ポーチング・ボート

第1話

 今日も今日とて、地面に残る汚染雨のせいで晴れていてもどこか雑巾臭く、巨大企業が支配するネオイーストシティ。


 その外れの一角にある、格安飲み屋街・酩酊通りドランクストリートの探偵・アイーダは、


「はあ……、仕事がねえ……」


 新調してもらったばっかりの本革製チェアに深く座り、吸えもしない煙草のパイプを掌で弄びつつ、深くため息を吐いてぼやく。


「お、言って良いですかっ! 言っちゃいますね! 言っちゃうぞこのやろーっ! この――」

「そうだな」


 それを見て、仕事部屋の掃除をしていたナビが、好機とばかりにシャカシャカ寄ってきて、このままじゃ潰れちゃいますよ、と言いかけて、だるそうにアイーダから事前に阻止されてしまった。


「ええーっ。先回りは止めてくださいよアイーダさぁん! ナビちゃんここぞとばかりに温めていたネタなんですよっ!」

「うるせえ」


 歌舞伎役者めいて器用につんのめったナビは、両拳を突き上げて抗議するがアイーダはにべもなくそう言って雑に会話を打ち切る。


「なんつうかこう、難易度の割には実入りのいい仕事こねえかな」

「この間も似たような事言ってたら、なんだかんだ大変な事になったじゃないですか。フラグ立てるの止めましょうよ」

「へっ、そう何回もあってたまるかってんだ」


 顔の前で手を振って、無い無い、と否定して一笑に付すが、


「おや、どなたか来ましたね」


 丁度良いタイミングで1階にあるインターホンから、事務所に来客を知らせるコールが入った。


「お、依頼主か?」

「どれどれ」


 居住まいを正したアイーダは、重厚なデザインのデスクにあるコンソールを操作し、ホログラムモニターを出すと、1階のホール部分にカガミの姿があった。


「おっすカガミ」

「どうも。今、時間いい、か?」


 黒い素体の上に、ビッグシルエットな灰色のフライトジャケット、というラフな格好の彼女は、気安い調子で左手を挙げてカメラ越しのアイーダへ挨拶する。

 その右腕には、防水カバーが掛かった平たい紙箱が抱えられていた。


「ゲーッ! 出ましたねッ! 私は良くないのでお帰りください!」

「君には訊いていない……ッ」

「勝手に帰そうとするな。特に用事もねえから入ってこい」


 その姿を見た瞬間、ナビはこれでもかと渋い顔になって、追い返そうととげしかない態度でわめくが、アイーダは意に介する事も無くロックを解除し、立ち上がって出迎えの準備をする。


