【幕間劇】過去回想編

白薔薇のセレナーデ

『ルディは好きを見つける』


 ディアトーラ領主館の中には教会が一つ存在する。そこには女神さまが一つ佇んでおられ、魔女とも女神とも言われ、畏れ、恐れられている。しかし、実際にその女神さまが魔女であると恐れられていたのはずっと昔の話である。

 今は冠婚葬祭が行われる場所であり、年中行事である収穫祭の結びが実施される場所でもある。

 そして、七歳になったルディは教会の司祭をするアースの前にいる花婿と花嫁をみつめていた。

 すごく好き。

 ルディは、ただそんな感想をいだいた。


 何が好きなのか、それはよく分からない。女神像が光に満ちていく様子も、厳かな雰囲気で、いつもと違う綺麗な格好をしているすまし顔の両人の様子も、司祭服の祖父アースも。その前に飾られている薔薇の花も。

 白い薔薇の花が活けられている。お庭に咲いている一つ。その日一番綺麗に咲いたもの。お祖父さまが狂い咲きと言っていたけれど、母さんは彼らのために咲いたみたい、と喜んでいたもの。

 ルディも何だか嬉しくなる。花が咲いたのも、母さんが嬉しそうなのも。そして、花嫁さんと花婿さんがその花を見つめて微笑んだのも。


 ちらりと横を見ると母セシルが穏やかな微笑みと視線を彼らに向けている。そして、後ろにはかれらの家族がセシルと同じ様な表情で彼らを見つめていた。

 男の方はいつもよりも上等な上着にアイロンを掛けて、ピシッと背筋を伸ばして、アースの言葉に頭を垂れる。

 女の方もやはりいつもよりも上等なワンピースに着替え、白いベールを頭につけて、やはり、同じように頭を垂れている。


 穏やかで、平和な感じ。居眠りをしていても怒られない感じ。服を泥だらけにしても、ちょっとくらい寄り道しても、膝をすりむいてわんわん泣いてしまっても、泣くななんて言わずに笑って許してくれそうな、そんな感じ。たくさんの大好きに囲まれている感じ。あったかい感じ。


 ……なんか、やっぱり好きな気がする。


 ルディは目をキラキラさせて隣に座るセシルを見上げた。

 セシルも嬉しそうに、そして、目を潤ませながらそんな二人を見つめていた。

「母さん」

 ルディはそっとそんな母親に声を掛けた。

「どうしたの?」

 女神さまは、きっとそんなあったかいを守っているんだ。

「ぼく、がんばる」

 大役を仰せつかって、緊張していたルディは、やっとにこやかにその緊張をほぐした。

「よろしくね」

 ルディはなんとなく満足して、肯いた。


 簡単な新緑色の法衣を纏うルディの役目は、花婿と花嫁に榊で掬った聖水を渡すこと。


 この役目は結婚式がある季節に生まれた、十を数えるまでの子どもがする。今回は夏の終わりということだったが、なぜか春生まれのルディにそのお鉢が回ってきた。

 本当なら、別の子がするはずだったのにな……。フィグっていう女の子。よく病気する子だしな……。

 本当は、友達と一緒に遊ぶはずだったんだけどな。


 一応、ルディは不測の事態に備えるように、準備はしていた。いつものことだけれど、今まではお鉢が回ってくることはなかったから、そんなに重く捉えてもなかった。

 念のための練習。だから、友達と明日の約束もしていたのだ。本当は、学校へ行って、その後、チョウチョを捕ろうって言っていたのに。


 お熱だから、仕方ないよね……。咳が止まらないって言ってたし……。

 楽しみにしてたかもしれないんだから。それはそれで可哀想だよね。でも、チョウチョ捕まえたかったなぁ。普通のチョウチョよりも大きなシロアゲハは、暖かい今頃しか飛ばない。

 この役目が回って来ると知った昨夜のルディの気持ちであった。

 もちろん、アゲハ蝶は明日でも捕まえられる。


 アースが目配せをするとルディは立ち上がり、森の女神さまが下さった榊を、やはり森で掬ってきた泉の水に浸して、杯に落としていった。

 ぽたん、ぽたん。

 水が跳ねてしまわないように、慎重に。

 聖水の音が、教会に漂う空気を清めていくようにして、落ちる。

 ルディは丁寧に、水を零さないように一滴、ひとしずくずつ、丁寧に落としていく。

 小さな杯に水面が見え始めると、そっと二人に運ぶ。

 まずは、花婿様へ。


「いまよりときをかさねられます、あなたさまへ。もりのめぐみがありますように」


 一ヶ月前から練習していたので、噛まずに言えた。ルディの身丈に合わせるように、跪く花婿がその杯を戴く。そして、唇を濡らす。

「ありがとうございます」


 杯がルディに戻る。ルディは静かに肯くようにお辞儀をして、その杯を今度は花嫁様へと渡す。花嫁もやはりルディに身丈を合わすようにして、跪き、杯を戴く。


「ともにあゆまれます、あなたさまへ。もりのみちびきがありますように」


 やはり噛まずに言えたルディは誇らしげに、胸を張り、返ってきた杯を落とさないようにしてアースの待つ、女神さまの台座へと載せる。

「祈りは掬われ、女神の元へ。永久とわに見守られ、光に満たされますように」

 アースの祈りで婚儀が完了する。


 ちょうどお昼前。太陽が高くなる。女神さまの掌に青い光が満たされていく。

 ディアトーラでの結婚式はとても簡素だ。一ヶ月後の晴れの日に祝福を受けたい、そんな幅の広い約束ですぐに準備できるような、小さなもの。晴れ渡る空が珍しいディアトーラでは、それも含めて、恵みとするのだ。

 領主館の外では彼らの友人が待っていて、大きな拍手で迎える。

 それで、終わり。彼らは新しい日常へと向かい、その門出に立ち会った友人達は、自分たちの日常へと戻る。


「さぁ、店を開けに行こうかな。あ、そうだ、寄ってくれたらお祝いにおまけするよ」

 そんな声すら聞こえてくる。やっぱり、『好き』な気がすると思う。なんだか、良いなと思う。

 お天気で良かったな、と思うが、お天気を選んだのも事実だった。ぼんやりと何かに圧倒されながら、ルディはそんな彼らを見ていた。まるで彼らから光が放たれているかと思えるほどに、輝いて見えた。光の中にいる彼らは、婚儀が終わり、領主館を後にする。幸せはどんどんルディから離れていく。

「ありがとうございました」

 彼らを教会の外、領主館の入り口で見守っていた次期領主のアノールに伝えて。


 父さんは元々魔女を嫌うリディアスの人だから、役目はない。父さんが領主になっても、司祭はしない。きっと母さんがするようになる。

 教会の外に出てきたルディは、そんな父の姿を見て、お祭りが終わった後のような、寂しさに襲われた。ひとりになっちゃった。そんな感じだった。そして、そんなルディの傍にセシルが立って、その手をつなぐ。

「嬉しそうでしたね」

「うん」

 セシルはどこか寂しそうにしているルディに目線を合わせ、にっこり微笑んだ。

「お父さまを誘って、お昼の支度をしましょうか?」

「今日は、父さんもずっとお休みなの?」

「えぇ、そうよ」


 いつもは忙しそうにあちらこちらの国へ出て行く父を思い、ルディはにっこり笑った。一緒にいられるということは、遊んでくれるかもしれないということだ。

 シロアゲハも捕まえてくれるかも。ルディの頭の中は、またチョウチョのことでいっぱいになり、うきうきしてきた。明日友達に自慢している自分を思い浮かべていると、司祭を務めていたアースの声が聞こえた。

「よく頑張ったね」

 振り返ると、アースの横には魔女さまが立っていた。「結婚式があったのですね」優しい声だ。

「うんっ」


 森に住む魔女さまだった。ラベンダー色のふわふわの髪に、ときわの森と同じ色の瞳を持つ魔女。いつもお話を聞かせてくれる、ルディの大好きな魔女である。ルディの中にあったもやもやした寂しさは、もうすっかり吹き飛ばされた。

「ぼくね、せいすいのお手伝いちゃんとできたんだ」

 たくさん褒めて欲しいルディの声が自然と弾むのを見て、アースの笑い声が聞こえた。

「褒めてやって下さい。とても上手に出来ていましたから」

「そう、頑張ったのね、偉かったわ」


 森の魔女さまがルディの身丈に視線を合わせ、その頭に優しく手を載せてくれる。あったかい。魔女さまはあったかいんだ。さっきの好きと同じ温かさ。

 すごく好き、という気持ち。

 だから温かい手に気付いたルディは、その頬を紅潮させて叫んだ。

「魔女さま、ぼく、魔女さまと結婚する。だって、あったかいんだもの」

 面食らったセシルが「まぁ、なんてことを言い出すの? ラルー様、本当に申し訳ありません」と叫ぶ姿を見て、首を傾げたルディに魔女さまが微笑んだ後、「いいえ」という言葉をセシルに向けた。そして、ルディに続けられる。


「ありがとう。嬉しいわ」

「うん、約束だからね」

 結婚の意味もあまり分かっていないルディが嬉しそうに笑うと、アースがやはり笑いながら続けた。

「じゃあ、魔女さまに見合う男にならなくちゃならんな。難しいぞ」

「うん、がんばる」


 きっと、頑張れば今日のお役目みたいに、出来るようになるんだ。幼いルディには、無限に広がる可能性をただ信じられるだけの強さがあった。

 それは、春の穏やかな1日の出来事だった。

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