「キミの活躍は見てるだけで楽しいよ」
それ、どういうこと?
「えっと……?」
あのドラゴンは僕らを狙ってきてた。だからてっきり朽山社長がどうにかして放った存在だと思ってたんだけど。
えっ、殺すの?
「あなたは僕だけじゃなくて、あのドラゴンも殺すんです?」
「厳密にはちょっと違うんですけれど、ええ」
ここしばらくの非日常のせいか、僕は異常なほどに冷静だった。なんなら不安や恐怖を抑えて、好奇心が先にたつ。
「思ったよりも君は落ち着いているんですね」
「色々ありましたから……」
僕だって僕自身の順応性に驚いてるくらいだ。朽山社長はうんうん、と相槌を打つ。
「せっかくですので、説明いたしましょうか」
「お願いしても?」
「かしこまりました」
何で僕、自分を殺そうとした人とこんな会話をしてるんだろう。緊張感を持続するの苦手なんだよなあ。
でもプラスに考えたら、ずっと悩んで神経をすり減らすよりはいいか。死にたくはないんだけど、びくびくしながら生きるのもそれはそれで嫌だ。
「えー、まずですね。ひとまず私は君を殺すのは一時中断しようと思います」
「え? あ、ありがとうございます」
そうなんだ? いや、もちろんありがたいんだけどさ。でも何で? どうして?
「お話するにあたって、とりあえず地上に降りましょうか。もう一人のご友人に後から説明をするのもお手間でしょうし」
朽山社長はそう言いながらスマホを取り出し、眼鏡をずり下げて画面を見ながら誰かに電話をかけた。
「もしもし?
電話口で、相手に見えもしないのにぺこぺこと頭を下げる朽山社長。電話を切った直後に、今度はまた別の相手にもかける。
「もしもし?
降りる、ということは相手はここより高い場所にいるわけで。
なんとなくそんな気がしたんだけど、さっきのドラゴンがこちらを向き、すーっと近付いてきた。そのままゆっくりと屋上に降り、伏せるように待機する。
「ありがとう」
朽山社長はドラゴンを労うと、僕らの方に向けて言う。
「彼の名前は満田くんです。満田くんの話す言葉は皆様には難しいかと思いますが、満田くんは私だけでなく皆様の言葉も理解できますので、何かあれば彼に直接お話しください」
紹介に合わせて、まるでお辞儀のような動きをしてみせるドラゴンこと満田さん。さっき僕と仏倉、殺されそうになったんですけど……?
ちょっとだけ距離をあける僕。満田さんはその様子に対して両前足を挙げ、手のひらにあたる部分を合わせた。そして、またお辞儀。何度も、何度も。
これは、もしや僕らに謝ってるのかな。
「さて、仲直りが済んだところでですね。それでは満田くん、皆様と私を
満田さんは鳴いた。任せろ、とでも言っているのかな。これ信じていいの……?
「皆様、早くお乗りください。誰かに見られたら面倒ですからね」
朽山社長は満田さんの長い背の首筋らへんにしがみついて僕らを呼ぶ。桜井がその声に応えた。
「え、桜井行くの?」
「怪しいが、とりあえずは今の話を信じる。もし朽山がおまえや俺達を殺す気なら、こんな茶番は必要ないだろう」
確かにそう、かも。
ここまできたら目撃者も何も関係がない。僕を殺したいのなら、満田さんに一言命令するだけだ。たとえ僕ら全員でかかっても、みんな無抵抗でやられるだろう。仏倉だけは一命を取り留めるかもしれないけど、でも彼女は負けないだけで勝つことはできない。
僕も覚悟を決めて、満田さんの背に乗る。仏倉と鈴木もその後に続いた。
全員の搭乗を待ってから満田さんはふわり、と宙に浮く。彼が高い声で鳴くと、視界がキラキラとした薄い霧がかかったように変化する。さっき朽山社長が言ってた姿を隠す技っていうのがこれのことだろう。
どうりで襲われた時、近くにいたのに全然気付けなかったわけだね。
そして僕らはそのまま何事もなく、ビルの手前に降り立った。
朽山社長が満田さんに何かを告げると、満田さんは小さく鳴いて頷き、また空へと昇ってゆく。
「満田くんには広場の彼を呼びに行ってもらいましたので、皆様は弊社ビルの中庭へ。全員が揃ったらお話しますから」
導かれるまま、僕らは再びビルの中へ。社員用の通用口から入って少し行くと、空の見える小さな庭へと辿り着いた。庭の真ん中には若葉をつけた木があり、それを囲むようにベンチが置いてある。
僕はベンチの隅に座りふと思う。そういえば満田さんに呼びに行ってもらう、とはどういう……?
