「あなたはなんで自殺しなかったの?」

 長い独白の終わりを、桜井は仰々しく一礼で締め括る。

「——以上。泣けるだろう」

「泣けはしないけど、なんていうか」


 桜井という人物のなかで、りりなんという存在がいかに大きいかだけはすごく伝わったよ。あと七東や仏倉のように、やっぱり幸せな死に方じゃなかった。

 この話、聞いて良かったのかな。でも勝手に喋ったのは桜井だし、彼の語りを止められはしなかっただろうし。


「桜井は、りりなんのこと恨んだりしてないの?」


 僕は訊ねずにはいられなかった。

 答えはなんとなく、分かってはいるけど。


「は? どうして私……いや、俺がりりなんを恨むんだ。悪いのは彼女じゃない」


 想像のとおりに桜井は答える。そりゃそうだ。りりなんは悪くない。

 でも、思ったりしないのかな。あの時会場に行かなかったら、とか。りりなんを助けようとしなければ、とか。


 ……ううん、そうだね。桜井はそんなことは思わないんだろう。

 ここで聞きやしないけど、七東だってきっと同じ。あの火事で子供を助ける必要はなかった。そう伝えたら、きっとこう言うよ。あぁ良かった。あの子は助かったんだな、って。


 そういう奴らだからこそ、神様が特別扱いするんだよ。


「あなた、本当に恨んでいないの?」


 かすかに、それでいてよく通る声が響いた。僕はびくりと身構える。


 なぜって? 決まってる。さっきの歌声と、同じ声だったからだよ。

 つまり、今声を掛けてきたのは。


「……りりなん」

 桜井が声に応えた。見つめる方向には、小柄な誰かが立っている。


 パーカーのフードを目深にかぶり、マスクまでしているので、見ただけでは性別すらもよく分からない。髪型はいつものハーフツインではなく適当に結んだだけ。量販店の定番品だけでコーディネートしたような地味な服装だと、僕らの見るいつもの彼女の姿は想像できなかった。

 ただ僕が分からなくても、桜井が間違えるわけない。


 りりなんは僕らに歩み寄り、フードをわずかに後ろへ引く。正直、顔を見てもまだよく分からない。化粧メイクの力ってすごい。素直に感心してしまう。


「どうしてあなたがこの曲を知っているのかと思ったけど……話を聞いて、だいたい分かったかな。その、分かりすぎるくらいに」

 もごもごと言うのは気恥ずかしいからかな。絶対そうだよね。部外者の僕ですら、結構な熱量に圧倒されたくらいだもの。


「私、あなたに恨まれてると思ってた」

「う、恨む、なんて! ま、まま、まさか」

 桜井の声は聞いたことがないくらいうわずっている。声だけじゃなくて動きもなんか不審だ。明らかに平静を保てていない。

 ついさっき自分から彼女に呼びかけたりしてたくせに、いざ本人が出てくるとこうなるか。


「前世でも、今世でも。俺はあなたに出会って生まれ変わったようなもの、です! う、恨むわけがないでしょう!」

 慌てて否定する桜井の言葉は本心だ。彼のことをよく知らないだろうりりなんにも、きっとその想いは届いてる。


 いつものアイドルとしての笑顔ではなく、ごく自然に彼女は微笑んだ。

「ありがとう。ちょっと、気持ちが楽になったわ」

「とっ、とんでもないことでございます! りりなんの命を救えただけで、ファンとしてはもう、誇りに思うというか! その、なんと言えばいいのか」


 どちらが感謝される立場なのか分からないほどに桜井は何度も頭を下げていて、りりなんはそれを半笑いのようななんともいえない顔で見ている。

 とても、申し訳なさそうに。


「えっと……命は助からなかったんだけどね、私」

「……え……?」

「結局、あの後すぐに私も刺されちゃったから……その。ね?」


 桜井は呆然とした顔をりりなんに向ける。りりなんは目を逸らした。こ、これは気まずさがすごい。

 見れば七東も苦笑い。そういえば、彼の最初の人生での死因も通じるところがある。

 死んだ時には知る由もなかったはずだけど、もしかしたら一つ前の人生あたりで当時の神様から自身の最期について聞いたのかもしれない。


 どちらにせよ、気まずさに僕はとても耐えられなかった。

「あの、聞いてもいいですか」

 空気を変えるべく僕は切り出す。


「さっきの歌……あれ、何だったんでしょうか。あの歌を聴いてたらなぜだか、こう。やらなきゃ、みたいな。そんな気持ちになって」

 上手く説明できなくてしどろもどろ。ともかく、たかだか数分前のことなのに、あの時の僕の行動力はどうかしていた。自分でもおかしいと思う。

 七東に関してもそう。僕が変な事を言ってたにしても、だからといって躊躇なく友達に刃物を向ける奴じゃない。


「さっきのは私のスキル。私、歌で人の意識をコントロールできるの。『blue sky』は応援歌だからね。直接聴いた相手はその瞬間に一番やらなきゃ、って思っていることを衝動的に実行する」


 そういうことかあ。

 なるほど、それでさっきの感覚の理由が分かった。僕にとって今最も重要なイベントは、『マザー』の破壊だ。

 周りのみんなの運命とか色々考えてたのが吹っ飛んだことで、自分でも信じられないくらいにやる気が出てたわけだね。


 でも、なんで僕らにわざわざそんな歌を聴かせたんだろう?

 そこも尋ねようと思ったけど、先に口を開いたのはりりなんの方だった。


「ところで、私も聞いてもいいかしら」

 心を見透かすような鋭い視線がこちらへと向けられる。

 

「あなたはなんで自殺しなかったの?」


 ……聞き違いかな?

 結構、物騒なことを言った気がする。しかもたぶんだけど、僕に向かって。

 半信半疑ながらも、僕は自身を指差した。りりなんはうんうん、と頷く。


「えっと、今のってその、僕に聞いたんですか……?」

「そうだけど? だってあなたでしょう、私に依頼してきたのって。漆木ウルキ第一高校三年の辺見くんだっけ」

「あっはい。それは間違いなく僕ですけど」


 ですけど。ですけどね?

 僕、りりなんに何も頼み事なんてしてないと思うんだよね。しかも自殺って、何どういうこと……?


 疑問符が目に見えるなら、きっと今頃僕の周りは賑やかだろう。桜井や七東の周りもたぶんそう。みんな理解が追いつかないでいる。

 りりなんは僕らの様子を見て、はぁと深く溜息をついた。


「事務所から止められてるからあんまり大きな声で言えないんだけど。私ね、殺し屋なの」


 さらっとりりなんは告げる。僕はちょっと引いた。


「あ、でも私が手を貸すのは転生したい人達だけだから。合意の上で今世を旅立つ為に背中を押してあげてるだけ。ただの転生幇助、犯罪じゃないんだからね!」


 現在では法改正によって、本人の意志があっても他人が直接手を下すと有罪アウト。でもあくまでも転生幇助ならギリギリグレーなラインだ。

 けど、僕ら非転生者への転生幇助ってただの自殺幇助になるから、罪になっちゃうはずだけどなあ。


 僕は胸元の小さな白い花をりりなんに示す。私服だろうがなんだろうが携行を義務付けられてる、慣れ親しんだカーネーションのバッジだ。

「違法ですよ、それ」


 指摘にりりなんは少し眉を寄せる。意味するところに気付くと、今度は途端に青ざめた。

「え、あ。嘘」

「知らなかったんですか?」

「知ってたら依頼受けないわよ!」

 取り乱し気味のりりなんに、逆に僕が冷静になっちゃう。


「良かった……取り返しのつかないことにならなくて……実はね私、あなたを見た時に、本当のこと言うとちょっと思ってたの。やられたかも、って」

「やられた?」

「あなた、死にたいように見えなかったから」

 それは、どういう意味だろう。僕が訝しむとりりなんは補足を加えてくれる。


「転生したいのに勇気が出ない。つまり、死にたくても死ぬのが怖い。けど次の人生を歩みたい。そういう人達とあなたは違うように感じたの」

 つまり、普段のりりなん依頼してる人の雰囲気じゃなかったってことだよね。

 そりゃあそうだよ。僕死にたくないもの。


「だからこれはあなた望んでるんじゃなくて、が仕組んだ暗殺なんじゃないか、とか思った……けど。でも、あなたみたいな普通っぽい高校生相手にいい大人がそんな依頼なんてしないかな、とかも考えて……」


 いや、おかしいと思ったら止めて?

 僕はそう言いたかったけどやめた。りりなんは僕が死ななかったことに安堵してるようだし、僕は別にこれ以上彼女を追い詰めたいわけじゃない。

 確かに彼女のいう状況なら、誰かが僕を殺したいほど敵視してるっていうよりも、僕が今世を捨てて来世に賭けようとしているって方が可能性がある。悲しきかな。


 人違いです。いつもであればそう言えるだろう。でも今の僕には心当たりがある。神様が言ってた。他の神様が僕の命を狙うだろう、と。

 それが現実になったのでは?


 ともかく、僕の名前を騙ったその代理人って奴は誰なんだ。それをはっきりさせたい。


「すみません。できたらでいいんですけど、その代理人について教えてもらえませんか」

 できたら、と言いつつ。できれば……いや、本音ではなんとしても教えてほしい。強く言えないのが僕の性格なんだ。困っちゃうよね。

「ダメ、ですかね……?」

「もちろんいいわ」


 え、あ。いいんだ?

