「それ、迷う理由なくね?」

 神様からの依頼について。気持ち的に話すのには躊躇があったけど、内容共有そのものへの懸念はない。

 もし僕が依頼を達成できなければ、ただ彼らの記憶から今日の出来事が、場合によっては僕という存在にまつわるすべてが消えるだけだ。


 今思えば、神様は桜井の記憶を転生で消すって言ってたなあ。それができる時点で、僕とは生まれた世界が違ったんだろうね。

 そもそも僕が桜井を非転生者だって思い込んでたから彼についてを聞かなかっただけで、神様は元から桜井を非転生者として扱ってはいなかったんだと思う。


 僕が勝手に、同類なかまだと決めつけてただけ。

 結局僕は独りだったんだ、初めから。


 僕が話すのをみんなは黙って聞いてくれた。二回目となる桜井が時々足りない部分を補ってくれて、すんなりと話せたとは思う。

 もちろん七東や仏倉について聞いた詳細は言わなかった。言わなくても、桜井が話した内容や自身の経験から、カルマステータスとかってのがイメージは出来たんじゃないかな。みんな人生経験が豊富だし。少なくとも、僕よりは。


 語るにつれて、不安は募ってゆく。

 みんなはどう思うんだろう。僕が望む自由は、みんなにとって約束されてる幸福を剥奪した上に成り立つものだ。


 自由に生きたいっていうのは、当然の権利? それとも他人を巻き込んだ、どうしようもない僕のわがまま?


 目の前で前世むかしを思い出した桜井。彼の話を聞くと、幸せに生きてほしいとは思う。みんなに対してもそう思ってる。

 でも、その幸せを僕自身にも望んじゃいけないのかな。今の僕にはどちらとも分からない。ただ普通に生きたいだけなのに。


「それ、迷う理由なくね?」


 沈黙を破ったのは鈴木だった。


「何を悩んでるんだよ、辺見。そんなもん、とりあえずやってみりゃいいだろ」


 僕は鈴木が、誰でもなく彼女が。そう言い切ったことに驚いた。

 だって。僕は鈴木の来世このさきについて、ちゃんと伝えたんだから。


 僕が世界を変えたら、この中で一番損をするのはきっと鈴木のはず。だから、本人の了承を得た上でみんなに話した。一緒に悩み、考えてほしくて。

 もしかしたらもう、友達ではいられないかもしれない。自分勝手で最低な奴だと罵られるかもしれない。それでも仕方がないと思うのに。

 でもその鈴木が、真っ先に僕に賛成してくれた。


「……鈴木は、それでいいの?」

「いや、だから。そのシステムってのをぶっ壊す計画の何が悪いんだ、ってそういう話なんだが。え、なんで本気でそこ迷ってんの?」

「だって。鈴木の来世がうまくいかなくなるかもなんだよ」


 遠慮しているのが自分でも馬鹿みたいに感じる。それほどまでに鈴木はあっけらかんとした態度を崩さない。


「あのさぁ。その神様の言い分によるとだな、僕は来世でいい思いする。逆に言えば、いっぺん死ななきゃこの人生つまんねーと宣言されてるわけだろ?」

「うん。まあ」

「神様だろうがなんだろうが、人の未来決めつけんなよ」


 にや、と鈴木は不敵な笑みを浮かべて腕を組む。小柄で派手でキラキラと賑やかな女子高生に、僕は妙な貫禄すら感じてしまう。

「辺見がそのシステムを止めたところで、僕らが即死するわけじゃないんだよな? それなら、さくっとやりゃいいじゃん」

 鈴木は言った。どこまでも明るく、いつもと変わらない様子で。


「元々、僕の前世はクソみたいなもんだ。前の僕が懐かしくなることもごくたまーにあるけど、僕は今の僕のことが気に入ってる。だって、こんな美少女べつじんに生まれ変わったんだぜ?」

 髪を掻き上げて、ウインクなんてしてみせる。僕はその仕草にとても、心からほっとした。


 そうだね。詳しく聞きはしないけど、鈴木は前世と今で全く違う人間に生まれ変わっているんだ。


「性別変わってみてさ。僕自身、考え方や人間性も少なからず変わったと思うわけよ。来世で成功するとか言われても、次に生まれるそれはもう僕であって僕じゃない存在になるかもしれないだろ? だったらその決められた未来なんてむしろ無視して、今のこの僕のままで人生を謳歌してやりたいわ」


