「君の夢って何だい?」

 楽しい時間は早く過ぎると言うけど、嫌なことを控えている前の待ち時間もやっぱり妙に短く感じる。そう思うのは僕だけかな。


 朝のゾンビ騒動からもう放課後。時間が経つのがいつもよりも早い気がした。

 いつものメンバーで集まっての帰り道。大通りの信号待ちで、七東が何気なく言う。

「これからカラオケでも行かないか」

 金曜日だし、テスト前でもない。いつもならみんなすぐに賛成するところだ。


 でも僕と桜井はそれを辞退するしかない。

「せっかく誘ってくれたのに悪いな。俺達、今日はこれからをもらいに行かなきゃならないんだ」


 桜井がそう告げると、七東ははっとした表情を一瞬だけ浮かべて、それを無理やり打ち消した。

「……あ、そうか。分かった。また行こうな」

「うん。それじゃ、また来週」


 手を振って、僕と桜井は他のみんなと別れる。またね、とか。バイバイ、とか。口々に言って歩き出す。


 さっき七東が、気まずそうな顔をしながらも謝らなかったこと。僕にはそれが嬉しかった。

 もしもあそこで謝られていたら、僕はもっともっと、自分を惨めに感じただろうから。


「行くか、辺見」

 桜井は僕を促して歩き出す。彼は自分の運命を、決められている未来をどう思っているのだろう。気にはなるけど、なんとなく聞きづらい。逆の立場だったとして、僕も聞かれると困るし。


 視線を胸元へと落とす。制服の名札に留められた、花を模したバッジ。これを付けているのは学年でも僕と桜井の他に数人だけ。

 昔はもっとたくさんの人がいたらしいけど、今では僕らの方が少数派になってしまった。


 ——もう何年も前から、世界には『転生者』が蔓延っている。


 前世の記憶、あるいは異世界の記憶を持つ人々が一般であるとされ、転生者でない者……つまりは僕ら『非転生者』は、社会的に弱者。そう扱われている。

 直接的に差別を受けることもあるし、そうでなくてもやはり世間の視線は痛い。


 胸元の花は、沈みつつある太陽を映してやや淡い朱に染まっている。本来の色は白。この色は学生もしくは無職を示すカラーだ。

 茎が無限大のマークを描いたカーネーションの花を象った飾り。僕らはそれを身に付ける義務がある。


 どうしてカーネーションだと思う?

 良い転生を、って葬式挨拶でよく言うでしょ。あのお馴染みの『ハッピーリィンカーネーション!』から取られたものらしい。

 異世界において母親に感謝の意を示す際に贈る花が由来という説もある。噂でしか知らないけど、わりと異世界の話はよく聞くんだ。

 もし後者の説が正しいなら、前世の自己の記憶がない者は母親くらいしか確実に身内と言える繋がりがない。そういう皮肉を感じるよね。


 幼い頃はいつか僕も前世を思い出して……なんて夢を見てた。

 でも、前世の記憶の開花のピークは思春期頃まで。成人してからの者はほぼいない。僕らはそう聞かされている。

 僕の年齢を考えるに、これから転生者となるのはなかなか厳しいと思えた。


 仕方がないので今年も年に一度配布される非転生者の証、カーネーションの花をもらう列に並ぶしかない。

 もう間もなく閉まってしまうこともあり、市役所はそれなりに混んでいる。


 列に並び番号札を取り、待合室で僕ら二人はただ呼ばれるのを待った。周りのほとんどは大人で、子供は僕らしかいない。

 子供といっても、僕らは現在高校生だから成人まで間近なんだけどさ。


 昔は小学校、中学校、高校、大学という教育機関のステップを数年ごとに経ていたそうだけど、今は個人ごとに一定までの教育カリキュラムを受けるのが普通。

 指導内容を終えると次の教育機関に移り、その際は転生前に受けた教育はスキップしてもいいんだって。


 外見の年齢で指導区分をしていた時代を考えると、僕には恐怖しかない。何周も人生を経験した者達の中で授業を受けるなんて、今以上に惨めで苦痛でしかないだろうから。


 待合室の席に座ると、今度は時間が長くなる。早く順番がこないかな。番号は桜井の方が先に取ったから、僕の方が後に呼ばれるはず。


「この後、桜井はどうする? 七東達に合流するか、このまま帰るか」

「悪いが帰らせてもらう。これからやることがあって」

「バイト?」

「はは、違う違う。明日はりりなんのライブだからな、休みをとった。準備を怠るわけにはいかない」

「あ、そっか。明日だったね」


 桜井は嬉しそうに頷く。いい席が取れたって言ってたっけ。桜井の推し、有賀里菜アリガ リナ。通称りりなん。

 僕はアイドルに興味がないのでライブのチケットの価値はよく分からないけど、ネット情報ではそれなりの抽選倍率だったらしい。


 桜井は数年前からりりなんに夢中で、ライブが開かれる度にチケット抽選に応募している。ここ最近は人気が出てきたようで、なかなかチケットが取れないと嘆いていた。幸運の女神こと仏倉に抽選を頼んでもダメ。

