「非」転生少年

「素晴らしいわ。さすがは勇者志望!」

 僕は教室の窓から外を見ていた。

 窓際の一番後ろの席。時刻としては始業のチャイムが鳴ってから三十分弱といったところ。朝の日差しが柔らかくグラウンドに降り注いでいるけど、外に出る気にはとてもなれない。

 数学の時間にこんなに堂々とよそ見なんてしていると、いつものゆとり先生なら困り顔を浮かべてしまうと思う。でもそんな彼女も、本日はみんなと一緒にグラウンドに釘付け。


 だって今は授業中じゃない。これでも緊急避難中なんだよね。


 僕のクラスの教室は四階にあるのでこういう時には移動しなくて楽だ。難点は、避難してきた下級生のおじさんが窓際で興奮気味に何かぶつぶつと呟いていること。ちょっとうるさくて、席が近い僕は憂鬱。

 ただでさえ今日の放課後のことを考えたら気分が重いっていうのにさ。


 おじさんのはしゃぎようを見るに、まだ新人さんかな。外見的には転移者か、それとも覚醒直後かも。

 どっちにしてもすぐ日常に慣れちゃうんだろうね、きっと。みんなメンタル強いもの。うらやましい。


 やれやれ、と僕は机に肘をつく。目を閉じて、耳を手で押さえて。外の様子は知らない振り。放課後もついでに忘れたい。


 けれど平穏を取り戻すもつかの間。耳を塞ごうともお構いなしに、背後から甲高い大きな声が響いた。


「おっ、やっぱり三組の方がよく見えていいねぇ! センター席で観戦できるっつーの? 僕も三組だったらよかったなぁ」


 顔を見なくても分かる。一組の鈴木スズキだ。男子っぽい、というか。元々は男子で今は女子をやっている。僕の数少ない友達のひとり。


「おはよう、鈴木」

「おー、おはよ! 辺見ヘンミ、机貸してもらっていい? いいよな!」


 鈴木は僕の許可を待たずに机の上に腰を下ろす。短いスカートに巻いた髪、派手な化粧。いわゆるギャル。でも雑っぽく振る舞っているけど、座る前にきちんと載っていた教科書を隅へと片付けるあたりに性格が出ている。

 絡まれる僕を心配してか、それともただ鈴木のミニスカートが気になるだけか。例の後輩おじさんがさっきからこちらを見ているけど、うーん。友達をそういう風に見られるのは嫌だなあ。


 そう思っていると、彼の視線を遮るように僕らの間に長身のマッチョが割り込んだ。

「おはよう、桜井サクライ。ありがとう」

「すまん、鈴木が三組に行きたいとうるさくてな。俺には止められなかった」

「仕方ないよ。鈴木だし」


 桜井はどうして僕がお礼を言ったのかよく分かっていないっぽい。彼は色恋に鈍くて、推し以外の女子に興味がないんだ。だからつまりは、後輩おじさんの視線から鈴木を守ったのは偶然。たぶんね。


「いや、すごい! もともと群れてることが多いけどさ、この数は滅多にないぞ! 写真撮っとこうぜ!」


 鈴木は窓の外へと向け、マイペースにスマホを構える。キラキラなラインストーンがこれでもかというほどてんこ盛りにされているスマホカバーは、ボルダリングの壁がこれだったら足場に困らなそうって感じ。

 桜井も鈴木につられたのか、ストラップが本体よりも目立つ塊みたいになっている凶悪なスマホをポケットから取り出して記念撮影。一度だけシャッターを切り、僕の隣の席へと座る。