 あーっははは、と。鈴木の笑い声はまるで悪役のごとく林に響く。それを聞いていたら、僕まで自然と笑みがこぼれる。


 鈴木だけじゃない。特に前世に不満がなくとも、転生を機に性別や外見が変わる人はわりといる。

 いや、そもそも転生で魂が引き継げたとしても肉体は元より周りの環境なんかが別である時点で、それはもう完全に本人とは断言できない。そういえば確かにそうだ。

 それなら、すべての転生者が転生を望んでいるとは限らないのかもしれない。


「辺見がそうしたいならやればいい。私もそう思うよ」

 鈴木の言葉に重ねるように、仏倉も言う。

「正直ね、さっきの辺見の話を聞いて私はちょっと嫌な気持ちになった」

「嫌な気持ち?」

「うん」

 仏倉は穏やかに優しく、そして悲しそうに微笑む。


「私は幸運である自覚があるし、それはもちろん嫌じゃない。でも無意識にの犠牲を伴うだなんて、そんなことは望んでない」


 僕にもささやかながら、プライドはある。だから神様が話したとおりの説明はしなかった。けど、聡明な仏倉のことだから気付いたんだろう。

 僕がその『他の誰か』だってことに。


「私は幸せになりたい。だけど、その為に周りを不幸にはしたくないんだ」

 立場は違うけど、でもまさに仏倉が今言ったことは、僕が考えていることと同じだった。


 なんだろう。うん、そうなんだよね。

 理解者を得たことで僕は、嬉しくて。泣きそう。泣かないけどさ、みんなの前だし。


「一応聞いとくけど、桜井はどう思う?」

 話題を変えようと僕は慌てて桜井の方を向く。僕に応えて、桜井は歯を見せて口の端を上げた。

「何で一応聞いた? 俺は最初から言ってただろう。おまえが決めたことに付き合う、って」

「それはまあ、そうだけど」

前世むかしを思い出したとしても、それがなんだ。俺の考えが変わるわけがないだろう」


 鈴木も、仏倉も、桜井も。みんな優しくて、前向きで。

 僕はこれまで何に怯えてたんだろう。自己嫌悪と自己不信。それが最も厄介な敵だったのかも。


 そして、最後に。僕は七東を見据える。

 彼だけは、笑っていなかった。


「七東は……どう思う?」

 さっき、彼は僕に言った。

 おまえは敵だ、って。


 もちろんそれは歌の影響の中で出てきた発言だと思う。でも、やっぱり少し聞くのが怖い。

 だって。あれは誇張された意識かもしれないけど、嘘ではないんだ。

 彼の心に根付く本音。その中に含まれている正義感と敵意。僕はそれを恐れている。


 七東は僕の顔をまっすぐに見て、それから困ったように眉間にしわを寄せて俯いた。

「あー……そういう経緯だったのか」

 僕は頷いた。


 だから協力して。そう言いたかったけど、できなかった。

 友達だという理由で動いてもらうのはなんか違う。りりなんの歌に身を任せてみて、改めて今はそう思ってる。


「そっかぁ、そういう……」

 大きく溜息をついて、彼は迷いを散らすようにかぶりを振る。


「俺、前の世界で勇者やってて。世界救ったりとかしたんだよな。知ってるだろうけど」

「うん」

「俺にとって人助けって生きがいみたいなものでさ。この世界でも、俺はなるべく大勢の人を救いたいって思ってて。だから辺見が世界平和を脅かそうとしてるなら、止めるしかないって。それで、あんなことを言った」

「……うん」


 分かってる。たかだか数年の付き合いでも、七東が何を大切にしていて、何の為に行動してるか。それくらい分かるに決まってる。


「でも辺見の話聞くと、俺のやってきたことってただの自己満足だったように思えてきてさ」

「……そんなことはないと思うよ」


 僕は言った。口ごもりながらだけど、言ったことはでまかせじゃない。

 七東はゆっくりと首を横に振る。


「今までの俺はこう思ってた。俺が来たからにはもう犠牲者なんて出させない。全員救ってみせる、って……英雄気取りでさ。俺が助けようと思った時点で、少なくとも誰かがつらい目にあってる。それを無視して、自分の活躍に酔ってたわけだ」

