『世界が崩れる➀』


 今から三百年後、おそらくこちらへ送り込まれた彼女をきっかけに、彼女の世界線に不都合が起きるのだろう。だから、ワカバは彼女をこちらへ一旦保護させたのだ。

 あちらの世界があのままだと世界自身が滅ぶかもしれない。だけど、彼女を生かすことには、きっと何か理由が……。

 ルタは届かない答えに手を伸ばすことをいったん止めた。

 なぜなら、世界が崩れるかと思うほどの『謎』が目の前に現れたからだ。


 つい先刻やっと世界の記憶と過去を司るトーラであるワカバが寄越したお客様を元の世界へ送り届けたルタは、今、新たな危機に襲われていた。

 いったい何が起こっているのだろう。


 目の前にいるのは、ルディだ。そして、突如、血迷った。ルタは何を踏み間違ったのだろう。何を間違ってこんな結果を招いてしまったのだろう。全く分からない。ただ、この世界が滅ぶ時間と、ルディが気にすることは全くないと言うことを伝えただけのつもりだったのに。

 関係ないから自由に生きて欲しいと伝えたつもりだっただけなのに。急に幼子のように泣き出したかと思えば、急にとんでもないことを口にしたのだ。


「私、ルディ・w・クロノプスは……ルタ様を、妻として迎え入れたいのです」


 鬱蒼とした木々が光を遮るときわの森の奥深く。森の奥にあるルタの家にある井戸の傍。これなら、先ほどまで共にいた世界を滅ぼすかも知れない異なる世界線のお客様との会話の方が理解できた。


「……何を血迷っておられるの? 次期領主の妻は人間であるべきですわ」

 ルタはそんな危険な考えをする彼から、思わず一歩退いていた。それなのに、彼はその一歩を詰め寄る。

「『ルタ様』は人間なのでしょう?」

 確かに……そうだった。

 しかし、今は人間だったとしても、魔女だった者だ。

 そんな者を妻にするだなんて。


「三百年ですわよ。ルディの方が先に死ぬ時間ですわよ。早まってはいけませんわ。それに、世界を滅ぼすことを選択したような者を入れては、それこそリディアスに攻め滅ぼされますわ。あ、そうですわ。領主なら跡継ぎが必要でしょう? わたくしと一緒になっても跡継ぎに恵まれないかもしれませんわ。そうですわ。だって、妹のルカに……ここの初代領主夫人に子どもがいませんでしたでしょう? それに、時間の負荷がかかり始めたこの体が、いつまで持つのかも分かりませんし……そもそも……」

 ルタは懸命にいろんな言い訳を探しては口にする。


 ルディのことは好きである。大切でもあるし、かわいいとも思っている。だからこそ、何かの冗談であって欲しい。それに、何よりなんだかとても居心地が悪い。過去が変わる時に感じていた、あの揺らめきに近い。


 そう、そもそも、ラルーであってもルタであってもルディの人生に大きな影を残したくはない。


 だから、さっき、ルディが泣きだしたことにあれほど驚いたのだ。それなのに、いったいどういう了見でこんな訳の分からないことを宣うのだろう。

「負荷がかかって先が短いんなら、早く婚礼の支度を進めたほうが良いね」

 ルディがしみじみ言うのを見て、理解が及ばないルタは溜まらなくなって大声を上げてしまった。

「もう、いい加減おやめなさいっ」


 平穏な余生を送ろうと思っていたのに、なんてことになってしまったのだろう。だいたい、ルディは子どもなのだ。二千年近く生きているルタにとって、たった二十六年しか生きていないルディなんて、孫なんてレベルでなく、ルタにとってはとても小さな。しかし、もう大人だと胸を張りそうだから、もうそれは何も言うまいとは思う。それなのに、言い淀むルタを見て、ルディが面白そうに笑う。


「やめるつもりなんてないし」


 三百年先ではなく、今すぐ世界を滅ぼしてやろうかしら。だけど、そんなこと口走って風の子が言葉を持って行ってしまったら……そんな昔のことを思い出す。

 今のトーラは母ではなく『ワカバ』だから、世界に大きな影響もないような相手を突然魔獣にしてしまうような、そんなことはないだろうけれど。


 ルタは天を仰いだ。どうすれば良いのか、誰も応えてくれない。空は静かに青い。ルディはわがままっ子のような悪い表情を浮かべている。ルタであろうとも、ディアトーラくらいなら滅ぼせる気がするが、なぜか、ルタはルディを一蹴して、その企みを実行しようとは思えないし、彼の前から消え去る選択すら思い浮かべることができない。


