「自分のことくらい自分で決めろ」
りりなんのライブ終わり、駅での待ち合わせは困難を極めた。今となってはおとなしく桜井の忠告に従うべきだったと後悔しかない。
僕は電車に乗ろうと押し寄せる人の波を避けられず、指定された場所までたどり着くことすらできずにいる。駅の構造が悪いってのもあるんだろうけど、完全に舐めてた。
仕方なく僕は人がまばらになるまで待って。ようやく桜井と合流できた時には、待ち合わせの予定時刻をとっくに過ぎていた。
「だから言っただろうが。俺の家の最寄駅にしよう、って」
「いや。だって、こんなになるとは思ってなくて」
桜井の降りる駅は各駅停車しか停まらない小さな町で、駅前にはマイナーチェーンのコンビニとおばあちゃんのやってる商店くらいしかない。時間を潰すなら、ライブ会場前の方がいいと思ったんです。
「次からはきちんと話を聞くことだ」
「仰るとおりにするよ」
僕らは電車に揺られながら桜井の家を目指す。道中、今日のライブのりりなんがいかに素晴らしかったかを桜井がひたすらに語ってくれたので、僕は余計なことを考えずに済んだ。
沈黙が与えられていたなら、独りでは答えの出せない問いを何度も何度も繰り返し続ける羽目になったろう。
最寄駅に着くと、おばあちゃんの商店はもうとっくに閉まっていた。コンビニでお菓子やジュース、それからパンとかカップ麺とか簡単に食べられるものをいくつか買って、僕らは桜井の住む古いアパートへ向かう。
軋む外階段をそろそろと上がり二階へ。音を立てないようにするのは、一階に住むという大家さんへの気遣い。扉を開けるのもそっと、静かに。
「そうだ、桜井のとこ泊まる話したらさ。それならこれ持っていきなさい、って母さんが」
部屋に通されるにあたり、僕は提げている紙袋を掲げてみせる。
「クラーケンの酢の物と雷魚の巻寿司」
「いつもありがとう。今度また、お礼に何か持っていかないとな」
「泊まりに行かせてもらうことへのお礼なんだから、お返しは要らないよ」
むしろ桜井にそんなものを用意させたなら、僕が母さんに怒られちゃう。
いつもつるんでいる友達の中で一番付き合いが長いのは仏倉。親同士が元々友達だったからね。それで、その次が桜井だ。もうそろそろ十年来の友人を名乗れるようになる。
僕の母さんは料理が趣味で、なんでも美味しそうに食べる桜井をかなり気に入っているんだ。運動会やお弁当持参デーには、自分の息子用より手を掛けたものを桜井用にわざわざ作るくらい。
昨日の夜に桜井の家に行く、と言ったらちょっと怒られたんだけど、それはいきなり泊まりの約束をしたのが理由ではなくて、桜井への手みやげを作る時間がないと思ったからだ。会うのは夜からだと伝えると張り切って、その産物がこれ。
「どこに置いたらいい?」
「冷蔵庫に入れてくれ」
「了解」
家主の指示のもとで僕は冷蔵庫を開けさせていただく。中身はスカスカだ。給料日前だからかな。
補助制度を利用しているとはいえ、バイトで生活費を稼いでいる桜井にとってはこんな差し入れであっても助かるらしい。もっと頼ってくれたらいいのに、と母さんは言うけどね。そんな簡単には友達の親に甘えられないよ。特に桜井はそういう性格。
「で、話ってなんだ? 何か相談があるんだろう」
「それは……えっと」
思っていたよりも早いタイミングで桜井がそう切り出すものだから、僕は曖昧に笑って誤魔化した。
「やっぱり、いいや。気にしないで」
「……そうか? ならいいんだが」
あっさりと彼は言う。深く聞かないのがありがたい。
「それなら俺、先に風呂入ってきてもいいか」
僕は頷き、さっきの人混みを思い出す。中に入ったわけじゃなくとも、ライブ会場の熱気は想像できる。
「適当に座って待っててくれ」
「ごゆっくりどうぞ」
僕はここにきて、桜井に昨日の神様の話をするかどうか悩んでいた。
僕は命を狙われているらしいし、冷静に考えたら彼を巻き込むことになる。万一の事態になったら責任を取れない。だからどうしても、躊躇う。
部屋にはすでに来客用の座布団が敷いてあった。僕はもう何度も遊びに訪れているので、桜井の家でも自分の家同様にくつろげてしまう。
いつもの場所に荷物を置いて、せっかくなのでスナック菓子を机の上に出して準備を整えておく。飲み物は母さんの料理と一緒に冷蔵庫に入れておこう。
一息ついていつもの席に片膝をついたところで、僕は思いつくことがあって再び立ち上がった。
部屋の隅、棚の上に飾られているのは色あせた写真。桜井の両親がにこやかに笑っている。
フォトフレームの手前には青いカーネーションのバッジが二つ、そして奥には手入れされた質素な位牌が二つ。
「……お邪魔してます」
——桜井の両親が亡くなったのは、今から四年ほど前になる。
