『ルディは魔女さまが好き②』
夢を見ていた。小さい頃の。
狂い咲きの白薔薇と結婚式の。
純白の白薔薇が、赤く染まる。そう、赤く。世界が滅びるのだ。ルディが選んだ世界でもある。
だけど、よく見ればそれは教会の窓から射し込む夕陽の色だった。真っ赤に染まる終焉の色。だけど、夕陽は朝陽に変わり、ふたたび昇る。その赤を生命の色に変え、闇に光をもたらす。
「僕を跡目として立たせてください」
領主になった父にルディが頼み込んだ。
縛りがないと逃げたくなるかもしれないから。だけど、憎みたくないから。
「僕は弱い人間です。だから、縛っておきたい」
父アノールの表情は複雑だった。
跡目でなければ、逃げ出せるのに。
ラルーとの会話から一週間でルディが出した答えだった。ディアトーラ領主としてその申し出を退ける理由はなかった。しかし、父親としては退けたい。どうしてこのタイミングだったのだろう。もう少し前なら、アノールが跡目だったのにと、悔しい気持ちにもなる。
それは、セシルとて同じ気持ちなのだ。
いや、セシルの場合、自分が変わりますと言うつもりだったが、ラルーという魔女はそれすら、彼女に言わせなかった。アノールはラルーが現れたあの日を思い出す。
「ルディでなければならない理由はあるのでしょうか?」
「常にここにいることの出来る身であることが望ましいのです」
「でしたら、私で」
領主を下りたばかりのアースが言うが、それは退けられた。
「セシルはアノールに領主跡目の座を譲った際、アースも領主を継承した際にこの役目はなくなっています。それに、以前言いましたように、命は取りませんわ」
確かに、ルディがまだ幼かった頃にアースはその話を聞いていた。命は取らない。確かに。だけど、世界が滅ぶ手伝いなんて、聞いてもいない。聞いていれば、何かが変わったのかと言えば、何も変わらなかったのかもしれない。しかし、対処はしただろう。
命を取るとか、取らないとかそういう問題ではないのだ。
すぐに滅びるとは言わないのだったら、何も一番年齢の若いルディが、その片棒を担ぐ枷を背負う必要はない。彼はこれからのディアトーラの未来を考えなければならないのだ。彼でなければならない真っ当な理由が欲しかった。
誰もがそう思っていた。
もう少し後にならないのだろうか。せめて、……。しかし、誰もそのせめての時間を区切ることなど出来なかった。
ディアトーラでの定め。決して違えてはならないもの。
魔女の求めるものは与えられなければならない。
理由はそれだけだ。しかし、狼狽える家族の様子を見て、ラルーの口調から硬さが消えた。
「そうですわね。ルディも役目のない状態ではありますものね。本人の意志を尊重しましょう」
あのラルーがこちらの意思を尊重してくれると言っている。それなのに、この馬鹿息子は。こちらの思いも知りもせず。腹立たしさすら、アノールの中に生まれてきた。
……もう少し、考えないか?
だから、ルディのその言葉を聞いたアノールは、本当はそのように答えたかったのだ。まだ、誰の気持ちも決断できていないのに、本人だけが先走っているような、そんな気持ちにもなる。
「お前の意志は受け取った。しかし、私もまだ領主になって若い。だから、アース様と相談して決めさせてもらう」
「分かりました」
ルディが素直に引き下がる。しかし、ルディの性格をよく知るアノールは、どこか諦めていた。
ルディは、決めれば止まらない。変なところが頑固なのだ。
ずるく生きられないのは、母譲りなのかもしれない。
一週間経っても、その返事が返ってこないルディは、中途半端な身だなと思いながら、屋敷内を歩き、庭を歩き、町を歩いた。自分が育ったその場所を一日でも長く覚えておきたいという気持ちからの行動だった。しかし、そんなことが出来る立場であるということが、逆に苦しくなる。
「おかえりなさい、ルディ様」
気安く声を掛けてくれる、町の人達に出会う度。
「あっちの学校怖くなかった?」
と昔と変わらずルディを心配してくれる声を聞く度。
「ルディ様、あっちに誰か知らない者がいて……なんか、元気なさそうに見えるんですけど……」
と旅人を怖がって、頼ってくる者がいる度。
あぁ、みんなはこんな風にこの世界とのお別れも出来ないままに、全部忘れてしまうんだと苦しくなる。
罪悪感が生まれる。
そして、自然とときわの森へと足が向く。
こちらに行けば、町の人達には会わない。
それは十歳の頃のルディと同じ考えの元だった。会いたくない理由は違うが、会えないと思う気持ちは同じだった。
ときわの森は深い。大きな魔獣もいる。もちろん、今のルディは戦えないわけじゃないから、あの時ほど無力でどうしようもないわけではない。しかし、今のときわの森は、太陽のある時間なら、子どもの足でも安全であるくらいなのだ。森を傷つけなければ、闇雲に求めなければ、何も失われないそんな場所。森はただ静かにその者を受け入れ、見つめる場所だ。
迷い込めばどんどん色を深めて、進路を決めればその場所へと吐き出される。先にある場所が何か、歩む先を知る者が誰もいないだけ。しかし、迷い込めば生きて出られる保証はない。
だから、ディアトーラ領主は許可のない森への侵入を禁止している。
ルディはその森をただひたすらに。しかし、ルディの足は迷わず魔女様の家へと向かう。
家族はルディがこの役目をするということに反対のようだ。反対しても誰かが世界を滅ぼす客人を保護しなければならないのだから、別にルディがしても構わないとルディ自身は思っていた。
それに、忘れてしまうのだから。
あ、もしかしたら、この役目をすると、時の遺児になるのかな?
