『私も、そう感じました』
予想したとおり、帰宅する頃にはもう真っ暗な夜空が広がっていた。ちょうど会社帰りのお客さんで店が混雑する時間帯だ。父さんも母さんも忙しいだろう。
商店街の片隅にある個人経営の商店。コンビニに成りきれていないそれが、僕の実家。裏口に回ってドアに鍵を差し込むと、かちゃり、と小さな音が響く。
「ただいま」
一応習慣で言うけどさ、当たり前だけど誰もいないんだよね。
今日は金曜だから、これから土日の繁忙に向けて品出しがある。父さんも母さんも帰りは遅い。
僕は鞄を自室のベッドに放り投げ、ひとまずシャワーを浴びることにした。
水を出して、指先に触れる冷たさを感じなくなるまで待って。温か……じゃない。熱い。
僕は熱めのお湯は苦手だ。父さんが昨日の夜勝手に上げたに違いない温度を、独断で下げていく。温かくすらなくていい。ぬるい水みたいでいい。
排水溝に吸い込まれる水を眺めて思う。この水もやがては川へと流れ、海へと戻り、蒸発して、雨になって。姿を変えながら、巡っていくんだ。
僕はここに留まって、どこにも行けないでいるのに。
あー、ダメだ。いつまでもこんな気分じゃ。切り替えないと。
行水を終えて強めのドライヤーで髪を乾かしながら、頭を掻きむしる。リセット、リセットだ。お腹も空いた。
バスルームから出ても、まだ両親が仕事を終えるまで時間がある。晩ご飯のことを考えよう。メニューは何だろうな。また廃棄のお弁当かな。
ダイニングテーブルには、『お腹が空いたらどうぞ』のメモとともに
これ、美味しくないんだよね。口の中の水分全部持ってかれるし。せめてチョコチップ入りとかキャラメル風味とかのやつならいいのにさ、いつも賞味期限切れの
仕方ないので、炭酸入りの
空腹もマシになったし、頭を休めてすっきりさせたい。
僕は部屋へと戻ると、布団にダイブした。このまま晩ご飯まで寝ちゃおう。
「あー。何なんだろうね、僕の人生って」
目を閉じて、誰に宛てるでもなく。
『そうですね……何でしょうね。可もなく不可もなし。善にも悪にも傾かない人生は評価が難しいのです』
——ん?
思わず飛び起きて目を開ける。えっ、な、何!?
この部屋には僕しかいない。独り言に返事なんて。怖い。優しい声だけど、そんなこと関係ない。
きょろきょろと周りを見回して声の主を確かめる。でも何もない。えっ、ちょっと本当に怖すぎる。無理、かも。
『焦らなくてもよろしいです。私はこちらにいます』
急いで部屋を出ようとした僕に、謎の声がまた語りかける。
恐る恐る声の方向に目線をやると、僕がはね飛ばした鞄の中から箱が転がり出ていた。門司のおじさんからもらったぬいぐるみ。仰向けになった仔犬が床に落ちている。
それが喋っていた。
「あの、えっ、と……」
『安心してください。私はこの世界の神様です』
「ええ……」
安心どころか、不安しかない。
奇妙なことを言い出すぬいぐるみに、僕は一周回って冷静な感情を徐々に取り戻す。何でそんな唐突に?
「神様、ですか……?」
『はい。神様です』
う、嘘くさい。誰が信じるんだよそんなの。おじさんの悪ふざけ? いやいやさすがにないよね。僕、もう高校生だし。そもそも近所に住んでるからって、ドッキリ仕掛けるようなそこまでの仲じゃない。
じゃあ、本当に神様なの?
まさか、と思う疑念と。かもしれない、という期待と。
でもさ、仮に本当の本当だったとして、どうしてこんな僕みたいな奴のところに現れるんだ。神様だったらもっと才能のある人間のところに行けばいい。
たとえば七東とか——と考えて。思い出した。
朝に書いたあの、進路希望調査票。
もしかして、うん。あくまでも可能性の話だけど、さ。神様が僕を、認めて……くれた?
「その、僕って勇者の素質とかあったり……するの?」
『あなたの問いに答えましょう。その前に、このこの
「あ、はい」
半信半疑だけど。だけどさ、でも。みんな言ってた。後天的に前世の記憶が蘇ったりする時って、唐突だって。
だからつまりこれって、もしかしたら。もしかするの、かも。
神様を名乗るぬいぐるみを持ち上げて、悩んだ末に机の上に載せた。ベッドに置くのはなんか雑な扱いって感じするし、ちょっとでも高いところに置くことで敬った方がいいのかなと。
すごく緊張する。
「これで、いいですか」
『よろしいです』
喋るわりにぬいぐるみの表情は変わらない。動かない口元は淡々と語る。
『まず、先程の問いに対する解答ですが』
「は、はい」
『残念ながら、現在のところあなたが勇者となれる予定は全くありません』
「……そう、ですか」
ちょっぴりショックだった。
もちろん、分かってたよ。僕はそんな器じゃないよね、知ってる。ちゃんと知ってたさ。あとそれから、そもそもああいうことを書いてはみたけど、本気で魔物退治や大冒険なんかをやりたいってわけでもない。
ただほんの少し、この世界の中の特別な存在になりたかった。それだけ。
『問いに答えましたので、私の頼みも聞いてください』
自称神様は僕の心にダメージを与えただけでなく、癒す時間も取り上げる。僕は温厚な方だけど、これはしんどいな。
僕、たいしたことはできませんけど。一応聞きますね。
「何でしょうか」
『あなたには、この世界の
「……はい?」
聞き返すよね、これは。普通。
「世界を、壊すんですか? 僕が?」
『違います。破壊してほしいのは世界ではありません。世界の
「それは、何が違うのでしょうか……?」
すごく失礼ながら、僕はこの神様と相性が悪いのかもしれない。きっと向こうもそう思っていることだろう。
僕の考えが読まれたのか、神様は数秒の沈黙と溜息を挟み、その先を続けた。
『それではあなたが理解できるよう、順に説明をするしかありませんね』
「お願いできますか……」
『よろしいです』
頷くこともなく仔犬はのたまう。
いつの間にか相手のペースに乗せられている気もする。でもまあ、話を聞くだけならいいかな。
僕に何を頼みたいのかはよく分からないけど、自称神様に頼られるのはそんなに悪い気分じゃないし。
『まず前提として、あなたの存在するこの世界は、数多ある世界のうちの一つにすぎません。ここまでは理解できますね』
「はい」
それは僕でも分かるさ。だって友達もみんな、元は別の世界の出身だもの。
『この世界は、とある世界と対になっています。その世界で本来の寿命を終えることが難しい魂の受け入れ専用世界、それがこちらとなります』
「は……い」
前言撤回。
いきなり分からなくなってきた。僕の様子に神様は再び溜息。ごめんなさい。
『人々の魂が死後にどうなるか。廻るのか、消えるのか。この
「パラレル地球……」
絶妙にダサい。けど口には出さない。
『パラレル地球では輪廻転生が魂の在り方として一般的です。ただしほとんどの場合、前世の記憶や人格は継承しません。前世で為した行いにおける、善悪の量と比率が転生後の評価に影響するのみです。
「えっと要するに、前世で善い事した人は、現世でそれを忘れて嫌な奴になったとしても人生勝ち組保証あり、ってこと……です、か」
『その理解でよろしいです。逆も然りです』
良かった。合ってた。
カルマステータスだとかいう神様の専門用語は難しいけど、内容は単純なのかも。
ただパラレル地球とかいうところでは、僕の生まれたこの世界と違って記憶が引き継がれない。だからみんな転生者で、一方みんなその自覚がない。なんか変な感じだし、これって考えものだよ。
僕の常識において、善人は転生してもやっぱり善人の魂を持ってるから善人になる。強者も。天才も。何かに秀でた人達は転生してもその力を保有できるものだ。記憶や経験があるからね。
その築き上げた人生の集積がパラレル地球にはない。本当に不思議。
「そういえば、パラレル地球では悪い奴はどうなるんですか。悪人は転生しないですよね、普通」
『転生します。あなたの生きるこの世界では、原則善人のみが魂の寿命残りを後世に繋ぐことが可能とされています。しかしそれは誤りであり、実際には転生しているのです。パラレル地球も同様です。善人は後世で良好な環境を、悪人は劣悪な状況を与えられます』
「へえ」
悪い魂も転生してたんだ。
「劣悪な状況ってどんなのですか」
『パラレル地球では主に悲惨な死を迎えます。もしくはこの世界における悪人同様に、恵まれない生物として転生してしまう場合もあります』
「たとえば?」
『魔物とか。あるいは黒くてカサカサ動く虫等です』
「……わぁ」
想像しちゃった。いきなりやめてほしい。食事時じゃなくてよかった。
ちょっとだけ憂鬱な気分に浸る僕。だけど神様はそんなことお構いなしだ。
『そんなわけで、パラレル地球の人々は基本的には無自覚下に転生を繰り返しているのです。しかしながら、一部イレギュラーが発生する場合があります』
「イレギュラー?」
『そうです。多くは二つのパターンです。一つめは、本来の寿命をまっとうする前に、不測の事態によってその生命を終えてしまう場合です。今後の寿命消費の計画が変更されてしまうほか、次の魂の受け入れ先となる器がまだ用意されておらず、我々としてはとても困ります』
「そうですね」
『二つめは、規格外の
「ふーん」
『そして、これらイレギュラーへの対策。要するに、器不足であぶれた魂を受け持つのがあなたの世界なのです』
分かったような、分からないような。僕の理解力が足りないのかな。
『具体例を出しましょう』
「お願いしたいです」
ありがたい配慮に僕は頷く。
『あなたの友人、
「七東の?」
神様を自称するだけあって、僕の交友関係も知ってるんだなあ。なんて、そんなことは今どうでもいいか。
僕の知る七東の前世は、異世界の勇者だ。詳しい地名やなんかは難しくてよく覚えちゃいないけど、とりあえず崩壊しかけた世界を魔物達から救ったらしい。彼が扱える多数の武器はその頃の装備品を持ち越したからだとかなんとか言っていた。
けれど封じた魔王が復活しそうになり、身を挺して再度封印を施した際に生命を落として。そして気付けば、この世界で転生したってわけ。彼がこの世界で魔物退治なんかができるのはその頃の経験のおかげ。まだまだ勇者志望のアマチュアだって本人は言うけど、僕からすれば充分プロの勇者に引けを取らない。
……待てよ。そうすると、パラレル地球ってのは七東の救った世界のこと、になるのかな?