おじさんとおばさんは、夫婦で清掃業に従事していた。ゴミの処理とか、街路の整備とか、公共施設の掃除とか。たまにゾンビやスライムが現れて好き放題やると、その残骸を片付けるのも仕事のうち。
澄んだ空のように青い花。珍しい色のそれは、成り手の少ない職の代表。他の職場では転生者と非転生者がそれなりに混じっている。けれども清掃業の人々は、ほとんど誰もが胸に青い花を飾っていた。
……なんていうと、まるで桜井の両親が不幸みたいに聞こえるよね。でも、僕の知る二人はいつも笑顔で、自分の仕事に誇りを持っていた。
「俺達のような人間がいなきゃ、世界は汚れて住めたもんじゃない。どんなに偉い奴でも強い奴でも、日々俺達に頼ってる。どうだ、おじさんの仕事はすごいだろう」
僕が遊びに行くと、きまって桜井のおじさんはこんな話をしてたな。あの頃はまたかー、なんて思ってたけど。今となってはひたすらに寂しい。
亡くなる少し前のこと。おじさんは言っていた。転生者が珍しく職場に入ってきたんだ、って。
僕はてっきり上から目線の嫌な人がおじさん達に威張り散らしてるんじゃないかと想像したけど、おじさんはそれを否定した。そいつはいい奴で、特別な才能のある人材なんだ。そう力説していたよ。
そこで今度は、才能という名の転生者特有のスキルやなんかを見せつけられて、おじさんのプライドが傷つけられるんじゃないかと僕は心配した。結論から言えばこれも杞憂で、おじさんもおばさんも素直に感心していたみたい。
その新人のスキルは、物体を壊れる前の状態まで修復し、機能を直すこと。治癒能力者ってよくいるでしょ、あれを対人間ではなくて、壊れたものやゴミ相手に発動できるんだ。
ゴミを収集し、破損の程度により元の状態まで戻す。業界的には最強だよね。環境にもいいし。おばさんは仕事が楽になって嬉しそうに見えた。
それからしばらくは平和だった。問題が起きたのは、その新人が別の企業に引き抜かれた後。彼だか彼女だかの再就職先には他にも何人かの治癒能力者が所属していて、とある研究をしていたらしい。
その研究っていうのは、非転生者に向けた
来世での転生に賭けてみる人もいるけど、正直言って非転生者のほとんどに来世は来ない。そうでない場合ももちろんあるよ。でも、それよりも今世を確実に長く生きたいという堅実的な人のほうが多い。
だから、大手の製薬会社や食品メーカーはどこも
転職したその人は、そのレアなスキルによりスカウトされたわけだ。もちろんその時点で、自分の携わる研究の深くを知る由もなかった。
そして穏やかな春のある日、その人から招待状が届いた。転職先の企業主催のパーティーに、おじさんとおばさんを含むかつての同僚達がみんな招かれたんだ。
断る理由もなく、二人は出掛けた。おみやげ持って帰ってくるかな、と。うちに遊びに来ていた桜井が楽しそうに両親の迎えを待っていたのを覚えている。
結局、二人は帰ってこなかった。
数日後、桜井は警察から呼び出されてぼろぼろになったスーツとワンピースを見せられた。顔は見ても仕方がない、と警察の担当者にはそのようなことを言われたらしい。
桜井の手元に返ってきたのは、青い花のバッジだけ。
それからしばらくして、とある製薬会社のスキャンダルが発表された。テレビをつければ、どのチャンネルでもそのニュースばかり。
開発途中の
ニュースではそれが事故なのか、はたまた故意に行われた人体実験だったのか、といったことを連日報道していたが、桜井にとってはどうでもいいことだ。
どちらにせよ、おじさんとおばさんがもう家にいないことには変わりがないんだから。
お通夜の間、桜井はじっと棺の隣に座っていた。箱の中に遺体はない。聖女だとか天使だとか、そういう系列の転生者が浄化してしまったからだ。
それでも、桜井は青い花のバッジを載せた空の棺の傍を離れなかった。
訪れた大人達が笑顔で桜井に言葉をかけていたのを、僕は忘れられない。
来世はきっと素晴らしい人生を歩むはずだよ、とか。すぐに転生して会いに来るさ、とか。みんな良かれと思ってだ。桜井は薄っぺらな気休めを黙って聞き、その都度頭を下げていた。
僕ははっきり言って、とても残酷な行為だと思ってしまった。非転生者のほとんどに来世はこない。変に期待を持たせるなんて、無責任じゃないか。
桜井は両親を喪った。おじさん達が転生するとかしないとか、それ以前の話。遺された子供が親の死を悲しむ。それすらおかしいことなんだろうか。
「二人ともそのうち転生してこの家を訪ねてくるよ。だから俺は気にしちゃない。また次の人生も非転生者なんて、そんなことないって」
かつての桜井はそう言って、葬式でも最後まで涙を見せなかった。
輪廻転生。記憶を継いだものはたいてい前世での住処を訪ね、愛する人達に会い、そして過去の自分の位牌を捨てる。一般にそれが普通。
