第77話
『貴方、横領してる?』なんて訊ける訳がないので、
「今の労働環境に不満はないかしら?ほら……鉱山での労働って肉体的に辛い事も多いでしょう?」
と私が尋ねると、テリーは
「ここの鉱山は給金も高いし、休日もちゃんとありますし、こうして住まいも用意して下さっていますから、皆もなんの不満もないと思いますけどね。もちろん僕もです」
と、にっこり笑った。
「そう?ほら、処罰に『強制労働』ってあるじゃない?どうしても鉱夫をしている……と言うとそういうイメージを思い浮かべる人も多いでしょうし」
「そういう鉱山とは違いますから。ああいう場所は極限まで働かせるので。身体を壊しても応急処置程度にしか治療して貰えませんしね。給金はありませんし……。まぁ、それ故に罰になるんでしょうけど」
と肩を竦めるテリーの顔は、さっきよりは緊張が解けている様だった。
私はついアルベルトの事を思い出してしまった。彼が刑期を終えるのはいつになるのだろう……出来れば生きて戻って来て欲しい。
そう言えば彼はあの絵が王太后様の物だとは知らなかったという。
メアリー様も他のご婦人を介してアルベルトに額縁の修理を依頼したという事なのだ。
アルベルトが『そこらの伯爵ぐらいの持ち物だと思っていた』と言って鼻に皴を寄せていたのを思い出す。
「確かにそうね。でも雇用主としては皆の本当の気持ちを知りたかったの。些細な不満でも見逃せば、それが積もって大きな不満になるかもしれないでしょう?」
「でも……奥様に直接不満を言える者など居ませんよ。あ、すみません、不躾な物言いを」
と恐縮して見せるテリーだが、最初の一言には何だか憎しみの様なものが籠もっている様に思えた。
そんな雰囲気を振り切る様に、
「もし良かったら、私が代わりに聞いておきますよ。僕は新参者ですがビルさんより若いし、皆も話しやすいと思うんです」
と言ったテリーは皆からの信頼を得ているという自信が垣間見えた。
「それもそうね。私には言い難い事でも、貴方には皆が腹を割って話せるかもしれない。皆には些細な事でも良いから気になった事を話してと伝えてくれる?私はまた王都に帰らなければならないから、ギルバートにでも報告して貰えると有難いわ」
と私が言えばテリーはにっこりと
「もちろんです」
と答えた。
「でも、皆が働いている場所は見てみたいわ。今から鉱山へ行こうと思っているのだけど……」
と私が言えば、
「鉱山までの道はあまり舗装されていないんですよ。もうすぐ日も落ちますし、皆もそろそろ帰って来るでしょうから、鉱山に視察へ行くのは明日にしては如何でしょう?明るい内なら馬車でも安全です」
とテリーは答えた。
「まぁ……では皆は徒歩で移動を?」
「はい。男の僕達には大した距離ではありませんが、奥様の足には負担でしょうから」
「そう。……まずは私のするべき事が見つかったわ」
と言う私を不思議そうに見るテリーに、
「鉱山までの道を舗装しましょう。例え徒歩であってもその方が皆の負担は減るでしょう?」
と私は答える。するとテリーは、
「それは助かります!鉄鉱石を運ぶにもその方が安全ですから」
と笑顔を見せた。それは心から喜んでいる様で、私はつい彼の人懐っこさに、ここへ来た目的を忘れそうになっていた。
「奥様、視察は明日にしては?」
とソニアも少し心配そうだ。
「そうね……馬車での移動が難しいのなら今日は諦めましょうか」
と私が言うとギルバートが、
「では……宿屋に引き返しますか?暗くなる前に……」
と言葉を切る。
すると、私達の耳に玄関の方の騒々しさが聞こえてきた。
「おや?もう皆が戻って来た様ですね。今日は少し早いな」
とテリーは立ち上がり、足を少し引き摺りながら、談話室の外へと向かった。
テリーが部屋を出たのを確認する。
「奥様、どうされますか?」
と小声で尋ねるギルバートに、
「部屋を探して証拠を掴むのは難しそうだわ。テリーの足の具合がどれ程悪いのか分からないけど、あんな調子では明日も鉱山には行かないでしょうし」
と答えた。
「ですね。彼がここに居ては、私かソニアのどちらかが残って、この寮を探るのも難しいでしょう」
「……仕方ないわ。鉱山で何かおかしな点がないか、しっかり確認しましょう」
と私とギルバートがヒソヒソと話していると、
「雲行きが怪しく、日が落ちると周りが見えなくなりそうなので、もう皆、帰って来たそうです。奥様、どうされますか?皆と会って話をしますか?
ただ……皆、かなり汚れているので、奥様にお会いするのを躊躇っているのですが……」
とテリーが談話室へと戻って来た。
「皆も疲れていて、湯浴みもしたいでしょうから挨拶だけ。明日は鉱山の方へ行ってみる事にするから」
と私がテリーに答えると、彼は、
「その方が良いかもしれません。皆……奥様に見せられる様な格好をしていなくて。それに、奥様もこれからまた宿屋の方へと引き返すのでしょう?今夜は月明かりも期待出来そうにありませんから、早く移動した方が良いかもしれません」
と頷いた。
ここは彼のアドバイスに従った方が良さそうだ。
「では、そうしましょう」
と言って私達は談話室を出て、皆が待つ玄関ホールへと向かった。
一通りの挨拶を終え、私は寮を後にしようとしたのだが……。
「奥様!申し訳ありません。馬車の車輪が……」
と御者が青い顔をして玄関の扉を出た私達に向かって走って来た。
「どうしたの?」
と尋ねる私に、御者は慌てた様子で、
「馬を休ませて、馬車に戻ると車輪のボルトが外れておりまして……。あれでは馬車を使えません」
と説明した。
「は?修理は?直ぐに修理は出来ないのか?」
と尋ねるギルバートに、
「今、護衛が鉱夫の皆さんと共に代わりになるボルトを探していますが……馬車は何と言っても公爵家の特注品で……あれに合う物をここで見つけるのは困難かと……」
と御者は小さくなりながらそう言った。
「まぁ……困ったわね。ここから宿屋までは馬車でも三十分はかかるのでしょう?歩く……のは大変そうね」
と私が言えば、
「此処には鉄鉱石を運ぶ荷馬車しかなく……しかも先程からポツポツと雨が落ちて来まして……」
と御者はますます恐縮した。
確かに……小雨だが私の肩にも雨粒が落ちてきていた。
「では、馬で移動……というのも難しいでしょうな……」
とギルバートが渋い顔をする。
すると後ろからメグがやって来て、
「あの……ここの奥に質素ではありますが夫婦用の家がございます。今は誰も住んでおりませんが、週に1度は私が換気と掃除をしているので、直ぐに使えると思いますよ。あ……シーツは新しい物を用意しますので」
と声を掛けてくれた。
「まぁ……貴女も忙しいでしょう?それなのに申し訳ないわ」
と私は眉を下げた。しかし、
「奥様、この状況では仕方ありません。宿屋へ向かうのは諦めた方が……」
と言うギルバートと、
「奥様、メグの手を煩わせる事の無いよう、お部屋の用意は私がして来ますので、今日はそちらに泊まりましょう」
と言うソニアに押されて私は申し訳なく思いながらも、メグの提案を有り難く受け入れる事にしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます