「彼らにもちゃんと死んでもらいます」

 隠浦駅前のロータリーから大通りを抜けた先にある、少し開けた広場。緑の植え込みには花こそ咲いてないけれど、形は綺麗に整えられている。広場に佇む数本の樹にはベンチがが設けられていて、近くのカフェの利用者がテイクアウトした少し早めのランチを食べていた。

 やたらと親子連れが多いと思ったら、広場で午後から何かのショーを演るみたい。週末だしね。治安の良いのどかな街だ。


 その広場に面するようにそびえる大きなビルに入っているのが、例の人材派遣会社ディアスピリット。


 日曜の昼前という半端な時間にオフィスを訪ねて開いてるのかと不安だったけど、入口の前に向かうと何事もなく自動ドアが僕らを迎えいれた。

 開いてるんだね、日曜でも。これって業界的には普通なのかな。それともいわゆるブラック企業ってやつ?


 中に入ると、そこそこ大きめなツチノコっぽいぬいぐるみがにこにこと笑顔を振りまいている。マスコットの『リッちゃん』だね。立体になったら、よりゆるくてちょっとかわいい。

 そのぬいぐるみが置かれているのは受付カウンターの隣だ。受付にはお姉さんが二人いて、雰囲気からベテランの先輩と新人の後輩って感じがする。


 どう見ても学生の僕らに対しても、二人はしっかりと頭を下げた。僕らもそれを見てひとまずお辞儀を返す。

 なお、桜井だけは入るなりお姉さん達よりも早く反応してた。前世の習慣だと思う。すごいや。


 会社サイトに載ってたおじさんこと朽山社長が本日出社してるかまでは分からないから、受付で聞いてみようかな……と。

 そう思ったまさにその時だった。


「本日は急なご相談にも関わらず、ありがとうございました。日曜ですのに、わざわざお時間を作っていただき申し訳ございません」

「いえいえ、たまたま所用でオフィス付近に居りましたのでお気になさらず。期日に間に合いそうでなによりです。こちらこそ、こんなところまでご足労をおかけいたしました」


 受付の横の扉から計ったようなタイミングで男性が二人、お互いにぺこぺことお辞儀しながら姿を見せた。

 そのうちの一人は、まさかの朽山社長。


 えっ、本当に? あ!

 僕ははっとして振り返った。後ろを歩いていた仏倉が、当然とでも言いたげにこっそりとピースサインを出している。さすが。


 よし。せっかく作ってくれたチャンスだ。仕事相手らしき人はちょうど帰るところだし、朽山社長に色々と話を聞きたい。

 でも、僕は一歩を上手く踏み出せないでいた。話を聞きたい。聞きたい、けど……どう話しかけるべきなんだろう。

 この状況で怪しまれない声のかけ方、ある?


 躊躇する僕。その斜め前で、エントランスに響き渡るほどの大きな声が発せられた。


「お忙しいところ、失礼いたします! 漆木第一高校三年一組の桜井天威と申します! 本日は御社の見学に参りました! どうぞ宜しくお願いいたします!」


 まるで体育祭の選手宣誓のようにそう言い切って、深く一礼。僕らも慌てて彼に倣ってお辞儀する。

 ちらりと目線だけ上げると、朽山社長も受付のお姉さんも、突然のことに驚いた様子で瞬きを何度も繰り返していた。


「弊社の見学、ですか……?」

「はい!」

「申し訳ございません。確認いたしますので、少々お待ちくださいませ」

 お姉さん達はおそらくスケジュール的なものをパソコンで調べ、結果に首を傾げている。そりゃあそうだよ。予約アポなんて取ってないもの。


 探し物が見つからず困る様子のお姉さん達を見かねてか、朽山社長がそっと割り込んだ。

「あの〜……すみません。隣から失礼いたします。私、こちらの代表をやっております、朽山と申します」


 受付のお姉さん同様に、朽山社長も学生の僕ら相手にきちんと応対してくれる。胸元から小さなケースを取り出すと、丁寧な仕草で桜井に名刺を渡した。受け取る桜井の手つきも慣れたものだ。なんか将来の勉強になるなあ。


「恐れ入りますが、弊社内で情報共有が滞っておりますようで……たいへん申し訳ございません」

「いえ! こちらも学校が休みの日にとお願いいたしましたので、お手数をおかけしてたいへん申し訳ございません」

「いえいえ……こちらこそお忙しい学生さんのお時間をいただいて弊社まで足を運んでいただいた中、このような不手際でお待たせして誠に申し訳ございません」

「とんでもないことでございます!」


 これ、この掛け合いさっき見たやつだ。朽山社長は今度は桜井を相手にお辞儀の応酬を始めた。社会人になったらみんなこんな感じなの?