 うーん、僕は写真はいいや。


「鈴木さん、桜井くん。あなた達は一組でしょう? 教室に戻ってください」

「あ! おはよー、ゆとりちゃん先生。大丈夫大丈夫、授業再開までにはちゃんとクラスに帰るから」

「先生をそんな風に呼ばないでください! いつも言っているでしょう、鈴木さん! 或内アルウチ先生って呼んでくださいよぉ……」

「来世で会えたら考えとくね、ゆとりちゃん先生」


 騒ぐ鈴木にゆとり先生が声をかけるけど、まあ響かないよね。鈴木含めて誰も先生を名字で呼ばない。いつものことだ。

 先生は諦めてすごすごと教卓の方へと去って行く。それがいいよ、ゆとり先生。鈴木はいい奴だけど、人の話は聞かないから。


「ところで、外の奴らって誰が駆除すんの? もう助けって呼んでんだよな」

「最近は魔物の被害が多くて軍の人達が出払ってるから、救援来るのが遅いんだってさ」

「あっそう」

 聞いておいて鈴木はまるで他人事のようにスマホの時計を確認。

「できれば昼までにこのイベントが終わったらいいんだけどさ。学食、今日の日替わりハンバーグじゃん? ランチ食いに行きたいんだよね、僕」


 淡々とした鈴木に、桜井は心底理解できないといった顔を向けた。気持ちは分かる。僕もハンバーグっていうか、肉を食べたい気分じゃない。理由は簡単さ。

 僕は教室の窓から改めて外を見た。


 現在、グラウンドにはゾンビの群れが押し寄せてきている。季節外れだし、この様子だと自然発生ではなさそう。誰か悪い奴が集めて放ったんだろう。

 ちなみに先月はドラゴンだったよ。建物被害はゾンビの方がマシだけど、掃除はしんどいし食欲は失せるので、僕はドラゴンの方が圧倒的に好きだ。死にたくはない前提で、もしも殺されるんならドラゴン相手がいい。


「ところで、七東シチトウはどうした」

 僕の隣、七東の席に座りながら思い出したように桜井が尋ねる。

 分かってるくせに、と思いつつも僕はスマホを取り出した。彼とのチャット画面を桜井に見せる。


 アニメキャラのスタンプの列がこちらに笑いかけている。背景には『今起きた……』『ちょっと遅れます』『ごめん!』。

 そして続くメッセージは一言。


「『誤魔化しといて』か。七東もなかなか無茶なことを言うよな」

「うん。ゆとり先生が教室に着いたときにはもうゾンビ騒ぎだったから、今は遅刻はバレてないと思うけど」

、か」

 僕の言いたいこと、桜井には伝わったみたいだ。


 彼の家から学校まで、僕らが普通に移動すると一時間半は余裕でかかる。連絡があったのは始業ベルが鳴る直前だったから、もう三十分くらいは経ってるね。

 と、いうことはそろそろかな。


「お、辺見。噂をすれば」

 鈴木の声に僕は顔を向ける。長いまつ毛を纏うカラーコンタクトが見つめる先は窓の外。

「ほら見ろよ。勇者様のご登校だ」


 校門の遥か先に、ものすごいスピードで近づいて来る誰か。たぶん七東だ。いや、違うか。たぶんじゃないや。鈴木が言うんだから絶対に七東だ。

 彼は足を止めずに、ひらりと閉ざされた校門を跳び越える。速度は経験から常人の約三倍。跳躍力は何倍になってるんだろう。僕にはとてもじゃないけど、あの靴は履きこなせない。


 そんな七東もさすがにグラウンドのうごめくお客さん達を見なかったことにはできないようで、つんのめるようにして立ち止まった。

 頭に手を当てほんのちょっと考えて。背負ったスクールバッグをそっと地面に置く。

 やる気だ。


「良かったね、鈴木。昼休みには間に合いそうだよ」

「だな」

 桜井もうんうん、と頷く。桜井だけじゃない。きっと彼を知る誰もが同じように思ってるはず。ああ、七東だ。もう安心だ、って。

 僕は少しだけ物足りない気持ち。七東が出てきたら、もうこの騒ぎも終わりが近いだろうから。


 迫り来るゾンビを前に七東は余裕でストレッチなどしている。もちろんパフォーマンスだ。そんなことしなくても彼は本来大丈夫なので。身体を適当にほぐしたら、腕を空に向けてポーズ。そして叫ぶ。

