揺れる②
収穫祭の日は、学校が午前中で終わってしまう。ディアトーラの国民であるルカの学友達は家に戻り、収穫祭に使うパン作りをしたり、蝋燭の準備をしたり、忙しくなるからだ。
しかし、この行事に元首の家族であるはずのクロノプス家は加わらない。
いや、同じようにパンを食べ、りんごジュースを飲み、一年の豊穣を祝い、収穫祭で使われる大樹の小枝で出来ている榊の準備もする。十歳になったルカは聖水の準備をすることにもなっている。榊から落ちる水を聖杯に集める仕事である。上弦の月から満月までの七日間、
ルカはこの一週間、それをずっと欠かさずに勤めてきた。
今年生まれた者が加わる灯火の行列の最後、教会に向かう町衆は、その榊で身を祓い合う。
豊穣を祝うためにルカが祈りを捧げた聖水が皆に降り注ぎ、祝福される。
セシルが言っていた。
「榊の水がディアトーラの者達を女神さまから護っているのですよ。女神さまは、榊の匂いのするディアトーラの者達をちゃんと区別しておられますから」
両親は灯火の行列が行われる間、町を見回りして回る。不測の事態を警戒するのだ。だから、両親も、祖父も今からは町にいる。もちろん、今年生まれたグレーシアも灯火の行列には加わらないし、ルカも加わっていないらしい。それは、『森の女神さまに祝福された命ではないから』らしい。
クロノプス家は元々魔女の贄になるために存在する家だったから。でも、その魔女さまは、今は不在なのだそうだけれど。
「でもね、クロノプスの者たちは、魔女さまからも女神さまからも、信頼を得ているのですよ」
セシルはルカに伝えた。だから、クロノプス家は行列に加わらなくても、森の深部まで辿り着くことが出来る。
ぼくは、辿り着けるのだろうか……。
ルカはそんなことを考えながら、太陽が傾き始めた森を眺めた。
ときわの森はまだ少し不安定な気がする。どこがと言われるとルカにはよく分からない。だけど、ルカが小さな頃から、森は揺れ続けていた。
「大丈夫だよ、だって、リリアさまは何にも悪くないでしょう? 母さまが言ってたよ。リリアさまは良い子だから、きっとたくさん褒めてもらえるよ」
その言葉がちゃんとリリアに届いているかどうかは分からないが、森に入ることを許されていないルカが出来ることは、これしかない。
その揺れは、何かに怯えているような、そんな揺れにも思える。
「リリアさまにも怖いものがあるのかな……」
そう思い、籠の中で眠っているグレーシアを眺め、頑張って声を弾ませる。
「シアは、初めての収穫祭だね」
きっともうすぐ、祖母のセシルがルカを呼び、シアも連れて、パンと林檎のジュースをもらいにいくのだ。シアが町中のみんなに紹介される。
きっと、両親に似ていると言われる。
そう思うと何故か胸が重たくなる。ルカは芝生の上に置かれた籠の横で、膝を抱えた。
そうだよ、とっても可愛いんだよ。
そう言って笑えばいいのかな。
そうだよ、父さまと母さまに似ているんだよ。
そう言って、やっぱり笑えばいいのかな。
膝を抱える腕に力が込められると、ルカの顔はその膝に埋もれた。
「でも、シアが悪いわけじゃないし、シアは僕の妹だし。だから……」
どう思えばいいのか分からない。
ベルタの言う通り、僕は『本当の子ども』じゃないの?
本当の子どもってなんなの?
ルカは学校で言われた、悪意の感じられない質問をずっと考えていた。
そう、ベルタに悪意は無い。例えば、そこに悪意の名前を付けるのであれば、「やきもち」だ。それは、「嫉妬」にも至らない程度の、羨み。言ってみたいだけの、そんなやっかみ。
だけど、ベルタはずるい。
その話をする時は、いつもルカが一人の時だ。
「ねぇ、ルカって森で拾われたの?」
「……」
そうなの?
