第7話 魔力の結晶

「トーマス・クレイグのベースキャンプへようこそ」


 言い放ち、青年――トーマス・クレイグはバンガローの鍵のない扉を開けた。


 キーラはゆっくりと閉まっていく扉に急き立てられ、さっさと部屋の奥へと進んでいくクレイグの後ろをついて、なかに足を踏み入れた。


 バンガローは外観からの想像よりは広いが、トーマスの仕事道具があちこちに散らかっているせいで実際よりも狭く見せていた。


 壁には泥のついたゲートルや革の手袋が吊るされ、その隣にはいくつかの書き込みがあるこの森林周辺の地図が細い釘で留められている。窓を塞ぐように置かれた装飾のない木板をつなげただけの簡素な棚には、土が半分ほど入った広口の瓶や何かの幼虫らしきものがぎっしり詰まった小瓶がそれぞれラベリングされて並んでいる。


 この部屋で生活に使えそうなものといえば、棚の向かいの壁際にある野戦病院から譲り受けたような簡易ベッドと、部屋のど真ん中に居座っている本や書類が積み上がった作業デスクくらいだった。


 グロテスクながらもわくわくするような冒険の断片に、キーラは目を奪われていた。


「ここに座って少し待ってて」クレイグはデスクのなかにしまわれていた木製のイスの背もたれを軽く叩いて示し、棚の方に向かった。


 キーラは閉じなくなってしまった機械羽を背中から下ろして床に置き、言われた通りにイスに座った。クレイグの方をちらと見ると、小さな魔法陣を展開させて何か作業をしていた。あまり見つめては悪いと視線を正面に戻すと、作業にはあまり向いていなさそうな惨状になっているデスクと向き合うことになった。デスクのうえで小さな山を成している書類をのぞくと、そこにはやたらと発達した門歯(近くに書かれたメモによると生涯伸び続けるらしい!)と鉤爪をもつ奇妙なネズミのスケッチが描かれていた。


 紙の中の不思議な生き物に夢中になっていると、


「気になる?」クレイグが両手にマグカップを持って戻ってきた。ミルクティーの優しい香りが部屋に広がった。


「はい。こんなおもしろい生き物を見たことがないので」キーラはクレイグを見上げ、差し出されたマグカップに手を伸ばしながらいった。「本当にこういうのがいるんですか?」


「そこの森にはこういった生き物たちがごまんといるんだ」クレイグは魔法でデスクの上の書類や本を角にまとめ、ベッドの下からトランクを引きずり出してイスの代わりにまたがった。「そのことについてぜひとも語りたいところだけど、今は君の羽が動くようにすることが最優先。僕の見立てが間違っていなければ、コアの魔力切れだと思うんだけど……」


「はい。さっき私も確認したので間違いないです。それで……その……」キーラは決まりが悪そうに視線を下げて小さくうめいた。それからマグカップを両手で握り込んで、すがるようにクレイグの青い眼を見上げた。「助けていただけますか?」


「もちろん。もし君が僕なら迷いなく助けるでしょう?」


 優しくて広い空の色だ、とキーラは思った。



 機械羽に限らず、魔術師が生み出した道具のほとんどは魔力によって動いている。


 発明された当初は魔術師しか扱えなかったそれらの道具は、ある日、聡明で風変わりでやや血の気の多い魔術師が偶発的に生成した魔力の結晶――コアの誕生によって、半魔術師や非魔術師にも扱えるようになった。


 欠点のないものなどこの世に存在しないように、この小さくてパワフルで微かに発光しているエネルギーの塊にも例外なく欠点があった。それは、魔力を使い切ってしまえば少々の毒性を持つただの石になってしまうことだった。

 

 キーラの機械羽の中心に埋め込まれていた光り輝く魔力の結晶も、今は灰色の冷たい無力な石だった。


 クレイグは左右から挟み込むようにしてコアを固定している金具を魔法で解除した。指でそっと石になったコアをつまみ上げてデスクに置いた。優しく慎重に置いたにも関わらず、デスクに触れた部分が少しほろりと欠けた。


「君さえよければこの石をもらっても構わないかな?」


「いいですけど、何に使うんです?」


「実験に、だよ。これの毒性がもしかしたら生き物を助ける薬になる日が来るかも」クレイグは立ち上がって棚に向かいながらいった。「まあ、僕に化学の才はないから友人の手と頭脳を大いに借りることにはなるだろうけどね」


 空の瓶を片手にクレイグはデスクに戻った。持ってきた瓶のふたを開けて、繊細な美術品を扱うような手つきで石を取り上げてなかに閉じ込めた。


「さて」クレイグは瓶をデスクに置き、トランクに座り直した。「コアの生成に取りかかろう」


 クレイグが手をかざすと魔法陣が浮かび上がり、オルゴール程度の大きさの立方体を形作る。内側から青白い光を放って少しずつ結晶ができあがってくる。


 キーラはあまりの眩しさに眼を細めながらも、その美しい瞬間に釘付けだった。


 クレイグはやや苦しそうに眉をひそめた。コアの生成にはかなりの体力と集中力を使う。承知で引き受けてくれたのだろうとは想像しつつも、光の向こうで歪む表情を目の当たりにしてキーラは少し胸を痛めた。


 結晶はついに眼球ほどの大きさになった。表面はつるつるしていて、素人が吹いたガラスのように歪だ。魔法陣が消え、コアはゆっくりとデスクに落ちた。


「完成だよ」クレイグは深く息を吐いて、膝に上腕をついて脱力した。


 力がうまく入らずに震える指でクレイグは生成したばかりのコアをつまみ、キーラに差し出した。キーラが両手で受けを作ると、クレイグはそれを彼女の手の中に置いた。


 淡く白く光るコアにキーラは見惚れた。何度見ても見慣れることなどないくらいに美しい。


「ありがとうございます」コアを優しく握りしめてキーラはいった。


 クレイグのトランクに立てかけられていた機械羽を持ち上げて、複雑な機械の中心にコアをはめた。カシャン、とコアが固定される。機械羽はゆっくりと羽をたたんだ。



 バンガローを出るとすでに太陽は一番高いときを少し過ぎ、短く濃い影が2人分、土の上に落ちた。


 機械羽を背負いヘルメットを被り、飛行の準備を万端にしたキーラはくるりと振り返った。見送りにきたクレイグに向き合う。


「じゃあ、今度こそお別れです」キーラはいった。


「うん、そうだね」クレイグはトレンチコートのポケットに手を突っ込んで視線を少し外した。「もし次の機会があったら、また君にお願いしてもいいかな?」


「ええ、ぜひ。でも次は正式な手順を踏んでくださいね。生物を運ぶときは特別な処理が必要で、今回のだって本当は条例違反だったんですからね」


「それは……まあ……、魔獣の研究、ひいては世界の環境を守ることに貢献したと思って多めに見てほしいな」


 栗色の癖毛を手でかき混ぜ、反省の色を見せずにへにゃりと笑うクレイグに、キーラは思わず集荷局での自身の態度を重ねた。他人のことをいえたものではないな、とキーラは思い出して笑った。



 キーラは夜明け前とはずいぶん様子が違う、明るく青い空を飛行している。業務が終わって手ぶらになり、キーラの気分は最高潮に爽やかだった。意味もなく派手に旋回をしてひやりと心地いい風を浴びた。


 飛び立つ前、怪鳥に気をつけるよう叫んだクレイグの声は、無念にもキーラの耳には届かずにバンガローの前で霧散した。

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