僕が知っている内容を伝えると、神様は一考すらせずに答えた。
『正解ではありません』
「え、あ。違いましたか」
『不正解でもありません』
何それ……? 僕にはもうよく分かりません。解答に特に言い訳もないので、解説をください。
「どこが間違ってるんでしょう」
『あなたの答えた内容は、彼の二周目の人生のものです。一周目に彼が存在した世界こそがパラレル地球であり、彼はイレギュラー中のイレギュラーとして、中間に暫定世界を経てこの世界にたどり着いています』
「お、おう……?」
『彼の一周目の人生について詳しくお話しましょう』
そう言うと神様はわざとらしく咳払いなどして、僕の知らない友人の昔話を語り始めた。
◎
死亡当時、七東唯也は無職でした。
彼は人付き合いが苦手で高校在籍時から不登校と復帰を繰り返していましたが、大学でのキャンパス生活に全く馴染めず退学、一人暮らしだったこともあっていつしか家から出なくなってしまいました。
自宅に独りでいる数年間、彼は『レオ/インフィニティ』というゲームにのめり込んでいました。朝昼夜とずっとログインし続け、それが彼の暮らす世界となっていたのです。
彼はそこで全
しかし転機が訪れます。ゲーム内の新たなコンテンツとして、パーティ参加必須のイベントが開催されることとなったのです。
彼はそれまでの敵を全て
もはや自分の人生となっているゲーム世界において、手の届かない領域がある気持ち悪さの放置。対するは、避けていた他者との交流。
彼はそれらを天秤にかけて、後者に挑むと決めたのでした。
チャットなら問題ない。定型文を送るだけ。そう心に言い聞かせて適当な人物に声をかけると、相手は意外なほどすんなりと彼を受け入れてくれました。人とまともに会話するなんて、いつ以来でしょう。
一度きりの臨時パーティ参加のつもりでしたが、気付けば紹介されたギルドに所属し、一緒に遊ぶ仲間も徐々に増えていきました。この頃になると交流もゲーム内のチャットからマイクを通したリアルタイムの会話へと変化していました。彼は誰よりもゲームがうまく、自然と周りに人が集まっていたのです。
彼は今更ながらに学びました。他人と関わる難しさ、それを乗り越えた先にある、友人達と過ごす喜び。
いつも困難を前に途中で逃げ出していた彼は、少しずつ前を向くようになりました。たまに外に出て散歩をしたり、道行く人に挨拶をしたり。以前の彼からは考えられません。
ある日。彼は求人情報誌を手に取ります。本気で自らを変える気になっていたのでしょう。
けれど、そこで彼には試練が訪れました。
彼が家に帰ると、住んでいたアパートが炎に包まれていたのです。出火しているのは自宅の隣室、小さな子供のいる父子家庭。
思い出すのは今朝。薄い壁越しに、子供の咳が聞こえていました。学校を休んで寝ていたのでしょう。今の時間なら父親は仕事で外出しているはず。もしかしたら、火事はその子供が起こしたのでは。
集まった人間を見渡せど、例の子供はいません。野次馬の一人に聞いても、子供は見ていないと言います。
彼は、意を決して燃え盛るアパートに飛び込みました。言葉を交わしたこともない、他人の為に。
◎
『——それで彼は死んだのです』
「七東、子供を助けて……」
『違います。助けていません』
「えっ、じゃあどちらも死んで……」
『違います。子供は彼の到着前に、自力で生還していたのです』
「……は?」
えっ、どういうこと? つまりは、その。
「七東は、無駄死に……的な?」
『そのとおりです』
「ちょっと待ってください、なんか、それつらいんですけどすごく……」
僕はよく分からなくて、頭がこんがらがってきた。この展開、生命をかけて子供を助ける流れだったよね?
『彼が助けに向かった子供は煙を察知して外へと逃げました。非常階段から降りて、近所に住んでいた友人宅へと避難したのです。七東唯也はそれを知らずに子供を探し、炎にまかれて死にました』
「そんな……酷い」
『はい。酷いです。本来の予定と異なる歴史です』
僕は神様の発言に驚いた。僕の感想に同調したのもそうだし、それにその後。予定と異なるって、どういうことだろう。
『七東唯也は元々、そこで子供を助けてヒーローとなる予定だったのです。けれど、同業者にこういうことを言うのはなんですが、パラレル地球の神様は少々仕事が雑でして。子供の
「ええ……それって、どうなんですか」
『よろしくないです』
「ですよね」
あ、そういうことか。ここで僕はようやく話が繋がった。その余った寿命を消費する為の世界——それが、ここなんだ。
『その表情を見るに、理解できたようですね』
僕は頷きつつも、一つ疑問は残る。
「でも、七東の人生二周目とかいう、彼の救った世界ってやつは何なんですか。暫定世界とか言ってましたよね。この世界の話は本人から聞きましたけど、この世界でもパラレル地球でもなさそうなんですが」
『はい。そちらは彼のプレイしていたゲームを模した世界です』
さっきの話に出てきたやつだ。えっと、レオ……インフィニティだっけ?