 結構すんなりと協力してくれたので拍子抜けするくらいだ。ありがたくはあるけど。

「えと、ありがとうございます」

「気にしないで、当然でしょ。あなたも私もそいつの被害者なんだもの。守秘義務あるけど先に騙したのは向こう。契約なんて無視よ、無視」


 りりなんはそう言って、ポケットから一枚の紙片を取り出した。名刺みたいだ。

「これ、その相手がくれたの。あなた達にあげるわ。何かあれば連絡して」


 名刺を桜井に押し付けるように渡すと、りりなんは再びフードをしっかりとかぶり、僕らに背を向けて走り去っていった。


 取り残された僕と桜井、そしてたぶん全く状況が理解できてない七東。意味が分からなすぎて考えることをやめた顔をしてる。

 その、ごめんね? 説明する前にこんなんなっちゃったからさ。


「えっと、七東。改めて説明させてもらっていいかな? 僕が今巻き込まれてるいざこざっていうか、なんていうか……について」

「あ……うん」

 ほら、もう真面目な話する空気じゃなくなったじゃないか。七東も困ってる。


「なんか、ごめんね……」

「こっちこそ……ついていけてなくて悪いっていうか……俺、なんで辺見があの像壊したいのかとか、それが世界を変えるだとか、全然ちょっと、よく分かってなくて……」

「だよね」


 ちゃんと言わなきゃ。そう思うと同時に、少しだけまた勇気にブレーキがかかる。

 僕が衝動的に世界を変えたいと言った時、七東は本能でそれを止めようとした。すごく彼らしくて、僕はその正義感がたまらなく怖い。


 僕はやっぱり、彼の敵になってしまうのかな。嫌だな。

 さてと、どうしよう。何から話そうか。


「——その話、せっかくなら混ぜてくんない?」


 発言を先延ばしにしていると、背後から知った声が響いた。桜井や七東も驚いて声の主の方を振り向く。


 鈴木と仏倉がなぜかそこにいた。


「おいおい、みんな何だよその顔。間抜けだぞ」

「いや、え? どうして二人がこんなところにいるの」

「散歩」


 嘘つけ今ちょうど朝焼けが綺麗な時間だよ? こんな早くから起きてるのは僕の家の三件隣のパン屋と、あとは夜の八時に寝て朝四時にジョギング行ってた死んだじいちゃんくらいだ。


 不審な目を向ける僕ら男子に、女子二人は平然と言ってのける。

「金曜、カラオケ行こうって言ってたのやめたじゃん? ま、用事あったなら仕方ないけどさ。でもなんか歌いたくなって、昨日仏倉と二人でカラオケ行ってたわけよ」

「そう。徹夜オールで」


 夜中に女子二人で危なくない?

 とは、思うけど。仏倉が一緒なら危険はないだろうね。昼間に僕が独り歩いてる方がよっぽど事件に巻き込まれそう。


「で。徹夜したから風呂入りたいよなーと。知ってる? 市役所の近くにあるスーパー銭湯。朝風呂プラス学割だと半額になんの」

「私が鈴木を誘ったんだ。でもさすがに時間がまだ早すぎるから、開店まで散歩しようかと。それでコンビニでコーヒー買って公園に来たところで」

 ちらり、と二人の視線は七東の方へ。


「七東が、すごく急いでどこかへ向かうのが見えて。これは何か面白そうだなぁと。ほら、私の勘って当たるから」

「そうそう。面白いことになるんじゃね? ってそっからずっと、そこの茂みらへんにいたんだよ僕達」


 つまり、二人は見て聞いていたわけだ。この一連のあれやこれやを。なんだか、ううん。結構かなり、恥ずかしいんだけど。

 僕は二人から目線を逸らす。


「二人は、りりなんの歌は特に影響はなかったのか」

 桜井が尋ねると、鈴木は真顔で親指を立てる。

「そこらへんのくだり眠くて、僕達ちょっと寝落ちてたんだよ。起きたらおまえがなんかめちゃくちゃ長い自分語りしてた」

「まさか桜井が未覚醒の転生者だったとは思わなかったなぁ。人生って意外に知らないことが多いね」


 僕は視線を戻す。良かった。七東に挑んだくせに、彼の槍すら持ち上げられなかったのは女子達に見られてなさそう。こういうのは尊厳に関わる。


 ところで、桜井自身はなんでりりなんの歌に無反応だったのかな。

「桜井こそ、あの歌しっかりと聴いてたけどなんで平気なの?」

「それは俺のスキルだ。記憶と同時にぼんやりと思い出したんだが、俺は他人のスキルを無効化キャンセルできるみたいで。さっき、七東の槍も顔面すり抜けたし」

「え、やっぱあれ当たってたのかよ!」

 血の気が引いてる七東に対し、桜井本人は涼しい顔をしてる。


 あの槍、僕には重すぎたけれど触れられはした。まさか、桜井はあれに触れることすらできないとは。

 そりゃスキルになんて気付かないよ。今まで七東の武器を持ってみようだなんて思わなかったし。


「あー。だから僕の眼でもおまえのレベルとゲージが視えないのか」

 鈴木もそれで納得がいったらしい。彼女曰く僕らのような……僕のような非転生者には、レベルの設定がされてないんだそう。

 桜井の隠されたレベルがどのくらいかは分からないけど、改めて思い知らされる。


 この中で僕だけが、転生者ふつうじゃないんだ。


「辺見……?」

 心配そうに仏倉が僕を見る。大丈夫だよ。桜井っていう同じ境遇の仲間を失って、話しづらいだけ。

 でもここまできたらもう、ね。


 さっき聴いた歌の余韻を心に呼び起こす。そろそろ太陽が眩しくなってきている。急がないと。


「それじゃ、みんな聞いてほしい。これから僕が話すこと、とても信じられないかもしれないけどさ」

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