 それが、今回久しぶりに当選したんだとか。しかもかなり前の方でセンター寄りなんだって。なんだか僕まで嬉しいよ。


 先に番号を呼ばれた桜井は、僕に軽く挨拶をして席を立つ。それから間もなくして僕の番もやってきた。

 僕の担当者はしかめ面で、事務的にぼそぼそとマニュアルを読みあげる。

 最初に名前確認、家族構成確認、家業確認。それから前世の記憶が蘇っていないかどうかの簡単な問診と検査。


 毎年やっているお決まりのこれらをクリアすると、白いテープの貼られたダンボールに雑に詰め込まれているバッジの中から一つを手渡される。来年も白、それからきっと数年後には黄色になることだろう。僕には選択肢がないんだ。

 手の中の白いカーネーション。わざわざ透明フィルムのかけられた個包装っていうのが税金の無駄感、と去年も思ったような気がする。


 たいしてこの後は予定もないけど、今更僕だけみんなのところに行くのもなあ。遅くなるしなあ。どうしようかなあ。

 そう悩む僕の心に対し、足は自然と自宅の方を向く。友達と話すのは好きだ。でも、今日はきっと素直に楽しめない。そう身体が告げているような気がした。


 そうだね、うん。帰ろう。

 先程まで赤く色づいていた空には藍色が混じり、グラデーションになっている。家に着く頃にはきっと星が瞬き始めているだろう。


 年に一度通る、市役所から自宅のある商店街へと向かう坂道。

 歩き始めてややして、後ろから僕の名前が呼ばれた。


「君、稲穂イナホくんだよね? 辺見さんとこの」


 振り向くと、疲れた顔で笑うおじさんが小刻みに手を振っている。名前は門司文雄モジ フミオ。近所の団地に住んでいる実家うちの常連さんだ。

 作業着の胸元には真新しい赤いカーネーションが付けられている。


「どうも。門司のおじさんも市役所帰りですか」

「うん、そう」

 微笑んでいるはずなのに、その表情はどことなく寂しい。

「情けないことにさ、市役所の受付の子にも顔を覚えられちゃってたよ」

 はは、と冗談を言ったつもりの彼になんと返したらいいのかが僕には分からない。


「こんな世の中になるとはねえ。おじさんのお祖父さんの代には、技術を身に付けておけば食いっぱぐれはないとか言われていたらしいんだけど、最近ほら。流行ってるでしょ? 前世の職歴を活かして新商売をするの。昔ながらのやり方を続けるのにも、おじさんの経験はたかが三十年だからさ。困っちゃうよ」


 門司のおじさんは、勇者向けの装備を製作する武器職人として働いている。職人歴はこの道三十年。そう。非転生者である彼の職務経験は、三十年しかない。

 おじさんの年齢の半分にも満たない子供でも、工房に入って三日の新人でも、みんな彼より経験豊富なベテランだ。

 赤い花を付けている人々、つまり製造業の人達は前世からの通算で職歴が加算されるのが一般的。天性の才能でもない限り、最低百年くらいは経験がないと一人前とすら認めてもらえない。


「まあ、おじさんの業界だけじゃないんだけどね。スローライフとかも人気でしょ? 緑の花の人達も、かなり肩身が狭いんだって」

 緑の花は農業や畜産業、それから食肉狩猟従事者のマーク。

 ここらへんの話は僕も聞いたことがある。魔物達を狩ってその肉で料理するのを楽しむブームが転生者の間では定期的に起きて、その度に食肉加工品の価格が急変動するらしい。父さんが嘆いてた。


