誕生➀


 ルディとルカが剣術の練習をしている。

 まだ、ルディが示す場所をただ打つだけの簡単なものだけれど、随分とリズムよく打てるようになってきたものだ。

 カン、カン、カン。

 お腹の大きくなってきたルタはそんな音を聞きながら、赤い薔薇の下でルカの乳児用ドレスを広げ、見つめていた。


 二歳で正式にクロノプスに迎え入れられたルカに、セシルが仕立ててくれたものだから布地は充分にあった。本当は裁縫を好むセシルが仕立て直したかったのだろうが、セシルは微笑みながら、こう言った。


「私にとっての最初の孫はルカですから、仕立て直しはルタ様にお任せしてもよろしいでしょうか? 最近お針仕事も辛くなってきましたし。一歳の誕生日までに作れば良いのです。赤ちゃんのお世話はもちろん、私もお手伝いできますし、落ち着いたら、ルタ様が好きなようにお作りくだされば良いと、思いました」


 ルタはそれが事実であることも、嘘であることも知っている。

 ルタが大きくなってきたお腹を見ながらセシルに呟いた結果なのだろうと思っている。


 そして、最近、ルタの身近な者が気持ちに嘘をつくことが多い気がした。その嘘は、傷ついた、騙されたというものではなく、どこか寂しいものにも、彼らの優しさにも感じられる。

