雪道は滑りやすい
むらた(獅堂平)
雪道は滑りやすい
その日、都内は大雪警報が出ていた。
テレビで二十一時のニュース番組が始まった時、外から争う音が聞こえたので、彼女は窓外を見た。
スーツを着た若い男女が口論しているようだ。女は傘を差しているが、男は傘を差しておらず、頭には雪が少し積もっていた。
車道から聞こえる騒音でよく聞き取れないが、二人が喧嘩をしていることはわかった。
(私の家の前で、喧嘩はやめてくれないかしら……)
満里奈は男女に気づかれないように外の様子を見続けた。
「あっ」
男が女を殴ったので、満里奈は驚きの声をあげた。
女性は歩道に倒れ、男は女の傘を奪い取り、去っていった。
*
**
***
「被害者の名前は
若手のホープの田中刑事が説明した。
「そうか。死因は?」
三枝警部補が聞いた。しかめ面が張りついたような中年男だ。
「死因は、殴打によって倒れこみ、当たり所が悪かったようです」
田中の発言に、三枝は首を傾げ、
「なぜ殴ったとわかる? ひとりで、雪道で転んだのではなく?」
と言った。
「男女が口論している姿を見たという目撃者がいます。殴られたあと、雪道で滑るのも相まって、したたかにコンクリートに後頭部をぶつけているようです」
「ふむ」
「通報してくれたのも、その目撃者です。名前は滝田満里奈。三十二歳。都内の通販会社でパートタイムをしています」
「他に目撃者は?」
ギシリと三枝の座るパイプ椅子が鳴った。
「慌てて逃げる男を、近所の住人が目撃しています」
「そうか。まあ、すぐに解決しそうだな」
三枝は腰を上げた。
「どこへ?」
「毎回、そうやって聞くのをやめろ。この貧乏揺すりでわからないのか」
警部補は自分の右足を指した。
「ニコチンタイムだよ。ここは禁煙だろ」
三枝は会議室を出て、喫煙所に向かった。
*
昨夜会ったばかりの女の顔が映っていた。彼女は何者かに殴られ、打ち所が悪く死亡したとアナウンサーが伝えていた。
「ま、まさか、あの時」
昨日の出来事を思い出した。彼女を殴ったのは間違いなく本堂だ。
「お、俺が、殺人……」
本堂はガタガタと震え、寒気が止まらなかった。
「俺は、ただ、傘を返してもらおうとしただけで……」
昨夜、セミナー会場の出入口の傘立てに置いた彼の傘がなくなっていた。直前に女が傘を持って行く姿を目撃していたので、瞬時にその女が犯人だと気づいた。
追いかけて問い詰めると、女は素知らぬふりをした。本堂のことを「ナンパ目的でしょ」と反論するので腹ただしかった。
「傘を返せ」
と相手の頬を殴り、傘を奪った。
*
「調べたところ、仲代明日香はセミナー会場をでた直後に襲われたようです」
田中刑事が三枝に報告していた。
「セミナー?」
「IT系の勉強会のようです。ユーチューブなどで有名なひらがなの配信者がきて、偉そうにセミナーしていたようです」
「ふうん。それで容疑者らしき人間はいたのか?」
三枝が聞くと、田中は首肯した。
「はい。被害者の後、すぐに会場をでた男性が数名います。そのうちの一人が犯人かと思われます」
「ほお」
「犯人は、被害者に興味を持ち、ナンパ目的か何かで近づくものの、素っ気なくされたので殴ったといった感じかと思われます」
「だろうな。近所の防犯カメラを確認すれば、犯人はすぐ割れそうだな」
三枝は退屈そうに両手をあげて伸びをした。
*
恋人の仲代明日香が死に、
仲代とは付き合って一年になるが、そろそろ別れたいと思っていた。最近、彼女のワガママが酷くなっていた。
先日のデートでも、ランチに選んだ店が気にいらなかったようで、夜になっても不機嫌なままで性交を拒否された。
何かあれば、「女の子は弱いの」と言いつつ、彼をストレスの捌け口にして罵詈雑言を浴びせてくることも多かった。
手島は仲代を亡き者にしようと策を練っていた。こっそり、彼女のパンプスのヒールの根本に、目立たない程度の切り込みをいれておいた。
この工作によって、出勤中にヒールが折れ、地下鉄の階段で転んでしまうことを夢想していた。
「こんなに上手くいくとはな」
手島は笑いが止まらなかった。昨夜の積もった雪が作用し、彼女は暴漢に殴られた瞬間、ヒールが折れ、勢いよく地面に叩きつけられたのだろう。
雪国ではブーツなどを履くが、都内の女性は雪が積もってもパンプスやヒールを履く女性は多い。仲代明日香は後者の人間だ。
「浅はかだから、死ぬんだよ」
手島はスマートフォンの連絡先一覧にある『仲代明日香』を削除した。
***
**
*
満里奈は慌てて家を出て、
「大丈夫ですか?」
倒れた女性に声をかけた。
「え、ええ……」
女性はふらめきながら立ち上がった。
「お怪我はないですか? どこか痛いとか?」
満里奈が尋ねるが、女性は男性の去った方を睨みつけながら頬を押さえ、
「あいつ、許さない」
とつぶやいた。
女性はそのまま駅に歩こうとしたので、
「待ってください。本当に大丈夫ですか?」
彼女のスーツの裾を掴み、止めようとした。それが間違いだった。
女性は右足がガクリと折れ、雪で滑り、後方に勢いよく倒れた。
鈍い衝撃音が響き、彼女は動かなくなった。
「ああ……」
満里奈は青ざめた。恐る恐る確認すると、彼女の意識はなかった。
雪道は滑りやすい むらた(獅堂平) @murata55
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