『ルディは説得を試みる①』

 縁談が遠退いていたルディに、エリツェリ元首であるトマスの姪ミルタス嬢との縁談が再度持ち上がったのは、二年後のことだった。一度断っているにもかかわらず、ディアトーラにとっては好条件としか言えない内容だった。

 以前は元首の親戚に過ぎなかったミルタスが、元首の娘となっていたのだ。

 もちろん、渋い顔をしながら、ルディは躱そうとするのだが、今回ばかりは難しいのかもしれない。

 そんなことを思っていると、その後、ラルーがやってきた。


 だから、今、ルディにとっての一世一代の、負ければ終わりの決戦の日が間近に迫っているとも言えた。

『たられば』を通そうとするならば、それなりの言いわけが必要である。

 もちろん、これはやってきたラルーが関わっている。

「そろそろお客様がやってくるようですわ」


 ラルーという魔女の姿は、揺らぐことなく、墨を流したような黒髪と、オニキスのような瞳になっていた。それは完全に人間となったことを意味するのだろう。

 これからは、ルタ様である。

『そろそろ』そんな風にルタが言うということは、準備を整えるために必要な時間が、決まったということ。ラルーのことをよく知るセシルとアースは、アノールとルディにそう伝えた。

 動き始めるのに適切な時間を与えられたということ。


 ただ、ルディだけは別の意味でそれを捉えていたのは確かだ。そう、ルディのゴールだけが違っていたのだ。


 ラルー様がいつか人間であるルタ様になるのであるなら、結婚なんてせずにどこかから養子でももらって、ここを繋げていくという手だってあるはず……と最初に考えたものではいけない。

 ルタ様だからこその付加価値が必要なのだ。しかも、元魔女であることを上回るような。

 説き伏せないと、断れない。


 二年も経つと、ルディ一人で出来ることも増えてきて、一人で留守番をしていても、事足りるとされるようになった。だから、庭仕事に精を出しつつ、ルディのフォローをしていたアースは手紙を整理しながら、昔馴染みに会いに行く事が多くなり、領主夫妻も積極的に外交に出掛けることが多くなった。

 すべては、リディアスにこちらの動きを悟られないために。アノール曰く、さすがに異界からのお客人に情けをかけるほど、リディアスは甘くないらしい。

 確かに、世界を滅ぼすかもしれない者になるのだから、頷ける。

 本来ならその間、ルタが来ることはなかった。しかし、ルタは時々領主館までやってきて、「ルディは大丈夫ですか?」と尋ねにくるのだ。


「わたくしが魔女ではなくなったことについて、何か不安なことはありませんか?」


 だから、本当に心配をかけてしまったのだな、とルディは二年前を反省する。

 しかし、とても大切な話だったことは確かで、思い出さずにはいられないことでもあるのだ。

 だからこそ、ルディは、ラルーの言ったことを真剣に考えていた。そもそも、ラルーという人物自身は付加価値しかないのだ。それをすべて含んでも、魔女が上回るだけで。


 魔女とは人間とは異質な者である。しかし、人間が呼ぶ『魔女』のほとんどは人間と変わりない生き死にをする。それが時の遺児である。もちろん、ルディも知っていた。

 ただ、『トーラ』を持つ魔女は今流れている世界と共にあり、多かれ少なかれの永遠を持っているのだ。


 それも知っている。そんなトーラを討つことが出来る武器が、唯一ルタが持つ『銀の剣』であることも、聞いている。

 一番知りたかったことは、ラルーという『魔女』の意味だった。


 役目としてトーラと共にあることも知っていた。この世界を護るために、そのトーラを切ることもあるのだから。要するに、トーラをも掌の上として扱うラルーとは、いったい何なのだろう、という疑問だけがあったのだ。

 その答えがこれだった。


「わたくしは魔獣と変わりませんわ」


『時』が止まるまで生き続ける存在。時を止めるには、死を受け入れさせるか、魔獣を殺す時のように時が止まるまで、致命傷を与え続けるか。

 たとえ痛みがあっても、痛みをものともせずに体は動く。

 『死』が理解できない魔獣なら、逃げないが、ラルーは『死』を理解しているので、より『死』が遠いだけ。


「役目を終えれば、生きながらえる理由もなくなりますので、人間になろうと魔女であろうとわたくしにとっては、それはとても些末なことなのです」


 そんなことを言いながら、ラルーは穏やかだった。ただ、穏やか。まるで死を見つめて受け入れているような。そんなラルーを見ていると、彼女が過去にくれた言葉がルディの頭に甦った。