「お仕事、大変みたいですね」

「そうだねえ。物を造るのは好きなんだけど、なかなか上手くいかないんだ」


 家までの距離はまだもう少々ある。門司のおじさんのことは嫌いじゃないんだけど、愚痴に付き合うのはしんどい。

 僕に関係がないから、じゃなくて。その逆。業界は違っても、僕も将来似たような人生を歩むことになりそうで、なんだか。息が詰まる。


「あぁ、そうだ。君にあげたい物があるんだけどね。受け取ってくれないかな」

 僕が無理やりにでも話題を変えようと思った時、おじさんは突然自分の鞄の中を漁り出した。

「僕に? 何ですか」

「えぇとね、ほら。これだよ、これ」


 おじさんは鞄から四角い箱を取り出す。何が入っているんだろう。大きさ的には靴とかかな。僕は手渡されるがままに受け取る。

「開けてみて。自信作なんだ」


 何だろう。ちょっとだけわくわくして箱の蓋を開けると、中には小さな仔犬がいた。全く動かない。剥製、なのかな。

「えっと、犬……」

「よくできたでしょ」

「えっ」


 僕は改めてまじまじと仔犬の顔を見る。言われてよくよくみれば、確かにそう。かもしれない。

「これ、あの。作り物なんですか?」

 おじさんはにこにこと頷く。びっくりだ。本当に、お世辞抜きで本物の犬だと思ってしまった。


「すごい……本物かと思いました」

「ありがとう、嬉しいよ。おじさんも結構気に入ってたんだけどね。依頼主クライアントには受けなくって」

「こんなにリアルなのに?」

「それがダメだったんだ」


 はぁ、とおじさんは溜息。

「『動物使いテイマーに見せかけた操り人形師パペッターのパートナードール』ってリクエストだったから、なるべくリアルの方がいいと思ったんだよねえ。それで頑張ってこしらえてみたんだけど。結局、納品されたのは年末から入った子の作品だったよ」

「選ばれたのって、どんなものだったんですか」

「かわいらしい仔猫ちゃん。リアルどころか、デフォルメの効いたいかにもぬいぐるみって感じの。おじさんの勘違いでね、リクエストはそんな感じだったけど、実際には魔法少女路線で戦いたかったみたい」

「あー……」

「あとね、そもそも犬より猫派だったの。犬は吠えるから苦手なんだって。おじさんはかわいいと思ったんだけどねえ、豆柴」


 肩を落として、おじさんは見るからに自信をなくした様子でとぼとぼと歩く。彼の作品の造形は武器として連れ回すにははもったいないほどに素晴らしいのに。

「僕はかわいいと思います、この豆柴」

「本当に? ありがとう。君はなんて優しいんだろう。この子をよろしくね」

 ……返せなくなっちゃった。うん、まあ。かわいいけどね。かわいいから、いいんだけどね。


「嬉しいから、ついでにこれもあげちゃおうかな」

 おじさんはさらにまたもう一つ何かを取り出す。こちらは先程より小さくて薄い箱に収められている。

 蓋を開けると、中には。

「包丁……?」

 にしては小さいか。でも果物ナイフよりは立派。ダガーっていう武器があるらしいから、それかも。


「これはねえ、幼稚園児用の剣」

「はぁ」

 予想外の答えだった。


 僕がぽかんとしていると、おじさんは画面がバッキバキに割れたスマホをさっと出してきて一枚の写真を見せつけてくる。

 ガラスのひび割れが気になるけど、かろうじて何が写っているのかは分かった。小さな女の子が、ユニコーンカラーの刀を手にポーズをとっている。


「先月ね、前世の記憶が蘇ったんだよ。おじさんの姪っ子」

「へぇ。それはおめでとうございます」

珠灘飛鳥タマナダ アスカって知ってるかい? 鬼才って評判だった老剣士」

「分かります。確か何年か前に失踪騒ぎになって、結局見つからなかったお婆さんですよね」

「そうそう。失踪は五年前だね。ちょうど姪っ子が生まれた頃にそのニュースでもちきりだったから。その時はもう死んだものとされてたんだけど、やっぱりそういうことだったみたい」


 おじさんはスマホをいったん自分に向けて操作。今度はムービーだ。先程のものはポーズだけだったけど、こっちはなんか衝撃波みたいなものを打ち出している。

「ほら、これ。珠灘先生しかできないって言われてる幻の剣技。これでうちの姪っ子が転生証明したの」

 門司のおじさんは姪っ子自慢しながら幸せそうだ。


 だから、僕は自分で考えた。

 きっとこの小さな剣は、本来この子に贈るために造ったんだろう。でもこれを贈るのをやめた。なぜか。その答えはスマホにしっかりと写ってる。

 だって、考えてもごらん。彼女は幼稚園児ながらにして、自分の背丈と同じくらいの刀をぶんぶんと振り回しているんだよ。こんな小さな剣じゃ物足りないに違いない。プロの料理人におままごとセットを送るようなものだ。