などと、考えるまでもない。その答えはすぐに分かった。なぜ社長が合流場所に中庭を選択したのかも理解した。
四角く区切られた空にドラゴンの影が見えたかと思うと、盾を構えた七東が降ってきたからだ。
「避けてくれぇぇぇえ!!」
七東は叫ぶ。言われなくとも!
僕らは中庭のギリギリ端までダッシュで逃げる。入れ替わるように木の真横、花壇の近くに七東が。盾を叩きつけて落下の勢いを削ごうとするも、地面は大きく抉れてぽっかりと穴が空いた。
「七東!?」
床に穴が空くとか、いくらなんでも!
急いで近寄って覗き込んでみれば、どうやら地下にもフロアがあるみたいだった。さっきエレベーターには地上階しかなかったような? そんなこと、今はどうでもいいか。
七東の盾の衝撃は地下室の床にクレーターを作り、彼はその上に倒れている。
「痛てて……」
「大丈夫か!?」
「ああ、なんとか。待ってろ、すぐそっちへ上がるから……」
七東が身体を起こそうとすると、朽山社長が穴の中に顔を突っ込み、身を乗り出して言った。
「そこにいてください。盾を床に置いて、あなたは離れていていただけますか」
よろよろとした足取りで、言われるがままに従う七東。状況が飲み込めていないに決まってる。僕もそうだし。
「皆様、
そう言いながら朽山社長は穴の中へと飛び降りた。たかだか数メートル、しかもちゃっかりと七東の盾をクッションにしているので軽く着地。
なんでわざわざ地下で話すのか、その意図は不明だけど従うか。
僕らがみんな揃ったのを待ち、七東は盾を片付けた。まさか盾もこんな扱いをされるとは思ってなかっただろう。なんかごめん。
「なあ、俺状況が全く読めないんだけど……」
大丈夫だよ、七東。僕らも成り行きでここまで来てるんだから。
「えー、それではですね。改めまして先程のご質問にお答え致しましょうか」
咳払いなどしつつ、朽山社長は僕の方に向き直る。
屋上で感じたような昏い敵意はなく、にこにことした笑顔で。
「まず私が君を殺そうとした件に関しましてはですね……」
いきなりの物騒な発言に対してさっと僕をかばうように七東が前に立つ。手には剣。完璧に戦闘態勢だ。
この状況でも反応ができるのはさすがとしか言いようがない。
朽山社長は慌てて彼を制した。
「今はとりあえずその気はありませんので、ご安心を。私の持つスキルは直接戦闘には向きませんから、そちら様との真っ向勝負では勝ち目がありません。挑む気などございませんよ」
七東はやや警戒を緩めつつも、手にした剣を構えたまま先を促す。
「ご理解いただきありがとうございます。ではご質問にお答えするにあたりまして、この世界における私の仕事について説明をいたしましょうか」
◎
私は元々、とある企業の中間管理職として働いておりました。
上司からも部下からもあれやこれやと言われながら、それでも懸命に働いていたのですが、ある日突然左遷と減給を言い渡されましてね。まあ、事実上のいわゆるリストラに近いものですよ。
年齢的にも精神的にも返り咲いてやろうという気など起きず、私はそれを受け入れて過ごすことにいたしました。