「————!」

 うん、まあ。ここまでは聞こえないけど。


 でも聞こえなくても見えはする。七東の掲げた手に向けて光のようなものが集まり、形を成す。輝く聖剣。名前は何だっけ、さっき叫んでたやつ。

 僕は剣の名前を思い出そうとしたけど無理だった。考えるほどに思うんだ。どうでもいいかな、って。どうせ僕には関係ないし。


「剣だと? あいつ、見栄えで武器を選んでないか」

「マジそれな。中学の時からそうだけど、七東の奴、春は格好つけんのよ。新入生見てっからさぁ」


 さすがは七東と最も付き合いの長い鈴木。性格をよく分かってる。彼はそう、言ってしまうと目立ちたがり屋なんだ。すごく。


 そう話している間にも七東は煌めく剣を片手で軽々と振り回し、寄ってくるゾンビを次々と仕留めていく。刃の軌跡は光の帯となって宙を彩る。なんて豪華なエフェクト。ただやはり剣は剣なので、一撃で倒せる敵の数には限りがある。


 桜井が疑うようなコメントをしたけど、僕らは知っているんだ。やろうと思えばもっとあっさり敵を全滅させることができる武器を七東はいくつも持っている、ということを。

 どうしてこんなに回りくどいことをしているか。それはさっき言ったとおり。目立ちたいからだろうね、きっと。


「てか、辺見。ちなみに今更だけどさ、仏倉フツクラも遅刻だよな?」

「うん。結構レアだよね。それがどうかしたの?」

「いや、見えたから。ほら、あっち。裏門からプール回りでグラウンドに出る方の花壇らへん」


 鮮やかなネイルが指す方へ視線を動かすと、確かに仏倉らしき人影が動いている。顔まではさすがに分からないけど、あの長身で女子の制服なら仏倉だ。

 それにしても、寝坊常習犯の七東と違って仏倉が遅刻なんて滅多にない。珍しいからこそ僕は思う。なんて仏倉らしいんだろう。


 そもそもこんなゾンビ大量発生の日に遅刻なんてしようものなら、普通の人はこう考えるに違いない。あぁ、なんで今日みたいな日に限ってこんな状況なんだ、ってさ。おそらく仏倉も、まずは同様にそう考える。


 でも、そのあと。

 その感想における意味は、僕の想定とは真逆になるだろう。きっと彼女は今頃思ってるよ。やったぁこれで遅刻がバレないぞ、みたいにね。


 仏倉はゾンビの群れの横すれすれを通り、グラウンドを悠々と歩いて抜ける。元々その付近にいたゾンビ達は七東をロックオンしているので、仏倉には見向きもしない。たまにその存在に気付く奴がいるけど、そいつらはいつの間にか双銃へと武器を持ち替えている七東の攻撃で沈んでく。

 もし歩いているのが僕なら、ゾンビにすぐ狙われるんだろうな。あるいは七東の流れ弾に当たって倒れるのがゾンビじゃなくて僕の方かもしれない。


 間もなく、七東が今度は大鎌へと装備を替えて本格的に殲滅を始めた頃。そっと教室前方の扉が開いた。

 これまたタイミングよく、ゆとり先生は外の七東をはらはらしながら応援しているので、しれっと入ってきた仏倉には気付かない。


「おはよう、仏倉」

「どうも。ちょっと寝坊しちゃったけど、なんか問題なさそうだね。ラッキー」


 爽やかにピースなんて決めながら僕の前の席に座る。さっきまで近くにいたおじさんは桜井の姿を見て距離を置いたので、邪魔になる存在はない。席に着くと教科書を取り出して机の上にそれっぽくセット。準備完了。まるで朝からそこに座っていたかのように見える。

