第28話 年長者たち

 龍の力は強大なものだ。成熟しきった龍は自らが秘める属性を言葉ひとつで操ることが可能となる。水龍は川を氾濫させ、火龍は自らの望む敵のみを焼き尽くす。

 現龍帝梓磊ズーレイは土を掌る地龍であり、石造の宮殿の執務室は彼の力を遺憾なく発揮できる根拠地でもあった。


 無論属性の相剋にまつわる相性はあるが、火の属性を宿した人形は粗方少女が攫って行ったのだろう。その尾を奮い、牙で砕き、壁を槍として抉れば数十程度の人形はそう時間をおかずに沈黙した。

 状況をより把握せしめるため、室内を見渡しやすい人の姿へと戻り周囲を見渡した梓磊は、ようやく息を吐いた。


「……こちらはこれで片付いたか。あちらは専門家に任せるとして、宮中は、」

「──おや、俺の《娘》はここにはいないのだな。ということは囮になったか……あれはすぐに無茶をするから、末の龍公子が間に合えばよいが」

「…………!!」


 背後の声に梓磊ズーレイは振り向きざまに剣を抜く。そのまま窓へと突きつける。花窓をくぐり腰かけていた黒い髪の男は、鋒の先を向けられながらも尚くつくつと笑い声をたてる。


「いきなり剣を向けるとは。色々と便宜を図ってもらった龍帝陛下に礼を言いにきた客人に対してご挨拶だな?」

「黙れ、貴様の舌が紡ぐ言葉の全てに虫唾が走る」



 金の瞳は煌々と燃え盛り、表情はこれまでにないほど歪みきっていた。けれどもそれを気にする泰然タイランではない。大仰に肩をすくめて剣を気にしたそぶりもなく一歩歩み寄った。


「心外だな、人を二枚舌の悪鬼のように」

「はっ、悪鬼の方がまだ救いようがある。人から転じながらもなお人の枠を外れきれない化け物め」

「あやかしの頂点に立つ龍帝陛下からそう言われるとは、光栄だよ」

「…………一千年も昔、その頂点に立っていた男を殺めたあやかし狩人の言葉ではないな。静麗と言ったか、あの少女。一体その名を名付けるのはこれでに当たる?」

「さて、忘れてしまったな。お前と会った後にも十人はその名をつけたはずだ。三代を巡るごとに同じ名を与えているもので」


 人でありながら輪廻の枠組みから外れ心臓を抉ってもなお生きる、永遠の命を持つ不死者。あやかしと同じかそれ以上の永い時を生きることができる化け物を、梓磊ズーレイは侮蔑を込めて睨みつけた。


「親子遊びにその歳になっても興じるとはな。趣味が悪い」

「酷い言い草だな。名は巡っていれど、どれも俺にとっては愛しい娘たちだ。──だから、お前が害をなすというのなら容赦はしないぞ、龍の坊主」

「……もう坊主ではない」


 はじめて出会ったころの雛ではなく、成龍となった姿。だというのに泰然タイランはこたえた様子もなく、「俺の歳からしたら永劫に坊主さ」と笑う。


 その笑みを見るたびに梓磊の臓腑が沸騰し、焼け落ちそうになることなど目の前の男は知りもしないのだ。有体な浪漫に満ち溢れた運命などと言うものを信じる娘や妃たちに、そんなもの夢見がちなものではないと怒鳴り散らしたくなるくらいには。

 即位する前、兄を殺したこのあやかし狩人の存在に出逢いさえしなければ、自分も人という有様に憎悪を向けられていただろうに。


「……本当に、あの娘が貴様に似ていないことだけは心底救いだな」

「ははっ、それは同感だ。此度の静麗も良い子に育ってくれたものだ。で、最初の問いに戻るが俺の娘は?」

「…………先ほどお前が口にした通りだ」


 末の公子、颯雨ソンユが助けにいっただろうよと短く返す。龍の大気の揺らぎを掴む角が、南南東に向かう強い羽ばたきを察知していた。


「なら俺が嘴を挟む必要はなさそうだな。しばしここで時間を潰してから陰書楼に戻るとしよう」

「ちっ」

「不服そうだな。早めに退散した方がいいか?」

「……誰もそうは言っていない」


 隣で言葉を交わせば胃の腑が焼き切れそうになり、離れていこうとすれば肺が焦げ呼吸が苦しくなり、姿がなければ心まで凍てつく。どう足掻いてもこちらを翻弄するのなら、いてもいなくても同じだと梓磊は自らに言い聞かせる。そうする間にも、泰然は話題を他所へと移した。


「外朝と後宮、二席もの場所を空けるのは如何に皇帝とて調整が厄介だっただろう」

「必要経費だ。おかげで謀反を目論む者どもをこうして一掃する機会になった」

「そうだな。次からはこちらの世界に至る前に対処するように頼むぞ」

「……口の減らない」


 だが、犠牲を出してしまったことは事実だった。舌打ちはするが反論の一つくらいはさせてもらいたいものだ。


「だが、無辜の犠牲ではなかろう。死者の恨みを買っていたのではないか?」

「おや……気が付いていたか」

「当然だ。こちらの世界に存在せしめる三枚の陰陽鏡は管理下に置いている。表の世界で死して幽鬼になった者はこちらの世界に強制的に引き摺り込まれるようになっている。が、ある程度は時間差が起きるのだろう?」

「坊主の言う通りさ。表の世界の皇帝に確認をしたところ、宝物庫にあった筈の陰陽鏡が喪われていたらしい。いつのことだかは分からぬが、おそらくは幽鬼が此方に来る寸前に引っ掴んできたのだろうよ」

「……後宮の幽鬼の女官は多い上に、気が付けば数が増えているからな。憎悪と裏切と悲哀の坩堝となってやいないか?」

「くくっ、返す言葉もない。とはいえ治安の悪さはこちらも然程差はなかろう?」

「ちっ……」


 盛大な舌打ちをする龍帝に、あやかし狩人の師傅は笑い声を深める。


「所詮は人もあやかしも大差ない。有限の力と命の中で惑い、葛藤し、嫌悪し、愛する。排他性が否めないのが玉に瑕か。いずれにしても、元凶に対しての根回しはしておけよ」

「言われずとも分かっている。既に手は回しているさ。多少外に対しては対応が遅れるかもしれんが……。……泰然、お前は颯雨ソンユとお前の娘が、こうなることを予期していたのか?」

「いいや、全く。の食わず嫌いがあわよくば治ればとは思っていたが、まさか坊主の弟と意気投合するとは」

「坊主はやめろ。……なんだ、真逆可愛い娘を龍にはやれんと言い出すのか?」

「当人が望むなら無論祝福するさ。もっとも、お前の弟ではまず口説くところで難儀しそうだが」

「…………」


 ──癪なことに否定ができない。

 以前の問答を思い出しても、あの子はまだ運命かすらも判断つきかねているようだったから。


「とはいえ前途ある若者の未来が無為に損なわれるのも勿体ない話だ。だから塩を送ってやろう」

「?」


 破顔わらったおとこが差し出してきたのは──変色した紙で包まれた冊子だった。

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