「本日は弊社の見学にいらしたとの事ですが……たいへん恐縮ながら、弊社では現在新卒の方に向けた説明会等は開催していないものでして。念の為の確認ではありますが、他企業様とお間違えではございませんか」

「いえ、ディアスピリット様で間違いございません。わたくしは高校卒業後、かねてより関心のあった人材派遣を通した人々の成長に携わる仕事に就きたいと考えております。業界について調べる中で御社のホームページを拝見し、企業理念に共感を持ちまして、是非とも見学をさせていただきたいと思った次第です」


 え、これアドリブだよね? よくもまあつらつらと即興でこんなに雰囲気それっぽいことを言えるもんだ。

 なんか僕、これから社会に出る自信がなくなってくんだけど。


「さようでございますか。弊社に興味を持っていただきありがとうございます。それでしたら……たいへん失礼ではございますが、見学希望の旨はいつ頃、どのように弊社までご連絡くださいましたでしょうか。私の方でも確認いたしますので」

「それは……」


 ここにきて、初めて桜井が言いよどんだ。ここは誤魔化しきれない。電話もメールも入れてないから、連絡の記録なんて何もないし……どうしよう。

 数秒の沈黙。そこに響いた声は、今度は僕のやや後ろから。


「知人の紹介で来ました」

 振り返ると、仏倉がいつもの余裕ある涼しい笑顔を見せている。


「ほら桜井くん。吾妻さんの名刺を出して」

「あ、ああ。分かった」

 桜井が名刺を取り出すと、仏倉はそれをさっと手に取り朽山社長に見せる。


「私は桜井くんの友人で仏倉凛世と言います。桜井くんは高校卒業後に就職を考えておりまして、友人にその話をしたところこちらの会社で働くお知り合いを紹介してもらったんです」

「ご友人のお知り合いの方、ですか」

「はい。その……私の友人は芸能関係者なので、名前は出せないんですが。の吾妻さんという方に、今回の見学許可を取っていただくようお願いしてあります」


 モデルみたいな外見の仏倉の話ならそれなりに信憑性がある。さらにこんな言い方をすれば、友人ということになってる架空の誰かさんについては詳しく聞けないだろう。これスキャンダルになるんで、って感じの圧がものすごい。


「吾妻……」

 朽山社長は名刺に印刷された名前と肩書きを一瞥すると、申し訳なさそうにまた頭を下げた。

「申し訳ございませんが、弊社の該当部署には吾妻という者はおりません」


 考えることすらなく即答。やっぱり偽名というか、偽物の名刺だったってことか。

 そうかあ。ここに来れば何か進展でもあるかと思ってたけど、そう簡単にはいかないらしい。


 どうする? もう帰る?

 僕は態度で尋ねたけれど、みんながそれに反応する前に朽山社長が言った。


「それでは。今から準備を致しますので、少々お待ちいただけますでしょうか」

「え? しかし、ご迷惑では……」

「いえいえ。せっかくいらしていただいたのですから、是非よろしければ弊社をご見学ください。お連れの皆さんもどうぞ」


 朽山社長はそう言ってこちらに微笑みかけると、受付のお姉さん達に指示を出す。

「君……えー、新しく入った君です」

「はい」

「こちらの学生さん方に何かお飲み物を。八階の研修室までお願いできますか」

「かしこまりました」


 新人のお姉さんが社長と先輩に会釈してスタッフ用の扉から奥へと消えると、朽山社長が僕らをエレベーターへと招く。

「皆様、こちらへどうぞ」


 エレベーターの中で僕はぼんやりと考える。もう帰らなきゃいけないと思っていたくらいなのに、こんな展開になるとは。


 ところでこの朽山社長、すごく善い人そうだ。鈴木の言ったように悪い奴かもと思ってたけど、そんなことは全くなさそう。騙されてるだけ? 僕が甘いのかな。


 八階に着くと、エレベーターのすぐ向かいには大きなドア。朽山社長がカードリーダーに社員証らしきものをかざすと、ピッという電子音と共にドアの端で光るランプの色が赤から緑へと変わった。その先にある通路を進み、突き当たり。ここが研修室みたいだ。

「失礼いたします!」

 元気な桜井に合わせて僕らもみんな頭を下げつつ室内へ。


 部屋の中にはほとんど何もなく、あるといったら折りたたんだ長机がいくつかにパイプ椅子の束くらい。そこから人数分の椅子を運ぼうとする朽山社長に気付き、桜井と七東が手を貸した。僕ももちろん手伝う。

 椅子が五つと長机が一つ。セッティングが終わって研修室のカーテンを開けると、太陽の光が部屋の中に差し込んだ。大きな窓からはビル前の広場を見渡せる。


 僕らが椅子に腰掛けるのとほぼ同時に、ピッと音が聞こえてドアが開いた。受付のお姉さんが飲み物を持ってきてくれたようだ。

 各自にコーヒーが行き渡ったのを確認すると、朽山社長は深く頷いた。


「それではここで少々お待ちください。会社資料をお持ちいたしますので。えー、十数分か二十……三十分まではかからないと思いますが、お時間はよろしいでしょうか」

「もちろん構いません。お手数をおかけしますが、宜しくお願いいたします!」


 朽山社長も受付のお姉さんも部屋を出て、残されたのは僕らだけ。さっきの言い方だと、少なくとも十分くらいは戻らないだろう。


 僕はコーヒーにスティックシュガーを半分。余った砂糖は七東に渡す。七東はブラック派の桜井からもらった分と合わせて二本半を自分のカップに添える。


 準備完了。それじゃ作戦会議の開始だ。


「朽山社長……今回の件に関わってるのかな」

 僕は呟くように口にする。


 正直に言うと命を狙われてる恐怖はあんまりない。死って経験、僕にはないし。

 だから僕を狙ってる奴については知りたいんだけど、そこまで怯えているわけではないっていうか。実感がまるでわかないっていうか。


 僕を殺そうとしている吾妻とかいう人。その人の自称勤め先の上司、朽山社長。

 徐々に核心に近づいているのに、僕の中の傍観者気分は変わらなかった。


「僕はさ、朽山社長は——」

「何か隠してるよな、絶対」

 善人だと思う……って続けようとしたんだけどね。七東が僕の言葉に重ねるようにあっさりと言った。


「どうしてそう思ったの」

 僕は我ながら情けないと思いつつも、その根拠が分からない。適当に話を合わせても後々ボロが出そうだから、こういうのは素直に聞く方がいいんだ。


「ほらさっき下階したで名刺見せた時。社長サン、吾妻なんて社員はいない、ってすぐに答えただろ?」

 七東は特に僕を馬鹿にする様子もなく教えてくれる。

「『知ってる』を即答するのは分かる。でも『知らない』なら、普通はとりあえず何かしらの確認をすると思うんだよな」

「あ、そっか」

 言われてみれば。


 僕は想像してみた。たとえば、もし僕が校長先生だったとして、『七東の知り合い』が訪ねてきたらこう答えると思う。

「いつもモンスター鎮圧でお世話になっています」「素晴らしい生徒です」。

 でも、『辺見の知り合い』だったら? きっと口には出さずとも思うね。

「誰だろう」「さすがに全校生徒なんて覚えちゃいない」。

 そしてお客さんが帰った後にこっそり調べるんだ。


 それでもしお客さんが『辺見』に急ぎの用があるなら、どうする?