 要領がいいというか、とにかく彼女は本当に運がいい。


「ねえ、辺見。七東の討伐ショーは今始まったばかり?」

「十分前とかそこらだよ。でも七東にしては思ったより手こずってるみたい」

「なるほど、伝説の勇者もやっぱり数には勝てないか」


 それもあるけど、敵がよくないと思う。ゾンビってさ、きっちりトドメを差さないと起き上がってくるんだよ。キリがない。

 それでもそのうち勝てるとは思うけどね。だって七東だし。僕としてはできれば長引いて、なんならこのまま休校になってほしいところではあるけど。


「心配?」

 ちょっとした興味で僕は仏倉に聞いてみる。彼女は一瞬だけきょとんと目を瞬かせてから、ふふっ、と笑う。

「私が、七東を? まさか。時間がかかる相手で良かったと思っただけだよ。この間のドラゴンなんて、一撃で倒しちゃったじゃないか。もし今日がそうなら私はきっと、ここでこうしてゆっくりしていられなかったもの」


 微笑む仏倉は、中性的な雰囲気と相まってかわいいというよりはかっこいい。僕から見てもイケメンだ。背も高いとはいっても桜井みたいにごついわけではなく、モデルみたいにすらっとしている。

 実際、仏倉は僕らの中でも一番モテるんだよね。それも、女子から。七東も人気者だけど、もらう手紙やプレゼントは仏倉の方が多い。今この瞬間だって、明らかに手づくりと思われるクッキーを鞄から取り出して食べている。下駄箱にでも入っていたんだろう。


「あー、なんか僕もお腹空いてきたわ。てわけで、そろそろ手を貸してやろうかね」

 仏倉をちらりと見て、鈴木は派手な爪でスマホをなぞる。履歴から発信。スピーカーモードに切り替えて、掛ける相手はもちろん七東。鳴り響くコール音。


「……出ねぇな。そりゃそっか」

 そりゃあね、うん。そうだね。七東は今グラウンドで立ち回ってる最中だもの。着信音なんて聞こえてないに決まってる。

 さて、どうしよう。とはいえ、僕はここで待つ以外にできることなんてないんだけど。


「何か伝言があるなら、私が直接行ってこようか?」

 小さく挙手するのは仏倉。あの群れに戻るなんてよく言えたものだ。僕には真似できない。

 ただ鈴木はまっすぐに手のひらをかざし、首を横に振る。

「いや、それは良心が痛む。仏倉なら死なないだろうけどさ」

 正直に言えば僕も同感で、仏倉なら無傷だろうと思う。でもそれとこれとは別だ。女子を危険地帯に放り込むのは気が引ける。


「鈴木がそう言うなら、ここにいようかな」

 仏倉は浮かせた腰を再び下ろして長い脚を組む。本当にどっちでもいいんだろう。

 行けと言われれば行くし、待てと言われたら待つ。どっちを選んでも彼女の行く先に危険はない。そういう体質だから。


「じゃ、このまま七東に任せようか。いつかは駆除し終わるだろうし」

「仕方ねっすわ」

 鈴木も仏倉に合わせて傍観モードに戻る。僕は元からそのつもり。助けに行こうにも邪魔なだけだし、身の程はよく知ってる。


 すると、しばらくおとなしかった桜井が鈴木の方を向いて低い声で問いかけた。

「七東に、着信を気付かせればいいんだよな」

「おう。できるか?」

「そのくらいなら任せろ」


 ずかずかと窓に近寄り、開け放つ。僕は唐突にその先の行動を理解した。急いで耳を押さえ込む。鈴木と仏倉も察したらしく僕に倣う。

 桜井は大きく息を吸い込んだ。


「七東——ッ!! スマホ、見ろ——ッ!!」


 ……耳が、頭が。痛い。苦い顔をした鈴木と目が合う。仏倉ですら笑顔が引き攣ってる。桜井の声量は特別な能力スキルによるものじゃない。彼の日々の鍛錬の賜物的なやつだ。

 教室内の視線を一気に集めた桜井は、まるで何事もなかったかのよう。また七東の席を占領すると、鈴木に再度電話するようにスマホを指差した。


 再度のコール。今度はすぐに繋がった。鈴木はスマホをスピーカーモードに切り替えて机に置く。


「おーい、七東。聞こえてるか?」

[どうした、鈴木! 今、手が! 離せ、ない!] 

