」
桜井は間髪をいれずに申し出を断る。そりゃ当然だよね。僕も絶対にそんな得体の知れないものは飲まない。
けれど茶こそ拒否したものの、桜井はソファまでは拒絶しなかった。警戒しつつも僕の隣に腰を下ろす。
吾妻はその傍ら、キャスター付きの椅子を転がしてソファの向かいに寄せたあと、またそこに座りなおして余裕を見せつけるように脚を組んだ。
「さて、これで落ち着いた。何から話してやればいいのかね」
この様子だと、やっぱり僕らと敵対するつもりはないってことかな。だからといって安心できるかって言われたらそんなことはない、けど。
「先に聞いておく。本当にこちらへ向けての攻撃手段はないんだな? スキルはもちろん、武器の類いも一切」
「ああ、ない。自分でなんとかできるような手段があれば殺し屋なんてわざわざ雇うわけないだろう。諸事情があってね、俺って奴は誰も殺せないんだなこれが」
訊いた桜井に答えつつ、吾妻はまたも思わせぶりなことを言う。ただでさえ聞きたいことが多いのに。
でもともかくも、ひとまず攻撃の意思はないとみていいのかもしれない。それなら話ができそうだ。
「僕の存在をどうやって知ったんですか」
前置きなんか要らないよね。
今はどうあれ、彼がほんの数時間前までは僕に殺意をもっていたのは確実。その理由もだけど、まずは手段から。
「朽山に聞いた。
「やっぱりそうなんですね」
この答えは概ね予想どおり。
例の神様は僕がイレギュラーだと知った上で取引を持ちかけてきたわけだけどさ、おそらく僕に気付いた神様は他にもいるんだろうね。
実際、神様って存在がどのくらいの数いるのかは知らない。でもこれまでの話から複数いて、しかも理念や主義が違ってるのは明らかだ。
朽山社長と繋がっている神様はきっとまだ、僕にコンタクトをとった神様が誰なのかは特定していないはず。もしもこの一件がバレたら、あの神様はどうなるのかな。神様内で内輪モメとかあるんだろうか。
「ところで、あなたが僕を殺そうとする理由は? 朽山社長から頼まれたんですか」
「いや。朽山は本気でおまえを殺すつもりはなかっただろうよ。あいつはお人好しだからな。殺し屋を雇ったのは俺の独断だ」
その答えもなんとなく予想はしてた。
最初は朽山社長もグルだと思ってたけど、実際に会って話したら、彼の僕に対する殺意は心からのものではなかった。そういう人じゃない。
そして不思議なことに僕は、なぜだか。
吾妻に対しても心の底で朽山社長と同じような人間だと感じていた。
「どうしてあなたは、僕を殺そうと?」
「単純な話だ。俺には確かめたいことがあった。理由はそれだけ」
「それじゃ分かりません。何をどう確かめる気だったんですか」
僕なら大義名分があっても、そう簡単に人を攻撃しようとは思わない。相手が悪い奴だったとしてもまずは躊躇うかな。
結果として敵対することになったとして、それでも殺すという選択肢を選ぶのは最後の最後、どうしようもなくなった時。それでも選びきれる自信はないくらいだ。
勝手に、本来の朽山社長は僕と似たタイプだと思ってる。ただ僕よりも冷静で、そのくせ理想主義で、割り切ってしまった結果があの仕事。
吾妻にも目的がありそうだけど、どうしてそんな選択ができたのか。そうまでして確かめたかったことってなんだろう。
「朽山社長は僕らに対して攻撃してきました。あれは警告を兼ねて、僕ら非転生者に対する懺悔というか、言い訳を述べたかったんだと思ってます」
僕は答えを渋る吾妻に重ねて問う。
「あなたの目的も同じようなものなのでしょうか」
「いや、それは違う。朽山と俺とはそもそもの思想が違うからな」
「思想? それがあなたが僕を殺そうとした理由に繋がるんですか」
「まあな」
僕は吾妻の要領を得ない答えを聞き飽きてきた。一方で彼もまた言葉を選ぶのが上手くいかずにもどかしさを感じているようで、眉を寄せて気難しげな表情を浮かべる。
しばらくお互いの沈黙が続いた後、吾妻は誰に向けることもなく頷いた。自身の中で話がまとまったってことだろうか。
その僕の予想を裏付けるように、彼は僕に訊ねた。
「聞いておきたいんだが、おまえに接触した神は誰だ。朽山に指示を出してる奴とは異なるだろう、当然」
やっぱり、僕の知る以上に吾妻は神様のことを詳しく知ってるんだな。朽山社長も話していたくらいだからまあ当たり前といったら当たり前だろうけど。
けどそれより気になるのは、名前っていう概念。神様に名前があるなんて、僕はこれまで考えてもみなかった。
「名前は聞いていません。もちろん向こうから名乗ってもいません」
「外見は? 男とか、女とか」
「犬のぬいぐるみ、としか」
「……犬のぬいぐるみ?」
吾妻は訝しげな様子で僕を見る。これ、もしかして疑われてる?