『彼は非常に徳の高い魂の所有者で、これまでの累積による
「うわ、すご」
『ですからヒーローとして有名になり、最終的には国際的にも讃えられ、教科書に載る大人物となることで善のストックをある程度消費したかったのですが、できませんでした』
「そういうのもあるんですね」
大変なんだなあ、魂のバランス的なものを保つのって。全人類同時にそれを管理するんだもの。そりゃあ丁寧に仕事しようにも限界がくるよね。
『先述のイレギュラー、その二つめを思い出してください。この世界は累積により善あるいは悪に振れすぎたイレギュラーな魂を受け入れ、オーバーしすぎたボーナス分の寿命を消費させる。そのような役割を担っています。七東唯也に関しては、直接この世界に転生させてもなおイレギュラーが過ぎましたので、暫定世界でチート存在として無双していただくことで消費可能な程度の寿命が残るように調整したわけです』
七東って僕の思っていた以上にすごい奴だったみたい。友達でいるのが誇らしいような、ちょっと気が引けてしまうような。なんとも複雑な気持ちだ。
でも神様の言い分は分かるけど、そんなに問題なのかな。そのイレギュラーっての。
さっき言ってた話、器にそのうち空きができるまで魂の方を待たせればいいし、寿命ボーナスとかいうやつはさ。たとえば南の楽園地帯で人生数回分のスペシャル体験させるとか、悪人だったら北の未開拓地に黒い虫を大量に放ったりとか。そういうのでやりくりしちゃダメなのかな。
そしたらこの世界に頼らずとも、パラレルなだけでなんとかなりそうなものだけど。
『あなたが考えていることは察しがつきます。器の生産を増やして転生の待ち人数を減らしたらいいだとか、どこかパラレル地球上の一部地域で転生を繰り返させればいいとか。そのようなところでしょう。浅はかです』
僕の考えは、神様にはすでにおみとおしだった。うーん……浅はか、かあ。
『あなたの考えはこの世界では実現可能かもしれません。けれど、パラレル地球の人口は約八十億人。土地は限られ、さらに地域により居住地や文明の格差があります。下手な転生を設定すれば、かえってイレギュラーがより酷くなる可能性だってあるのです』
「えっ……そんなに人間がいるの?」
うろ覚えだけど、僕の記憶ではこないだ転生者人口が一千万人を超えたとかなんとかニュースになってたような。
パラレル地球とか言うから、僕の住む世界とそっくり同じような世界を想像していた。数秒前の自分が恥ずかしい。
『よろしいですか。パラレル地球とこの世界とは、転生における規模が異なるのです。それをつつがなく流転させる為にはこの世界が必要となります』
それっぽく強引にまとめられたような気もする。でも、ひとまず状況はなんとなく分かったかな。
『さて。世界の仕組みについては理解しましたね』
「はい、たぶん。大丈夫です」
『それでは次に。この世界におけるあなた方、非転生者の存在意義について教えましょう』
「意義……?」
予想していない言葉だ。
僕は動揺した。意義って、何? 僕は、いや。僕らは確かに転生者とは違う。けどそれに何か意味があるってこと?
『それでは、具体例をもう一つ。今度は
◎
仏倉凛世の死は、不運としか言いようがないものです。
当時大学生だった彼女は、ある日の夜に通り魔によって生命を奪われました。
犯人の男には付き合っていた恋人がいましたが、彼は自身の彼女が浮気をしているのではないかと疑っていました。彼女のやっていたSNS、その裏アカウントにて見知らぬ男との写真がアップロードされていたのです。
男は憤って彼女の自宅に押しかけたところ、アパートの前でその浮気相手を発見してしまい、突発的に近くにあった塀のブロックで殴り殺してしまいます——人違いだと知らずに。
その被害者が、仏倉凛世でした。
彼女は、大学の知人が忘れたスマートフォンを届けにアパートを訪れていました。同じサークルに所属する知人がスマホを紛失したと騒いでいたのを見ていた彼女は、知人の帰宅後に見つかったそれを善意で届けに行ったのです。
今からバイトに行く。スマホが見つかったら届けてほしい。そんな話をしていたのは聞いていましたが、そこまで特別に親しい間柄ではなく、相手のバイト先は知りません。もちろん電話やメールで確認をすることも叶いません。
そこで彼女はサークルの住所録から自宅を調べ、アパートの前で帰りを待っていたのです。
他のサークルメンバーに頼まず、彼女が出向いたのは偶然でした。たまたま相手が彼女の定期券内に住んでいて、たまたまこの後に予定がなかったからです。だから普段降りない駅で下車し、普段そこまで話さない知人の為に時間を割いたのです。
そして、その日たまたま着ていた服が、犯人の男の恋人の浮気相手と同じだったことも偶然でした。日差しが強く帽子を深く被っていたことも、背の高い彼女が遠くからだとまるで男性のように見えたことも。ただの不幸な偶然です。
この不幸がとどめにもう一つ。本来であれば在るべき場所に、救急車が
◎
『——もうお分かりでしょう』
「……救急車がいなかったのは、神様のミスなんですね」
『はい。厳密にはパラレル地球の神様の、です』
訂正された。そこは分かってますけども。
「仏倉に、そんな前世があったんだ」
『はい。こちらは完全に我々側の不手際ですから、彼女にはお詫びとして最高の
「あの神がかりな幸運は、本当に神様の采配だったんですね」
『はい。そちらは私の采配です』
だから、分かってますって。
『そして、私の采配はもう一つあります』
「なんでしょう」
『あなたの存在です』
「僕の?」
『はい』
首を傾げる僕に、神様は事もなげに告げた。
『あなたは、彼女が幸運を実感できるようにとこちらで用意した比較対象物です』
「……それって、どういう意味ですか」
用意した、とか言われても。僕を……とは?