 僕なら、その場で誰かに連絡して調べると思う。おそらく。それを踏まえたら、確かに朽山社長のあの反応はちょっとおかしい。


 日曜とはいえビルが開いてるなら、他に出勤してる社員に吾妻を知らないか聞いてみるんじゃないかな。すごく記憶力がよくて、社員全員完璧に覚えてるってわけでもなさそうだし。実際、受付のお姉さんの名前だって分かってなかった。


「社長サンの態度を考えると、おそらく吾妻って奴に心当たりがあると思うんだよな」

「吾妻氏を知ってはいるが、現在そいつは退職してもういないという可能性……はないか」

 桜井は思いつきを述べ、すぐさま自身で否定する。


 そうだね。桜井の言う状況なら、ああは言わないだろう。辞めた、とか。昔の社員で今はいない、とか。そう返すのが普通だと思う。

 つまり、朽山社長は吾妻を知っていて。あえてその繋がりを隠しているってこと。


 そう思い至ると、さすがの僕もちょっと不安になってきた。

 手に持っているコーヒーを思わず机に戻す。どうりで七東は砂糖をもらいながらもソーサーの上に載せたままなわけだ。見れば、桜井や鈴木はカップを手にすら取っていない。

 優雅な仕草でコーヒーに口をつけるのは仏倉だけ。


「よく平気で飲めるね」

「美味しいよ? 高価い味なのかとかは分からないけど」

「そうじゃなくて」

「ふふ、毒なんて入ってるわけない」

 鈴木もだけど、仏倉も相当にマイペースだと思う。幼い頃から彼女は度胸がある。


「同じコーヒーポットから注いでるわけだし、カップを配ったのは私と桜井だし。辺見にだけピンポイントに毒を盛るのは難しいと思うんだよね」

「全員に毒を入れてたら?」

「外部の暗殺者を雇うような相手がそんな目立つ真似はしないと思うな。毒が即効でも遅効でも、来客者みんなが倒れたら足がついちゃうじゃない?」


 それはまあ、言われると納得はするよ。それでも僕はコーヒーを飲もうとは思えない。僕が苦い顔を浮かべる横で、仏倉はどこまでも余裕の表情。

「まあ、仮に毒が入っていたとしても私は死なない自信があるから。辺見のコーヒーも毒味してあげようか?」

「遠慮しとく」

 緊張から喉は乾くけど、飲んだその後はもっと緊張しそうだ。あと何より仏倉に悪い。


 僕がそんなことを考えている間に、仏倉はそのまま悠然とカップを空にして机に置いた。


 ——と、次の瞬間。

 窓の外から叫び声が聞こえた。


「何だ!?」

 真っ先に七東が窓際へと駆け寄る。僕らもそれに倣う。


 地上を見下ろせば人々が逃げ惑っている。

 遠くからだからよく分からないけど、オークとかゴブリンの集団とスライムの群れが突如湧いたみたい。


「外の人達が危ない!」

 七東は助けに向かうつもりに違いない。迷うことなくドアへと急ぐ。それを止めたのは桜井だ。

「エレベーター前の扉は施錠されている! カードキーがないと開かないぞ!」

「あーくそ、そうだった!」


 七東は再び窓の方へ。

「窓、開かないか!?」

「見た感じ無理そう。高層階だし」

 答えつつ、何をする気か察した鈴木が一応声をかけた。


「あ、イヤホンしとけよ。電話するから」

「助かる!」

「あとガラスはそこそこ厚い」

「了解! みんな離れてくれ!」


 言われなくてもあらかじめ距離を取ってる鈴木。僕も慌てて窓から逃げるように遠ざかる。


 早口すぎて何言ってるかよく分からない絶叫と共に、七東の拳に光が集まる。拳鍔ナックルだ。

 窓ガラスが厚かろうが特殊加工がされてようが、七東の一撃の前にはコピー用紙よりはマシ程度の存在ってところ。


 脳を揺らす衝撃音。

 ガラスの破片と共に七東は落下していく。彼にとって、これくらいの高さは躊躇するほどものじゃない。窓際へと戻ってみれば、軽々と着地をきめただろう彼はモンスターを殴り始めていた。