この吾妻って奴はおそらく、僕より遥かにたくさんの情報をもっている。
さっきの神様のこともそうだ。神様を知っているか、じゃなくて知っている前提で話しかけてきた。
今更神様のことを隠したところで彼にはきっと意味はない。僕はそう判断し、はぐらかすような真似はしなかった。
「信じないようでしたら、今ここで呼んでみますか」
鞄から出せばすぐだし。出てきてくれるのかは分からないけど。
僕は愛用のリュックサックを膝の上におく。中から顔を覗かせるのはもちろん、愛くるしい豆柴の仔犬。
「あー、信じるからいい。奇妙な物を依代にしてるみたいだが、この部屋では話しかけても無駄だ」
吾妻の制止に構わず、僕はぬいぐるみを両手で掲げて神様を呼んだ。けれど返事はない。
吾妻は呆れたように溜息をつく。
「な、言っただろ。この地下空間は俺が制御してるから
「そんなことあるんですか? 本当に」
僕、進路希望に夢をちょっと書いたくらいで目を付けられましたけど。
「朽山のところで出自を知ってる魔物を見てないか? 世界の機密情報をバラすのはご法度なんだが、朽山はすぐに話しやがる。そういう
確かに満田さんは結構深くまで内部事情を知ってるっぽい感じはした。僕が神様から追われて、彼がそのままってのは不公平だよね。
先程のスキルの説明からして吾妻は空間操作ができるらしいから、それを応用して情報遮断をしてるのかな。神様を騙せるほどの技術の原理は僕には理解できないけど、実際にできているんだからできるんだろう。
「でも、なんでそんな真似を。内緒にしたい話なんてそんなにあります?」
「ありすぎて困る。まず、そもそも俺の存在自体がトップシークレットってやつだ。俺はおまえの言う神って連中から逃げてるんでね」
「どうして?」
この人、何をやらかしたんだろうか。
もしかして彼もまた僕と同じような存在……ってのはないか。僕は自分の思いつきを即座に却下した。
彼にはスキルがある。僕とは明らかに違ってるから。
吾妻は僕の問いに対してわずかに口ごもり。それから驕りもなく、つまらなさそうに言った。
「俺自身が元々、その神って存在だからだ」
——何を言ってるんだ?
人間じゃないか、普通に。もしかして、神様が転生して人間になった……とか? まさか!
それだと神様が僕に聞かせてくれた世界の仕組みと違うもの。
そんなことを考えながら反応ができずにいると、吾妻は僕に向けて尋ねる。
「お前は世界の成り立ちについて、
世界の成り立ちっていうのはつまり、神様が僕に話してくれた一連の魂のサイクルについてだよね。この話をするのはもう何度目になるかな。僕もすっかり慣れてきた。
転生の意義、パラレル地球の存在、非転生者の役割。そして僕があるべき進路から逸脱してしまった事実と、それにより生じた今後の未来への危険性。
僕が話す事柄に対して、吾妻は相槌すら挟まない。ただただ、静か。
「なるほど」
説明が終わると吾妻は蔑むかのようにそう呟く。
僕に向けて、というよりは神様に対して苛ついている。心なしかそんな気がした。
「どうせそうだろうとは思ってたが、案の定おまえも朽山と同じような嘘を吹き込まれてるわけか」
「……嘘?」
「そうだ。今の話の内容のほとんどは嘘っぱち。たとえば、パラレル地球なんてものは存在しない——いや違うな。正しくはパラレル地球しか存在しない。それこそが唯一無二の地球であり、今ここにある世界の方が偽物だ。理解できるか?」
僕は首を横に振る。
この世界が偽物? そんなことはあり得ない。だって僕はまさにこの瞬間ここに存在していて、こうしてものを考えている。
この人はさっきから何を言ってるんだ?
