犬も食わない④

 ルカは驚いていた。まるで自分を見ているよう……。

 視線の先にはすべての自信をなくしてしまったかのような、そんな父親が馬を引いて歩いているのだ。

 いや、馬が父親であるルディを引っ張っていって、どこかに売り飛ばそうとしているような、そんなふうにも見えた。


 かく言うルカも最近学校へ行く足が重い。今日は午前の二時間で帰ってくることになっていたのだが、それならば、休みたいと思ったくらいだった。それを言うと、きっと両親が心配するから言えないけれど。


 勉強が嫌い、友達が嫌いということではない。知らなかったことを教えてもらうのは楽しいし、友達と喋るのも楽しい。だが学校へ通い始めて三年経ったルカは、その友達関係に悩んでいるのだ。

「ルカは今日、早退するんだ」

 軽くそんなことを言われるだけで、別の世界にいるような、そんな距離を感じてしまう。今までなら、額面通り受け取って、「うん」と言えていただけだったろうに。大伯母様が来るから、と喜んで伝えていただけだったろうに。


「うん、お客さまが来るから」

「そうだよね。ルカは特別だから」

「そんなこと、ないよ」


 特別だなんて思ったことはない。ルカの家はただ『領主』というお店をしているようなものだから。ルカの動向にいちいち反応するベルタの家の『大工』と変わりない。

 エドの家の『花屋』と変わりない。そして、牧場をしているテオの家ともクミィの家とも変わらない。


 ルカの家は、みんなを護るのが仕事なだけで。ディアトーラという国を護っていくのが仕事なだけで。


 両親はいつもそう言っている。だから、ルカは『ルカ』と呼ばれるのが当たり前で、『様』と呼ばれて当たり前になるのは領主と呼ばれる『元首』という立場のお祖父さまだけだということも聞いている。

 ただ、両親のことはみんな親しみを込めて、頼りにして『ルディ様・ルタ様』と呼んでくれているだけで。だから、ルカはそんな両親が格好よくて自慢で。みんなが優しくしてくれるのは、そんな両親の子どもだからであって。それが嬉しくて。だけど、ルカはただのルカなのだ。頼りにもならないし、強いわけでもない。


 だから、ベルタが「ルカって強いの?」と尋ねてくるのにも、ルカは強くないと答える。

 ルカはまだ父さまに稽古をつけてもらっているだけだから。魔獣とはまだ戦えないから。みんなを護れないから。

 テオにも、フレドにも、カズおじちゃんにも、誰にも勝ったことがないから。

 みんな、強くなるよとは言ってくれるけど……。


 だから、驚いたのだ。頼りになるヒーローだと思っていた父親が、肩を落として、馬に引かれている姿を見て。

 ルカは走り寄って、父に声を掛けた。

 いつもの父さまに戻ってよ、そんな思いで。売り飛ばされないでよ、そんな思いで。


「父さま、何をしているの?」

 その声に、父がルカに気付き、いつもの優しい微笑みを浮かべた。

「あ、ルカ……おかえり」

「あ、ただいま帰りました」

 学校へ通うようになったルカは外での言葉遣いに気を付けるようにしている。

 母さまが、「目上の方と喋る時は丁寧に喋りなさい」と言っていたから。

 そして、「父さまで練習すれば良い」と言っていたから。だけど、父さまは一度もルカの言葉を訂正しないし、「家の中ではいつも通りで良いよ」と言ってくれているし、母さまも自分に対して丁寧に話すことを強要しない。


 だけど、ルカが忘れた頃になると「丁寧に話しなさい」と母さまは言う。


「大伯母様はまだいらしてませんか?」

「まだ来てないよ」

 そして、ルカは考える。だから父さまはここにいてもいいんだ、と。じゃあ、どうして馬を引いて、町を歩くのかと。


「お使いですか?」


 そのルカの問いに、ルディは思わず笑ってしまった。ルカの世界ではお使いは重大任務なのだ。だから、リディアスの皇后陛下が来るのに、こんなところを歩いている理由として納得いくものなのだろう、と思ったからだ。

 どうして父親が笑っているのかが分からないルカの頭には疑問符しかない。


「お使い……かぁ」


 お使いかぁ……。ちょうど連れも出来たわけだし。そして、ルディはルカを見る。

「ルカ、一緒にグラクオスまでお使いに行かない?」

 グラクオスまでは往復で四時間は掛かる。ときわの森を回ろうと思っていたくらいだから、別に大した違いはない。


「えっと……お使いで?」

「そう、お使いで。今からだったら、多分伯母様の茶話会が終わるまでには帰ってこられると思うし」

 ちょうど馬も持ってきているし。


「じゃあ、母さまに言ってからじゃないと、心配しちゃうよ」

 あまりにも唐突なお誘いで、ルカの丁寧語への気遣いはなくなってしまっていた。

「えっと……母さまには伝わるようにしておく」

 ルディの返事は歯切れ悪く、それを誤魔化すようにして笑っていた。


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