 僕は何かを言わなきゃと思った。でも口を開いても言葉が出なかった。


「もし神様の話が本当なら、俺は可哀想な人達を助けてたんじゃない。俺に助けられる為に、彼らは可哀想な目に遭わされてたってこと。それで……もし、死んだ人間がいたら。その誰かは、俺の為に死んだんだ」

 僕は口を閉じ、無理やりに笑おうとする七東を見る。


「俺が殺したようなもんだよな、それって」


 そんなことはないよ、って。数日前の僕ならそう言えたのに。

 今はもう、彼の言葉をはっきりと否定することはできなかった。


 僕は常に七東をはじめ勇敢な人々に救われる立場で、彼らにずっと感謝してきた。その思いは偽物じゃない。

 神様と話さなければ、僕ら非転生者が何の為に存在しているかなんて聞かなければ、こんな複雑な気持ちにはならなかったと思う。


 けど、僕が抱えるもやもやとした感情より、七東の胸中にある葛藤の方がはるかに大きいよね。

 僕はたまたま生きてるけど、これまでにも誰かの為に死んでたかもしれなかったし、今後誰かのせいで死ぬのかもしれない。

 でもそれって、僕自身が誰かに迷惑をかけるわけじゃない。


 一方で七東の立場は違う。彼が光の中で輝く為に、闇に突き落とされる誰かがいるんだ。七東は優しいから、それに耐えられない。

 仏倉が言ったのと同じだ。自分の為に不幸になる人間がいると知って、受け入れて生きていけるような奴じゃないんだ。


「俺も協力させてほしい。理不尽な世界から、みんなを救えるように」


 頭を下げる七東に僕はぎこちない笑顔を向ける。

 彼もまた、僕以上に拙く笑顔を浮かべて応じた。


 息を吐く音に混じって七東が武器を喚ぶ声が静かに聞こえる。言葉の終わりには、鈍く光る巨大な斧が彼の両手に握られていた。


「辺見、おまえがやる?」

「ううん。適材適所ってやつ。僕には無理だから任せるよ」

 槍で持てないんだもの。斧なんて試すまでもない。聞いてくれたのはちょっと嬉しかったけどね。


 朝の光に照らされた斧が七東の頭上で煌めく。全身の力を持って地面へと叩きつけられた鉄の塊は、打撃となんかすごい衝撃波によって、像を守る柵ごと周囲を粉砕した。

 『マザー』と呼ばれたそれは幾つかの破片となって崩れ落ち、そして。


 ——そして、何も起こらなかった。


   ◎


 で、数時間後。

 早朝というには遅く、昼前というには早すぎるくらいの時刻。


 僕は銭湯の中の食堂にて、モーニングセットを頬張っていた。目玉焼きとソーセージが添えられたトーストに、小さなサラダとコーヒーがついている。

 メニューの説明によると、目玉焼きはコカトリスの卵みたいだ。ちょっと苦いし、毒抜きの為の薬草ハーブが強すぎて臭い。変にこだわった食材じゃなくていいのに。普通の鶏卵の方が僕は好きだな。