 音が止む。

 ルカの稽古が終わったようだ。だから、ルタも嘘に付き合う。優しいルカを傷つけないように。


「かあさまぁ」

 ルタは走ってくる稽古着を着たルカを微笑みで迎える。

「ぼく、上手になったでしょう?」

「えぇ、そうね。とても綺麗な音が出ていましたね」

 ルタはにこりとしながら、ルカの頭を撫でる。

「父さまも、褒めてくれました」

 ルカは嬉しそうに自慢すると、ルタのお腹に話し出す。


「赤ちゃん、今日、兄さまは父さまにほめられましたよ。ねぇ、母さま、赤ちゃんぼくのこと好きかなぁ」

 ルタは微笑み「好きだと思いますわよ」とルカの頭を優しく撫でた。

「ふふふ。あのね、赤ちゃん、父さまは、今お祖父さまとお稽古しているのですよ」

 そう言うと、ルタのお腹を撫でながら「かわいい、かわいい」と呟く。

「ぼく、見てくる」

「お邪魔になってはいけませんよ」

「はーい」


  駆けていくその小さな背中を見つめながら、大きく息を吐き出す。ルタの視線は再びその乳児用ドレスに戻る。ルカも身につけた、そのドレス。

 生まれてきた子の魔除けの意味を込めて作られる、花嫁のヴェールを使ったドレス。

 魔女ではありませんように。時の遺児ではありませんように。

 そんな願いを込めれば、ルタの気持ちは収まるのだろうか。

 そんな風に溜息をつきそうになった時、お腹をぼんと蹴られた。

「あ、ごめんなさい。母さまが悪かったわ。大丈夫よ、きっとあなたはルディによく似た人間ですわ」

 ルタは慌てながらも、そのお腹に優しく手を当て、慈しむように視線を落とした。


 しかし、ルタ自身、自分がどんな視線をその子に落としているのかを知らない。

「かあさまぁ」

 再びルカの声がする。そして、視線を上げたルタの目には、ルカに引っ張られる、稽古着を着たルディが見えた。

「父さまね、おじいさまにね、勝ったの」

 嬉しそうに報告するルカに、照れ笑いをするルディがいる。彼らの表情につられるようにして、ルタも微笑む。そして、ルカがまるで自分のことのように、興奮している。

「すごいでしょう? 褒めてあげて」

 ルカに促され、ルタがルディに視線を戻し、「良かったわね」と穏やかな声でルディに祝辞を述べる。


「あのね、赤ちゃん、」

 ルカが息を切らせて、一呼吸おいた。

「父さま強いんだよ。早く出てきて、いっしょに見ようね」

 ルカはやっぱり嬉しそうに報告する。

「そろそろだね」

「えぇ」

 穏やかなルディの声に、ルタもやはり穏やかに答える。


「そっか。そろそろ朝ごはんだ。ぼく、おなか減っちゃった」

 なにが「そろそろ」なのか、少し首を傾げていたルカがにっこり笑って、ふたりが動き出すのを待っていた。そんなルカに、ルタとルディが微笑みかけた。

「そうですわね」

「じゃあ、ルカは父さまと一緒に汗を綺麗にして、身支度してから食堂に行こうね」

「うん」

 ルディが差し出す手をルタが掴んで、立ち上がった。


 ☆


 ルカはその一歩前を満足そうに歩きながら、ほんの少しほっとしていた。父も母もルカが学校へ行きたくないと思っていることに気付いていないから。

 しかし、同じクラスにエドもいるし、上のクラスには五年生のミモナにモアナ、下のクラスには今年入学したマナがいる。だけど、学校へ行ってから増えた友達の中には、ルカのことを何度も尋ねる変な奴もいるから、苦手なのだ。同級生の男の子のベルタだ。いじめっ子ではなく、どちらかと言えば、よく物を忘れてくるから、からかわれる子。その子がルカにいちいち質問を投げかけてくるのだ。


「ねぇ、ルカってさ、本当に領主様の子なの? なんで、赤い髪の毛なの?」

 そんなこと知らない。小さい時からこの髪の毛なのだから。

「そうだよ。髪は、よく分からないけど」

「ふーん……」


 ベルタはそんな風に尋ねるだけ尋ねて、帰っていく。ベルタの髪はその父親と同じ黒色である。だから、不思議なのだろうな、とは思う。ミモナがいる時は、ミモナがこう答えてくれる。


「ルディさまの髪もアノール様と違って、赤っぽいからじゃない?」

 父さまの髪は赤っぽいけど、金髪と言われる髪色だから、それも違うように思う。モアナがいる時は、こう答えてくれる。

「きっと、金色と黒を混ぜると明るい茶色になるんだよ」

 でも、金色の絵の具と茶色の絵の具を混ぜてもルカの髪色にならないことを、ルカは知っている。

 エドは、「うるさいな。なんか文句あるのか?」とだけ答えてくれる。そう言われると、ベルタはすぐに教室を飛び出す。


 文句があるのかな?

 ベルタはぼくのことが嫌いなのかな?

 この間、鉛筆を忘れたベルタに、鉛筆を貸してあげられなかったからかな……。だって、他の子に一本貸してあげてたんだもの。ぼくのがなくなっちゃうのは、困る。

 答えられないルカは、ただそう思って少し寂しくなる。


 学校へ行くようになってから一緒にいるようになったカズの甥っ子のヒロは、何も言わない。一つ年下の二年だから、ルカもヒロに頼ろうとは思っていないが、その表情を見ていると、言えない何かがあるんじゃないかと思ってしまうのだ。

 そして、ルカはそれを両親に尋ねられない。

 だから、思うようにしている。


 きっと、生まれてくる赤ちゃんも赤毛なんだ。


「父さま……」

 すっかり綺麗になったルカは、ルディに手を引かれながら、その顔を見上げる。「ぼくの髪ってどうして赤いの?」言葉を呑み込み、見下ろされたその瞳を覗く。

 ぼくと、父さまは全く違う。

 ぼくの瞳は黒い色。でも、曾お祖母さまの瞳は黒い色だったし、母さまも黒い色だ。だけど、これもよく見れば少し違う。


 ルカの瞳は真っ黒ではない。光の加減で茶色の光をその虹彩に映すのだ。髪の色が違うと言われてから、鏡の前で何度も自分を見つめて、気付いてしまった時は、本当に胸がドキドキしてずんと沈んだ。

「なんだい?」

 なかなか話し出さないルカを不思議に思ったルディが、ルカに尋ね返した。


「えっと……今日はなんのパンかな?」

「なんだろうね。ルカはやっぱりぶどうパンがいいの?」

「ううん、なんでもいいの」

 ただ、赤ちゃんも自分と同じ髪色だったら良いなと思っているだけで。だから、会いたい気持ちも二倍に膨らむだけで。

 それなのに、とても不安で。


 ルディは不思議そうにしてはいたものの、そのまま「お腹減ったね」とルカに言うに留めた。


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