 鎌や銃の方がきっと鎮圧には向いてるんだろうけど、人々の避難が完了するまでは全力を出せないみたい。


 ピッ、と背後で電子音が聞こえた。

 振り返った先には朽山社長が立っている。急いで走ってきたようだ。

「皆様、ご無事ですかっ!」

 僕らは曖昧に頷く。僕らは元気だ。七東のせいで窓ガラスは粉々だけど。


「あ、あれ? お一人足りない……?」

「えーっとですね。彼は現在、下に降りて交戦中です」

「下!? え、あっ、窓が!? まさか、ここから落ちたんですか!?」

「あー……まあ、はい」

「何ですって!」


 朽山社長は真っ青になって窓へと向かう。きっと外からの攻撃でガラスが割れ、そこから七東が落ちたと勘違いしているんだろう。

 ちょっとずるい気もするけど、黙っとく方がいいのかなあこれ。


「とりあえず七東……えっと、下の彼は元気ですよ。すごく質の良い装備品に恵まれていますし、戦闘に関しては得意分野ですから」


 それだけは伝えておかなきゃと補足すると、朽山社長もモンスターの真ん中で立ち回っている七東を確認したようだ。安堵した様子で深く息をつく。


「あぁ、本当に良かったです……そのうち転生するとはいえ、将来有望な学生さんですからね。もしもの事があったらと思うと」

「心配かけてごめんなさい」

 七東の代理で頭を下げておく僕。うーん、やっぱりこの人、悪い奴には思えないんだよなあ。


「ところで他にお怪我なさった方は?」

「いません。みんな平気です」

「歩けるようなら、ここから避難をしましょう」

 朽山社長は僕と桜井をちらっと見て、それから近くにいた鈴木に声をかけた。


「戦闘向きのスキルを有している方は、今広場にいる彼だけでしょうか」

「あー、まあそうかな。僕も含めてみんな自動発動パッシブタイプで、直接攻撃できるようなものじゃない」


 嘘はついてないけど、言葉を濁したのは相手を警戒してだろう。それが杞憂なのかは分からない。


 朽山社長は素直に頷き、僕らをドアの外へと追いたてた。

「それでしたらすでに社員を避難させる為のヘリコプターを要請していますので、皆様もどうぞ屋上へ」


 研修室を出て間もなく、僕らは廊下の途中にある小さな扉をくぐった。照明の切れかけている薄暗い通路の奥に、さらに暗い階段が見える。

 エレベーターは危ないだろう、ということで非常階段を使って屋上を目指すつもりらしい。


 避難救助機に乗るのは初めてじゃない。だからだいたいの勝手は知ってる。飛行系の魔物やゾンビと相性は悪いけど、それ以外が相手ならヘリが一番早くて人気な避難方法だ。

 状況によっては混雑で待たされるので、少しでもスムーズな避難になるよう待機場所で並んで待っておくのが救助される側のマナー。毎年避難訓練で言われるから分かってるよ。

 もっとも、ここ数年は七東がなんとかしてくれてたし、実際にヘリ利用をするのは久しぶりだったりするんだけど。


 ……なんて考え事をしていたからか、暗さも相まって僕は階段で盛大につまずいた。ビリッ、と嫌な音が聞こえた気がする。


「辺見、大丈夫?」

 僕を腕で受け止めた仏倉が尋ねる。恥ずかしい。下手したら一緒にこけるところだった……あっ、身体は触ってないです。そこは誓っておくからね。


「僕は平気だけど……ごめん、その。服が」

 僕が引っ張ったせいで、仏倉の着ていたパーカーの肩の部分がほつれている。さっきの音はこれだ。申し訳ない。


「本当にごめん、後で同じの買って弁償する。それに咄嗟に掴んじゃったのもごめん。怪我はない?」

「私も平気。服はそうだなあ、どうせなら新しいのを選びたいかな。今度付き合ってもらうね」


 僕はこの件に片がついたら、バイトを頑張ろうと思った。おいくらの服か分からないけど、ちょっとは見栄を張りたいから。


 気まずさから足早になりそうなのを抑えて進む。

 階段の終わりが見えて少し、いやかなり僕はほっとした。


 屋上に着いた僕らを迎えたのは、薄曇りでどんよりとしている空模様。

 なんだか先が不安になる。風もなく、救助には問題ないんだけどさ。