 ソーセージは合い挽きとしか書いてないけど美味しかったので、次に来る時は肉料理にしよう。


「お待たせー」

 僕ら男子が食事を半分ほど食べ進めた頃、女子二人がようやく姿を見せた。

「やっぱり朝風呂はいいな。人も少ないし」

 心なしか控えめな化粧の鈴木。髪も巻いていなくて新鮮な感じがする。あんまりじろじろ見るのもなんか、あれだけど。


 視線を逸らすと仏倉と目が合って、それも妙に気まずくて。僕は食べかけの皿へと目をやった。


「ごめんね、お風呂入りたいなんて無理言って」

「大丈夫。あの場所に留まるわけにもいかなかったし、ついでだから」


 あの時。

 七東が『マザー』を破壊しても結局何も起きず、とりあえず僕らはその場を離れた。誰かに見つかりでもすれば、まず確実に絶対に怒られるから。

 この先動くにも作戦会議が必要だし、ひとまず仏倉の希望によりスーパー銭湯に立ち寄ったという次第。


「辺見が食べてるの何?」

「今月のモーニングセット」

「私もそれにしようかな」

「コカトリスの目玉焼き、なかなかにクセがあって不味いよ」

「ふうん。それなら逆に試してみたいかな」


 仏倉は注文用のタブレットに指を走らせて鈴木に回した。受け取った鈴木は迷うことなくワイバーンの焼肉定食をカゴに入れる。しかも肉増し。朝からよく食べるよなあ。


「それじゃ、これからの方針でも決めますか」

 全員揃ったことだし、とフルーツの載ったパンケーキを食べ終えた七東が話を切り出した。


「まずは【マザァ】ってのを探さないとな。今度こそ本物の、【マザァ】をさ」


 ——銭湯に来る前のこと。

 僕らは『マザー』を破壊して、現場からやや離れた林の中でこっそりと神様を呼んだ。

 初見の三人が喋るリアルな豆柴に驚くというお決まりの反応を見せて。それから僕は神様と少しだけ話をしたんだ。


『何をやっているのですか』


 開口一番、神様はそう言った。あ、もちろんこれはものの喩えでぬいぐるみの口は動かない。


「何をって……指示されたとおりに『マザー』を壊したんですけど」

『あなたが破壊したと言っているのは。その砕けた像のことですね』

「はい」

『それは【マザァ】ではありません』


 にべもなく神様は告げる。実を言えば、なんとなく像を壊した直後からそんな気がしていた。


 元々、この像を壊すようにと直接言われていたわけじゃない。僕が『マザー』と言われてこれだと勝手に思ってしまっただけで、この像と神様の思うものは無関係だったんだろう。


「じゃあ『マザー』って何なんですか」

『まずはあなたの言葉を訂正します。止めるべき対象物の名は、【マザァ】。我々の言う【マザァ】とは、輪廻を制御する機械装置群に付けられた愛称です』


 聞いたこと、ない。

 神様内だけで通じる専門用語かな? だとしたら、素人にいきなりそんな内輪ネタを使うのやめてくれない?

