第29話 憎悪の裏

 颯雨と別れた静麗のやることは大きく二つ。

 一つ、禕書イショと呼ばれる今回の首謀者。その居所を把握すること。

 二つ、禕書を捉えるためのを構築すること。


「あれだけ力を込めた人形を何体もは用意できないと思うけど……書物の付喪とあらば用心は必要ね」


 付喪と呼ばれる器物が変質したあやかしは器物としての特性を残すことが多い。記されている内容次第ではあるが、叡智の詰まった書物が付喪になったときほど厄介なことはない……とは師傅センセイの言だ。


 居所の把握は、さほど手間ではない。女官殺しの実行犯を探る時と同じ手法を使えばいい。先ほど人形を生み出す核となっていた、いまは土塊となったものの央にあった宝玉。


 人形は土から造られていた土属性のもの。一方で書物の付喪とあらば、木属性は必定的に有しているはずだ。訥々とまじないを口にする。


「『かしこみかしこみ申し上げる。万物ひしめくもの、五行纏ろうもの。木剋土の因果を巡りて根源を辿れ』」


 地脈のように光として見えるものではないが、確かに気の通り道を認識することができる。この道の先に、禕書がいる。


「……方角と距離を見た感じ、外朝よりも外側ね」


 彼らの根城にあたる場所だろうか。重々警戒をしたほうがよさそうだ。



 ◇



 辿り着いたのは木造の……否、木そのものだ。森の中にある大樹は、複数の木が絡み合い形成されている。幻想的な光景。まだ人のかたちになることもできない木霊たちがひそめきあう気配を感じた。

 微かな振動を与え、反響を確かめれば、樹洞がこの内部にあることは明らかだった。


「燃やす……のはよした方が良さそうね。向こうだって火属性の対策はしているでしょうし」


 何より、それでは周囲の木霊たちも犠牲になる。そこまで考えたところで静麗ジンリーは自嘲するように口角を上げた。


「……こんなこと、こっちに来るまでは思いもしなかったでしょうに」


 仕事以外で積極的に弑すまでは行かずとも、無害なあやかしを巻き込むことを躊躇わなかったころを思い出す。

 無論狩人としての本能は警鐘を鳴らしていた。このまま彼らと親しくしていれば、いずれ妖狩りを生業にはできないかもしれないと。


「それでも、すべき時には躊躇わない。だから……文句があるならここに私を向かわせるって決めた自分に言ってね、師傅センセイ


 呟きと共に符を木に貼り付け、木々の絡まる隙間へと身を滑り込ませる。




 中に入った時に静麗は既視感を覚えた。とぷんと水の中に潜り込むような錯覚。表と裏の狭間をくぐる、陰陽鏡の中で味わった浮遊感。


 暗闇を抜ければ、そこに積まれていたのは本だった。──否。本が余すことなく積まれている一室は、一様に焔に飲み込まれている。熱の感覚はないというのに、空間を飲み込む鮮烈な赤が脳に熱の錯覚を生み出していた。



「ここは…………」

「驚いたか? 人の子よ」


 嗄れた、部屋の焔すらも凌駕しそうな声に振り返る。金縁で装飾をなされた一冊の本が、表紙の単眼をこちらへと向けてきた。


「……そうね。あなたが禕書イショ? だとしたら、ここはあなたの心象風景なのかしら」

「その通りだ。焚書の歴史を知っているか? 若き人の子よ。我らは人が己の都合で記し、生み出され、そして己の都合で燃やされた」

「……そういった歴史があるということは、聞いているわ」


 今の王朝より二つ前だったか。当時の歴史について記された書物を見つけるのが厄介だと、以前ぼやいていた人がいたことを思い出す。


「ならば話が早い。あの時我は付喪として魂が宿った。はじめて記された感情は恐怖であり憎悪だった。魂の属性としてそうなった以上、人を憎み苦しませる理由は十分だろう?」

「…………否定はしないわ。あやかしとはだもの」


 人の世にあるものが人の感情によって変質したものがあやかしだと説を唱える者もいる。付喪は特に、その物質に向けられていた強い感情に左右されると聞いた。焚書に、書を毛嫌いする人間の感情に触れて生まれた存在ならばなおさら。