 きっと普段から人の出入りがないんだろう。屋上に設置された何かの設備やコンテナ、ベンチは汚れてところどころに錆が浮いている。


 まだ他の社員は来ていないけど僕らだけでも先に並んだ方がいいかな。

 そう聞こうとしたら、足元に描かれたヘリポートのマークを指して朽山社長が合図する。

「優先は君達です」


 その理由は言わなくても分かった。僕は自分の胸に光るバッジを見る。女子よりも優先されるのは、僕のような非転生者。

 一歩踏み出す僕は、動かない桜井に対して思う。ああ、そうか。彼はもうじゃないんだっけ。


 僕はヘリポートへと向かった。

 列の最初に並ばないと。だって僕はこの場にいる、誰よりも弱者なのだから。


 その僕の横を、仏倉が駆け抜ける。


「——え?」

 何で、と僕は声に出そうとして止めた。それどころじゃなかった。

「危ない!」

 いち早く桜井が叫ぶ。


 ヘリポートに向かった仏倉は、次の瞬間には宙に浮いていた。


 雲の切れ間から突如現れたドラゴンの前足が彼女の腕を掴み、そのまま飛び去ろうと。


「仏倉っ!」


 無我夢中だった。

 助けられるようなスキルなんて僕は何一つ持ってない。でも、助けなきゃ。そう思って、彼女に手を伸ばす。


 ビリリッ、と音がした。仏倉のパーカーの袖が完全に千切れたんだ。

 バランスを崩したドラゴンは、仏倉を振り落とすと、爪に服の端切れを纏わせてそのまま空へと飛んでゆく。


 僕はドラゴンの手から逃れた仏倉を受け止めた。

 まあ、その……伸ばした腕に意味はなく、落ちてきた彼女の下敷きになっただけなんだけど。


「うわぁっ!?」

 掴まれた時には声ひとつ出さなかった仏倉が慌てて僕から飛び退いた。

「ご、ごめん! え、嘘、辺見、その大丈夫!?」

「さっきも聞かれたなあ、それ」


 苦笑する僕に、仏倉は両手で顔を押さえて座り込んだ。明らかに動揺している。仏倉がこんなになってるのを見るのは、スキルを自覚する前の小学校低学年以来だ。


 僕が見ていると顔を上げてくれなそうなので、視線を空へと移す。飛び去ったドラゴンは円を描くように宙に留まっている。けれども、こちらに再びやって来る気配はない。

 ドラゴンとは言ったけど、外見はサーペントみたいな感じのフォルムで身体をくねらせつつ浮いている。羽がないのにどうして飛べるのかな。初めて見る種だ。


「ごめんね、本当に。何かあるとは思ってたけど、ちょっと。びっくりしたかな」

 仏倉は立ち上がる。少し落ち着いてきたみたいだ。服は破けているけど肌に外傷はなさそうで、さすがの仏倉といった感じだ。


 それにしても。

「何かあると思ってたの?」

 僕は彼女の何気ない言葉が気になっていた。


「うん。だから、辺見を先に行かせたら良くないかなって。それで私が代わった」

 仏倉の顔にはさっきまでの動揺もいつもの余裕もない。表情は険しく、目が据わっている。

 彼女はその目で、朽山社長を睨みつけた。


「社長さん。悪いけど、私すごく運がいいんだ。あんな程度じゃあ私は殺せない」

 ドラゴンの不意打ちをあんな程度呼ばわりする仏倉がすごすぎて気が散るけど、僕の耳は結構物騒な発言を聞いた気がする。

 殺す、とか。


「仏倉……?」

「辺見は気にならなかった? そこの社長さん、さっきヘリポートに誘導する時に『君達』って言ったんだよね」

「それが?」

「辺見は、その……バッジを付けてるでしょう。だから分かったとして、どうして桜井のことを非転生者だと思ったのかな」


 言われて僕は気付いた。

 そうだ。桜井はとっくにバッジを外している。今この中で、外見から非転生者だと分かるのは僕だけだ。


「それさあ、僕も思ってたんだわ」

 朽山社長のやや後ろから、鈴木もそう口にする。

「あんた、下の部屋でわざわざ僕に向かってスキルのこと聞いたよな。聞く相手、直前まで話してた辺見か、せめて桜井でよくね? 何でわざわざ、初めて話す僕に振るんだよ、って思った」

「あ……その、それはですね……」

「その時はまあ、僕の方が距離的に近かったからだろうと思ってた。でも実際は、非転生者にスキルについて尋ねるのを遠慮したんだろ? 桜井のこと、非転生者だと間違えたんだ。