 これ、理解できてなかった僕が悪いんだろうか。微妙に納得がいかないんだけど。


「……それ、機械なんですか?」

『機構であるときちんとはずです』

ないんですけど」

文章ことばに込められた意図を目視できよめないのは残念なことですが、開き直るのはよろしくありません』


 よく分からない……けど、僕はこれまでに学んでいた。

 この神様には文句を言ったところでたいして意味はない。仕方がないと諦めて、さっさと次に進んだ方がいいに決まってる。


「分かりました。じゃあその、【マザァ】というのはどこにあるんですか」

『この付近です』

「さっきの場所、壊れた像の他には何もないですよ」

『目につかないのであれば、隠されているのでしょう。見つけてください。よろしいですね』


 いつもと変わらない調子で、一方的に神様はそう言い放つ。この雰囲気だとこれ以上のヒントをくれることはないだろう。

 ずっと林の中で次の指示を待つわけにはいかず、ノープランの今の状況でさっきの場所に戻るのもリスクがある。


 ——それで、現在に至るってわけ。


「誰か、【マザァ】に心当たりは?」

 七東が尋ねる。当然ながら僕には他に思いつくものはない。あったら言ってる。

 首を横に振りつつ確認すると、周りもみんな同様の反応だった。


「だよなー。聞いてはみたけど、俺もこれって思うものや場所がなくってさ」

「もう一度、公園に戻ってみる?」

「やめておいた方がいい。今戻って、万一警察や何かに捕まりでもしてみろ。もう神様の依頼は果たせないぞ」

 そうだろうね。僕もそう思う。

「それならどうする? やみくもに探して見つかるようなものなのかな、【マザァ】は」

「うーん」


 見た目も分からないし、大きさも分からない。神様の話からそこそこの大きさか数はあると思うんだけど、それこそ像みたいに、何かにカモフラージュされてるのかな。

 あるいは、対象を視認できないようにするスキルを持った転生者が協力してるとか。そもそも、神様の勘違いで別のところにあるとか。

 要は、全く分からない。


「ダメだね。進まないや」

 肩を落とす僕。すると桜井がポケットを探り、一枚の紙片を取り出した。

「それなら、こいつを調べてみないか」


 机の上に置かれたのは、手のひらに収まるほどの小さな四角形。

「これって」

 それが何かはすぐ分かった。りりなんが去り際に桜井に渡したもの。

 僕を殺そうとした奴の名刺だ。


 人材派遣会社ディアスピリット

 システム管理部

 吾妻法斎アヅマ ホウサイ


 名刺にはそう書かれてる。名前にはご丁寧に振り仮名付き。


「知ってる奴か?」

「まさか」

 そんな会社もそんな奴も、見たことも聞いたこともない。全くの他人。


「ネット検索してみたけど出てこないなあ。本名でSNSとかブログとかはやってないみたい」

 名刺を見るやいなやすぐに仏倉がスマホでその名前を調べてくれたけど、案の定そいつにはたどり着けそうもない。それなら。


「会社の方は?」

 個人の方は見つからなくとも、会社の公式サイトはあるんじゃないかな。人材派遣って書いてあるからには、人材募集は常にやっているはずだ。


「会社のホームページならあったぞ」

 いち早く調べた桜井が、そう言いながらタブレットを机の中央に置いた。もちろん食堂の備品じゃなくて私物。いつでも動画再生できるように常に持ち歩いてるんだよね。


 画面には名刺に載っているのと同じ社名と会社ロゴが表示されている。名刺の端に印刷されたイメージキャラクターも同じなので間違いないだろう。

 ちなみに会社の公式ゆるキャラは『リッちゃん』ていうらしい。ツチノコっぽく見えるけど、蛇かなあこれ。


 なんて。僕が考えている間に、桜井はサイト内の情報をチェックしている。

「吾妻とかいう人間の名前は見当たらないな」


 やっぱりかあ。その人物が本名を名刺に載せているとは限らない。だからそもそもあまり期待はしてなかった。

 ただ、それなら架空の会社をでっち上げてもいいはず。なのにそこはちゃんと存在してるのが気になるところだ。


 七東も僕と似たような疑問を持っていたようで、桜井に尋ねた。

「このディアスピリットって大きな会社? もし吾妻が実在して、さらにこの会社に所属してるとしても、末端社員ならこんなサイトに名前なんて載らないんじゃないか」

「それもそうだな」

 答えながら、桜井も当然その可能性については考えていたんだろう。手元にはすでに別の画面が表示されている。


 白を基調としたややダサくてシンプルな背景には代表取締役メッセージ、とのタイトルが踊っていた。

 長々と綴られているありがたいお話にはなんとなく覚えがある。新学期の始業式で毎回のように校長先生が話すアレだ。進級や異動のタイミングで話し手が変わっても内容はだいたい同じ。社会人になってもそうなんだなあ。


 画面をスクロールすると下の方に地味なおじさんの顔が載っている。表情は固く、写真慣れしていないんだろうって感じ。

 失礼ながらあんまり重役って雰囲気ではないけど、『代表・朽山潮夫クチヤマ ウシオ』とあるのでこの人が社長なのかな。

 僕はこのおじさんがありがたいお話をしているところを想像する。社長感はないけど、校長感はある。


「たいした情報はなさそうだな」

 空想に耽る僕を置き去りにして、桜井はまた次の画面へと指を走らせようとした……が、その手を鈴木が止める。


「ちょ、待って待って」

 ページを切り替えようしていた桜井の手元を覗き込む鈴木。眉を寄せて、まじまじと社長の顔を凝視しながら訊ねた。


「この会社、本社ってどこ?」

「ちょうど今から確認するところだが、どうかしたか」

「もしかして、隠浦インウラあたりじゃね?」

 鈴木のいう隠浦は市役所前の隣の隣の、もう一つ隣の駅。オフィスビルが並んでいて、あまり僕には要のない駅だ。桜井は鈴木の求めに応じ、会社概要のページを開く。


「……確かに本社所在地の最寄りは隠浦だな」

 どうして知ってる、と不思議そうな桜井の手から鈴木はタブレットを奪い取る。先程の社長の顔をもう一度確認し、断言した。


「間違いない。僕、このオッサン知ってるわ」

「知り合いなのか?」

「全然。ただ一度見たら忘れられなくて」

 僕も改めて社長の写真をよく見る。


 頼りない表情。薄い髪の毛。分厚い眼鏡。くたびれたスーツ。冴えないサラリーマンのステレオタイプなイメージのおじさんだ。

 ある意味で特徴的といえばそうかも。テンプレすぎてかえって脳裏に焼き付いたとしても、まあおかしくはない。

 けど、忘れられないっていうのは……もしかして?


