第4話 極秘の配達物

 キーラが生計を立てる手段として配達士を選んだのは、ひとつは空を飛ぶことが好きだから。そしてもうひとつは、給料が日払いであるから。


 残っていた書簡を配達して中央集荷局へ戻ってきたころには日はすでにほとんど沈んでいて、空の奥は果ての見えない濃紺だった。


 くたびれてほとんど脱力しているキーラは慣れた手つきでヘルメットを外してメッセンジャーバッグの肩紐に下げ、集荷局のドアを肩で押して入った。


 幸いにも受付に列はできておらず、キーラは今朝と同じ銀髪のハイエナの元へ向かった。


 キーラはコートのポケットをまさぐり、カウンターに今朝ここで受け取ったナンバープレス入りの銅板を置いた。ハイエナは銅板を手に取ってカウンターの下で確認し、1枚の紙と銅板を持って後ろの格子の向こうに入っていった。それから白い封筒を持って戻ってきた。


 給料だ。


 キーラがカウンターに置かれたそれを受け取ろうと手を伸ばすと、ハイエナは左腕をカウンターについて身を乗り出し、キーラの手を掴んだ。前にかがんだ拍子に襟元からブルーのドッグタグがするりと飛び出した。エマと名前が刻印されているのをキーラの瞳がとらえた。


「なあキーラ、ちょっと頼まれてくれないか?」


「な……なんです?」キーラは警戒して思わず半歩下がった。


「あんたに配達してもらいたいものがあるんだ」エマはキーラの耳元に口を近づけて声をひそめた。「極秘でね」


 訝しんで目を細めたままのキーラにエマは続けた。


「ここが片付いたら――そうだな、あと40分くらいか――すぐに向かう。だから出てすぐ右にあるコーヒーショップで待ってな」


 言い終えるとエマはキーラの手を離した。給料を受け取ってバッグの内ポケットに直接突っ込んだ。


 エマの指定通りコーヒーショップに入り、ブレンドを注文して窓際の席に着いた。


 カップから濃い湯気がたちのぼる。キーラは見るからに熱そうなコーヒーに今すぐ口をつけることは諦めて、カップをテーブルの中心に押しやった。頬杖をついて窓ガラス越しに通りを眺める。


 往来を人々が各々の速度で行き交っている。それぞれが他の誰にも想像がつかないような過去や未来を持っている事実は、キーラをどこか哲学的な世界へ連れていった。


 肩を掴んだ手に激しくゆすられ、キーラはようやく目を覚ました。


「おはよう。待たせたね」


 いつの間にか伏せていた頭を上げて、キーラは声の聞こえた方に顔を向けた。エマが灰色の目をしっかりと開き、ギザギザと鋭い歯を見せ口元だけで笑っていた。ぼんやりしながら目をしばたたき、キーラは口元を拭った。


 エマはキーラの向かいに座り、彼女より先に到着していたカップに口をつけ、やや荒っぽく大げさな音を立ててテーブルに置いた。背もたれに体重を預け、着古して擦り切れたようなミリタリージャケットから紙巻きタバコとマッチを取り出した。火をつけてゆったりと煙を吐き出す様を見届け、キーラは単刀直入に切り出した。


「で、極秘の配達物って?」


「その前にひとつ、確約させておきたいことがある。あんたはこの仕事を引き受けて、何ひとつ問題を起こさずに遂行してくれるんだね?」


「物がわからないのに約束なんてできないよ」キーラは困惑したように眉尻を下げた。「たとえ極秘だとしても私には教えられるはずだよ。だってそれがもし爆薬や毒性ガスなら? 規則や法律はともかく、命まで危険には晒せない」


 エマは深くタバコを吸い込み、深いため息とともに煙を吐いた。ゴーストのような白い幕の向こうからエマはまっすぐにキーラを見つめた。


「すまないが直接は教えられない。周辺情報を教えるからその足りない頭で推理しな」エマはタバコを人差し指と中指の間に挟んだ手をしっかりと握り込んで注目させた。「その荷物は今日の昼過ぎに南の区域にある沼地の管理人から送られてきた。で、明日中に魔獣行動学者へ届けることになっている」いいながら、握り込んだ手を右から左へ半円を描きながら移動させた。「そいつは非常に繊細で、揺らしたりひっくり返したりはできるだけ避けろ、との注意が管理人からも学者からもあった。以上だ」


「……何かの動物?」


 エマはそれに答えずにタバコで机のフチを軽く叩いて灰を床に落とした。法律を犯しても構わないとはいったものの、いざその可能性が突きつけられるとキーラは怯んだ。


「やるかい?」


「…………」


「特別手当は今日の給料の3倍はくだらない」


「……捕まったら助けてくれる?」キーラは様子を伺うように上目遣いでエマに視線を送ったが、当の彼女はキーラの言葉を鼻で笑った。


「保釈金は払うよ。私に金があればの話だけどな」


 エマは立ち上がり、カップを煽って中身を一気に飲み干した。


「明日の夜明け前、局の裏へ」


 言い残すとタバコを咥え、ジャケットに深く両手を突っ込んで店から出ていった。



 タウンハウスや木々のシルエットがくっきりと浮かぶ夜明け前。機械羽を大きく広げてキンと冷たい風に頬の皮膚が突っ張るのを感じながら、キーラは着陸の姿勢をとった。


 キーラは庁舎へ行く前にオードリーの本屋へ寄ることにした。当然まだ店は閉まっているし、どの窓も暗いままだ。もしかしたら、オードリーには書店とは別に帰るべき部屋があるのかもしれない。しかしそれでもよかった。キーラはオードリーに会いにきたのではなかったからだ。


 キーラは書店の前の通りに降り立って機械羽を閉じた。薄暗い静寂の中に革底のブーツの音が響かないよう慎重に店に近づき、郵便受けが出入り口横の壁に取り付けられているのを見つけた。上蓋をそっと開け、二つ折りにした小さな羊皮紙をその小さく平たい木箱に入れた。


 その羊皮紙には、あわてていてお世辞にもきれいだとはいえない字でささやかな約束が記されている。


 外側の角にキーラとオードリーの名前が書かれた羊皮紙は、自身を除いて他に何もない真っ暗な郵便受けの中で取り出されて読まれるのを待っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る