 ある種外因的な理由であやかしを、人を憎んでいる静麗や颯雨よりよほど健全ともいえる。


「なら……問答をしたところで考えを改めることは無理ね」

「そうだな。……それで、人の娘。お前は私を滅ぼすつもりか?」

「…………」


 沈黙を返答としたのは同情ではなく警戒からだ。

 表紙に刻まれていた文字、かの禕書が付喪として目覚める前の本の用途を理解したからだといって良い。


 五行にまつわる書物。

 土の属性の応用術式を記した書物は土人形を生み出す手法のみならず、人形を操る応用として人の四肢をも思いのままとする操身術についてが記されていたはずだ。

 ならば下手に問いかけに答えることは、身をあけ渡すことにも等しい。


「だんまりか。まぁい。ここに来たのも龍帝陛下の差し金か?」

「……あんたは、人を憎んでるのは分かるわ。でもあやかしの国をも憎んだのはなぜ?」

「決まっている。人を滅ぼすことを今の龍帝、梓磊ズーレイが拒んだからだ」

「中立派って言ってたものね。でも、人間があんたを滅ぼす可能性も同時になくした」

「それでも構わなかった!!」


 ばたんと大きな音を立てて頁が閉じられる。

 書物だとしても目がある限りは涙が流れるものなのか。その表紙を見て静麗が真っ先に浮かんだのはそんな感想だった。



「人に滅ぼされるならばそれもまた人の感情から生まれた我らの末路としてふさわしいだろう! だが中立派の腰抜けどもが選んだ道はなんだ!? 人との隔絶だとと、それは戦争よりも余程我らの存在を否定するものだ!!」

「……、……。そっか。あんたは愛してたからこそ……人が憎かったのね」


 自らを生み出し、手に取り、楽しみ、そして不要だと断じられる。愛していたからこそ憎んでいて、だからこそ彼らを滅ぼし、あるいは滅ぼされたいのだ。

 それならばやはり、こちらの方が餞となる。ゆっくりと静麗ジンリーは片手を挙げた。



「あんたのその感情を否定はしないわ。でも、同時にそれを貫こうというのなら私は人間として、あやかし狩人としてあんたを斃す」

「…………可いだろう。ならば我はお前を屠る」


 表紙の瞳がわずかに微笑んだ気がした。それと同時に、身体が一挙に重くなる。四肢が自らのものではないようだ。

 同意ではなく特定の意志表明が操身術の鍵だったのだろう。咄嗟に呼吸を深め、重心を深く下げるように丹田に力を込める。反する意志に身体が悲鳴を上げるように、筋の繊維が切れる音が聞こえた。


「ちっ、小癪な! だが……!」

「──悪あがきに過ぎない、って言いたいんでしょう?」


 こちらとて意味もなく意志表明をしたわけではない。時間稼ぎの一環だ。この数秒間だけ稼げれば十分だった。

 それがあれば、ことは片付くから。



 ……

 …



 ──付喪は皆あやかしとして変質した結果生まれるものだが、だからこそ妖狩りの時に取れる手段があった。

 水木火土金ての符と、敵となるあやかしにとってかけている属性の符を追加で。五芒星を描くように陣地を取り囲み発動するこの術は、強制的に五行の力をあやかしに注ぐ。潤沢な符が必要になる奥義の一つだ。


 強大な光が空間を包み、央の本を飲み込んでいく。


「ぐっ………、ごぁ……っ!きさ、ま……!」

「…………よ、還りなさい。あなた本来の姿に」


 通常のあやかしなら耐えきれずにはち切れるが、付喪に対してだけは違う。……元の器、付喪として生まれたその元のかたち、元の在り方へと戻ることになる。


 光が止んだ時、残されていたのは一冊の本だった。金の縁はあるが瞳はなく、自ら独りでに開くことももうない。拾い上げて表紙を撫でれば多くのものに開かれた痕だろうか、表面はわずかに凹凸があった。


「……今回の討伐依頼に、持って帰れないか聞いてみましょう」


 この世界にあり続けるよりは、あちらで、また多くの人が手に取る機会を与えられれば。

 真っ先に喜びそうな筆頭、焚書に憤っていた師傅の姿を脳裏によぎらせてから、静麗は元の空間に帰るべく再び暗いうろへと身を投じた。

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