『ルディは説得を試みる②』
そして、話があるから家族を集めて欲しいと言ったルディの口から発せられた言葉に、アノール始め、セシルもアースも口をあんぐりと開けてしまった。
「正気か?」
「もちろん、正気です」
ルディの表情から見ても、真面目に考えた結果なのだろうとは思える。しかし、開いた口が塞がらないとはこういうことを言うのだろう。アノールはそう思いながら、義父であるアースに視線を移すと、やはり何とも言い難い顔をしてルディを見つめていた。
「ルディは、どうしてルタ様と一緒になりたいんだ?」
それでもアースはルディの言葉を否定せずに、その理由を尋ねる。ルディも真っ直ぐアースを見つめて答えた。
「まず、第一に魔女様がその任を解かれ、人間に戻るのであれば、ここにいる理由がなくなります」
「それで?」
穏やかなアースの質問に、ルディは緊張もあるのだろう、淡々とした口調で続けた。
「自由の身になったルタ様はディアトーラにとって危険だと思うのです。ここの内情も弱点もすべてお見通しですし、魔女でなくなったとしても、彼女の実力たるや、過去のリディアス国立研究所において長官を務めたことでも知り得ることが出来ます。実際この国を沈めるくらい、容易いことかと思うのです」
そこまで聞いたアースが、どこか悪戯っ子のようにニヤリとした。
「まったくその通りだが」
アノールは、あぁ、楽しんでらっしゃると思いながら、一言息子に伝える。
「お前は、そんな危険極まりない者をクロノプス家に入れるというのか?」
ラルーが魔女でなくなるということは、おそらくルタ・グラウェオエンス・コラクーウンになるということだ。ルタであっても、この世界の命運を握る人物に他ならない。
だったら、どこかで静かに暮らしておいてもらった方が、ディアトーラにとっては穏やかな未来が約束される。
アノールはリディアスが『ルタ』と『銀の剣』をどう扱っているかを知っている。
リディアスは、銀の剣を持つルタを探すことはあるが、ルタを必要としているわけではない。さらに言えば、銀の剣でしか、
これはルタが作ったおとぎ話に過ぎないのだから。
過去の英雄・リディアス建国の父アーシュレイが魔女を殺した剣が、『銀の剣』であったように。
今は砂漠として広がる地域にあった町を吹き飛ばした魔女を討った者の持つ剣が、『銀の剣』であったように。
過去に現れる魔女狩りの英雄達の持つ剣が、『銀の剣』であったように。
その剣に意味を持たせたのは、誰を言おうルタ自身なのだから。
そうすることで、彼女はトーラとなった魔女を護り、この世界を存続させてきた。
そして、リディアスはそれをも利用するようになっただけなのだ。
その魔女を討ったという正義を、勝ち取ったという栄光を確かなものにするために、リディアスは『銀の剣』を求めた。
リディアスは銀の剣に選ばれた『勇者』を称え、民に分かりやすい誉れとする。そして、擁護する。
この世界を護っているのは、『銀の剣』でも魔女狩りを信仰する『リディア神』でもない。
世界を護ってきたのだとすれば、『勇者』とされる者の腕と、その魔女との関係性である。
そう、銀の剣ではない。あの剣は、この世界を護るために存在しているわけではない。
魔女が殺せない相手『勇者』に、その魔女を深く恨むように差し向けてきたのが、ルタ・グラウェオエンス・コラクーウン本人なのだ。
魔女を狩るリディアスはそういう点でも、ずるく生きてきた。
リディアスの崇めるその神へのご機嫌伺いのために魔女狩りをする。
ルタがリディア神と別の正義であることは間違いないが、国としてのリディアスは、人間を敵視する神を妄信的に信仰しているわけではない。リディア神がこの世界を滅ぼさないために、魔女を狩るだけなのだ。
そのリディアスが知らぬ間に世界が滅ぶなど、許すわけがない。
だから、アノールはルディに尋ねたのだ。「危険極まる者をクロノプスに入れるのか」と。しかし、彼は、迷わず、正しく愚直に言葉を返した。
「ルタ様は、このディアトーラを誰よりも愛して下さっています」
返されたとて、論点がずれている。
いや、わざとか?