「僕の知る世界の成り立ちがあなたの知るものと違うと言うのなら、ここで説明してください。僕らのいるこの世界は何なのか。そして、僕らは何者なのか」
僕の中にある知識は、一昨日の夜に神様より得たもの。はっきり言ってしまえば、その説に対する根拠はない。
だから僕は自分の心に従って判断したい。神様の話と彼の話、そのどちらを信じるべきなのか。
吾妻はおそらく、僕がこういった質問をすることをあらかじめ予測していたんだと思う。さして驚いた様子もなく、淡々と語りだした。
「何年か前の話だ。日本……といっても分からないか。この世界、国の概念がないしな。そうだな、大きな街みたいなものだと思ってくれ。俺の住んでいたそのエリアでは、安楽死が合法となった。身体が動かなくなっても脳が生きている。あるいは死なずとも一定期間意識がない。その他末期状態の持病がある。そんな状態になった者は家族の合意で安楽死を選択できるようになった」
吾妻の話は僕にとってひどく現実感がない。まるで突飛な空想のよう。
でも一方で、それなのになぜか不思議と受け入れられるような気がした。
彼の話が真実だと仮定して。
その制度が本人にとって良いことなのか悪いことなのか。それは僕には判断ができない。
けど、もし自分の身近な人がそれを選択できる状況になったらその時はきっと、悲しいだろうな。
「僕なら、簡単には選べないと思います」
「そうだな。実際に家族達は悩んだ。また、犯罪に巻き込まれた無辜の人間や、その身を犠牲にした英雄に関しては世間の人々もその選択に関心を持った」
犯罪に巻き込まれた無辜の人間。その身を犠牲にした英雄。
何気なく言われたその言葉のどちらにも、心当たりがある。隣に座る桜井をちらりと見ると、彼は考え込むように吾妻を凝視していた。
「肉体はほぼ死せども心は生きている。そんな未来ある若者に何かできることはないか。そう誰かが言い出して、そのうちバーチャル世界へと魂を転送するという実験が行われた」
「実験……」
「そうだ。まずはサンプルとして、路上事故に遭った中年会社員。その息子が実験の関係者だったからな、初回は身内で実験が試みられた。さらにその関係者は父親だけでなく自分の命の恩人を救いたいとも思った。幼い頃、火事の中で助けてくれた青年の意識がずっと戻らずだったらしい。この二人にそれぞれ架空の世界を体験してもらった結果、実験は成功。二人を含め、その後抽選に当たった幸運な奴らを最終的に調整された
もう分かるよな、と。
その先は言葉にしなくても、僕には吾妻が何を言いたいか察しがつく。
「つまりはそのバーチャル世界っていうのが、この世界ってこと……ですか」
ですか、と問いかけたけど。心の中ではですね、と言ったようなものだ。
吾妻は僕の言葉を否定しなかった。
「今おまえが無謀にもやろうとしている行為は、この
彼の話は、僕の聞いた神様の解説と同じくらいに証拠がなくて、同じくらいにもっともらしい。
内容の理解はできる。けれど、それで納得できるかどうかは別だ。
「あなたの話が本当だとして、それなら転生っていうのは何の為にあるんですか」
みんなは何の為に生きてるっていうんですか、と僕は。それを訊ねることができない。答えを聞くのが怖い。
「転生、ねえ」
吾妻は鼻で笑う。
「言ってしまえば、そもそもそんなものは初めからない。俺達は
吾妻は嘲るように、そして少しの哀れみを込めてそう言った。
「どうして……そんなふうに思うんですか」
「思う? それは違う。思うんじゃなくて、知ってるんだ。言ったよな、俺はこの世界の設計に携わった元
「クビ……」
大人の社会なんて知らないけど、
少し、ほんのちょっとだけ同情はするよ。詳細は聞いてないから事情次第だけど、吾妻か、彼の言う上司って人か。どっちかにはね。
ただそれと、僕が彼の意見に従うかは別だ。
「この世界は俺が創ったようなもんなのに、酷いだろ? ムカつくからこうしてこっそり改造した
吾妻はやはりというか、自分の方が被害者だという考えらしい。面倒くさいから、これ以上詳しくは聞かない。
僕にとっては、そんなのよりも大切なことがあるから。
「あなたの話が真実だとして。それなら、僕は何者なの? 僕が出会った神様って誰?」
神様は僕のことを、パラレル地球の人々の為に生まれた存在だと告げた。でも吾妻が言うにはこの世界は虚構らしい。
なら、そこで生まれた僕っていったい?