「だから、世界を滅ぼすかもしれない選択をしたのは、僕も一緒で、跡継ぎは、別に血縁にこだわる必要もないし。ルタ様が育ててくれるんなら、きっと誰でも立派な領主になるし。リディアスがこのことに気づくとすれば、ルタ様が密告するくらいでしょ?」

「み、密告なんてしませんわ」

 さも心外なルタがしたり顔のルディを睨めつけ、ルディを通り越して歩き始めた。

「どこ行くの?」

「あなたのお祖父さまのところです。大泣きしたと思えば、悪戯坊主に戻って。あなたの孫が血迷っていますが、大丈夫でしょうか?と尋ねにいきます」

 いつになく慌てるルタの姿を面白がるルディが、その後をついてくるが、ルタは気にせず歩み続けた。


「ディアトーラの領主夫人は誰よりもルタ様が最適だと思うけどなぁ」


 絶対にそんなことあり得ない。


 ルタは付いてくるルディを振り払うように森を進み続けた。きっと、ルディだけがとち狂っているのだ。そのはずだった。それなのに、ルタは、なぜかお客様のように応接間に通され、今、領主館の客間にいる。主にディアトーラにやってくる旅人や迷子が招き入れられる場所。


 つい先日まで、世界を滅ぼすかもしれないお客様が使っていた部屋である。


 そして、考える。

 この家の者は何かの病にかかってしまっているのではなかろうかと。

 きっと、感染性の高い何かなのだ。その病は、ルタにとって未知のものであり、薬を作ろうにも、作れそうにないものだった。


 だから、先ほどまで「おかしい」「どうなされたのですか?」「血迷ってますわ」と息巻いていたルタは、すっかり意気消沈しているのだ。

 いったいどういうことなのだろう。

 ルディがおかしいことはまだ分かる。もともとおかしな人間だったから、彼だけがとち狂ったのかと思っていたのに。まさか求婚されるとは思っていなかったけれど。ルタの頭の中はぐるぐるの状態だった。


 押しかけてきたルタに、彼らは「まぁまぁ、落ち着いて」という雰囲気を醸し出し、息巻いているルタの気持ちが落ち着くようにとカモミールのお茶まで淹れてくれた。

 一瞬、本気で自分が間違っているのではなかろうかとも思えたくらい、彼らはなぜか冷静沈着だったのだ。

 ソファに座らされたルタはカモミールの湯気の中、自分だけが異空間にいる感覚にすら陥った。それでも、「違う」と頭を振って、冷静に伝えたのだ。


「魔女をこのクロノプスに入れるということの意味を、理解しておられますのでしょうか? ディアトーラにとって、魔女は畏れであり、盾として使っている者でございます。そんな者が内に入ってしまうと、盾の役目は出来ませんわ」

 盾とは、外にあるからこそ、その力を発揮するのだ。


「もちろん、わたくしはもう、以前ほどの力はございませんが……しばらくの間であれば、」

 アノールはどこかルタに共感してくれそうではあった。だから、アノールに向けて言葉を尽くした。

「リディアスとの関係がもう少し確固たるものとなるまで、わたくしが魔女としてあった方が都合がよろしいでしょう? リディアスが向かう未来に、魔女のいるディアトーラは、目障りにしかなりませんでしょう?」

 それなのにアノールは無言を貫く。


「それに、万が一を考えれば、世界を滅びへと向かわせた魔女が外にいれば、クロノプスは知らぬ存ぜぬを貫けますでしょう?」

 その言葉に眉を顰めたアノールは、やはり答えない。

「セシルだって、そう思うでしょう?」

 セシルはただただ謝る。

「本当に、申し訳ありません。ラルー様に…いえルタ様にそこまで言わせてしまうなんて……本当に申し訳ありません。絶対にそんなことはさせませんから」


 ルディは論外だ。


「でも、僕はルタ様が好きなことには変わりありませんし、気持ちは変わりません」

 しかし、アースまでも「一晩だけ考えてやってください」とにこやかに言うのだ。いや、アースはどこか面白がっている風が見えた。


 だから、ルタはセシルに案内されたまま、扉の前で呆然と立ち尽くしていたのだ。

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