『そのままの意味です。よろしいですか。人間の幸せというのは基本的に他者との境遇差により具体化されます』
うーん? 混乱している僕の頭にはちょっと難しい。
『たとえば、あなたが商店街の福引に参加したとしましょう。会場は混み合っています。見知らぬ方が順番を譲ってくれ、あなたは福引を回します。それが見事に当たりました。商品券一万円分です。嬉しいですね』
「嬉しいです」
譲ってもらって悪かったなあ、と思うけど。でも引いたのは僕だよね。
『でも。あなたの次に引いた人間、先程順番を譲ってくれた相手が、今度は特賞を引いたらどんな気分でしょう。こちらは一万円ですが、相手は五万円がもらえます』
「それは……悔しいですね」
手のひらを返すけどさ、今度は逆に順番譲ってもらわなくてもよかったのに、とか。頭によぎってしまうかもしれない。卑しいけど。
『今、あなたは頭で他人と自分の得る利益を比較しませんでしたか。他人が幾ら得ようとも、それはそれです。あなたの手にした額は変わりませんし、本来あなたの得た結果は幸運とされるべきものです。けれどもあなたよりも恵まれた他人を目にしたことで、あなたの気持ちは少なからず変わったのではないですか』
あ。神様に指摘されて思う。確かにそう。言われたとおり。
僕は何にせよ労せず一万円を手に入れたわけで、それは嬉しいことのはず。でも、自分よりも良い賞品を得た他人を前にして、素直に自分の得た一万円を喜べなくなってしまった。もらう額が減ったわけでもないのに、損をしたような気分だ。
人間の幸せは他者との境遇差によるだとかなんとか。神様が言っていたのはそういうことか。
『理解しましたね。つまり仏倉凛世が幸運を実感するには、比較対象となる相手が必要なのです。この対象には極めて絶妙なる運のバランスが要求されます。幸運すぎれば彼女は特別になれない。かといって不幸すぎると彼女は気が引けて、境遇を素直に喜べない。彼女の隣にいるべきは、ほどほどに平凡な運を持つ人物でないといけないのです。それが』
「——僕、なんですね」
そう言われてみれば……ううん。言われなくてもこれまでずっと、心当たりがあった。
僕は平凡だ。中の中。並。ど真ん中。
勉強も運動も苦手じゃないけど、得意な奴らには及ばない。友達は少ないけど、いじめられるほどに敵もいない。
顔も身長も能力も、どれを取っても平均値。神様にも言われたね。可もなく不可もなし、それが僕。
どうにか特技を見つけようと努力しても徒労に終わる一方で、完全に手を抜いたところで失敗もしない。
だから僕はいつしか自分の意志で頑張ることを辞めていた。僕はきっと、僕の意志に関わらず、なるようになる。なぜかそう生まれついている。
そのもやもやとした感覚に、今やっと答えが与えられたんだ。まさに腑に落ちるという気持ち。僕の心には悲しみや憤りよりもはっきりと、納得感のような感情が満ちていた。
「僕は……なんなんですか」
『あなたは、この世界の備品です。背景と言ってもよろしいです。あなたは七東唯也に自信を持たせ、仏倉凛世に幸運を実感させる存在としてここにいるのです。今後成長すると、また別の人間の才能を引き立てる為に使用される予定で、この世界に生み出されました』
使用、か。本当にまるで物になったみたいだ。
『簡単なことです。世界を救う勇者が存在するのなら、敵対する魔物も当然存在せねばなりません。勇者の活躍を示すために、救われる無辜の市民も必要です。そして——勇者が勇者を志す動機付けとして、救えなかった犠牲者も、ある程度必要なのです』
主役を輝かせるための脇役。いや、僕は脇役ですらない。転生者達の物語にとっては、取り換えのきくエキストラ程度の存在なんだ。
「僕の未来、神様はもちろん知ってるんですよね」
『当然です』
「さっきの話。僕がこの先どうなっていくのか。聞いてもいいですか」
『よろしいです』
絞り出すように質問を投げる。神様は明日の天気でも教えてくれるみたいに、無感情な声で未来を告げた。
『あなたは高校卒業ののち、一浪して大学へと進学します。しかし四年後、本命ではありませんが内定も決まり、いざ就職となったタイミングで父親が病に倒れます。あなたは内定を蹴り実家を継ぎますが、近所に大手コンビニチェーンが進出。その影響で店は五年後に廃業の危機を迎えます。そこに転生者のアルバイトが前世を活かした画期的アイデアを提案。店は一躍話題となり、廃業は撤回。ついでにあなたはそのアルバイトと結ばれます』
以上です、と神様は一息にさらりと僕の将来設計を語った。
僕のこれからの人生は、たかだか長セリフひとつ。それだけに収まった。なんだかあっけなくて、ここにきてやっと空虚な何かが胸を埋める。
僕の感情も、経験も、目標も、将来の夢も。神様の言葉を信じるなら無意味なものだ。あらかじめ決められたところに収束するだけ。
それって、僕の人生は他人の為だけに存在するということだ。それが悪とは言わない。救いになる人もいるとは思う。でも、僕にとっては違う。
僕は、僕の為に生きることはできないんだろうか。
そんな人生ってある?