曾お祖母さまの弟君、ルオディック様が時の遺児になったとは聞いている。この世界にしか存在できず、この世界の記憶にしか存在できない。この世界線が変わると、確実に消えてしまう存在。その存在を護るためにこの世界は存在するのだ。そんな存在を消すと決断されたのだ。ルディが存在しようがしまいが、今のトーラにはまったく関係ない。
そっか、もしかしたら、そうなのかもしれない。だから、家族は反対するのだろうか?
だけど、忘れるんだから、別に構わない気もする。
だったら、すぐではなくとも、後どれくらい持つのか分からない世界なんだったら『今』を求めたい。町にいると、それも揺らぐ。どれくらい持つのか。
溜息が出てしまう。結局答えなど出ない。跡目になれば、少なくとも両方を裏切らなくて済む。
さらにルディは深部へと歩き続けていく。すると木戸だけが忽然と現れる。魔女の村とされる場所とは反対の場所にあるそれは魔女と人間を分ける境界なのだ。
ここから先は魔女様の領域。森と場所を異とする場所となる。招待されなければ、入ることの出来ない場所である。今のルディが入ることが出来るかどうかは分からないが、入れなかったことはない。
足を止めたルディは遠くを見つめる。見えるということは、拒否されていないということ。
教会と同じ色の屋根に、木で出来た温かい雰囲気の二階建て。領主館よりもずっと小さいけれど、その家はいつもルディを受け入れてくれた場所であり、ルオディックを護るトーラの住む家。だけど、ルディはそのトーラには一度も会ったことがない。
「どうしましたの?」
見つめていた家の扉が開き、ラルーが立っていた。
「ご無沙汰しております」
「返事は別に急いでおりませんよ。まだ数年先だと思いますので」
この間のラルーの雰囲気はなく、いつもの優しい魔女様だった。
「すみません、突然。僕の返事は決まっているのですけど、許しがでなくて」
その返事にラルーがクスリと笑う。
「お茶でも飲んで帰りますか? ちょうど焼き菓子を焼いたところです」
「焼き菓子ですか?」
「えぇ、あの子が帰ってきておりましたので」
「トーラ様?」
ラルーは微笑みでその答えとした。
「よろしければどうぞ。あの子の作る焼き菓子は、あと数回しか食べられないと思いますから」
ルディはそのトーラの本当の名前を知らない。ラルーが『あの子』と呼ぶ時はとても優しいお顔をされるから、可愛がっているのだろうなくらいは分かるけれど、実際どんな方なのかも分からない。ただ、そんなにも大切に思ってもらえて、羨ましいなと思う。そんなにも大切に思える方は、どんな方なのだろう。
「そうですわね……それは、わたくしからではなく、そのお客様からお聞きになってください。その者が感じた彼女を知っていただきたく思います」
そして、するりと心を読まれる。心を読むくせに、なんにも分かっていない気がするのは、ルディがおかしいのだろうか。口に出して「好きだ」と言えば伝わるのだろうか。好きだから、お手伝いがしたいのです、と伝えれば、ルディの気持ちはちゃんと伝わるのだろうか。
そんな風に考えているルディの心内だって、漏れているはずなのに。
「分かりました。そのお客様が来られたら、尋ねてみます」
ルディは小さな息を吐いた。
「代わりのお話ならばできますわよ」
ラルーから聞けばルディはおそらく肩を持ちたくなるだろう。ディアトーラが魔女の肩を持ったとなれば、それはそれでリディアスから目をつけられる。世界を滅ぼすか、ディアトーラを滅ぼすか。
「クロノプスの人間としての役目はありましょうが、あなたは人間のひとりでもあります。あなたの望む未来をお求めくださいね。それに、これまでの『過去をすこし変える』くらいではなく、魔女が世界を滅ぼそうとするのです。誰もそこまでを求めて、贄としての役を課してはいないはずです。それが分かっているから、アースもセシルもアノールも、あなたの決断に反対なさるのでしょう」
ラルーがそんなルディを真っ直ぐに見つめて、話をする。その瞳は千歳緑。森の深い緑に吸い込まれてしまいそうにも感じてしまう。
「でも、僕はラルー様が好きなのです。だから、求めたい未来は決まっています」
やはり、ラルーは微笑む。その微笑みは、すべてに与えられる微笑みであるルディの気持ちは掠りもしていないのも分かる。いっそ清々しい程に伝わらないのは、何故だろう。
「わたくしも、ルディが好きですわよ。だから、ルディがどんな決断をしたとしても、わたくしはあなたを恨みませんし、世界が崩れるまでの時間ですら、彼らはあなたの平穏を護ろうとしてくれているのですから」
ラルーの微笑みは、そう、あの『温かい』を護っている女神像に似ている。そして、そんなラルーの態度は完全にルディには興味がないという証明でもある。それに、魔女をクロノプス家に入れるわけにはいかない。そもそもがそうなのだ。
「……代わりのお話を伺っても良いでしょうか?」
「えぇ、どうぞ」
でも、ルディはどうしてもその女神さまを裏切りたくないのだ。深い緑の瞳を持つ、その目の前に佇む女神さまは、ただ、ルディに微笑むだけだけど。
ルディは諦めたように笑い、なんのお話を聞こうかと考え始める。とりあえずはこの世界のことでも聞こうかな。ルオディック様のことでも聞こうかな。
魔女様は、魔女様なのだ。同じではない。その魔女様と一緒に、『温かい』を護る。
そう思うことでルディは気持ちに蓋をした。
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