「だから、ルカだけ髪の色が違うの?」
「……知らないよ」
それは、興味とも好奇心とも言えるそんなものから発せられている。そして、ルカはそれに対抗する言葉を持っていなかった。
森の中で拾われた。魔女はかつて森の中に住んでいた。
これは何もベルタに限らず、時々耳にする言葉だった。それを直接ルカにぶつけたのが、ベルタだけの話で、なんとなく、エドも知っていると思えることで、ヒロだって、ミモナ、モアナも知っているように思えるもの。
母さまは魔女だったと言われている。だけど、それは関係ない。
みんな、母さまのことは好きだから……。
瞳の色は同じかもしれない。でも、髪の色は母さまとも違う。
例えば、母さまの子だったら、拾われたなんて言わない。森に住む別の魔女さまがいるから、そんな話になるのだ。
父さまの子ではあるのだろうか。
でも、父さまとは、全部、全く違う。
そして、ルカはエドのお母さんのお乳を飲んで育ったという。じゃあ、エドのお母さんがルカのお母さんなのだろうか。それでも、ルカとエドは全く似ていない。
……それに、エドのお母さんが、僕を森へ捨てたりするはずがない。
「ふーん。でも、ほんとの子じゃないんだったら、ルカはずるいよね」
「……どうして?」
「だって、僕もルディさまとルタさまの子どもになりたいもの。いいなぁ、ルカは。ルディさまもルタさまも優しいもんね。怒鳴られたりしないでしょう?」
「うん……」
ルカの返事はどこに対しての肯定だったのかも分からない。その後のベルタの言葉はほとんど覚えていない。
僕って、ずるいの?
ただ、それだけに囚われた。
風を叩くような羽音と共に、籠を掴む爪の音が耳に響いた。
「くぉ?」
首を傾げたインコちゃんがルカの腕に飛び移る。
「インコちゃん、ぼくね、」
「だ、だ、だ」
インコちゃんの羽音に目覚めたグレーシアが手を伸ばしていた。そして、ルカに気付いたようにして、ルカに視線を向ける。父と同じ色をした母のような瞳で。
「お、お」
「あ、シア、おはよう。ご機嫌さんだね」
グレーシアがにこっとルカに笑いかけた。
「あぁあぁう? おっ、おお」
「いないいない?」
そう言いながら、袖口で目を擦ったルカの頭に、インコちゃんが飛び乗った。
「わ、ちょっと、え、まってよ」
髪の毛を掴まれ、ぐしゃぐしゃにされて、慌ててインコちゃんを下ろそうとするが、なかなか上手くいかない。その様子を見たグレーシアがキャキャと声を上げて喜んだ。
「シア、ひどいよぅ。そんなに笑わなくても……」
「あ、あ」
そう言ってシアが手を伸ばすと、ルカの頭上から元気な声で名前を呼ばれた。
「ルカ」
「あ、テオ……」
インコちゃんを頭に載せたままのルカが、恥ずかしそうにテオを見上げた。インコちゃんが首を90度くらい回してテオを見つめると、テオはインコちゃんに釣られて首を傾げていた。ルカがクスリと笑う。その仕草はルタに似ている、とテオは思う。そんなルカにテオが続けた。
「グレーシアの授乳の時間なんだって」
そう言いながら、既にしゃがんでいたテオが「シア、ごはんだよ~」と笑いながら、グレーシアを籠から抱き上げていた。人見知りが強いグレーシアだが、ずっと出入りしているテオにはあんまり泣かなくなっている。だから、ルカも安心して見ていられた。
「そっか」
「うん、ルカもそろそろパンをもらいに行くんだよね?」
その後に続けたい言葉をルカは噛み砕くようにして、「もちろん」と笑った。
「後で行く。だから、先に行ってて」
シアの籠の中は空っぽになった。テオの背が遠退く。
インコちゃんが、ふわりとルカの肩に止まった。
ひとりだ。だけど、誰にも会いたくない……。
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