誕生②


 ルタが出産したのは、夏至を過ぎてしばらくした頃だった。

 太陽が燦々と差し込むその日、領主館では、元気な産声が響き渡るまで、セシルとマリエラ、フィグが慌ただしく走り回っていた。

 ルディとアノールは、その様子をただそわそわと見つめているだけで、時々ルディが待ちきれず「お医者様に尋ねてくる」と言うのを、アノールが止める、を繰り返していた。

「心配ない。きっと元気に生まれてくる」

 そう言いながら、アノールもその言葉に根拠がないことを知っていた。ただ、手持ち無沙汰をなんとか言い聞かせようとしているだけなのだ。


「でも……ルタも心配だし……」

 本格的にルタが苦しみ始めた頃に、セシルに追い出されたルディは、一時間ほど前に「そろそろ生まれるのかもしれません」と言って、自ら様々な手配を始めたルタを思い出しながら、壁の花にしかなれずに突っ立っていた。

 あまりにも何も出来ないので一度「母さん、あのさ」と、何か出来ることはないのか、を尋ねようとすると、「陣痛ですので、心配ないわ」とだけ教えられたけれど。


 すごく痛そうだった。

 でも、どうすれば良いのか分からない。忙しそうだし、声かけるのも迷惑かな。

 壁の花の理由は、ただそれだけだ。

 だから、ルディは慌ただしい女性陣に道を空けるしか出来なかったのだ。


「呼ばれるまで、仕事でもするかな」

 どこか区切りを付けたようにアノールが言う。

「落ち着かないけど、そうだね……今日の見回り出来てないから、行ってくる」

 何も声を掛けられないということは、とりあえず、ルタも赤ん坊も心配ないはずだとルディは自分に言い聞かせた。


 ☆


 赤ん坊を外に出すことに必死になっていたルタの意識は、赤ん坊のか細く命を叫ぶ泣き声と、セシルの「ルタ様、生まれました、女の子ですよ」という涙声とともに切れてしまった。

 無事に生まれたということで、安心したことと、貧血を起こしたということもある。

 窓の外にはそんなルタに微笑むような、薄い三日月が空に浮かび上がっていた。


 ルタが目を覚ますと既に産湯できれいになった赤ん坊がおくるみに包まれて、籠の中で眠っており、ルディとセシルがベッドに突っ伏していた。また、『何かあったら大変だから』と無理をして起きていたのかもしれない。そう思いながら、生まれる前に伝えられたセシルの言葉を思い出す。


「ルタ様、いいですか。ルタ様は赤ちゃんの母親ですが、いつものように頑張りすぎることのないように、いつでもわたしを呼んでくださいよ」


 似たもの親子であると、ルタは思わず微笑んだ。ルディも同じようなことを言っていたのだ。

 ふやけた皮膚を持つ真っ赤で小さき人間。ルカは少なくともふやけてはいなかった。まずそれが第一印象。そして、頼りない泣き声に、無限に叫ばれる命を感じ、掻き抱きたくなる衝動を覚える。

 寝顔を見ていると、嬉しくて涙が出てくる者。とても大切だと感じさせる者。

 出産後、無事に取り上げられた我が子への感想だった。


 そして、それは痛みも含めてアリサの言った言葉通りだった。いや、痛みとしては、内臓を抉られた時の方がまだましだったかもしれない。

 あの時は、痛みをもたらす者から逃げられたが、出産の痛みからは逃げられなかった。

 あの時はルタの死を望む声しかなかったが、今回は無事を願われ、声援を送られていた。

 マリエラもフィグも、セシルもルタのためにだけ、声を送ってくれていた。

 だから、セシルの言葉『幸せの中』の意味も分かった。


 ルタは祝福の声の中にいたのだ。


 その祝福と共に生まれた赤ん坊は、『グレーシア』と改めて、ルディから名付けられた。


 そして、赤ん坊の名付けもされた出産後初の朝に、セシルがルタに働く禁止令を出したのだ。そして、ルディも思った通り、それに賛同する。多分、顔色が戻らないままのルタが、いつも通りに働こうとしたことが悪かったのだろう。


「ルタ様は出血が酷かったのですよ。赤ちゃんのお世話だけなさって、もう少しお休みください」

「そうだよ。僕も出来るお世話はするから。ルカの時もしたから大丈夫。シアにもたくさん抱っこするって約束したし」

 二人してルタを監視する番犬のようだった。その後からルタが動こうとすると、キャンキャン吠える。


 何しろお医者様から『5針縫ったので、抜糸が終わるまで無理をさせないように』と聞いたルディの衝撃は、相当なものだったのだ。ルディは自分の腕を眺めながら尺を取り、「一針ってこのくらいだよね……え、こんなにっ」と驚き、そのまま顔を青くした。おそらく大きく勘違いはしているのだろうが、大きくは間違っていない。


 だから、夜中にグレーシアの泣き声がすると、ルディがぼんやり起き出して、オムツ交換をしてくれる。あやして寝かしつけてくれる。しかし、実際はルカよりも生まれて間もないシアに困惑し、時々、困ったように時間を止めていることがあるのも確かだった。それでも、ルタが眠っていると思っているルディは静かにそれを解決しているようだった。

 そんな彼らに様々制限されてしまった結果、結局ルタは数時間置きの給餌役のような存在だった。


「シア、ほらさっきおっぱいもらったとこでしょ? だから、ねんねするの。わかる? 寝るの」

 ぼんやり起きてはパタリと寝込むルディを見ていると、ルタも起きているのだから、別に起きなくても良いとも思うし、起きてしまうなら、別の部屋で眠っても良いと、思うこともあった。実際、この夜のお世話のために、ルディの眠気は日中にも及び、アノールに国内のことだけを任せると言われることになったのだから。


「お前は内のことに専念しろ。各国元首にその顔を見せることは出来ないからな」


 納得いかない、とルディは言わなかったらしい。自覚はあったのだろう。

 確かにディアトーラ国内だけなら、ルディをよく知る民との付き合いのみになる。きっとそれが良い。しかし、今、ルディが諸外国に顔を出さなくなれば、ルディが進めようとしている国境の引き直しが、進まなくなることも事実だった。


 だから、泥のように眠るルディを見て、ルタはルディを想う。きっと、ルタがそれを口にすると、「仕方ないよ」と言うだろう。きっと、「国境を引き直せなくても、ときわの森への侵入は止めるように頑張る」と言うのだろう。

 だけど、違う。

 これは、ルディが領主になる前に成功させた政策として、とても大切なものなのだ。ルタは、それを頭で理解し、ルディの気持ちを思えば、心を痛める。


 それでも、今回はそれに甘えようとルタは思ったのだ。理由は体がまったく回復しないからだった。

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