「見たら分かるわそんなもん。いいかよく聞けよ。第二校舎側のでかい木、そこから見えるよな? その下に行け」

「イチョウの木だぞ、七東」

「それそれ」


 グラウンドを確認すると、鈴木と桜井の指示に従い七東が移動を始めている……と、思ったらもう目的地。彼にとっては軽いジャンプで数歩の距離だもの。


[着いた!]

「今、おまえが来たのに合わせて隠れた奴いたの分かった? 髪の長い女。赤いワンピース着てる」

[なん、となく!]

「そいつな、周りのゾンビと比べて明らかにんだ。どこのどいつがゾンビ放ったのかは知らんけど、少なくともこの群れのボスはたぶんその女ー」

[了解!]


 ブツッと雑音を残して通話は切れた。鈴木の言葉を受けた七東は、武器を槍に持ち替え目につく赤い服のゾンビを片っ端から貫いてゆく。

 その刃先が、一体のゾンビに届いた。


「おっ! いいぞ七東、そいつだ」

「頑張ってね」

 窓越しに応援している女子二人。じゃない、違う。全校生徒と教員のほとんどが彼を応援しているはず。

 しかし赤いワンピースのゾンビはなかなか倒れてくれない。鈴木の鑑定のとおりにそこそこ強いみたい。


「結構しぶといね、ボスゾンビ。鈴木、あと残りはどれくらい?」

「HPの半分弱は削ってる。周りのゾンビはレベル20未満のザコだから急所ヘッドショットが決まれば一撃必殺ワンパンいけるけど、あいつは厳しいかな。レベル69なんだよね」

 だからって七東にとってはただのザコなんだが、と鈴木は続けた。鈴木によると七東はレベル99カンストなんだそうだ。


 鈴木曰く、戦闘においてはレベルよりも持ってるスキルやステータスの方が重視される場面が多いのだとか。ただ、これらは鈴木の眼には視えない。彼女のスキルで視認できるのは、相手のレベルとHPのゲージだけ。

 もうちょっと使えるスキルが欲しかった、って本人は事あるごとに嘆くけど、僕からすればそれでもうらやましいな。


 そんなことを言っている間に、七東は赤いワンピースのゾンビを仕留めた。

 ここまで届く断末魔。その悲鳴が合図のように、これまで何度倒しても起き上がってきていたゾンビ達の蘇生が止まる。これは勝ったね。


「素晴らしいわ。さすがは勇者志望!」

 ゆとり先生の瞳には涙が浮かんでいる。生徒の将来に期待しているに違いない。僕だって七東が高校を卒業してからプロ勇者として活躍するのが楽しみだ。経験者だし、資格試験は寝坊さえしなきゃ絶対に受かるはず。


 敵の数が減ってくると、腕に多少の自信がある戦闘系スキル持ちの生徒や先生も手を貸しにちらほら。ここまでくれば、殲滅まではもう間もなくだ。


 そして、事件の発生から、約一時間。


 教室に入ってきた七東は拍手で迎えられた。感動しているゆとり先生は遅刻のことなんてすっかり忘れてる。当然、お咎めはなし。

 先生陣はこれから緊急の職員会議ってことで、二限目は自習。いつもの流れだとこのまま三限目以降は掃除にあてて、昼食後から授業再開の予定になるだろう。


 この教室へと避難してきた下級生は、名残惜しそうに七東の前に群がっていた。後輩達に囲まれて、屈託のない笑顔をみせる七東。みんなの英雄だもんね。

 誰もが彼を讃える。僕ももちろんそう。でもたまにそんな光景を眺めて、ほんの少しだけ思う。


 世の中って、なんでこんなにも不公平なんだろう、って。


 僕は机の中から、こっそりと一枚の紙を取り出した。

 進路希望調査票、と題された下にある空欄。本来なら僕がここに書くべきは唯一、家業のみ。それ以外は許されない。

 でも……僕はふと、書いてみた。叶うわけがないと分かっているのにさ。


——『第一志望:勇者』。

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