第5話

 2時間前。


 セーフハウスから出たカガミは、キンセン社の追っ手に気付かれて路地に追い込まれ、サイボーグの巨漢にのしかかられていた。


「へっへっへ、やっと捕まえたぜ」


 ぶっといサイボーグの腕で両手を押さえつけられ、腰の辺りを下敷きにされるカガミだが、その表情に焦りは一切無い。


「何をだ?」

「へ?」

「……」


 身動きがとれないカガミが抑揚のない声で巨漢に訊ねると、それはカガミに操られていた、もう1人の細身の男サイボーグに姿が変わった。


「お前達に気付かれたのは、わざとに決まっているだろう」


 巨漢の後ろに立っていたカガミは、彼らの電脳をハッキングしてまんまと識別信号を奪い取った。


「こちらA-14。弾薬の補充に1度帰投する」


 コピーした音声データを使い、細身男のふりをしてオペレーターに報告したカガミは、変装の上に周囲の〝眼〟を盗んでキンセン社へと向かった。


「……ついにが来たか」


 しかし、その一部始終を捉えていた、飛行船型球形小型ドローンがピッタリと後を付けている事に、〝眼〟を盗まれていたためカガミは気が付かなかった。


「もう少しだよ、お父さんお母さん――」


 カメラの向こうで、ある男がほくそ笑んでいるなど知るよしもないカガミは、低層ビルの屋根伝いを飛び移って行く。


 カメラや私兵の警備の〝眼〟を盗みながら、堂々とカガミは通用口から社屋に入った。


「おい、下級社員が――」


 セキュリティをクラッキングし、下っ端では入れないセキュリティレベル3エリアへ入ったカガミは変装を解き、角からやって来た社員へ45口径の自動式拳銃をぶっ放した。


 カメラ映像はここ数時間をループするものとなっていて、警備室はカガミの復讐劇のクライマックスが始まった事に気が付いていない。


「満ちていた達成感が、徒労と知ったときのサンプルが手土産か」


 カガミが作るオイル混じりのブラットバスを眺める、マッシブなサイボーグ男以外は。


 手当たり次第に私兵を殺害したカガミは、そのサイボーグ男――キンセン社長・カネイズミがいる社長室へと突入した。


「やあ公安0課のヤタ・カガ――」

「――死ね。カネイズミ・ナリヤ」


 部屋に入るやいなや、真正面の社長イスに座って出迎えた、男の頭部に45口径の弾丸をぶち込んだ。


 気が抜けた様に息を吐くカガミが死亡を確認するために、頭がぶっ飛んでスパークを散らす男に近寄った。


 カネイズミだったものからは生命反応が見られず、カガミは自身の復讐がなされた、と確信した。


 ――なぜ、私の所属と名前を知っていた……?


 だがふと冷静になって、その強烈な違和感に気が付いたものの、


「――話は最後まで聞くものだろう?」

「な……」


 時はすでに遅く、その死体から破裂する様に表面がパージされてピンク色の粘液が飛び散り、カガミはそれを頭からたっぷり被ってしまった。


 酸か、と思ったカガミだが、粘液が徐々に硬度を増していき、彼女の自由を急速に奪っていく。


「こんなもの……」


 カガミは全身義肢のパワーを全開にして、全身を絡め取る粘液から逃れようとするが、加速度的に増していく凄まじい弾力の前には抗えず、浴びた場所へ引き戻される。


「う、ぐう……」

「残念だったな。貴様の復讐は失敗だ」

「カネイズミ・ナリヤ……ッ!」


 完全に硬化して身動きがとれなくなった彼女の目の前に、先程、自身が破壊して入ってきたドアからカネイズミがニヤニヤと愉快そうに入ってきた。


「流石は私の描いたシナリオだ」


 憎悪と憤怒に満ちた様子で歯噛みし目を剥くカガミへ、カネイズミは勝ち誇った様にメガネを中指で持ち上げて言う。


「な、に……?」


 その言葉に、自身の復讐は予定通りである、という事に気が付いてしまったカガミは、その表情から急速に生気が失われていく。


「知っての通り、お前の両親が死に、お前がその身体になった事故の原因は私だ。そして、お前をここまで育てたオーナーもな」

「さわ、るな……」


 絶望に満ちた目を見開くカガミの頬に触れ、カネイズミは育った家畜を見る様に彼女を眺める。


「あ……、う……」

「せっかく私に最高の手土産を持参した褒美だ、意識だけは最後まで残してやろう」


 自ら、カガミのうなじに絡みつく硬化物にスプレーをかけ、それを溶かしたカネイズミは、部下の研究員が持ってきたカートリッジ型機器を取り付ける。


「あ……ッ」


 電脳接続部にプラグが刺さり、ビクン、と悶えるカガミは、直後に機器から電気ショックを喰らい、保護機能によってシステムを閉鎖モードにされた。


 ――私は。私はいったい、何のために生きて来たんだろうか……。


 意識だけを残されたカガミは、実験動物のようにキャスター付きケージの中に収められる様子を見ながら、その自問を延々と繰り返すしかなかった。


 ややあって。


「流石に、私兵を9割も使い物にならなくされたのは予想外だったな」


 所々ボディが損傷して返り血にまみれていたカガミは、洗浄された状態でキンセン社の実験エリアにとらわれていた。


 そこは2フロアを縦にぶち抜いた、影が出来ない様に白い照明が配置された収容室で、寝台に横たえられたカガミは、要所を分厚い金属の拘束具で固定されていた。


 ボディアーマーが剥ぎ取られ、瞼が開いたままの彼女のうなじにある電脳への接続部からは、太い配線が4本伸びていた。


「まだ電脳のロックは開かないのか。もう2時間は経ったが」


 上階からはめ殺しのガラス越しに彼女を見下ろすカネイズミは、サイバー端末を操作している研究者サイボーグへ訊ねる。


「はい、カネイズミ様。大変強固なものでして、進捗しんちよくは12%程です」

「そうか。幼児期から全身義肢者のデータは稀少きしようだ。ここまで生育したコストを無駄にしないよう、くれぐれも慎重に頼む」

「はっ」


 その報告を聞いて、カネイズミは苛立たしそうに唇をへの字に曲げたが、ご苦労、と告げると収容室内への音声を切って部屋を去った。


 やっと、好機が巡ってきたと思って、飛びついた結果がこれか……。


 人生すらカネイズミの計算上であった事を知ったカガミは、時間感覚も曖昧な、白光の世界の中で脳内に響くアラートをどこか他人事の様に聴いていた。


 私の感情すら、あの男の筋書き通りなのだろうか……。利用しただけとはいえ彼女たちとの出会いもなにもかも……。


 ああだこうだ言いながらも、お互いを大事に思いあう1人と1体の記憶メモリがカガミの脳裏によぎる。


 ならばもう、このまま全部諦めてデータの海に溶けてしまおうか……。こんなに辛くて苦しくて、虚しいシナリオを演じるよりはその方が――


 彼女の意思に答えるかのように、進捗が一気に40%台へと迫って、


「うーん、やっぱり毒親のいる実家は顔を出すのも嫌ですね!」


 唐突に、妖精の様な可愛らしい声が聞こえて停止した。


「なん――」


 研究者サイボーグはその声を聴いた瞬間、無表情で直立して口を開けると、そこからドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』が流れ始めた。


「なんでこんなもん流してんだよ」

「ほら、バイオレンスシーンの定番演出じゃないですか」

「だからって人間とかの口から流すな。気持ち悪い」


 それは社屋内全てのスピーカーやサイバー端末から流れていて、それに紛れてすぐ足元から1人と1体の掛け合いがカガミに届いた。

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