でも、僕らは知っている。非転生者の位牌が遺影の傍からなくなることなんて、滅多にない。僕らがいくら来世に夢を見ようとも、そうそう上手くはいきやしないんだ。
あれから四年が経ったけど、桜井の両親が現れる気配はない。たぶんこれからも、ずっと。
僕はそれでも、未来の可能性を信じていたんだけどね——昨日、神様に現実を思い知らされるまではさ。
「……ありがとう、両親に挨拶してくれて」
急に後ろで声がして、僕はあわてて振り返った。気付けば桜井が戻って来ている。急いでシャワーを浴びてきたんだろう、まだ髪は湿ったままだ。
僕の父さんならきっと注意する。風邪を引くから乾かしてきなさい、って。うっとうしいくらいに、口うるさく。
けど、桜井には誰もそんなことを言ってはくれない。
「なあ、辺見。聞いていいか」
「どうしたの」
「やっぱりいい、ってさっき言ってたが。本当は今日、何を話したかったんだ?」
「……」
「言いたくないなら無理には聞かない。でも、何か俺に相談するつもりで来たんだろう?」
僕は迷っていた。言いたくはない。けど、話したい。理不尽に押し付けられたこの役割を、誰かに少し負担してもらいたかった。
あぁ。嫌な奴だな、僕は。自分でもずるいと思う。独りですべてを背負う覚悟がなくてここへ来たくせに、土壇場で良心が邪魔をする。
「辺見は嘘をつくのが下手すぎる。正直すぎる、というべきか。さっきもそうだ。やっぱりいい、って何だ? いいはずがないだろう。そんな暗い顔して」
「……はは。そんなに、暗い?」
「おう。無理に笑うなよ。安心するどころか、むしろ困る」
「そっかぁ」
やっぱり、桜井には分かるんだね。ちょっと嬉しくて、同時に彼を巻き添えにしようとしている自分がますます嫌になる。
「辺見が今、何を気にして躊躇しているのかは俺には分からない。ただ言っておく。俺は何を言われても怒らないし、後悔はしない」
「……きっと、迷惑にはなるよ」
「迷惑かどうかは俺が決める。こう考えろ。逆の立場だったら、つまり俺がおまえに何かを告げるのを言いよどんだら。その先がどうであれ、おまえは結果に納得するか?」
「どうだろうね」
「はぐらかすな。いいか最後に訊くぞ、辺見。俺に何か聞いてほしいことがあるんじゃないのか?」
まるで睨むかのように、桜井はじっと真顔で僕を見る。僕が何かを答えるまで目を逸らす気はないだろう。
桜井の言うとおりに考えてみる。逆の立場なら、僕はどう思うかな。
もし桜井が、他の友達の誰かが。何も相談なく死ぬかもしれない状況で、これっぽっちも頼ってくれなかったら。僕なら少し……違うな。かなり、寂しいと思う。
やっと、僕の心は決まった。
「——長くなるからさ、髪、ちゃんと乾かしてきなよ。食事しながらでいいから、僕の話を聞いてほしい」
◎
昨日の夜、神様が僕に伝えた話を今度は僕が桜井に語る。
彼は時折驚いたり不機嫌そうに眉を寄せたりしながらも、黙って僕の言葉を聞いていた。
もちろん、話せる内容は全部じゃない。七東や仏倉の
話したのは、この世界とパラレル地球とかいう場所との関係性。転生の実態。
そして、僕ら非転生者の存在理由。
「ごめんね、説明が下手でさ」
「……充分だ」
桜井には何か思うところがあるんだろう。単純そうに見えて、意外と頭の回転が早いのを僕はよく知っている。
「それで、神様はおまえにシステムとやらの破壊を命じたんだな」
「うん」
「そう簡単にいくのか? 世界を司るシステムというからには、半端なやり方は通用しないんじゃないのかと思うが」
言われなくても、きっと難題だってことは分かってる。
具体的に何をすることになるのかは知らない。でも僕の行動で世界に大きな影響が出るのは確かだ。
「詳細というか、破壊の方法はまだ聞いてないんだ。まずはそれ以前の段階だからね。僕はその願いを聞くかどうかを、あと数時間以内に決めなきゃいけない」
まあ、断ったら死ぬって脅されてるようなもんだけど。それでも僕には即決なんてできやしない。
「独りではどうすればいいか分からなくてさ、だから桜井に意見を聞きたくて」
僕がそう言うと、桜井はぽかんとした顔を浮かべた。
「俺も分からんな」
「だよね……いきなりごめん」
僕だって多少は長生きしたいから死ぬのは嫌だよ。けど、やり方もよく分からないのに僕にこんな大役がつとまるのかな、とか。僕の決定により不幸になる人もいるんじゃないのかな、とか。
色々と考えてきりがない。
「やっぱりそんなに簡単には決められる話じゃないよね」
桜井の表情はさらに唖然という形容が相応しいものへと変化していく。
「おまえ、俺の言いたいことを理解してないだろう。俺が分からんと言ったのは、なんでわざわざ決まってるくせにうだうだ悩んでるのか、って意味だ」
——え?
