第25話 凶行の真意


「……正気か禕書イショ。宮中で流血沙汰など、申し開きの仕様はないぞ」

「無論、正気ですとも。雛である貴方様は知らずとも、これくらいは千年も前には能くあったこと。今の梓磊ズーレイ陛下は宮中を締め付けておりますがね」

「……」

颯雨ソンユ様! お下がりを!!」



 睨め付ける颯雨を護るべく一歩前に進んだのは彼の侍従、小浪シャオラン。歌のような鳴き声と共に、水の膜が二人を包む。


「そう警戒はせずとも、未来の龍帝陛下に危害を加えるつもりなどございませんとも」

「兄上の命を幾度も狙ったというのに?」

「あの男」


 金縁によって膨らんでいる表紙の単眼に血管が浮き出る。小浪が喉を締めつける音がかすかに角まで響いた。


「──ヒトごときを恐れた腰抜けが。先代がみたら嘆かわしいと軽蔑するでしょうよ」

「……!」


 文脈を理解はしている。彼が謗っているのは此処にいない梓磊兄上のことだと判っている。けれども脳裏に幾度も反駁するのは千年以上昔のこと。


 ──腰抜けが。

 ──天の力を得たとは思えぬ未熟者。

 ──お前のような白痴が俺を押し退け龍帝になるなど、赦されるはずもない。


 名を呼ぶことすら赦されず、どちらが上かを刻みつけるように苦痛を肌に刻んできた男。その声が角を揺らすように反響する。立っていられない。


「……、ッ……!!」

「颯雨様!」

「おや、厭に動揺をされていらっしゃるご様子で。ご心配ならずとも颯雨様、貴方様はあの腰抜け龍帝とは違うはず。人など恐れるに足らないもの。況してや天の力を持つ貴方様の御力があれば勝利は間違いありません。……ですから、今は何も考えずにお眠りなさい」

「……? ……ッ、力が……!」

「小浪!」


 此処にきて、颯雨は彼らが自らを此処に招いた理由を察した。床に方陣が敷かれている。水生木のまじない。水の属性を持つ霊亀レイキの力を、自らの力へと変換しているのだろう。五行全ての力を持つ自身は、体内の属性の調和を乱し崩れてしまっている。


 どうにか隙をつく必要がありそうだ。普段よりもいくらも速い調子で頁を捲りながら、恍惚とした声で禕書が囁いた。


「……今度こそ、我らを記しておきながら勝手な思想で焼き焦がす愚かな人間どもを滅ぼせるのですから」



 ……

 …



「いやはや、それは困るな。そもそもそれで人間が滅んだらお前の仲間は生まれなくなるぞ? つくものあやかしよ」

「っ!?」


 遥か後方から声が聞こえてくる。颯雨も禕書も一様に目を見開き、そちらへと視線を向けた。こきりと関節を鳴らす音が首から響きながら、体躯の良い男が伏した状態から起き上がる。



「全く。常人か下級のあやかしなら死んでいてもおかしくなかっただろうよ。乱暴な真似をしてくれる」

「………………タイラン……」


 くつくつと笑い声を滲ませるその表情は健朗そのもので、先ほどまで血の海に沈んでいたなど言われても信じられないだろう。小さな悲鳴をあげて、広がっていた禕書の頁が閉じられた。


「ば、化け物……」

「化け物? 酷い言い様じゃないか。後ろから術で胸を抉っておいて」


 身体の中央には未だ空洞が空いたまま、けれども血色は幽鬼になりたてのあやかしと呼ぶには佳すぎる。下裳についた黒紅を指で拭おうとして、やがて諦めて手を離した。


「お前……火鼠カソのあやかしではないのか?」

「一度も俺は自分が火鼠だと言った覚えはないな。……いやそれにしても、このような場所で呑気に話を続けているとはその悠揚迫らざる態度には畏れいる」

「何だと……!!」


 ばらばらばらと、揺れに合わせて大きく頁がはためく音が響く。その反応すらも愉快でたまらないというように泰然は笑いを噛み殺す。それから赤紫の瞳で一つ眼を見据えた。



「本当に気がついていないのか? 陰陽鏡はもうお前の手を離れたぞ?」

「何だと……──っ! あの小娘が!!」


 一際大きな音を立てて頁が閉じられる。

 分厚い書物はみるみる内に縮み、縮み。軈てその姿を丸ごと虚空へと消してしまった。


「き、消えた……!?」

「……いや、転移の術だ。あらかじめ根城か何処かに起点を置き、そちらに飛んだのだろう」

「おや、顔色が悪いですがそれくらいの知恵は働きますか」

「泰然」


 こちらへと歩み寄ってくる男の上から下まで眺めるが、やはりどうしても目につくのは胸に空いた空洞だ。


「その身体は人形か?」

「いいえ、自前です。しぶといのだけが取り柄なもので」

「し、死んでしまったかと思いました……ご無事でよかった……」


 小浪が術を解き、へなへなと座り込む。気丈に防御を解かなかったが、気疲れはしていたのだろう。労わるようにその背中を颯雨が叩けば、泰然が眼を見開いた。


「いいのですか? 颯雨殿下」

「何がだ。身を盾にして護ってくれたものを労うのは当然であろう」

「それは否定はしませんが、違います。……呑気に話をしていいかと問うたのは貴方に対してもだが」

「…………どういうことだ?」


 起き上がってから一度も笑みを崩さぬ男というのは、一種の不気味さを挺している。こちらの胸中を知ってか知らずか、顎に手を当てた男は容易く言ってのけた。


「禕書殿がああも大きな動きを見せたのは、貴方が雛から脱却したことで焦っているのかと」

「……私が次の龍帝となるまで、もはや時間の問題だからか?」

「ええ。人餌派である貴方が向こうの望み通りの動きをするならば無論そんな必要はないのでしょうが、貴方が成長した契機如何ではその余裕など崩れ去る」

「成長の……契機」

「颯雨様にはお心当たりがあるようですね。果たしてその切っ掛けは、人餌派の者たちが諸手を挙げて迎え入れられそうなものでしたか?」


 そんな訳がないと怒鳴りつけそうになった喉を無理やり押さえつければ、くぐもった音だけが颯雨の喉から漏れた。意図を察したように、赤紫が細まる。


「……そうでないのなら、排除する方が彼らにとっては得でしょうね。何せ、貴方の御心一つで彼らの未来は変わります。場合によっては雛のまま潰した方がまだ、期待が持てることでしょうし」



「…………! 小浪シャオラン、至急司書正の狼藉を武官に伝えろ!話す相手は慎重に選んでかまわん。信頼できるものにこの場を預けろ!」

「はっ、はい。……、颯雨様は、どうされるおつもりで……」

「直ぐにつ。それと泰然タイラン、お主が無事で良かったが、念のため後で侍医のもとに行くように。私の名を出してもよい」

「こちらの身をお気遣いくださるとは。身に余る光栄です」


「それと……どれだけお前が全てを理解し、網羅しているのかは後で訊かせてもらう。覚悟をしておけ」

「畏まりました。……後があれば、その時には」

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