『理解が難しいですか』
「いえ……納得できないだけです」
『そうですか。理解しているのならよろしいです。話を続けます』
「それってまだその先に、神様に決められた人生が続くってこと?」
『違います。先程の話は確定にほぼ近い予定でしたが、現在の状況は異なります』
神様はここにきて初めて、困惑したような感情を滲ませて言った。
『人生を鉄道になぞらえる人間がいますね。我々はあなた方が各目的地を経由して終着駅に着くよう、その線路を敷いています。転生者、と呼ばれる者はあなた方を利用する乗客のようなものです。これまで、あなた方は疑うこともなく各々の道を進んでいたのですが——あなたはその
神様がそう告げるのに合わせ、何かが上から降ってきた。それは僕の頭に当たって軽い音を立てると床に落ちる。目で追うと、白い紙飛行機が転がっていた。
手を伸ばして紙を開く。なんとなく予想はしていたけど、広げられるにつれ確信した。
今朝、僕が提出をした進路希望調査票だ。
『あなたはここに、本来書くべきではない事柄を書きましたね』
「え、その……はい。でも、僕はすぐに消しました。提出する時にはちゃんと書き直してます」
僕はくしゃくしゃになった用紙をぬいぐるみの鼻先に突き付ける。
「ほら、ちゃんと……」
『関係ありません。あなたは本来、我々の筋書きに沿わない未来を思いつくことすらない。それにも関わらず夢を持ち、あまつさえ文字にしたためるまでの行動を起こしたのです。鉄道で言えば、脱線したようなもの。正規の線路の隣をいかに並走しようとも、脱線した時点で元の
脱線したら電車は走れないのでは、なんて思うけど。言ったら怒られそうだから口をつぐんだ。
神様相手にくだらない揚げ足取りができる程度には僕は冷静だ。状況の理解が難しくて、思考がストップしているともいうんだけど。
「結局、その。結論として、僕は今後どうすべきなんですか」
『そちらはすでに伝えました。あなたには、この世界の
「システム……」
『そうです。パラレル地球からこの世界へと転生する、その流れを絶ってほしいのです』
神様が僕に望むことは分かった。目的はシステムという存在の破壊。それはいい。でも手段は不明。そしてそれ以上に、僕にそんな事を求める動機が思いつかなかった。
「それを、なぜ僕に?」
『あなたが意志を持ったからです』
「それがどうしたんですか。些細なことでしょう」
『重要です。私はあなたのその変化に感動し、境遇に同情し。そして、自身の行動に対し罪悪感を持つことになりました』
罪悪感? 神様が?
僕らのような存在が神様にそんな感情を抱かせるのかと思うと、なんだか。奇妙だ。
『——あなたは、門司文雄から珠灘飛鳥の転生について聞きましたね』
「? はい」
それがどうしたんだろう。いきなり話が変わった。
僕は疑問を持ちつつも答える。
『現在の彼女における前世、老人であった珠灘飛鳥の命日を知っていますか』
「知るわけないじゃないですか」
有名人だからニュースで見た記憶はあるけど、ファンだったわけじゃないし。
『前世における彼女が失踪したとされるのは、五年前の二月十日。その一週間後、二月十七日に彼女は亡くなり、三月に入ってから遺体が発見されました』
言われたら確かに冬だった。ニュースを見た。雪山に現れた魔物を討伐しに行って、戻らなかったと言っていたような。
『そして現在彼女の魂を宿す門司文雄の姪、彼女の誕生日は知っていますか』
もっと分かるわけがない。門司のおじさんの誕生日すら知らないのに、今日まで存在すら知らなかった姪っ子の誕生日なんて分かるもんか。
僕は適当に答える。
「二月十八日ですかね」
神様の告げた命日の翌日にしてみた。当日かもと悩んだけど、なんかその魂の移行業務とかで日にちがかかるのかなって。
『違います』
「それじゃ、命日当日の十七日ですか?」
『違います』
「じゃあ十九日? 二十日?」
『どれも違います。現在の珠灘飛鳥が誕生したのは二月十四日。前世の珠灘飛鳥の死の三日前です』
「え……?」
僕は今まで信じてきた価値観が崩れるような、そんな気持ちだった。
三日前ってことは、それってつまり、前世の彼女が死ぬ前に転生しているってことで、そんな。それって何?
『あなた方が転生と呼んでいる一連の流れは、死後に魂が別の肉体を得て生まれ変わる、といった類いのものではありません。この世界に備わる
「じゃあ珠灘飛鳥も」
『はい。その時点で空いていた器に入れました。剣を扱うに足る強度をもち、かつ転生者と結びついていない肉体の空きがなかったので、少々日付が前後しています。気付く者がなければ、その程度は問題ありません』
「ま、待ってください」
またも変わらず無感情に言葉を紡ぐ神様を、僕は噛みつくように止めた。もしその言うとおりのことがシステムってやつで行われたのだとすると、変だよ。
空いている器っていうけど、肉体が空っぽのはずはない。
「もともとの、珠灘飛鳥を受け入れる前に存在してた、門司のおじさんの姪っ子。その魂はどこへいったんです?」
嫌な予感がしたけど、聞くしかなかった。神様は再び、わずかに困惑したように言葉に詰まり、続ける。
『抹消しました』
「……抹消、ですか」
『そうです。我々はあなた方、いわゆる非転生者を意志のない存在だと認識していたからです。あなた方は我々の敷いたレールの上を自動運転で進む列車にすぎない。途中で
そんな……酷すぎる。
僕は何も言えないまま、存在を消された少女のことを思う。思うだけでも気分が重い。
「……あの、僕ちょっと。それ、許せないかもしれないです」
それ以上言葉にすると、神様相手に罵倒してしまいそうで。僕はそれだけを告げた。
『許せない、ですか』
「……はい」
こんなにも人の命を軽んじて、神様はなんて傲慢なんだろう。苛立つような気持ちで神様の声を待つ。
『私も、そう感じました』
聞き違いかもしれない。
けれど、今までになく力強い答えだった。僕にはそう思えた。
『私があなたに頼んだこと。それはこの転生という歪んだ
魂の流入に関わるシステムをストップさせる。そうすると転生者は僕らの前に現れなくなる。つまりは、僕らは彼らに消費される存在にならなくて済んで、自由を手にできる。
きっと、そういうことだ。
やっと全てが繋がって、僕の心は揺れていた。動揺しない方がおかしいでしょ、こんなの。
「それを何で、僕に?」
『私は神様、つまりこの世界を司る存在です。自分で創ったものを壊すことができないのです。それに私以外の
「もし、僕が断ったら?」
『あなたの存在はすぐにでも抹消されるでしょう』
予想どおりに、神様はあっさりと言い切った。
神様の言い分を信じれば、この世界を取り仕切る神様っていうのは唯一の存在じゃない。
今ここで僕が平穏に過ごしてるのは、きっと目の前の仔犬を操る神様が僕の書いた戯れを隠蔽してくれてるからなんだろう。
それが明るみに出たら、他の神様達は僕を止めに……殺しにやってくるに違いない。
「僕が死んだら、どうなるんですか。さっき言ってた人生設計みたいなやつ。僕が雇うはずのバイトの人は無職になるんです?」
『そうはなりません。あなたが死んだ場合、類似の境遇の非転生者を当てがいます。見つからなければ、あなたの両親が頑張って今から弟をつくるか、養子を取ってもらうことになります。店長とアルバイトの年齢差が逆転してしまいますのでそのあたりの調整は大変となりますが、問題ありません』
色々と問題だらけだと思うよ、僕は。まあその状況は僕には関係がないってそれだけは確実に決まってるんだけど。
その時には僕、死んでるんだから。
「もし、僕がシステムを破壊したら。そうしたら、今この世界で生きてる転生者達はどうなるの?」
死ぬんですか、とは聞けなかった。
断ると殺す、と僕は実質そう脅されてるようなもの。僕は自由に生きたい。死ぬのも自由に、できれば幸せに生きてから死にたい。
でも僕は、自分が生きる為に周りの友達を皆殺しにするほどの価値を、自分自身に見出せなかった。
『安心してください。パラレル地球からの魂の流入が止まっても、すでにこの世界にいる存在は寿命を使い果たすまでは死ぬことはありません』
「本当に?」
『はい、そのはずです。あなたの身近なところでいえば、
……ってことは、やっぱり少なからず未来に影響はあるんだ。そりゃそうだよね。
けど、そこで名前が出てくるのは鈴木なんだ。そういえば鈴木については神様から何も聞いてないや。
最強の装備を使える七東に、無敵の幸運を持った仏倉。それと比べて自分の使える力はハズレだ、とかって鈴木はいつも言ってるけど。
「参考までに、鈴木の前世ってどんな感じなんですか」
『私の口からは言えません』
「えっ?」
何で? 個人情報とか?