「いったい何しに来やがりましたかお客様ァ!」

「休日に友人を訪ねただけだッ!」


 事務所に入ってくるやいなや、ナビは荒ぶる鷹のポーズでカガミを迎撃し、カガミは紙袋をアイーダに渡してから、なぜか螳螂とうろう拳の構えでそれに応える。


「それを言うならですよねッ! 正しい言葉を使ってくださーい」

「自称・恋人はストーカーだろう。むしろ私の方が正しい」

「異議ありなのです! 下心丸出しじゃないですか!」

「君だって下心あるだろう。四十八手を学習したと言ったのが証拠だ」

「はー? いつ言いましたかー? 何時何分何十秒! 地球が何周したときですかー?」

「間違いなくお前言ったぞ」

「……むう」

「なぜすぐバレる嘘つくのか?」

「むっかーッ! 今日という今日は、どっちが愛人にふさわしいか決着を付ける必要がありそうですねッ!」

「望むところだ……っ!」

「――いや、愛人にふさわしかったらダメだろ」


 低レベルのしょうも無い言い合いをする2人へ、カガミが持参した高級クッキーに目を奪われているアイーダが冷静にツッコミをいれる。


「そんなとこでじゃれてねえで、アタシとカガミにコーヒー頼む」

「はーい! アイーダさんのご要望とあれば! シュババ!」

「うわあ」


 メンチを切ってロックアップしていたナビが、あっさり手を離して居住スペースのキッチンへ向かったため、カガミはバランスを崩して顔面から合成木材の床に倒れ込んだ。


「お前も床も大丈夫か?」

「……ああ」


 憮然とした顔で立ち上がったカガミは、床を注意深く眺めてからそう頷きつつ言う。


「しかし、これどうしたよ。発送1ヶ月待ちとかだろ?」

「1ヶ月前に注文したんだ。その、あなたに食べて貰いたくて……」


 もうブリキ缶を開けていて、色とりどりのクッキーにウキウキなのが隠せないアイーダに、カガミは締まりが無くなりそうな頬を押え、視線を泳がせながら答えた。


「はいはいはい、お座り下さいオキャクサマー?」


 完全に恋する乙女と化したカガミへ、カップを応接用のローテーブルに置いたナビが、半ギレでそう言って彼女の腰の辺りにしがみついて押し、引き離しにかかる。


「まだアイーダさんに言われていない! ご免被る!」


 だが、カガミの全身義肢の方が出力が高いため、ほんのちょっとずつしか後ろに下がらなかった。


「じゃれてねえでさっさと座れ」

「助かる」

「のわーっ!」


 しびれを切らして3人掛けの方の中央に座ったアイーダに促され、スッ、とカガミが後退したせいで、ナビは前のめりに倒れ込む羽目になった。


「カガミ、お前マジで今日はなんの案件もないんだよな?」

「もちろんだ。休みに仕事は持ち込まない主義でね」

「いけしゃあしゃあと……。絶対なんか裏がありますってー」


 先程のカガミと同じ様に、ムスッとした顔で立ち上がったナビは、アイーダの右隣にいそいそと座ったカガミへ、疑いのジト目を向けながら自身は左側に座った。


「ないと言っているだろう。もうアイーダさんに嘘は吐かないと心に決めたんだ」

「信用出来ませんねぇ。1回同じ人を騙した人の言うことなんて」

「……。それを言われると反論しづらい……」


 首を傾げながら前のめりになって睨むナビに、うめえうめえ、とクッキーをサクサクやっているアイーダを挟み、カガミは目線をばつが悪そうに逸らす。


「なにお前ら辛気くさい顔してんだ。アタシばっかり食ってるといやしんぼみたいじゃねえか」

「私はそうは思わないが、まあそう言うなら……」

「じゃあナビちゃんも遠慮無く」

「お前は食えねえだろ」

「ご心配なく。この機体ってバッテリーとコンポスター炉とのハイブリッド式なんですよ。まあ低出力なんで補助電源にしかなりませんけど」

「ってなるとマジで高級品の部類じゃねーか。コイツの為に改めてどうもな」

「き、気を遣わなくていい。あなたへの恩に比べれば安いものだ」

「わーっ! そうやって物で釣るのは卑怯ですよっ」

「いや、釣られてねえから」


 ガッシリと両手で手を握られたカガミが、口元だけだらしなくデレデレ笑っている様子を見て、ぐぬぬ、とナビは眉間にシワを寄せて騒ぐ。


 コンポスター炉は、食品などの有機物を分解してエネルギーを生み出すもので、カガミの様な全身義肢者や臓器を置き換えた者には高出力、教育の為に必要な保育用アンドロイド等には低出力のものが主に登載されている。


「で、最近どうよカガミ。何か悩みとかねえか」


 握手の余韻で、どことなく幸せそうにチョコチップクッキーをかじるカガミへ、アイーダはコーヒーをすすってから脚を組みつつ横目で見やって訊く。


「悩み……。同僚の事をほとんど把握出来ていないこと、かな」

「……いや、馬鹿にするわけじゃねえんだが、なんだその新入りみたいな悩み」

「知っての通り、復讐に命も含めて全てをかけていたから、仕事中は目的を同じくする歯車ぐらいにしか考えていなかったもので……」

「それが良い感じにやっていく方向性になったもんだから、円滑にしようと会話でもしたら、怒らせたり引かれたりしたと」

「その通り……」


 大体言い当てられたカガミは、深く頷いてうなだれたまま盛大なため息を吐いた。

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