「言っとくけど、僕の好みのタイプとかじゃないからな」

 ……ま、そうか。僕の勘繰りは即ばっさりと切り捨てられた。周りのみんなも妙にぎこちないので、似たような想像をしてたんだろう。


「じゃあ、何がそんなにそんなに印象的だったんだ?」

 気を取り直し、七東が僕らを代表して鈴木の意図を訊ねる。

 すると鈴木は七東の方を見て、おじさんの写真を見て、そしてまた七東の方を見て言った。


「僕がこの目で視たことのある中でレベル99カンストは二人だけ。それがおまえと、このオッサン」


 僕は耳を疑った。

 この、地味なおじさんがそんなにレベルが高いっていうの?


「僕の通ってる塾が隠浦でさ。時々すれ違うんだけど、顔とのギャップがありすぎて」

 人は見た目によらないって言うけどさ、いくらなんでも意外性が過ぎる。それなら確かに記憶には残りそう。


「すごく強いってこと? このおじさん」

「さあな。僕の視るレベルは直接的な戦闘力ってわけじゃないし。たぶん」

「強い奴ほどレベルが高いわけじゃないの?」

「そりゃそうだろ」

 鈴木はむしろ知らなかったことに驚いたという顔でこちらに向けて頷く。


「僕のレベルは13。仏倉はというと77。僕と仏倉でそんなに差があると思うか?」

 すらっとした仏倉と小柄な鈴木。体格や運動神経に多少の差はあるとはいえ、どっちも女子だ。持ってるスキルも非攻撃系。体力や戦闘力に関してなら、そんな何倍もの大差はつかないように思う。


 まあ、実際に戦いでもしたら仏倉は負けなしだろうけど。全ての攻撃を避けてもおかしくないんだから。

 あ。でも負けないことが強さなら、今度はレベルが低すぎるような気もする。下手したら七東相手でも決着がつかないわけだし。

 となると、やはり鈴木の言うとおりに戦闘力以外の何かを測っているのかな。


「辺見の話聞いてて思ったんだけど。なんだっけあの、なんちゃらステータス……」

「カルマステータス?」

「あーそれ。僕が視てるのってそれかなって思ったんだよな。七東って転生二回目で、しかも別世界救ってるんだろ。人生における経験値が高いとしたらレベルが上がってて当然ってわけ」

 神様は言ってた。七東はカルマステータスの値がなんかものすごい、って。鈴木のその説は納得かもしれない。


「じゃあこのおじさんは、魂のレベルが高い偉人ってことか」

「それは分からん。逆の場合もあるだろ」

「逆?」

 どういうことかよく理解できない僕に、鈴木はこれ見よがしに溜息をついてみせる。悪かったなあ。


「神様が言ってたんだよな。そのカルマステータスってやつが善悪のどっちかに極端に振れると輪廻の手続きが面倒だ、って」

「あー、うん。意訳するとそんな感じだったと思う」

「ってことは。このオッサンは半端じゃない善人か、もしくは手のつけられない悪人かもしれない。そうだろ?」


 そっか、その可能性もあるのか。

 神様の発言によれば悪人は悲惨な生物に転生をする。そう聞いたけど、確定で人間にならないとは言ってなかった。


 写真の中のおじさんはそんな極悪人には見えなかったけど、人を外見で判断すべきじゃない。こう見えて悪魔みたいな性格なのかもしれないよね。

 それなら、このおじさんが僕の暗殺を依頼した吾妻って人に関わってる可能性もある、のかな。


「行ってみる?」

 それまでほとんど黙って話を聞いていた仏倉が言った。

「行く、って?」

「もちろん、隠浦のその会社に。日曜だけど、オフィスに誰かいるかもしれないし」


 運が良ければ、ね。

 それを仏倉に言われてしまえば、誰も反論なんてできるはずがない。


 タイミングよく運ばれてきたモーニングセットと焼肉定食を女子達が食べ終えたら、行動を開始しようか。

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