「それじゃ、この剣もらいますね」

「うん。どうぞ使って」

「いつかおじさんの剣を使って、姪っ子さんが活躍するのを楽しみにしてます」


 僕がそう口にした途端、おじさんの顔がさっと曇った。あ……これ、やらかしたかもしれない。

「えっと、ね。実は姪っ子にはもう専属の職人がついてるんだよね、刀鍛冶専門の。おじさんほら、色々造るけど、あの子はやっぱりその道のベテランの作でないと満足できないみたいで」

「あ、そう。なんです、ね」


 言われてみたら、確かに彼女が手にしてた刀はおじさんの作じゃないかも。剣技に耐える性能は元より、このゆめかわなデザインを門司のおじさんが考えたようには思えなかった。ごめんなさい。


 僕はしょげてしまったおじさんの目から遠ざけるように、小さな剣をそっと鞄にしまう。僕には使い途はないけど、母さんは喜ぶはずだ。この間マンドラゴラの漬物を作ろうとした時に暴れて、包丁欠けたって言ってたから。


 気まずい沈黙が流れる。

「なんかさ、報われないよね。いっそ死んで来世に賭けてみる方がよかったりして」

 門司のおじさんはすでに魂が抜けたようにどんよりとした顔で、それでも笑って言った。冗談のつもり、かな。


「トラックに轢かれるのが一番良い転生手段だって聞きますよね。失敗したら痛そうなんで僕は嫌ですけど」

 僕も冗談で返す。おじさんは少しだけ笑ってくれた。


 死ぬこと、殺すこと。

 これらはかつては大きな悲劇と禁忌だったという。それが一昔前には良い転生ライフを送りたい人々の間でむしろ流行した。

 死に戻りデススポーンとか当時は言われてたらしい。


 誰も死を悼まないし、恐れはしない。なんなら人生の最盛期を繰り返す為に、老いを感じた途端に死にたがる。

 死に戻りデススポーンは確実じゃなく、場合によってはそのまま戻れない。最近では有識者もそう語ってるけど、信じるかどうかはその人次第。


 さすがに死を善しとするなんて、そんな考えは健全じゃない。転生ありきといえども、与えられた人生に感謝すべき。

 有識者の意見に加え、そういった主張の運動が広まったのもあって、十年前から再びこういった行為は禁止されるようにと法整備がされ始めてはいる。

 でも、死とその先の転生を願う人々もいまだ少なからず存在するのが、昨今社会問題となっていたりするのが現実。


「トラックねぇ。その分、殺し屋に払う額も大きいらしいし、おじさんにとっては夢みたいな話だ。でも、ちょっとくらい夢見ちゃうよ」


 生命の大切さを説きつつも、いざ自分の身になると死に急ぐ。そういう人々による予約が殺到するので、人気の殺し屋に依頼すると数年待ちになることも珍しくないと噂だ。

 でも殺し屋を雇う以前に、生活苦から生きていけなくなるのでは、と心配な人間も多い。

 それが僕らのような、非転生者。


 また気まずい時間。話題を変えようとしたのか、おじさんは遠くを見つめて、そういえば、と僕に問いかけた。


「君の夢って何だい?」


 深く、鋭く。その質問は僕を抉る。

 今朝書いた進路希望調査票のことを思い出す。一度書いて、消した幻。最終的に提出する時には『家業』と書き換えた。


「夢なんて、特にないですよ」

「そっかぁ。今の子ってみんなそうなの?」

「さあ、どうでしょうね。おじさんにも夢はあったんですか」

「今もあるよ、夢」

 おじさんはへらへらとした笑いを止め、真面目な顔でぽつりと呟く。


「いつか、誰かにね。おじさんの造った武器で世界を変えてほしいんだ」


 そしておじさんは再び気弱な笑みを浮かべると、片手を挙げた。ちょうどここからは分かれ道。また来年、と彼は背を向ける。


 独りになると、鞄の中の箱が動く音がやけに聞こえるように感じる。まるで生きているかのような犬。相手に合わせたつもりの小さな剣。これらを作れるような人が業界の底辺か。

 あんな冗談を言うなんてさ。なんだかやるせない。


 死ぬこと、殺すこと。

 それが善いとか悪いとか。倫理だとか効率だとか。選べる人達の間で日々交わされるたくさんの議論。僕はさして興味がない。考えても悩んでも、時間の無駄。


 どうせ僕らは、死んだら終わりなんだもの。

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