息子はもう家を出ていますし、お金の必要な趣味は特にない。妻はとうの昔に亡くしておりまして、家には私と雑種犬一匹だけ。
減給されたとて、すぐに生活に行き詰まるというわけではありませんでしたからね。
そんな中、私は死にました。
事故死です。
犬の散歩中、リードが外れてしまいまして。駆け出した犬を連れ戻そうとした矢先のことでした。
トラックに撥ねられたのが分かりました。激痛でしたから。今思い出しても嫌な気分になります。
痛い痛いと苦しんでいたら、ふと痛みがどこかへ消えて、そして目を覚ますとですね。私はなんだかふわふわとした靄に包まれた謎の空間におりました。
その靄の奥から、若かりし頃の妻に似た美しい女性が犬を膝に載せ、私の心に直接語りかけてくるのです。
彼女が言うには、私には一種の才能があるそうでした。相手を深く分析し、その持っている強みを活かす。つまりは人材管理をやってほしい、と。そうお願いされたのです。
特にやりたいこともございませんから、私はそれを承諾しました。
——結果として、私は一つの世界を征服するに至りました。
契約時によく聞かなかった私が悪いのですが、与えられた天職は『魔王』というものだったようでしてね。
これまで適当に配備されていた魔物達一人ひとりに面談をし、自己分析の場を設け、その特性を活かして弱点を補えるような部隊再編成を行いました。するとです、みるみる魔王軍の業績が上がったのですよ。
これまでの個々による襲撃ではなく、集団による侵略が実を結んだというわけですね。
ただ私も元は人間であった身ですから、非道な行いは善しとすることはできませんでした。魔物達へは福利厚生をしっかりと充実させ、人間をストレス発散の捌け口にしないようにと厳しく教育も行ったのです。
ですので。世界征服は成し遂げましたが、最終的には魔物と人間の共生を目指す世の中となりましたよ。ええ。
百年ほどは環境や制度を整える為に奔走しましたが、無理がたたっていたのかもしれません。ある程度世界が安定してきた頃に、私は体調を崩しました。
間もなく選挙により支持を得た魔物と人間のハーフの若者に跡目を譲り、ほどなくして二度目の死を迎えたのでございます。
そして——もうお分かりかと思いますが、今が私の三度目の人生です。
なんでも私の魂は少々イレギュラーな経歴を持っているそうでして……ああ、今私に剣を向けている、そこの君なら理解できるかもしれませんね。
前世は元々私の為に用意された、特別な『循環しない世界』だったそうなのですが、私はそこで魔物人間両陣営の繁栄という、期待以上の成果を出してしまったようで。
その報酬のような形で、こうしてこの世界に転生する機会を与えられたというわけです。
◎
「——と、まあ。ここまでが私の前世と前々世についてですね」
このおじさん、冴えないどころかなかなかすごい人だったんだ。僕は失礼ながらそう思ってしまった。
七東は今の話に深く考え込んでいる。そうだね。僕が神様から聞いた彼の過去は、与えられた役割こそ違えど流れはほとんど同じだ。それならむしろ、敵を殲滅するのではなく平和的共存という方向にもっていったらしいこの朽山社長の方がすごいのでは?