「おまえは
「……僕?」
吾妻は頷きながら、腕を組み苦い顔を浮かべる。
「ただ、おそらくは担当者の独断だったんだろうな。おまえの存在により世界に
それなら、僕に声をかけてきたあの神様の正体というのがその担当者ってことになるのかな。
おまえは人間じゃない。
そう宣言されたのに、僕はどうしてだかたいして何も思わなかった。吾妻に対して怒りやなんかの感情がわくこともない。
彼の説に納得したのか、それとも突拍子もなさすぎて頭が追いついていないだけだろうか。
少なくとも、僕はいたって冷静に僕を取り巻く環境について考えていた。
「どうして神様は、僕ではなく世界を破壊する未来を選んだんでしょうね」
「決まってるだろう、そんなもの。俺がおまえを殺すつもりだったことの裏返しだ」
そう言いながら吾妻は席を立ち、独り部屋の片隅へと向かった。そこには謎の機械が置いてある。それが何なのか、僕にはなんとなく予想がついていた。
「それが【マザァ】なんですね」
ごちゃごちゃとした配線の絡む何か。真ん中にはまるで時計の文字盤みたいなものが取り付けられていて、針と歯車が絶えず回転している。
「そうだ。管理システム、って名前じゃつまらないと思って【マザァ】と名付けた。由来は、
「あなたが名付け親なの?」
「名付けただけじゃない。これは俺が造った、俺の作品だ。皆は俺を追い出して、俺の手から奪ったとでも思ってるんだろう。けど実際はこのとおり、いつでもアクセスができる」
「これを壊すとどうなる?」
「おまえの話した神って奴の言うとおり。そこに嘘はない」
つまりはこの世界はパラレル地球から切り離され、独立する。向こうの人々がこちらに来ることはなくなり、やがて転生は廃れ、この世界は緩やかにその先を目指していくことになる。
良くも、あるいは悪くも。
「みんなはどうなるの?」
「それも聞いたままだ。現実の時間とこの
「【マザァ】に関する問題が解決……というか。破壊した部分が修復されて、今のままの世界が続くってことは?」
「ないね。設計者は俺だ。俺にしか完全復旧できない。もちろん、俺は復旧に手を貸すつもりは一切ない」
ざまあみろ、と吾妻は呟いた。
彼と喧嘩したという上司は後悔するだろうか。少なくとも、今の様子じゃ吾妻は職場に戻るつもりはなさそうだ。
結論として。僕がもし【マザァ】を破壊したなら、この世界は今のままではいられなくなる。そういうこと。
神様が正しいにしろ、吾妻が正しいにしろ。僕のもたらす結果は変わらないのかもしれない。
大きく違うのは僕自身の気持ち。
七東が言葉を詰まらせていた姿を思い出しちゃうな。僕も似たような立場にいる。
僕は非転生者の自由を手に入れようとしてきた。でも僕らの存在が人間を模した偽物だとするのなら、僕の行為は単にみんなの命を断とうとしているだけ。
僕が言葉を続けられないでいると、これまで静かに黙っていた桜井が吾妻に向けて尋ねる。
「口を挟んで悪いが。結局どうして、あなたは今ここでこうしてこんな話をしているんだ? 辺見を……殺そうとしたくせに」
吾妻は問いに対してすぐには答えず、しばらくは言葉を選ぶように思案していた。やがて溜息をもらす。どうやら、自分の気持ちをまとめるのは得意ではないみたい。
考えるのを放棄して、僕らに向けて投げやりに説明する。
「あんた、分からないのか? 【マザァ】は俺の作品。この世界を管理してる奴らは憎いが、それはそれとして俺はこいつを守ってやりたかった。だからそこの少年で賭けをした。俺に辿り着く前に誰かに殺されて死ぬなら終わり。生きてたら少年自身がどうしたいのかを選ばせてやろう、って。ただノーヒントで俺に辿り着くのは無謀だからな、暗殺者の前に生き抜くことができたならヒントを与えるってことにした」
そう、だったのか。
朽山社長のように元々僕を殺す気じゃなかったわけでもないのに、あまりにもあっさりと殺意をなくしたものだとは思ってたけど……吾妻はそもそも、僕の生死なんてどうでも良かったんだね。
まるで、ゲームをしていただけ。そんなつもりだったんだ。
吾妻の説の上では僕の命なんて空気のように軽いんだろう。彼の生きる現実には、僕が死のうがこれっぽっちも関係ないことなんだからさ。
この点についてはさすがにちょっと腹立たしいけど、確かにその条件なら賭けは僕の勝ち。友達のおかげとはいえ、ヒントからここまでしっかり辿り着いたんだし。
「さて、どうする?」
吾妻が僕に問いかける。
圧を感じる。逃げたい。でも、できない。
迷う必要はない、と僕は自分自身に言い聞かせた。
答えなんてとっくに決まってる。もう最初から決めてるんだ。
「——僕は、壊す」
ここまで来たんだ。
僕は【マザァ】を破壊して、この世界を変えてやる。
「おまえはそれでいいのか? おまえのやることは、世界の拡大の阻害だけじゃない。現在この世界に生きてる奴らを殺す行為にも等しいんだ。だってそうだろう、課金さえしたら、ずっと生きてられるんだから。まだこの期に及んで神様の話ってのを信じてるのか? 朽山みたいにさ」
吾妻は僕の心を揺さぶるようにそんな事を言う。ぐらぐらと決意が不安定になるような気がしてくる。
「お友達のあんたはどう思う? 非転生者だろ。死にたくないとは思わないのか」
桜井に吾妻の視線が移る。桜井は僕と違って、迷う素振りはなかった。
「俺はもうすでに一度死んだ身。今更の死なんて慣れたものさ。それに俺はもうこいつの選んだことに従うと決めている。珍しくこいつが自分で選んだ道なんだ。応援してやりたくなるだろ」
「本気でそう思ってるのか?」
「ああ。少なくとも俺を含めて周りの奴ならこう思う。他人を踏み付けて生きる人生なんてつまらない、ってな。大事なのはいつまでも生きることじゃなくて、今をどう生きるかだから」
ああ、そうだ。
自分の意思で選んだ道の先が険しいのなら、それは自分のせい。決められた道の終わりで嘆くのとは違う。
僕が思うことは、ひとつ。
贅沢は言わない。その小さな夢を叶える為に、みんなはここまで手伝ってくれた。僕を応援してくれるんだ。
だから、諦めるなんて嫌だ。
神様の話を信じるか、吾妻の話を信じるか。
そんなのどうだっていい。僕が初めに思ったことは単純だったはず。
「
席を立つ。手には小さな剣。機械の塊を粉々にするような真似なんてできないけれど、動きを止めることはできる。
僕が剣を構えると、吾妻は【マザァ】に手を置き少しだけ寂しそうな眼差しを向けた。
そして今度は僕を見る。わずかに、微笑みを浮かべて。
「幸せになる気なら、覚悟して臨め」
分かってる。後悔なんてしてやるもんか。
僕は剣を振り上げ、【マザァ】の中心に突き立てた。規則的な響きに代わるように、きりきりとした異音が鳴る。
まもなく針と歯車が大きく軋んだかと思うと、やがて機械は回転を止めた。
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