 鈴木はじっと朽山社長を視る。彼女の生まれ持った特別な瞳で。

「あんたも、判別系のスキル持ちじゃねぇの?」


 朽山社長は何も言わない。

 けれど、態度が示していた。ずっと浮かべていた笑顔を一瞬消したのを僕は見逃さなかった。


 しばらくしてから、彼はようやく一言だけ呟いた。

「仰るとおりでございます。私の持つスキルは、相手の各種パラメーターと状態異常を含むステータス値の解析、属性攻撃への耐性及び弱点特定、モンスター言語の理解、それから対象が転生者の方でしたら保有スキルも確認ができまして、さらに——」


 一言ではなかった。

「おいおいおい、僕の完全上位互換かよ!」

 鈴木もキレている。これがレベルの差なのか。


 よく転生者のみんなは持ってるスキルの良し悪しをガチャに喩えるけど、朽山社長と鈴木を比較しちゃうとさ。当たり外れって、あるよね。

 まあ、僕はそのガチャを回すことすらできないわけだけど。


「えー、私のスキルはこのようなものなのですが……そうだとしたら、どうなんでしょう」

「ん?」

「それが、殺す殺さないなどという物騒な話にどう関わるのかと思いまして」

「んん? んー、とぉ」


 鈴木は言葉に詰まった。言われてみればそうだ。確かにこの人はすさまじくハイスペックなスキルを持ちながらも、こんな緊急事態にそれを黙っていた。

 だけど、そもそもスキルについて尋ねたりもしてなかったんだし、嘘をついたりしたわけでもないんだし。

 怪しいのは怪しいんだけど、でもここからどうしよう。


「——ところで、いつここへ来るんでしょうか? 他の社員の方々も、救助ヘリも。あなたがお呼びになったはずですが」


 桜井の発言にはっとした。

 そうだ、そうだよ!


 確かに変だ。僕らが屋上に来てからしばらく経つのに、誰も避難してこない。元々、やって来る避難ヘリは社員の為に呼んでいたと朽山社長は言ってたのに。


 今度こそ完全に、彼の笑顔が消えた。

 穏やかだった眼鏡の奥に見える目は昏く、心なしか圧を感じるような。


「……想定より、皆様はずいぶんと賢くていらっしゃいますね」

 丁寧ながらも、まるで人が変わったかのように低いトーンで朽山社長は呟く。


「そんな気は薄々していましたので、早急に片をつけたかったのですが。いやはや、いずれ話すことになるだろうと思っていたとはいえ、こうまで追い詰められるのが早いとは」


 う、うわぁ。

 清々しいほどに悪役の台詞だ。

 まだ言い訳できるような気もするけど、彼にそのつもりはないらしい。これを口にした時点で何か後ろめたいことがあります、との自白もいいところ。


 きっと彼は、僕の暗殺に加担している。

 もはや言い逃れはできない。


 咄嗟に身構えようとした僕。でも、その無意味さにやめた。

 死にたくはないけど、朽山社長が動けば僕はどう足掻いても助からない。さっきのドラゴンもおそらく彼がどうにかして使役してるんだと思うし、勝ち目がないにも程がある。


 今の僕にできるのは戦うことでも逃げることでもない。


 朽山社長は言った。いずれ話すことになる、って。だったら僕は今、理由を知りたい。死ぬ前に教えてほしいんだ。

 彼がどうして、僕を殺そうとしているのか。僕の知らない他の神様だれかから頼まれたとして、なんでそんなことを受け入れる気になったのか。


 りりなんも暗殺に関わっていたけど、それは僕をいずれ転生する人間だと勘違いしてたからだ。誰かを殺せと言われたとして、その相手がもう二度と転生しないのを分かってて、それでも実行するなんて。

 僕には、そんな真似は無理だ。だから彼がそんな決断をした、その理由を知りたい。


「お尋ねします、朽山社長。あなたは、僕を殺すつもりなんですか。もし……本当にそうであれば、どうしてなのかを教えてください」


 朽山社長は僕を見て、そっと微笑んだ。ずっと見せてきたへつらうようなものじゃなく、もっと優しいもの。慈愛に満ちたとでもいうような、そんな笑顔だ。


「私が殺すつもりだったのはあなただけではありませんよ」

 空へと向けて指を差す。

 その先にはドラゴンが舞っていた。


にもちゃんと死んでもらいます」

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