そんなの、今更だよね。七東や仏倉のことはぺらぺらと話してくれたのにさ。どうして鈴木だけは例外なんだろう。もしや。
「鈴木って、実は七東や仏倉と比べてもはるかに特別で、世界を揺るがしかねないほどの隠された秘密のあるすごい奴……とか?」
『違います。この世界を揺るがしかねないのはむしろあなたです』
「あっ、そう」
残念、違った。こんな状況だけど、補足がちょっとだけ嬉しかったりする。
『鈴木晴流の過去について述べられないのは、
「え、あ。そうなん……ですか」
『そうです。この会話はこの世界においては、私とあなたの間でのみ交わされています。ですが、パラレル地球やその他外世界において観測される可能性があります。その際、未成年が触れると困りますので、過激な内容は言葉にできません』
そう言われれば気にはなるけど、ここは聞かないほうが良さそうだ。
「じゃあ、その。聞かなかったことにしてください」
『記憶の改竄には転生が必要となります。私は転生をしませんので聞いてしまった以上は経験の消去を行うことはできませんが、質問の撤回は認めます』
「ありがとうございます」
『なお、鈴木晴流の未来に関してであれば説明できます』
「そっちはいいんですね」
一応、聞いておこうか。どうしよう。他人の未来なんて、過去以上に聞いちゃいけない気がする。
けど、僕がもし神様からの依頼を受けたら、どうにかなっちゃうかもしれないって言うし。知っておくべきなのかな。
聞いてからと聞かずになら、同じことをやるのでも気分は違う。終わってから後悔するのと、始めるのに躊躇するのとなら、今回ばかりは後者がいいと思うんだ。
「聞いてもいいですか。鈴木のこの先、神様の話せる範囲で」
『よろしいです』
少しばかり悪い気はしたけど、好奇心に言い訳をして僕は耳を傾ける。
◎
鈴木晴流は近い未来、七東唯也の
戦闘のほとんどは七東唯也によるものではありますが、彼女は対峙した魔物の性質、能力、耐久力、急所などの内容をつぶさに記録し、それに
これらの記録は一部界隈の人間には興味を持たれますが、ついぞ世間的に
彼女の死は三十九歳。ちょうど、第一次転魔大戦の終わり頃です。
ああ、説明が不足していましたね。転魔大戦というのは約七年続く大規模な戦争で、多くの人間、特に非転生者が犠牲となります。
その戦争にて鈴木晴流は死亡、七東唯也は行方不明。その他、当時勇者と呼ばれた人間は魔物と相打ちになっても市民を助ける道を選び、なんとか戦争は集結します。魔物は倒され、勇者は消え、世界には弱者達が残されるのです。
その後しばらくは平和ですが、やがて魔物の残党が復活、市民を苦しめます。もう勇者はいません。誰も戦ってくれる人間はいないのです。
けれどそのような中で、ついに人々は見つけ出します。ある者は実家の屋根裏で、ある者はネットサーフィンした先で。鈴木晴流の残した、
皆はその叡智を讃え、学校では彼女の書を教科書として配布するようになるでしょう。
そして転生した来世の鈴木晴流は、かつての自分が残した記録を元に世界の再建に関わってゆく。
それが、彼女の未来なのです。
◎
『なお、あなたが
「え……鈴木のこともそうですが、まさかの戦争の運命さえも僕の行動にかかってるんですか」
『そうです。魔物というのは、悪しき魂を有する者の転生先ですからね。パラレル地球からこちらへの魂の移動がなくなれば、自然発生しない魔物は、徐々に個体数が減ってゆくはずです』
それで戦争にまでは至らないってことか。そうだよね、戦争って数と数のぶつかり合いだもの。一方の数が激減すれば、大規模な争いにはならないんだろう。
僕は悩んだ。
友達の未来を潰すのはそりゃあ、嫌だよ。でもそれで、未来の戦争で死ぬべき人達は助かるかもしれないってことだよね。パラレル地球のイレギュラーな魂達がその際にどうなるのかは分からない。けど、少なくともこの世界は救えるんだ。
そして何より、僕は自由になれる。この場で動かないと、僕は生きていても死んでいても何も変わらない。そんな存在のままだ。
心では、思ってる。もうほとんどやるべきことは決まっている。だけどこの段階にきても僕は、神様の頼みに対してすぐに頷けなかった。
だってそうでしょう? これまでずっと、未来なんて考えずに生きてきたんだから。
「ごめん、神様。ちょっと時間をくれますか」
僕は臆病で、慎重な方だ。とてもじゃないけど、すぐには決められない。いつまでの猶予があるのかは分からないけど、ほんの少しだけでいいから。結論を先延ばしにするのを赦してほしい。
『よろしいです。それであればおよそ三十六時間、待ちましょう。週明け頃からあなたの命は狙われ始めるはずですから。日曜の午前七時。その時間までに決めてください』
神様は僕の答えに対してそう告げ、それきり仔犬は何も言わなくなった。
沈黙が訪れると、どっと疲れを感じる。さっきまではなんやかんやと興奮状態だったのかな。開放感を味わうことすらできないくらい、精神的にすり減っているような気分だ。
「どうしよう……」
呟いてふとベッドの上を見ると、スマホに着信記録が残っていた。時間を見れば、風呂に入っていた頃。僕はそっとリダイヤルをかける。
[——もしもし]
「桜井? ごめん。着信気付かなくてさ」
[いや、こちらこそ突然かけて悪かった]
「全然大丈夫だよ。どうかした?」
[あー……実はその、別にこれといった用があるわけではなくてだな。帰宅したらなんか、誰かと話したくなって。それで電話したんだ]
「……そっか、うん。その気持ち、僕も分かるよ」
桜井の言葉を聞いて、僕は思い返す。門司のおじさんとの帰り道。一緒に歩いた時から、もう何日も経ったような錯覚に陥る。普段であれば適当に切り上げるような会話をしっかりと続けたのは、あの時の僕も誰かと話したかったからに他ならない。
誰か……そうだね。ただの誰か、じゃダメだ。僕のことをよく分かる人、つまり僕と同じ、非転生者と話をしたかったんだ。きっと今の桜井もそうなのだろう。
「あのさ、明日のライブ終わったあとで桜井の家に泊まりにいっていいかな」
[俺の家? 構わないが、結構遅くなるぞ]
「平気だよ。話したいこと、あってさ。電話じゃなくて直接相談したくて」
[分かった]
僕は桜井からライブの場所と終わり時間を聞きメモを取る。明日だ。夜まで悩んで、それでも決められなかったら、彼に相談しよう。
世界の未来をたった独りで背負うだなんて、僕には荷が重すぎる。
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