第27話 雨が降らずとも

 人形たちが山としてひしめいた場所は、五行の力を受けて半液体状の山ができている。その場所から少し離れた場所へと颯雨ソンユが着陸すれば、風の勢いで山が歪に変形した。

 数秒間それを沈黙して眺めてから、静麗ジンリーは無造作に山へと近づき、躊躇いなく手を差し込んだ。

 取り出したその手には小さな輝きが握り込まれており、それを袋に丁重にしまってからゆっくりと颯雨へ歩み寄る。


「どうしてここに……いえ。お礼は言っておくわ。五行まとめての攻撃は準備が必要だもの。あんたのお陰で人形を灼きつくせた」

「いや。君が五行の地脈を利用しようとしていることに気づけてよかった」

「勘の鋭さに感謝しなきゃ。……それにしても、前から思ってたけどあんたこの間から成長しすぎじゃない? 成長期?」


 年齢的にも人の姿から想像できるものからしても相応の姿ではあるが、ここまでくると仔蛟だったときが何かの間違いだったかすらしてくる。先ほどまで地下空間の中でもかなり上方にいた筈だというのに、手のひらよりもずっと大きい姿だったのだから。


「成龍になったのだろう。疾く静麗の元に向かわねばと思っていたから、その意志が力になったのだ」

「それだけで!?」


 口を大きく開ける少女に、不謹慎だと自覚しながらも口が緩む。彼女は天龍である颯雨に差し伸べられる手がどれだけ稀有なものかを理解していないのだ。

 その証拠に、あらためてこちらを見た彼女は深いため息を吐いた。


「礼は言うけど……あんた、私が前にあんたに話したこと覚えてるの? 場合によったら私はあんたを殺すって言ったんだけど」

「それは私が復讐をしようとしたら、だろう。現状の私は復讐をする術がない。なら猶予はあるだろう?」

「…………」


 眉間にシワをよせて無言で睨みつけてくる静麗の圧は強い。それでもここで退けば、あの日の焼き直しになると颯雨も負けじと向き合った。すると次第に、彼女の眉が下に、下にとさがっていく。


「…………あんたのお兄さんから、殺されたっていう長兄の話も、聞いたわ」

「そうか。……なら説明は無用か。あの方は決して私に優しくはなかった。むしろ疎んでいただろう。そんな相手を殺した者への復讐は……不毛だと、笑うか?」

「不毛かどうかっていったら、村を滅ぼしたあやかし以外を手にかけている私だって不毛よ」


 人形たちが消えた空間はやけに静まり返っている。行きがけは駆け降りてきた下り坂を、今度は駆けることなく昇っていく。急いだほうがいい時分なのは理解しているが、それでも言葉を交わしたいという衝動は確かにあって。


「でも。復讐の動機が憎しみじゃなくてお兄さんを超えるためっていうのなら、他にやりようはあるでしょ?」

「たとえば?」

「お兄さんを殺したのと同じ存在……あやかし狩人を打倒するとか」



 今が非常事態の続きでさえなければ、静麗としてはここで剣を交えたってかまわなかったのだ。だが提案された張本人である颯雨は、先ほどの静麗以上に顔を歪めた。


「本気か? ……だとしたら、私は悲しい」

「なんであんたが悲しむのよ」

「どうして私が龍として大成できたか、それを君が理解してくれていないから」


 立ち止まった青銀の男は、数歩先を歩んでいた少女の腕をつかむ。振り返った少女と男は、同じ目線で顔を合わせた。



静麗ジンリー、聴いてくれ。君は私との邂逅を、交流を俄雨の軒先の一時のものに喩えたが、私は存外欲張りなんだ。晴れの日も吹雪の日も、共にありたいと思う」

「……私は人間で、あやかし狩人で、貴方は龍で、いずれこの宮を統べるものになるというのに?」

「それを言われると弱いな」


 眉をさげて颯雨は微笑む。


「それでも、心を預けることはできる。表と裏の別々の世界にいたとしても、雨という理由なしに鏡を潜って会いに行けるような。そんな関係に私は君となりたいんだ」

「……私のあやかしへの憎しみが、完全に消えているとは言えなくても?」

「君が憎んでいるのは私個人でなく、私が憎んでいるのも君個人ではない。君の中の憎しみが消せずとも、傍には居れるはずだ。憎んでいるはずのあやかしの仔蛟に、あの日君が手を差し出してくれたように」


ゆるゆると、静麗の眉がさがっていく。深く内心の奥、腹に抱えていた塊が弛緩した。同じものだと一度でも思った彼に、憎しみを否定されなかった。それが一番怖かったのだと、あやかし狩人の少女はここにきて実感していた。


それでも素直でないこの口は、安堵の感情とは別のものを示す。

「──今持っている鏡は、終わったら師傅センセイに返還するものよ。ここでの仕事が終わったらそれでもう潜る手段はなくなる」

「鏡ならあるだろう? ……今回の首謀者たちが使っていたものが」

「……」


 その言葉に静麗は口をこれでもかと言わんばかりに開けて、それから弾けるように笑い出した。


「っふ、は、あはは! まさかあんた、陰陽鏡を首謀者からちょろまかすつもり!?」

「元々陰陽鏡は得るつもりだった。使う目的が変わるだけだ」

「それ、娘娘ニャンニャンに聞かれても同じこと言える?」

「ム……」

「あははは!」


 地下の道に笑い声が反響する。

 呼吸が苦しくなるまでひとしきり声を上げてから、目じりを乱雑に拭って静麗はあらためて彼に向き直った。


「……そこまで笑わずともいいだろう」

「ごめんごめん。でもそうと決まったらお兄さんが動く前に確保に向かわなきゃよね。心当たりはあるの?」

「────陰陽鏡の持ち主に心当たりは、ある。が、静麗ジンリーには別のところを任せたいんだ」

「別のところ?」

「ああ。兄上を弑そうとした首謀者だ。先ほどの人形を操っていた者……といえばいいか」

「心当たりがあるのね?」


 笑みを潜め、鋭い目線を向けてくる少女に颯雨ソンユは小さく首肯した。


「禕書という、陰書楼の司書正だ。……居所までは掴めぬが」

「人形の主人で、名前まで分かってれば十分よ。でも今はそいつが陰陽鏡を持っているわけじゃないのね?」

「おそらくは。……あー、っと、静麗?」

「何?」


 振り返る少女に颯雨は閉口した。陰陽鏡を別の者が持っているという証言と、先ほど陰書楼で起きた出来事を話そうとも思ったのだが、泰然タイランと名乗る男が彼女の師傅とは名が同じだけの別の者だと少女は主張していたし、何よりあの時の地に伏せた男の傷で、人間だったら生きているはずはない。


「……いや。そうだな。おそらく持ち主と禕書は別だ。複数の人餌派の存在が協力していたが、なんらかの事情でそれが反故になったようだったからな」

「? そうなの。じゃあ今が好機ってことね」

「ああ。だから迅速に動きたい。禕書の方は任せていいか?」

「ええ、勿論。少なくとも今回裏で糸を引いている相手っていうのなら、私が戦う理由は十分にあるもの」

「……無理はするな」

「あら、誰に言ってるのかしら? あんたこそ無茶するんじゃないわよ。颯雨」


 天の力を持つ颯雨ソンユを当たり前のように気遣う言葉は、慈雨のように沁み込んだ。雨は決して、颯雨にとって恐ろしいものではなかったから。

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