『ルディは魔女さまが好き➀』
ディアトーラ領主館の鉄柵をくぐると、カズが言った言葉の意味が分かった。「…………魔女様?」
しかし、ルディが僅かな逡巡を覚えたのは、その姿が記憶のものとは異なるものだったからだ。
ラルーという魔女の容姿はラベンダー色の髪に千歳緑の瞳だった。
しかし、薔薇の香が庭に馥郁と立ち籠める中にあるのは黒髪だった。
その仕草も佇まいも、魔女様である。甘い香りを纏いながらも、その誇り高さを失うことのないあの凜とした姿は、紛うことなく魔女様なのだ。
それでも、そこにあるのは、ルディの知っている魔女様ではなかった。祖父のアースと語らうその姿は確かに、ラルーであることは分かる。しかし、容姿とかそういうものではなく、違う。
なんだろう。不思議だった。遠くあった者が近くに感じてしまうような。手を伸ばせば、届くんじゃないんだろうかというような。
「あぁ、ルディ、どうしたのかね」
アースはぼんやりと立ち尽くしていたルディを手招きし、にこにこするが、どこかぎこちない。
「あ……ただいま帰りました」
ラルーが優しい微笑みでルディを迎えるとアースが続けた。
「おかえり。ラルー様が来られていてな」
その声に、薔薇の
「元気そうだな。よかった、よかった。アノールとセシルを呼んでこなくてはな」
そう言ってアースはその場を離れようとする。しかし、今のこの状態で離れて欲しくはなかった。
「いえ、あ、僕が参りますので、お祖父さまは、その……」
ルディは、言葉に詰まった。ラルーであることは確かだ。しかし、声の掛け方が分からない。
「私がセシルとアノールを呼んでくるから、お話を聞いておくといい」
「お話……?」
「大事なお話だ」
大事だというのであれば、もちろん、幼い頃に聞いたようなお話であるはずもない。そして、ルディは今、リディアスへ留学した頃に覚えたカルチャーショックに良く似たものを感じていた。
リディアスへの留学時は、町の雰囲気と文化レベルの差に愕然としたのだが、これは、また別の何かだ。それなのに、アースはルディを放り出し、「では、少し失礼致します」とラルーに伝え、離れてしまった。
放り出されたルディは、やはり言葉に詰まる。
「えっと……」
ラルーがルディの知るあの穏やかな微笑みを浮かべた。
「もうすぐお帰りになると聞きましたので、お待ちしておりました」
すると、ラルーの髪色がふわりとした紫色に戻った。光の加減で、そう見えるのかとも一瞬考えた。しかし、目の錯覚とも思えない。
「はい、あの、えっと……ご病気を患っていらっしゃったり……なさいませんか?」
その言葉に、ラルーが懐かしむような微笑みを浮かべ、自分の髪をその手の甲に載せる。
「変わって見えておりましたか?」
「えぇ……あの」
「心配なさらなくても、ラルーは簡単に崩れ落ちませんわ」
「崩れる?」
「えぇ、過去のラルーが、トーラとせめぎ合っているのでしょう。少なくともすべての時の中で、わたくしは今のトーラと友好だったとは言えませんから」
意味を掴めないルディにラルーが何ともなしに続けた。
「この
「えっ?」
「そのための準備に参りましたのよ」
やはり、何ともなしにラルーは続け、柔らかな微笑みをルディにくれる。
しかし、唐突に様々な違和が流れ込んできてしまったルディの思考は、ほぼ動かなくなった。ただラルーを見つめて「はぁ」と答えることが精一杯だった。
ただ、この時のルディに分かったことは、ここにこの世界を滅ぼすだろう客人がやってきて、その者を保護することがルディに託されたこと。
そして、魔女様に触れたいと思ってしまったことだった。
☆
その夜、ルディはベッドに横になりながら、窓の外に見える満月を眺めていた。
疲れているはずなのに、まったく寝付けなかった。
世界が滅びるかもしれない客人を保護するって、どういうことだろう?
要するに、世界が滅びる手伝いをするということなのだろうか?
でも、簡単に崩れないっていうことは、ラルー様は、この世界を護っているということだ。
優しい光のはずなのに、眩しくなって寝返りを打つ。
月の光だけが、蒼白く伸びてくる。
よく分からない。
ラルー様はこう言った。
「だけど、跡目でもないあなたに強要するつもりはありませんわ。すぐに答えは求めません。考えた上で、答えを聞かせていただければと思っております」
断る気持ちはまったく湧かなかった。そもそもディアトーラの領主家系は魔女に求められれば、その命すら差し出さなければならないのだ。そこは問題ない。
ただ、カズやフィグ、そして、町の者たちの顔を浮かべると、月の光からも逃れたくなるのだ。いや、崩れたとしても、時の遺児が生まれるかもしれないだけで、彼らがすべて消えてなくなるとも限らない。
トーラは世界を書き換えるだけなのだから。命を奪う者ではない。
今の自分が知らない土地にいて、今の自分を知らない自分が、やっぱり知らない誰かと一緒に生活しているようになるだけ。新しい記憶を植え付けられた自分にとって、それはまったく変わらない日々が始まるだけなのだから。
しかし、魔女様の口調からすれば、今までの書き換えよりも大きな事が起きるのだろうことは、予想できた。もしかしたら、大陸ごと消えて生まれるかもしれない。そうでなければ、ルディの気持ちなど無視したはずだ。
この
そして、その世界を書き換えるのは、ラルー様が大切にしている魔女様なのだろう。だから、ラルー様自身がその変化を受け入れているのだ。
過去に現れたたくさんのトーラ達が、この世界を壊さないように見守ってきた
結局、ルディの気持ちを大切にしてくれているだけなのだ。世界を滅ぼす手伝いが出来るかどうか、試されているのだ。
裏を返せば、魔女様を憎む道を残してくれているだけ。憎みたくはない。だけど、すべての世界を裏切る行為をする。
ルディは、結局答えを見つけられないまま別の考えに導かれる。
でも、もし、世界が滅ぶのであるならば、……。この世界の未来が失われるのであれば、別に縛られることもないのだろうか。
月が雲に隠れても、光が淡く滲み出てくるように、ルディはその考えから離れられなくなっていた。
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