 留学前にくれた、餞の言葉だ。


 トーラは過去から今を変える者。人間は今から未来を変える者。

 どちらが強いかなんて、本来は決められません。


 ラルーが柔らかく笑った。


「ルディ、良いこと? トーラは人間の願いを受けて世界を変えますわ。だから、魔女なんて本当は怖いものでもなんでもないのよ。人間の方が強かに出来ているのですから、強く生きなさい」


 強かに世界の未来を変える者が人間であるのなら。

 もし、未来を変えることが出来るのであれば、たとえ変えられない決定事項があったのだとしても、そこまでの時間なら、変えられるのではないか。


 だから真剣に考えて、『世界が滅ぶのならば』に戻ってきたのだ。条件をここに揃えれば、なんとかならないだろうか、と。

 クロノプス家に『魔女であるラルー』を入れるは無理だけど、『人間であるルタ』ならば、人間であることを証明さえすれば、問題ないように思えたのだ。


「そうだよ。だってそもそもが人間なんだもの。拒まれる理由なんかないよね」

 ルディは、家系図を見ながら一人で納得する。

 ディアトーラへ嫁いでいる者達は、リディア家遠縁が多い。ただ、最近だとイルイダ様の伴侶がリンディ家だったくらい。リンディ家はリディア家と繋がりはあるが、それほど力のある貴族ではない。リディアスから見れば、クロノプス家とちょうど釣り合うと思えるくらいの。


 そして、家系図に戻る。イルイダ様の母君は呪い師の家系からだし、ルディの祖母は、アースが研究所で知り合った、要するに平民出身の研究者だった。

 何故かルディの脳裏にアノールが過ぎる。

 だから、父であるアノールはここに嫁いだのだろうか? アノールはリディア家、リディアスの王家の者だ。それも直系である。ディアトーラへの重しだとしたら。


 例えば、魔女狩りの国から来た者だと考えれば、……。


 もし万が一、そんなことになったら、本当にルディが盾になってでもルタを逃がさなければならない。ルタが動かないのであれば、本当に手を引っ張ってでも、ここから逃げなくてはならない。

 生きながらえる理由がない。そんなことない。


 そして、小さく頭を振ると、ルディは小さな息を吐く。アノールは人間の証明として、『魔女裁判』をするなんて言わない。

 アノールとアースの関係、さらには母セシルとの関係を思えば、この家族の関係に政治的なことはない。アノールはあくまでディアトーラの人間である。

 ということは、この家は、出自にこだわることはまずない、で押し通せる。


 魔女でないということをどうやって証明するのか、それは、まだ分からない。魔法が使えなくなった証明なんて、元々あまり魔法を使わなかったラルーの証明には、ならないのだ。

 要するに、魔女のイメージではなく、領主夫人になったラルーのイメージを強くすれば……。ルディの代くらいで終わるのであれば、それほどぼろは出さずに、過ごせるような気はする。そこはお客人が帰った後に聞き出さなければならないけれど。

 一代くらいなら、リディア家との繋がりを前に出せば、ワインスレー各国くらい黙らせることはできる。


 そこまで考えて、自信がなくなる。

 第一に、ルタが望むか望まないかがあるのだ。いや、しかし、と気持ちを持ち直す。このままエリツェリとの関係をよくするための縁談が進んだとしても、世界はもう直に滅ぶのだ。どの程度で滅ぶのかは分からないけれど、気持ちは伝えるべきかもしれない。


 ルタ様は、伝わりにくい方だから……どういう未来をルディが望んでいるのか、ちゃんと伝えないと分からないのだろうけれど。


 しかし、こういう時は敗北をイメージしてはならない。ルタ様は敵ではないが、立ち向かう先に弱気はいけない。それは、相手に失礼なのだ。

 と、アノールが言っていた。ルディもそれはその通りだと思う。


 一番の問題はそこで、乗り越えなければならない壁はそこではない。だから、まずは、壁を乗り越えておかなければ、スタートラインにも立てない。

「僕はルタ様と一緒になりたい」


 だから、エリツェリの縁談を断るための正統な理由として、真っ先にそこをあげた。他の部分で言えば、確実に家族てきが上。しかし、そこは、ルディの気持ちの問題であり、誰にも説き伏せられない自信があったのだ。


 だから、崩されない牙城として、旗印はそれにした。

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