まったく変に知恵だけ付けてきて……大きな溜息をつきたいアノールは、大馬鹿者の息子を眺めた。しかし、彼のその感情だけは、アノールには崩せないのだ。
「だがな」
あの魔女はお前の手に負える輩ではないんだ。
アノールの言葉の代わりに、やはり呆れ顔のセシルが口を挟んだ。おそらく、セシルはアノールとは違う理由を挙げる。口を出す理由は同じだろうけれど。
「ルディ、ルタ様のお気持ちはどうなのです? ひとりで決められることでもありませんでしょう?」
ラルーと親しくしていたセシルは、国の背景など関係なく、基本的なことを尋ねただけだったが、その言葉がルディに一番の打撃を与えたようだ。
「それは……」
ルディが一瞬、たじろぎ、考える。
「それは、大丈夫です。だって、ラルー……いえ、ルタ様もいつも僕のことを好きだと仰って下さいますし……だから、想い合っているんです。そう、魔女と人間という壁がなくなれば、大丈夫、……だと思うのです」
セシルを見れば、息子を本気で憐れむ表情を浮かべているし、アノール自身「お前は魔女に現を抜かしているだけじゃないのか」と言いそうになる。だが、変に臍を曲げられても困るし、とりあえず、一生懸命考えたのだろうし、最後まで聴くのが礼儀だろうとは思った。
ルタの言う「好き」がルディの言う『好き』であるとは限らないことをアースもセシルも心得ている。しかし、ルタとの付き合いが短いアノールは、真っ直ぐにルディの言葉に向き合い、未来を考えようとしていた。
「お前はこのクロノプス家に魔女を入れて、その後のことをどう考えているんだ? ただ、好きだから一緒になりたいなんて、そんな子どもじみたことで、今までの縁談を断ってきたのではないだろうな」
先ほどは一気に自信をなくしていたルディだったが、またも一転して、胸を張る。
「僕は、魔女のない世界を望んでいます。しかし、ディアトーラにはまだ必要な存在であることも確かです。だから、張りぼての魔女を畏れさせたいのです。ディアトーラにいる魔女は、ルタ様ではなく、存在するかしないか分からない、おとぎ話のようなものにしたいのです。それには、ルタ様が必要です。彼女の存在があってこその架空なのですから」
そして、ルディが続けた。
「しかし、たとえ、ルタ様が魔女でなくなったとしても、様々な国が彼女の背景を警戒することでしょう。だから、僕は、そんな彼女が生きていくことの出来る世界も作りたいと、思っています」
たとえ、ルタが自分を選ばなくても、そんな国を、そんな世界を作りたいとルディは思っている。
魔女として虐げられる者のいない世界。誰かが、理不尽に泣くことのない世界。たとえ世界が滅びようとも、向かって行きたい道なのだ。
「誰よりも、ルタ様がここの領主夫人として最適かと思うのです。条件としては、この世界が滅びるという条件下で、ラルー様が人間であるルタ様になった場合であることも承知しております」
確かにその条件下であれば、ディアトーラでの御法度には直接触れていない。
「だがな……受け入れるとしても、世界が滅びる条件下で、ラルーが人間になった場合が最低条件だ」
「はい。この世界が存続し、ルタ様が魔女であれば、クロノプスとしては受け入れ難いということは、分かっております」
……確かに。ルディはちゃんと踏むところは踏んできている。魔女のない世界が出来るのであれば、魔女を受け入れたディアトーラに危険が及ぶこともない。こちらが力を蓄えるために必要な時間だけ、架空の魔女を作り上げる。
しかし、目茶苦茶な論理ではないか? まず、目的と理想は分かったが、この話の中に中身がない。さらには人間であろうと、魔女であろうと、ラルーはルタであり、その存在は魔女としてあった者である。そして、彼女の背景は、誰もが魔女だと認めるものなのだから。
それに、リディアスはラルーとルタが同じ人物であることもその目で見てきている。古文書では黒髪黒目となっているが、追いかけたルタ像は黒髪、黒目ではなかった。
彼女が、人間に戻ったことはない。
あぁ。であるなら、別人と言えることもなくないが……。
一応、アノールもルディの肩を持つ考えも脳裏に浮かべてはみるが、そもそも、伴侶にする理由がないように思える。魔女であった彼女が生きていくための世界を作りたいのであれば、ディアトーラの中で架空を作り上げていけば済む話ではないのだろうか。
そして、ルディの牙城を崩すには、魔女の気持ちが不確かであれば良いことだけは分かった。そういう点で言えば、セシルは無意識に的確に相手を追詰める才能を持っているし、ルディのたじろぎを見れば、意外と簡単なのかもしれない。
そんなアノールの考えを読むかのように、アースがアノールに水を向け、その考えが口に出ることを阻んだ。
「それもお客人を迎えて、無事にあちらの世界へ返した後の話だ。そうだな、アノール」
水を向けられたアノールは考える。
例えば、魔女という存在を失った後のディアトーラが辿るべき、道筋は間違っていないが、いや、魔女を思うが故に出した答えなのだろうが、アノールはラルーを全面的に信頼していない。アースはどうしてこんなに好意的に、ルディのおかしな決断を受け止められるのだろう。
「それは、……もちろん、私はラルーという魔女をディアトーラから眺めている時間は少ないとは思います。しかし、彼女が、この国を裏切るとは思えません。それにこの国は魔女の畏れから成り立ち、逃げ道の一つとしてその畏れを使うことで、リディアスの要求を撥ねられるのですよ。それを逃げ道として使えなくなるのです。たとえ、人間になった後だとしても、彼女にはその盾としての架空を担ってもらっている方が、ここは安泰なのではないですか」
ルディは父の言葉を黙って聞いていた。そして、アースもそれを否定しない。それなのに、アノールは独りで戦っている気分だった。たとえ、人間となったとしても、ルタなのだ。アノールは魔力がないルタの恐ろしさも知っている。リディアスだって他国だって知っている。だから、たとえ、このディアトーラに彼女がいなくなったのだとしても、『架空』での魔女として存在してくれている方が、いい。
アノールの必死の抵抗空しく、アースが笑う。
「血は争えないものだな、と私は思うのだがね」
その言葉にアノールは口を噤むしかできなくなった。アノール自身もここに婿入りという無謀をリディアスでやっているのだ。だから、どちらにも属していないようで、苦労が絶えない。
「アノールの言いたいことは分かっているつもりだ。私もリディアス国立研究所で働いておったからな」
義父であるアースが認めると言う。領主になって四年程。ルディの言うように、単に人間であるという者を受け入れない絶対的な理由もなく、しかも、引退しているとはいえ、アースの言葉を蔑ろにすることもできない。
「ただし、本当にあの魔女が人間になったと証明されればの話だからな」
アノールはルディに釘を刺し、頭を抱え、リディアスとの付き合い方を考え始め、エリツェリへどうやって断りを入れようかを考え始めた。
そして、そのお客人がやってきたのは、このやりとりのさらに約一ヶ月後。その間、この終わりなき攻防が続けられることとなり、異界から来たお客人を無事に異界へ返した後に、ルディはこっぴどく振られることになってしまうのだが、そんなこと一度くらいで匙を投げるほどの気持ちの持ち主ではないのがルディだ。
ルタがルディの傍にいる限り、おそらくルディはこう自分で自分に言い聞かせる。
「きっとちゃんと伝わっていないんだ、だって、ルタ様は僕のことを好きだと言ってくれている」と。
ある意味、ルタ、いや、ラルーが知らぬ間にルディにつけてきた張りぼてという名の自信が、ルタに襲いかかってきたのかもしれない。
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