第32話 後始末

「随分と丁重な扱いをしてくれるのね。傷が癒えるまで客分として滞在させてくれるなんて」


 包帯をほどきながら静麗ジンリーが言葉をかけたのは、この宮の最高責任者である龍帝、梓磊ズーレイだ。

 現龍帝を弑し、国を揺るがそうとした大罪を犯した者たちを捕える騒動が終わり、数週間が経った。静麗があの騒動で負った怪我そのものは軽微だったが、符の消費や自らの気を消耗していたこともあり、未だあやかしひしめくこの宮の侍医室で世話になっていたわけだ。


「当然だ。此度のことは詳らかにこそ出来ないとしても、完全に隠匿しきることは難しい」

「あら、記憶を司る孟婆モウバがいるんでしょう。多少の操作はできるんじゃない?」

「何もかもを隠してしまえば、違和感は必ず生まれる。明かされた時に不信感と怨みを買うよりも、納得できる体裁を整えた方がましだ」

「そ。ならいいけど」


 鼻を鳴らす静麗も、別にどちらが最善と思って告げたわけでもない。お上は厄介ねと率直に余る感想を抱きながら腕を握り開いた。細部まで痛みや異常がないことを確認して立ち上がる。


「そういうものだ。宮中の膿を掻き出した協力者に対しての謝辞は惜しまん」

「……そういうものなのね」


 ここで静麗の正体が明かされれば謝辞が罵倒となり敵意が刃となる……などという想像は浮かぶが、そこまで詰めの甘い男ではないだろう。周囲へと視線を向ければ、温厚な顔立ちをした侍医が訳知り顔で頷いた。静麗の傷を献身的に診てくれていた霊亀レイキのあやかしだ。


「無論、ここにいる我々は陛下より事情を伺っております」

「其奴はうちの共生派筆頭だ、心配はいらん」

「そうなの。御心遣いと思って礼は言っておくわ。……とはいえ、任務も終わったしもうそろそろ戻ろうと思うの。治療も終わったし、向こうの様子も気になるもの。いつまでも上げ膳据え膳の生活じゃいられないしね」

「おや、それは寂しくなりますな」


 老輩の侍医の言葉に眉をさげる。彼らを狩る側の筈だったのに惜しまれることも……惜しいと思っていることも奇妙な話だった。けれどそれを、厭おうとはもう思わない。


「そうか。……ならば帰る前に玲水リンスイ颯雨ソンユには声をかけてやれ」

「……まあ、いいわ。娘娘ニャンニャンにも颯雨にもお世話になったもの」


 否やと突っぱねるほど意固地になる理由も、今の静麗にはない。


「ねえ、あなたの周りってひょっとしてもの凄い楽観主義が揃ってたりする? 龍帝様も苦労するわね」

「お前も然程その枠から外れはしないだろう。自らの死を偽装して、颯雨の枷を外そうと画策するくらいだ」

「結局できてないけどね」


 実行の是非はともあれ、考えるだけで随分なことだろう。自らが殺される可能性を危惧していなかったことも拍車をかける。


 梓磊としては、複雑ながらもありがたい限りだったが。だからの時である今頭を下げるのに躊躇うこともない。


「それでも……感謝する。此度の件に対して、この宮を預かる者としてもだが。兄として、弟を慮ってくれたことに」

「……感謝される謂れはないわ。前者はさておき、後者はね」

「そういうそなたに対してだからだ」


 その言葉にむず痒さが背筋に沸く。本当に、ただやるべきことをやったというだけの感慨しか静麗ジンリーにはなかったから。だから少しだけ話の方向性を変えることにした。


「……そうまで言ってくれるなら龍帝陛下。一つ今回の協力の報酬をいただけないかしら?」

「なんだ。……あやかしの世界の火椒はさすがに持ち出しは難しいぞ。自己消費だけと誓約するなら不可能とは言わないが」

「違うわよ。人が辣椒トウガラシ意外興味がないと思わないでくれない!?」


 人外だと声を荒げれば、違うのかと梓磊ズーレイが表情を変えぬまま首を傾げる。


「世界を渡る相手故渡せるものは限られているが、可能なものならば尽力しよう」

「──もしかしたらあなたたちからしたら不快かもしれないわ。禕書イショを……正確には『土元素の成り立ちとその源術』の書を引き取りたいの」


 片眉を挙げた龍帝陛下。どよめいたのは彼を護衛する武官と侍医だ。

「表情を変えた!?」「嘘だろ!? 弟君か皇貴妃様絡みくらいしか顔の変わらない鉄面皮だって聞くぜ!?」などと聞こえてくるが静麗の知った話ではない。そのまま言葉を続ける。


「すごい貴重な本だから価値として持っていかれたら困るっていうのも分かるし、そもそもあなた達からしたら自分たちの同胞をあやかしから器物に戻して……殺しておいて何を言うんだと言うかもしれないわ。でも、彼は人に見捨てられたことを悲しんで、悔やんでいたの。本に戻った彼が、また書物として人の手に取られる機会を与えてあげたい。……私個人の、勝手な感傷かもしれないけど」

「……大手を振って歓迎がし難いのは事実だ。だが、私が断ったらお前はそのまま引き下がるのか?」

「そうなったら仕方ないわね」


 にっこりと、殊更に丁重な笑みを静麗は浮かべる。過ぎたる慇懃さは無礼と受け取られてもおかしくないほどに。


「うちの師傅センセイがこの本を読みたがってたから。陰陽鏡を返すときにでも本の話をしておくわ」


 その日のことを龍帝陛下の忠実な部下は忘れることがないと後日に語った。側に仕えることになって五百余年は経つが、あれほど渋い表情を浮かべた梓磊陛下を見ることがあり得るなど、と。


「どういう伝手で師傅が陰陽鏡をもってるかは知らないけど。然るべきところに返す前にこっそり使うかもしれないわね。あの人そういうところあるし。そしたらひょっとしたらしばらくしてここの保管庫からなくなってるかもだけど」

「…………、………、………。…………丁重に扱えよ」

「ええ、勿論!」


 最終的な沈黙ののち、龍帝陛下の首は縦に振られた。

 他にも色々保管庫を漁られる面倒さや推測できた帰結についてもだが。何より『また泰然タイランがここに訪れる可能性』に一瞬でも早鐘を打った自らの心臓が許せなかったから。


 ついでにお前は自分の師傅シショウの正体を知っているのかとか、そもそも自分たちが顔見知りだと知っているのかとか。様々な疑問が一瞬のうちに梓磊の頭をよぎったが、最終的には全てまとめてその強靭な喉で飲み下すことにした。

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