第6話 辺境のバンガロー前にて
「動くなああああああああっ!」
「きゃああああああああっ!」
バンガローまであと50歩もあればたどり着く地点、扉を蹴破って飛び出してきた青年にリボルバーの銃口を突きつけられ、キーラは悲鳴をあげた。木箱が彼女の手を離れずに済んでいるのはまさに奇跡だった。
配達中に空賊やならず者に襲われそうになった際の訓練は受けてはいたものの、所詮は訓練。何の前触れもなく正面から大口を開けるいぶし銀の怪物に睨まれ、キーラは頭の中も目の前も真っ白だった。
時が止まったかと錯覚するような沈黙と膠着。それを破ったのは、青年が銃を下ろして安全装置をかける小さなカチャリという音だった。
「驚かせてごめん」青年は声を張った。「ここら辺に人間が来ることなんて滅多にないから。その腕章と羽は配達士だね?」
「え?……あ、はい!」キーラは応えた。「頼まれていたものをお届けに参りました」
「ありがとう。ところで、その荷物はどこから集荷局へ届けられたか聞いているかな? 手間をかけさせて申し訳ないけど、僕には敵が多いんだ」
「ええっと……」キーラはまだ動揺していた。言葉と記憶がぐちゃぐちゃに混ざって細かく砕かれ、もはやなんの意味もなさない欠片が頭の中で散らかっていた。「た、確か沼地の管理人からだって言っていたような……」
「ああ! なら本物だよ、ありがとう」
両腕を広げ、青年は満面の笑みを浮かべながらゆったりと歩いてキーラに近づいてくる。切るべき時期を少し過ぎたような栗色の巻き髪に、ひょろりと痩せた長身。砂漠みたいな色のトレンチコートがふわりと広がった。キーラは後ずさりたかったが体がこわばって動けなかった。彼の右手にはまだリボルバーがおさまったままだったからだ。
「大丈夫だよ、何もしないって」
「だったら武器をしまってください!」
「ああ、ごめん。忘れてたよ」青年は慌てて立ち止まると、気恥ずかしそうにはにかみながらコートのポケットに銃をしまった。「ほら、もう大丈夫」
キーラはほっとため息をついて、両手をあげて安全だとアピールしたまま動かない青年のもとに進んだ。背の低い草を支える土が雨上がりのように湿っていて柔らかい。足を滑らせそうになりながらも、キーラは青年の目の前にたどり着いた。青年の顎にはうっすらと無精髭が生えていた。
木箱を少し持ち上げて示すと、青年は深海のように鮮やかな青い目を輝かせた。
「あなたが依頼した荷物は、確かにこれで間違いありませんか?」
「間違いない。これは間違い無く僕が頼んだものだよ」
青年はそろそろと木箱に手を伸ばして受け取った。青い目が愛おしいそうに木箱を見つめるその姿に、キーラは好奇心を抑えられなかった。
「聞いてもいいですか?」キーラは遠慮がちに尋ねた。「この箱の中身っていったい何なんですか? あまり衝撃を与えないようにと注意は受けたのですが、その理由までは教えてもらえなくて」
「衝撃?」
「はい。できるだけ揺らしたりひっくり返したりは避けるようにって……」
青年は考え込むように木箱の上に視線を落とした。そのあまりに真剣な眼差しに、キーラは、もしかしたら何かとんでもない間違いを犯したのではないかと唐突な不安に駆られてたじろいだ。
それから青年は答えを見つけたようで、主人の怒気を察した子犬のように肩に力を入れて縮こまるキーラに柔らかく微笑んだ。
「きっと君にそれを伝えた人は、丁寧に配達してね、というのを確実に伝えるために誇張した具体例を出したんじゃないかな。だってオーブモールの卵は亀の甲羅より硬いからね」
青年の優しい物言いにキーラの不安は解けて肩の力が抜けた。しかし同時に、今まで聞いたことのない生物の名前に、彼女は自身がここまで運んできたものの正体がますますわからなくなり、隠れかけていた好奇心が再びひょこりと頭をのぞかせた。
青年の大きくて関節の目立つ両手で大事に抱えられた木箱を見る。あの中に入っている卵はどんな大きさ、色でどれほど硬いのだろう? キーラは気になって仕方がなかった。
「差し支えなければ、その卵を見せていただけませんか?」
「もちろん」青年はいった。「君には当然その権利があるからね」
青年はしゃがみ込んで片膝をつき、木箱を地面に下ろした。ベルトの拘束を解いて蓋を開けた。キーラが膝に手をついて箱の中を覗き込むと、
「わあ、すごい……!」
曇天を写し取ったような灰色に若葉のような緑の斑点が星座のように散っている。握り拳より2回りほど大きな卵が枯葉や枝の緩衝材に守られて、箱の中心で眠っている。
「持ってみる?」青年はキーラを見上げた。
期待に丸く開いた複雑なブラウンの眼に青年は笑いかけ、返事を待つことなくそっと持ち上げた卵をキーラに差し出した。
「少し重たいから気をつけて」
キーラは興奮で震える手を伸ばして卵を手に取った。卵は身の詰まったカボチャのようにずっしりと重く、殻は鎧のように硬かった。中で何かが動いたような気がした。生命の気配だ。
「すごい」キーラはつぶやいた。「生きてるの?」
「うん、生きてる。今はまだ卵の中で、だけどね。この斑点が消えたら親――この子の場合は生みの親じゃなくて僕だけど――が殻を破って子どもを出すんだ」
キーラは卵を青年に返した。青年は再び卵をしまい、木箱を手に取り立ち上がった。
「ねえ、よかったらお茶でもどうかな?」青年はいった。「こんな辺境にまでこの子を届けてくれたから、そのお礼に」
「お気持ちは嬉しいのですが、業務中は配達先の家に上がってはいけないことになってるんです」
「そっか」青年は寂しそうに眉尻を下げて笑った。「じゃあ、気をつけてね」
「はい!」
キーラはヘルメットとゴーグルをつけ、青年に背を向けて飛翔のために助走した。機械羽を展開してさらに速度を上げ、濡れた地面を蹴った。
足が地上を離れ、機械羽を羽ばたかせる。少しずつ高度を上げて雲に近づいていく。……はずだった。
機械羽は羽ばたくのをやめ、高度は急激に低下した。
キーラが受け身を取ろうと前腕を顔の前で揃えた。衝撃に備えて歯を食いしばったその時、ぐん、と上から何かが機械羽の肩紐を引っ張り、キーラは宙に浮いた。
「大丈夫?」青年は叫びながらキーラに駆け寄ってきた。キーラを助けたのは彼の魔法だった。
「は、はい……何とか」キーラはバクバクと骨の中で暴れる心臓の鼓動を感じながら返事をした。
キーラはゆっくりと地面に下ろされた。機械羽を閉じようと試みたが、ぴくりとも動かすことができなかった。キーラは自身の準備不足にため息をつくしかなかった。
青年は走るのをやめ、キーラの前で立ち止まった。気まずそうに苦笑いを浮かべる彼女に微笑んだ。
「もう一度誘ってもいいかな。君を、お茶に」
「……まあ今回は、緊急事態だし例外ってことで」
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