「それでオッサン、この世界でも似たような事やってんの?」
鈴木が訊くと、朽山社長は朗らかに頷いた。
「ええ、仰るとおりでございます。弊社は人材派遣会社を名乗っておりますが、実際の主な雇用対象は人間の皆様ではなく、魔物の皆様なのです。本来は魔物材派遣会社とした方がいいのでしょうが、そこはご理解ください」
魔物材派遣会社か。語呂悪いなあ。やってる仕事内容はなんとなく理解したけど。
「魔物をわざわざ雇用してまで派遣する理由はなんですか。あいつら……魔物って勝手に湧くじゃないですか」
「いえ、それは誤解です。勝手に湧いたように見せているだけで、実際は我々が現地まで姿を隠して送っているだけです」
「えっそうなの?」
「はい。ですので、隠蔽系あるいは記憶操作系、感覚遮断系のスキルをお持ちで口の固いご友人がいらっしゃいましたら、是非弊社をご紹介ください。業界未経験でもすぐに幹部になれます」
口の固さは知らないけど、それっぽいスキルだけなら学年に何人かいる。こうやって決まっていくのか、就職ってやつは。攻撃系のスキルに比べて地味だっていう奴いるけど、求められる場所は多いんだなあ。
「だからか。魔物の傍にスーツ着た人間を見かけることが多く、危なっかしいとは常々思ってたが……あれは御社の社員だったとは」
「おや、お気付きでしたか。ステータスが視えなかった際に薄々思っていましたが、やはり君には他人のスキル効果が反映しにくいようですね」
桜井にはその幹部とかいう人が見えていたらしい。そうか、そういうスキルだもんね。
それにしても朽山社長、本当に経験豊富なんだなあ。さっきのあれだけで桜井のスキルを概ね特定してしまった。
「本来であれば魔物側でそういった目くらましの技が使えましたら誤魔化しが効いて良いのですが、なかなかそのようなスキルを持っている方は少なくてですね。満田くんにはいつもお世話になっていますよ」
満田さんが飛んでいる時に出ていた霧みたいなの、やっぱりあれは姿を消す術なんだ。
七東は誰のことか分からずに困惑しているけど、まさかさっき自分を空から振り落としたドラゴンの事だとは思ってないだろう。
「さて、話が逸れましたが。私が彼らを雇うのはですね、なるべく最高のシナリオでもって彼らに死んでもらう為です」
また、ほんの一瞬だけ。朽山社長の眼鏡の奥に見える目から光が消える。七東の手に力が入るのが隣にいるだけで分かった。
「それはどうして。何の為に?」
「慈善活動の一環です」
「……は?」
理解が追いつかない僕らに、朽山社長は微笑みを浮かべなおして語る。
「君達は状況や話の飲み込み様からきっと、この世界における
「カルマステータスがどうのこうので、転生でなんかうまいこと調整するってやつですか」
「そうです、概ね仰るとおりでございます。
僕の拙いどころじゃない概要説明に朽山社長は肯定的に答えたあと、鈴木にその笑顔を向けて続けた。
「お嬢さんは相手のレベルや残HPが視えていますね」
「まあな」
「視える対象は生物と無生物のどちらでしょうか。両方ですか」
「……生物だけ。てか、無生物にもレベルとかあんの?」
「レベルはありませんが、HPに相当するものはありますよ。世界の背景としてあらかじめ生成された、破壊可能な一部の
「ほー、そうなん」
視えない僕らは二人の視界がよくイメージできないので、ちょっと何を言ってるのか分からない。
「それがどうかしたのか?」
「生物のみ視える、ということでしたら分かりやすいので。お嬢さんの目に映る、レベルを有した者。それらはすべて転生者です。人間も、魔物も。元は同じ種族なのですよ」
僕は神様の言葉を思い出す。善行を積んだ魂は人として。そして悪行を成した魂は虫や魔物になる。
改めて考えてみれば、そうだよね。
魔物も元々は人間なんだ。みんな等しく。
「魔物達は無惨な死を義務付けられて生まれてきます。私はもう二度の死を経験しましたが、結構つらいものです。皆様もご経験があるでしょう。彼ら魔物達の苦しみはそれより酷くなるように
朽山社長は空を見上げる。はるか高い位置にドラゴンが舞っていた。
「稀にね、生まれるんですよ。人間の頃の記憶や知識を持った魔物が。
妙な気分だ。
つい先日まで、僕らは鈴木のいうボス魔物達を殺すことに躊躇なんてなかった。むしろ早く倒せと応援すらしていた。
でも、なんだろう。名前や経歴をほんの少し知っただけですごく罪悪感がある。
いや……本来はボス達だけじゃない。どんな魔物にも等しく
「つまり俺は、人を助ける為に人を殺していた、ということか?」
剣を握りしめたまま七東が問う。朽山社長は曖昧に唸りつつ悩んでいる。
「まあ、前世を考えるとそうなりますが。しかし現状、彼らは人間ではございません。また君との戦いの末に敗北するのは彼らの望むところですから、君や他の皆様も悲しむ必要はありません」
「けど……」
「彼らを死の
朽山社長は七東の構える剣を手で示す。怖れるどころか、嬉しそうに。
「君は勇敢です。これからも多くの人を救う英雄となるでしょう。その君の武勇伝に刻まれるような戦いの相手ともなれば、彼らも幸せに一歩近づく。私共はそのために最高の舞台を整えることを仕事としているのです」
そして、再び。朽山社長は僕へと向き直った。真剣な眼差しで、まるで僕のことを見定めようとしているようだ。
「君は、
「……はい」
「君がこの世界を壊すと、満田くんのように前世の罪を償いたいと思っている人間には、ここではない世界での贖罪が必要となります。つまり何度も悲惨な転生を繰り返せ、と。そういうことですね。誰かを英雄にする為に悪役を演じる……それは転生がなされるこの世界だから可能なのです」
そうだ。
僕はこの世界の根幹を揺るがそうとしている。彼のような仕事をしている人がいるなんて考えもしなかったし、魔物達に感情があるなんて思ってもみなかった。
でも、僕は。
「僕は、それでもやる。だってあなたのやり方で、
結局自分を守るには、自分でなんとかしなきゃならない。
英雄の為の悪役、悪役の為の犠牲者。そこに僕らを当てはめないでほしい。それだけなんだよ。
たとえ殺されるかもしれないと思っても、僕は感情に嘘がつけなかった。
ここで諦めたら、いずれ誰かの為に殺されるのを受け入れたことになる。それは嫌だから。
恐る恐る、震えながら口にする。朽山社長は怒るかもしれない。そう思っていたけど、彼は意外にも優しい笑みをいっそう濃くしただけだった。
「いいでしょう。君がそう決めたのなら、私は手を引きましょう」
「えっ……本当、に?」
「もちろんですとも。実を申しますと、元からあまり乗り気ではなかったのですよ。ただ、私も
「じゃあ最初から……僕を殺したくはなかったんですか」
「ええ。君だけじゃない、私はそもそも誰も殺したくはないのです。言ったでしょう? 私が魔物達を指揮するのは、なるべく彼らの死を最低限にしたいからです。殺したくて殺しているのではありません。ましてや、君のような死を望まない少年を殺すなんて。やりたいわけがないでしょう」
僕は緊張していた心がやわらぐのを感じる。ただほっとしたのもつかの間、朽山社長は呟いた。
「君を殺すことに私は反対していました」
やたらと強調された言葉に、嫌な予感がする。今の言い方だと、他に賛成した人がいそうにしか思えない。
……もしかして、それって。
「吾妻、って人は僕を殺すのに賛成だったんですか」
僕がその名を出すと、朽山社長は険しい表情で目を伏せた。そのまま人差し指をそっと唇に当てる。喋るな、と暗に告げるように。
「詳しくは、私から言うことはありません。私と彼は思想が違います。ただ敵対せず、お互いに利がある為に協力し合っているだけですから。彼の行動理由は彼に直接聞きなさい」
朽山社長は振り返り、地下室の壁を指差した。立派な金属製の扉が存在を主張している。
「その扉の奥に何が……」
「あーいえ、違います! そちらではなくてですね」
とことこ、と朽山社長は扉のすぐ隣にある本棚の前へ。もしかして。特定の本を順番に引き出すとか入れ替えるとか、そういった仕掛けで隠し扉が現れるのでは?
僕がこっそり期待していると、彼はおもむろに本棚から重そうな辞典を抜いて床に積み始めた。気を利かせた桜井が手伝いに行く。えーと……何をやってるんだろう。
「これくらいでいいでしょう。君、そちら側を持っていただけますか」
よいしょ、と気合を入れながら社長と桜井は本棚を移動させ。どっこいしょ、と言いながら床に下ろす。
本棚のあった壁には穴があり、隠し通路がその奥に伸びていた。
「隠し通路ってなんかその……もっとこう、
本棚の運搬に付き合わされた桜井がぼやく。見てただけの僕もそう思うけど、現実はなかなか簡単にはいかないようだ。
「この先に
覚悟か。
それなら充分だ、と今の僕なら答えられる。才能も自信もないけれど、それだけは。
僕は通路に足を踏み入れた。そのすぐ後ろに七東と桜井が。仏倉も迷うことなくついてくる。
最後にやれやれ、と立ち上がった鈴木の肩を、朽山社長は労うように軽く叩いた。鈴木はさっと退く。顔がすこぶる不機嫌だ。
「……あのさオッサン、今何した?」
「いえ、あの。君達へちょっとした応援の気持ちを、と思いまして。その、そんなに嫌な顔をされなくても良いのでは……?」
「応援はいいとして、いやでもセクハラだろこれ。今回は特別に許すけどな、次触ったらマジで被害届出す」
きっぱりと言い放って、鈴木も僕らの傍へ追いつく。これで全員だ。
僕は朽山社長に軽く会釈をして背を向ける。ゆっくりしてはいられない。
——それからしばらくの間、僕らは歩き続けた。
通路の中はまるで迷路だったけど、そこはついさっき言われたとおりに全く問題じゃなかった。だって仏倉がいるんだ。僕はもう何年も、彼女のコイントスが外れを示すのを見ていない。
彼女の勘を信じて、右へ左へ。僕らはひたすらに歩く。
坑道のような道は、支えの柱の奥に土壁が剥き出しになっている。今にも崩れそうに見えて、それなりに年季が入っているから意外と頑丈なんだろう。
ところどころに部屋もあって、覗き窓がついていたから中を見たりもした。薄暗くて僕には何も見えなかったけど、鈴木はちょっと引いていた。彼女の眼には視えるんだ。部屋にひしめく魔物達が。
どうやらこの迷路みたいな地下空間は魔物の格納庫というか、棲家のようなものらしい。
驚きはしたけど魔物達が襲ってくるわけでもなく、僕らは徐々に慣れてゆく。
歩きながら初めのうちは会話をしてた。
やっぱりあのオッサン吾妻のこと知ってたんじゃん、とか。結局満田って誰だったんだよ、とか。
まるで休み時間にするたわいない無駄話。そんなものでも、何か考えているだけでずいぶんと気が楽だった。
けれど歩くにつれて会話は減り、今は少しずつ緊張が僕の中に戻ってきている。誰も口にはしないけど、きっとみんな同じ気持ちだろう。
寝不足もあって精神的にも肉体的にも疲れを感じ始めている。いつ目的地へと辿り着くのかな。
——そして、僕らはとある部屋で足を止めた。
「仏倉……ここ、さあ」
「うん、君の言いたいことは分かる。分かるんだけどね。ごめん、私も驚いてるんだ」
足を止めた、って言ったけど。正確には止めざるをえなかった。
もうはっきり言うね。行き止まり。
「仏倉の勘って外れるんだな。この四年で、俺初めて見たかも」
「俺ですら初見だぞ」
七東と桜井が驚いてる。一番付き合いの長い僕も驚いてる。スキル覚醒してからこんな事はなかった気がするよ、本当に。
「歩いた時間と距離から考えて、もしかしたら市役所辺りに来てるんじゃないか」
七東の言葉に桜井はタブレットを取り出し、現在地を確認。
「大正解」
市役所付近ってことは、神様の告げた場所とぴったり合致する。地下だとは言ってなかったもんなあ。
だったら、行き止まりではあるけどこの近くではあるんじゃないかな。
仏倉は見るからに落ち込んでいた。さっきは失敗に驚きすぎてついみんな声に出しちゃったけど、責めるつもりはないんだ。僕らだけだと同じ道をぐるぐると回って、そのままどこにも行けずに出られなくなっても仕方ないくらいなんだから。
「仏倉、休む?」
「……うん。そうさせてもらおうかな」
無理に笑顔を作って仏倉は座り込む。その背を壁に預け、ひと息ついたところで。
鈴木が笑い出した。
「あーははははッ! あのオッサン、やりやがった!」
「ど、どうした鈴木」
「さっきオッサンに触られた時、なんかキモかったんだけど」
「うん?」
「今、理解した。さすがレベル99。スキル譲渡だかコピーだか知らんけど、他人にそんなことまでできるのかよ」
鈴木はヒールの音を響かせて仏倉の方へ。ちょうど背を預けていたあたりの壁を指す。
「ここらへん、隠し扉」
「ただの壁に見えるけど……」
「僕には視えるんだよ。これ、オッサンが言ってた
確かに朽山社長はそんな話をしていたような……あ。もしかして、ここをクリアできるか判断する意図もあって鈴木に色々と聞いてたのかな。
「そういうことなら話が早いな」
七東の手にはすでに斧。仕事が早い。仏倉の方もとっくに立ち上がり場所を開けている。こちらも判断が早い。
「あ、待っ」
鈴木が声をかけた時にはすでに。七東は足を踏み込み斧を大きく振りかぶり、壁に向けて刃を力任せに叩き付けていた——ように見えた、けど。
「うぇっ?」
間の抜けた声を上げた七東は、バランスを崩して壁に顔面から突っ込む。
「だから言わんこっちゃねえ。待てって言ったぜ、僕は」
身を起こした七東は、しげしげと自分の手を見つめている。握っていたはずの斧は、扉に触れるやいなや消失していた。
悲しげに自分を見つめる七東に、溜息をつく鈴木。
「僕は単に
「つまり、もしかして……」
「そう。たぶん思ってるとおり。こいつにはスキルが一切効かない。七東の武器は全部無効だ」
七東は手で顔を押さえて天を仰いだ。桜井は頭をかかえている。つい数時間前、そんなことをやった。
「なあ鈴木、この壁なんとかして壊す方法はないのか」
「なんとかって?」
「蹴破る、とか」
「無理無理。そんなに耐久性は高くないとはいえ、装備品なしで挑めるほどの強度じゃない」
「装備……それ、俺の得意分野なのに……」
「必要なのは、スキルに依存しないシンプルな攻撃用装備だからな。最もおまえに縁のない物だ」
七東はうなだれる。戦闘となると僕らは基本的に彼に頼りきりだから、誰も装備品準備なんてしていない。防具ならまだしも、武器なんて持っているはずがな——あ。
「待てよ……?」
そうだ。武器って呼べるほどのものかというとあれだけど、でも。
「これ、使えるんじゃないかな」
僕は鞄の底から、小さな剣を取り出した。
包丁程度の大きさしかなくても、魔法のような力はなくても。それでも。門司のおじさんという職人によって造られたこれは、れっきとした剣だ。
僕は剣を壁に突き立てる。刃が欠けるかも、とちらっと不安が頭をよぎったけどそんなことはない。確かな手応えとともに壁の一部が剥がれる。
いける!
「辺見、おまえやる時はやるんだな」
七東が僕を見てそう評する。こんな役目って今までになかったからさ。注目されるのって、なんか気恥ずかしいもんだね。
壁は鈴木の言ったとおりそこまで硬くはない。だけど小さな剣一本でちまちまと削っているのでそこそこ時間はかかりそうだ。七東みたくスパッと一刀両断、とはいかないや。
僕の地道な作業が面白かったのか、元気を取り戻した仏倉がくすくすと笑う。
「いやあ、今日ここに来てよかったよ」
「つまらないでしょ、こんなの見てても」
「まさか」
お世辞でもありがとう。なるべく急ぐね。
「
珍しく頑張ってるってこと? 悪かったなあ。普段はたいした見せ場がなくってさ。
僕はそのまま壁を削り続けた。誰も替わろうはしない。僕にはそれが嬉しかった。
みんなが僕にこの場を任せてくれている。これでやっと、みんなと同じところに立てたような気がする。
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