第二話
突然元気がなくなっていたモトヤではあったが、バイトから帰ってくると元気になっていた。不可思議である。
「身体を動かしたのが良かったんだよなあ」と本人は
どうにも解せぬ。
訳が分からぬならば、分かるまで自制するのが良い。吾輩には当たり前の知恵が、単純なモトヤの脳味噌からは生まれぬらしく、またぞろドウブを部屋に呼んで酒盛りを始めた。
今日は部屋を薄暗くしてホラー映画を見るそうだ。吾輩も座布団の上からそれを見る。吸血鬼と呼ばれる怪物が、夜な夜な女の血をむさぼり、手当のためにやってきた医者と対決するという筋だった。月光を浴びて蘇ったり、十字架やニンニクを怖がったりした吸血鬼は、最後に杭を胸に刺されて息絶えた。
暗い画面、衰弱して気が狂った女達、不気味な古城。それらが恐怖心を煽るという趣向らしいが、夜目が利く吾輩にはさしたる趣も無い。むしろ、自分で部屋を暗くして怖がっているモトヤが滑稽に見えるのみ。
ドウブの方はと言うと、腹の内が見えない薄笑いのまま画面を見ている。驚いた表情も嘘くさい。そうしてモトヤに調子を合わせながら、酒をドンドン注いでいくので、映画が終わる頃にはまたぞろモトヤは顔を赤くして、フラフラと前後左右に揺れることになった。
ドウブはモトヤの肩を引き寄せると、「僕のことは気にしなくて構わない。寝ていろ」と耳元で囁いた。モトヤがまるで子供が親にもたれかかるように、安心した顔で目を閉じた。ドウブは闇の中で青白く光っている。そして、品のある仕草でモトヤの髪を掻き分ける。
その眼が赤く燃えた。
ドウブが大きく口を開くと、鋭く大きな牙が闇に現れたのを吾輩は見た。
牙が獲物の首に突き立てられる。ゴクリ、ゴクリと嫌らしく嚥下する音が聞こえる。
これはつい先ほど映画に出た吸血鬼という化物そのものではないか。
吾輩は即座に立ち上がり、モトヤを捉えている腕に飛びかかり、爪を立てた。
モトヤの体調がおかしかったのも、血を吸われたことが原因ならば得心がいく。すぐにこの行為を止めねばならぬ。
しがみ付いた途端に、ぞわぞわと冷気が身体にまとわりつく。噛みつけば、歯がうずく。
ドウブは痩せた外見に似ず、まるで力を緩めぬ。爛と光る眼がこちらを見たかと思うと、虫でも払いのけるみたいに吾輩を弾き飛ばしてしまった。
空中で身をよじって、足から着地しようとするが、精気を吸われた手足はかじかんで動かぬ。尻から無様に落下する。うーむ、屈辱。
ドウブが蛇のように身をもたげる。その唇は真っ赤に染まっており、妖しい美しさを与えている。
そして、吾輩を見て、「取るに足りない」とでも言うように鼻で笑ったドウブは、床を滑るようにして玄関へと向かう。カーテンの隙間から漏れた月光が、一瞬その腕を照らしたかと思うと、吾輩がつけた傷はさらりと消えてしまった。
モトヤに近付くと、顔は蒼白で息も切れ切れ。温かかった手も随分と冷たくなっている。吾輩は少しでもモトヤを温めてやろうと、膝に乗って身体を丸くした。
丸一晩が経って、ようやくモトヤが目を覚ました。唇は青く、時折身体を震わせている。動きも鈍い。
「俺寝てたのかな。あっちゃあ、ドウブの奴に悪いことしちゃったな。謝らないと」
首の生え際に新たな噛み傷をつけられていながら、モトヤは吸血鬼にまるで気付いていないようで、むしろまだ関わり合いを持とうと愚かな考えをしている。
立ち上がろうとして、何もないところで倒れそうになっている。前回より症状が悪化しているのは明白である。このままでは、身動きもできず、食事もとれず。終いには、映画のように痩せ細って死ぬであろう。
吾輩は、懸命に「ドウブに会うことを止めよ」と忠告するのだが、鈍感な人間は猫語を介さぬ。声を張り上げ、耳を寝かせて、尻尾を振り、全身くまなく使って雄弁に訴えておるのに、「寒いな、ストーブつけようか」と見当違いな事をほざく。
不意にドウブの浮かべた嘲笑が蘇ってくる。こちらの徒労が見透かされているかのようで、腹がむずむずして心地が悪かった。
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