第24話 隠匿の主


颯雨ソンユ様……颯雨様!」

「っ、あ、ああ。すまない、小浪シャオラン。何の話をしていたのだったか」


 我に返り視線を下へと向ければ、まだ童子の姿をしたあやかしの侍従がこれでもかと頬を膨らませている。


「もう。最近ずっと心ここに在らずではありませんか。先日成長が叶ったのは喜ばしいことですが、もう少ししゃんとされてください! 夕議の時間も過ぎてしまってますよ」

「す、すまない……」


 ここ暫くは夕議に欠かさず出席していた主人が、今は外朝の隅の東屋で時間を潰しているとあらば、また何の心変わりをしたのかと疑問で仕方がないだろう。

 先日の件の凡そを忘れてしまった小浪に、颯雨は告げるべき言葉を持っていなかった。彼に対してだけではない。本当に声をかけたい少女にも、結局何も伝えられずじまいで。


「……、……」

「そ、颯雨様? 本当にどうされたのですか。お加減が悪いのですか?」

「いや……そうではない。ここ数日、思い出していたのだ。長兄のことを」

「…………ああ。あの方をですか」


 死した龍の名を呼んではならないとされている。地がその名を惜しんで呼んだものの命を奪うからだと。だが、そうでなくとも颯雨がかの長兄の名を呼ぶことはほとんどなかった。


「こう言ったら不敬だとは思いますが、颯雨様は自傷癖でもあるのですか? 甲羅を裏返しても思い出したい方ではないでしょう」

「手厳しいな」

「僕は颯雨様の侍従ですから、貴方を大事にしてくださらない方は僕の敵です。……ですから颯雨様も、くれぐれも御身を大事になさってください」

「……善処しよう」


 霊亀レイキの侍従は口さがないが、だからこそ彼のような者がそばにいてくれることを颯雨は得難く思っていた。隣にいてほしかった少女には、それを与えられなかったから。思考がまた沈みそうになるのを頭を振って引き上げる。


「それで、派閥についての情報の報告だったな」

「はい。皇帝陛下が中立派を標榜している故に表立って他の派閥の者が声を上げることは少ないのですが……まずは此方をご覧ください」


 差し出された報告書を摘み捲れば、そこには多数の官吏の名が記されている。数頁も見れば、法則性にはすぐに気がついた。


「数としては、人餌派が圧倒的なんだな」

「はい。僕も調べていて驚きましたが、数だけで言えば人餌派に勝る勢力はありません。ただ、その中でも更に幾つかの派閥に分かれているようです」

「……ここまで偏りがあって、よくもまあこれまで内紛や政変が起きなかったな」

梓磊ズーレイ様の御力も無論ありますが、その多くが種族からなる消極的人餌派だからかと」

「消極的人餌派?」


 新しく聴く単語に颯雨ソンユは首を傾げた。「中立派に近いながらもそうなれない者たちのことです」と、返ってきた答えに角度は一層深まった。


「何故彼らは中立派とは呼ばれない? 二つの境目はなんだ?」

「種族の差……ですかね。僕や殿下のように連綿と血を繋ぐ霊獣は、己の意思でどの派閥に属するかを決められます。ですが幽鬼のように人から転じてあやかしになった者や、人を食らうことで力を増すあやかし。彼らは人を憎み喰らう性分を捨てきることはできない。そうした種族として確立してしまっているのですから」

「…………」


「その中でも積極的に国として人の世に攻め込むべきだという者と、人餌派が個々に表の世界へと渡り、あくまで個人の責任で人を食らうべきだという者がいるようです。皇貴妃様や龍帝陛下を狙ったとあれば、前者の積極的人餌派の行いでしょうか」

「……いや、おそらくは違う」

「え?」


 小浪シャオランの説明と、名簿の一覧を照らし合わせながら、唐突に理解する。


「少なくとも消極的人餌派の者も幾人かは関わっているはずだ」

「どうしてです?」

「……これは流布を控えてもらいたいが、実はすでに人の世にも、人餌派の者による被害が出ている」

「!」


 二度目の静麗ジンリーとの邂逅。水母娘娘スイボニャンニャンの眼前で彼女が口にしていた内容を思い出す。

 ──そうだ。元はと言えば人の世で女官が被害に遭ったからこそ、彼女は派遣されたのだ。


「国として人の世を滅ぼすことを命題とするのならば、悠長に表の世の女官に手を出す必要はない。世界をわたる術を持ち、元より活動していたのはおそらく消極的人餌派の者だ」

「うぅ……そうするとここから絞り込むのは至難の業ですよ」


 何せ消極的人餌派の者は多い。あやかしの種として自然と定義出来る者から自らの意思で人を喰らい苦しめることを望む者まで入るのだから。


「そうだな。だから当たりをつけて揺さぶりにいこう」

「えっ!? 颯雨様、まさか心当たりがあるのですか!?」

「確証はないがな。人餌派の目録に載っていた中で気になる名前を見た」


 幸いにもこの東屋から然程遠くない場所だ。夜空に輝く星を見ずとも方角を迷うことなく歩き出した。


「陰書楼へと向かうぞ、小浪シャオラン



 ◇



 戸部から程近い一角は普段多くのあやかしが行き交うが、今宵は然程気配も多くない。扉を開けた先にいたあやかしは、音に気がついたように振り返った。


「おや颯雨ソンユ様。もしやまた書を借りに来たのでしょうか?生憎泰然タイランは今出払っておりまして」

「いや、そなたに会いに来たのだ。司書正、禕書の主よ」


 禕書イショと呼ばれた書物のあやかしはパラパラと無造作に捲れる仕草を止める。表紙に刻まれた単眼が瞬いた。


「私に、ですか。勿論颯雨ソンユ様の御命令とあらば」

「そうか。ならば単刀直入に聞こう。……泰然が書楼を明かすまで、陰陽鏡に纏わる情報を隠していたのはそなただな?」


 元より他のあやかしの気配も薄い陰書楼に沈黙が群れを成して巡る。

 考えれば当然のことだ。如何に多くの書物が収められているとはいえ、自らもまた本のあやかしである彼がその全容を知ろうとしない訳がない。此処の主となることで、都合の悪い情報を外に放逐することがないよう、捜査を行なっていたのだろう。

 その意図を汲まんと値踏みする金が向けられれば、紙と紙が擦れる音がいやに響いた。


「……成る程、そのようなご用件でしたか。承知しました、こちらでお話をしましょう」

「ああ。私も大事おおごとにはしたくない」


 示された奥へと着いていく。本の形をしている禕書には開けられぬ扉へと手をかけたのは、随伴していた小浪シャオランだ。


「失礼します。……っ、ひ……!」

「!?」


 そこに広がっていたのは紅。凡そ書楼には似つかわしくない黒ずんだ赤と、その中央に倒れていた男に颯雨ソンユの瞳は見開かれた。


泰然タイラン!? くっ……! 禕書イショ、貴様……!」

「気を練るのは御容赦を。貴方の御身を損なうことは我らの本意では御座いませぬので」


 金属が擦れる音が周囲から聞こえてくる。空洞の鎧たちが気がつけば周囲を囲んでいた。



「我らが本懐を叶えるべく、あなたにはその旗となり礎となっていただきます。颯雨ソンユ様」

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