今度は僕の方が呆気にとられる。そこに桜井は畳み掛けるように言葉を浴びせた。
「おまえはいつもそうだ。自分の意見はちゃんとあるくせに、他人の意見や場の雰囲気を優先しすぎる。誰に遠慮してるんだ?」
「それは」
「自分のことくらい自分で決めろ」
はっきりと責めるようでいて、優しく諭すかのごとく。
おいおい何だよ、それ。怒らないって約束したのにさ。すぐそういうこと言う。
「……はは。確かに、そうだね」
だろう? とでも言うように桜井がにやにやと口角を上げる。
笑われたのに、嫌な気はしなかった。
「そうだね、うん。本当にそのとおりだ」
桜井の様子を見てたら、なんだか。こんなにちまちまと悩んでいたのが馬鹿らしくなるよ。僕も彼みたいに、笑いたくなっちゃうくらいに。
僕は、覚悟を決めた。
……ううん、違うね。もうとっくに決まってたんだ。
「——神様の願いを聞いてやる。それで、絶対に幸せになってみせる」
「いい心意気だ。ところでそれ、俺も付き合わせてもらえるんだろうな」
「あー、知らないや。どうだろう」
「ここまで聞いたんだからな。放っておくのも寝覚めが悪いだろうが」
それはそうかもだけど、実際どうなんだろう。ここまでの話は極秘っぽいけど、でも実際には言っちゃダメって言われてはないんだよね。もう言っちゃったし、今更どうしようもないや。神様に、桜井へのお咎めがないようにと頼んでみるしかない。
僕は鞄から豆柴のぬいぐるみを引っ張り出す。リアルな出来に桜井が一瞬だけ目を見開いた。びっくりするよね。
「これ、剥製とかじゃ……ない、んだよな」
「すごく精巧なぬいぐるみだよ。驚いた?」
「驚いた」
ぬいぐるみを桜井に見せびらかしたいのはやまやまだけど、今ここですべきはそれじゃない。
僕は仔犬の顔を自分の方に向け、恭しくお辞儀をひとつ。
「あの、神様。例の件決めましたので、お話したいです。よろしいでしょうか……?」
『よろしいです』
間髪入れず即座に応じる神様。び、びっくりした。桜井なんて動揺して固まっている。気持ちは分かるよ、すごくね。
『
「えと、はい。誰かに言っちゃダメとか。止められなかったので……」
『よろしいです』
良かったんだ。僕は心からほっとした。
「じゃあ、僕の所為で桜井が死ぬなんてことはないんですよね?」
『あります』
「は?」
『あなたがイレギュラーであることは遅かれ早かれ他の
「そういう……」
『はい。存在の抹消と記憶の改竄。それを避けるには
神様は神様らしい言い方で僕に無茶振りをしてくる。でも僕は決めたんだ。無茶だろうがやってみる、ってさ。
「分かりました。僕はあなたの言うシステムを破壊してみようと思います。自信はないですけど、いいでしょうか」
『よろしいです』
「それで、具体的には何をすれば?」
できれば簡単な方向で。僕は祈った。スパイ映画みたいなことは逆立ちしたってできない。そもそも逆立ちできるかどうかも怪しいんだから。
神様はいつもの無感情で淡々と告げた。
『【
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます